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サンガクッ!  作者: 虹の箸


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2/2

Because it's there

この小説をモチーフとしたサウンドトラックを作りました。聴いてくれると嬉しいです。

https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kWpsUCaSP0BlHOwKkedQue2j0UQhUAIxE&si=O2PuiXWYf2G39ydj

スマートフォンの中で再生される動画には、吹雪の谷川岳・一ノ倉沢の頂上稜線で、黄色いテントから顔を出して無邪気にピースサインをする五人の女子高生の姿が映っていた。

『現役JK五人組、厳冬期の魔の山「鬼スラ」を完全踏破!』

そのニュースは、登山界という狭いコップの中を飛び越え、SNSを通じて日本中へと爆発的に拡散された。

銀髪碧眼の神秘的な美少女に、誰もが知る巨大財閥の令嬢、スポーツクライミングのユース女王、そしてどこにでもいそうな親しみやすい笑顔の少女たち。過酷なアルパインクライミングのイメージを覆す華やかなルックスと、「部室でお茶をするために登った」という嘘のような本当の話は、瞬く間に彼女たちを時代のアイコンへと押し上げた。

だが、周囲の狂騒をよそに、五人の視線はすでに日本の山にはなかった。

高校卒業を控えた春。穂乃果(ほのか)、美咲(みさき)、麗華(れいか)、マヤの四人は、国内最高峰の学府・帝都大学の門をくぐった。

麗華が世界中から招聘した超一流の家庭教師陣によるスパルタ受験対策と、高校生の枠を超えた登山実績を武器に、総合型選抜入試を突破したのだ。

なぜ、白鳥財閥の無尽蔵の資金とプロのガイドチームを持つ彼女たちが、わざわざ規律の厳しい既存の「名門大学山岳部」に入部したのか。理由は極めて戦略的なものだった。

帝都大学山岳部が百年の歴史の中で蓄積してきた「ヒマラヤ未踏峰の非公開ルート資料」の閲覧権。そして、外国政府から難関峰の登山許可証(パーミット)を「学術調査」の名目で最優先に取得できる特権。世界のまだ見ぬ壁に挑むため、彼女たちにはどうしてもその二つが必要だったのである。

しかし、光が強ければ、落ちる影もまた濃い。

「ここはな、お嬢様たちのママゴト遊びの場じゃないんだよ!」

薄暗い大学の部室で、山岳部の古参OBや既存の先鋭クライマーたちは、彼女たちに露骨な敵意と冷笑を浴びせた。

資金調達という登山最大の壁を、麗華のスポンサー力で軽々と飛び越えていく五人。最新鋭のギアを揃え、ヘリコプターや最新の気象衛星システムを惜しみなく投入する彼女たちのスタイルは、泥をすすり、爪に火を灯すような貧困とハングリー精神で山に挑んできた旧世代の登山家たちにとって、許しがたい「冒涜」に映ったのだ。

『白鳥財閥の金で安全を買っているだけだ』

『シェルパと最新テクノロジーにおんぶに抱っこの商業登山。あんなものは真のアルピニズムではない』

ネットや専門誌に溢れる辛辣な批判。だが、五人は言い訳をひとつも口にしなかった。代わりに、圧倒的な「結果」で世界を黙らせに出たのである。

美咲と麗華は、自分たちの専門領域である「極地ロジスティクス」と「高所気象解析」を極限まで磨くための実戦訓練として、五大陸の過酷な極地遠征を主導した。厳冬期のアラスカ・デナリ、南極大陸のヴィンソン・マシフ。マイナス四十度を超える極寒の地で、美咲は一グラムの無駄もない完璧な補給線とベースキャンプを構築し、麗華は局地的なブリザードの隙を突く神がかり的な気象予測でチームを無傷で頂へと導いた。

一方、穂乃果とマヤの二人は、先鋭的な高所クライミングの最前線へと突き進んだ。パキスタンの七千メートル峰で高所順応と高速登攀の技術を研ぎ澄ますと、大学二年の冬、ついに人類史上でも数えるほどしか成功者のいない「エベレスト冬季・無酸素登頂」という歴史的快挙を成し遂げたのである。

そして、一学年下だった最後のピース――橘アキラが動いた。

夏季オリンピック、スポーツクライミング決勝。

世界中のカメラが見つめる中、最終課題をまるで重力など存在しないかのように完登し、圧倒的なスコアで金メダルを確定させたアキラは、ヒーローインタビューのマイクの前で、金メダルを無造作にポケットにしまいながら言い放った。

「今日で、競技クライミングは引退します。人工のプラスチックの壁はもう飽きました。……私には、世界で一番高い場所でお茶を飲む約束をした仲間がいるので」

会場がどよめく中、アキラはその足で空港へと向かった。

スポーツクライミングの選手は、重力に逆らうため極限まで脂肪を削ぎ落とした「無酸素運動・瞬発力特化」の肉体を作る。しかし、その体ではヒマラヤの八千メートル峰の極寒と低酸素には耐えられない。

一年遅れで帝都大学へ入学したアキラは、穂乃果とマヤの領域に追いつくため、丸一年間、パキスタンの大岩壁トランゴ・タワー周辺の六千メートル地帯に籠もった。皮下脂肪と心肺機能を根本から作り変える過酷な肉体改造と高所順応。血を吐くような鍛錬の末、彼女は「インドアの女王」から、氷と岩の複合壁を無酸素で駆け上がる「高所の怪物」へと変貌を遂げた。

シングルバーナーの青い炎が、チリチリと心地よい音を立ててケトルの底を炙っている。

場所は、母校・桜ヶ丘女学院の旧校舎三階、山岳部部室。

休日、卒業生として特別に許可をもらって忍び込んだ懐かしい部室の長机には、あの頃と同じ高級パティスリーの限定マカロンと、湯気を立てるアールグレイのティーカップが並んでいた。

「……うん、やっぱり山で飲む紅茶は最高だねぇ」

「だから穂乃果、ここは標高ゼロメートルの母校の部室だってば」

美咲がスマホを置きながら笑う。五人が日本でこうして顔を揃えるのは、実に二年ぶりのことだった。

だが、テーブルの端に広げられているのは、高尾山のハイキングマップではない。帝都大学のアーカイブから引き出した門外不出の古地図と、パキスタン政府から届いたばかりの分厚い公式登山許可証だった。

「それにしても、山岳部のOBの方々も相変わらずうるさいですわね」

麗華がティーカップを傾けながら、上品にため息をついた。

「穂乃果さんとマヤさんが冬季エベレストを無酸素で登ってもなお、『ベースキャンプの贅沢な設備や、外部のサポート隊のおかげだ』『純粋な自分たちの力ではない』などと週刊誌にコメントしていらっしゃる。……そろそろ、完膚なきまでに黙らせて差し上げたいところですわ」

「だね」と、たくましい体躯へと成長したアキラが、マカロンを一口で放り込みながら獰猛に笑った。「金も、外部のシェルパも、酸素ボンベも、固定ロープも一切使わない。完全に私たち五人だけの力で、誰も登ったことがない壁をぶち抜けば、ぐうの音も出ないでしょ」

マヤが静かに視線を落とし、古地図の一点を細い指先でトントンと叩いた。

「ここ。一番風の音が強くて、一番神様に近い壁」

五人の視線が、地図上のその一点に集まった。

世界第二位の高峰にして、エベレストを遥かに凌ぐ致死率から『非情の山(サベージ・マウンテン)』と恐れられる標高八六一一メートルの魔峰・K2。

その中でも、巨大な氷塔(セラック)の崩壊と雪崩が絶え間なく発生するため、世界のトップクライマーたちですら近づくことを諦めた人類未踏の絶壁――『K2東壁』だった。

「K2東壁を、外部サポートなしの完全なアルパインスタイルで……」

穂乃果がゴクリと喉を鳴らし、それから、悪戯を思いついた少女のようにパッと顔を輝かせた。

「ねえ、みんな。次のお茶会、このK2の東壁の上でやらない?」

「あはは、標高八六〇〇メートルのティーパーティーかぁ。お湯が沸く温度が低くて大変そうだね」と美咲が肩をすくめる。

「問題ありませんわ、美咲さん。圧力鍋を改良した特製の高所クッカーを開発させましたの」

まるで週末にお散歩へ出かけるようなゆるい会話で、登山史を塗り替える狂気の計画が決定した。

二ヶ月後。パキスタン奥地、カラコルム山脈・バルトロ氷河。

標高五〇〇〇メートルのK2東壁ベースキャンプ(BC)には、外部の人間は誰一人としていなかった。

ここまでの過酷なキャラバンと、一トンの機材・食料の輸送計画、そして氷河上の完璧なキャンプ設営をすべて一人でマネジメントし抜いたのは、美咲だった。かつて日帰りで十キロの荷物に泣いていた少女は、今や世界最高峰のロジスティクス・ディレクターとして、アタック隊が最高のコンディションで壁に挑める環境を盤石に整えていた。

そしてBCの通信テントでは、麗華が三台のモニターと、前線に設置した独自気象レーダーの解析画面を血走った目で睨みつけていた。

「K2東壁がこれまで人類を拒み続けてきた理由は、壁の上部で吹き荒れるジェット気流と、気温変化による氷塔の崩壊ですわ」

麗華が画面の気圧配置図を指し示す。

「ですが、明日の未明からわずか四十八時間だけ、チベット高気圧の張り出しによってジェット気流が北へ押し上げられます。三年ぶりの『気象の窓』が開きますわ! この四十八時間のうちに、標高差三〇〇〇メートルの東壁を一気に駆け上がり、頂上を踏んで降りてきなさい。一分でも遅れれば、再び吹き荒れる暴風に捕まって全員凍死します」

「四十八時間のスピード・アタック……」

穂乃果、アキラ、マヤの三人は、極限まで削ぎ落とした装備を点検した。酸素ボンベはない。固定ロープもない。あるのは最小限のクライミングギアと、緊急用の超軽量ツェルト、そして数日分の高カロリー行動食だけ。

「穂乃果、アキラ、マヤ」

出発の直前、美咲が小さなアルミの包みと、ひとつのバーナーを穂乃果のザックのポケットに押し込んだ。

「これ、麗華がブレンドした特製のチャイの茶葉とスパイス。あと、私たちが高校の部室で最初から使ってた、あのシングルバーナー。……絶対に、五人で飲むんだよ」

「……うん! 行ってくるね、美咲、麗華ちゃん!」

五人はゴアテックスのグローブ越しに固く拳を合わせ、アタック隊の三人は漆黒の闇が支配する氷河へと踏み出した。

一日目、標高七二〇〇メートル。

東壁の核心部、垂直にそびえ立つ巨大な青氷のセラック(氷塔)帯。

酸素濃度は平地のわずか三分の一。一歩足を踏み出すごとに肺が焼き切れるように痛み、脳が鉛のように重くなる。

だが、その極限の世界で、マヤはまさに「山の申し子」そのものだった。無酸素のエベレストを経験した彼女の心肺は、希薄な空気の中でも全く衰えない。雪の結晶の軋む音、風のわずかな匂いから、今にも崩壊しそうな氷塔の危険地帯を本能的に嗅ぎ分け、暗闇の中に一本の「生きるためのライン」を描き出していく。

「右の氷柱は死んでる。左のオーバーハングした岩と氷のミックス帯……あそこしか道はない」

「オーバーハングね……上等じゃん!」

マヤの示した絶望的なハング(逆傾斜)の壁に、アキラが躍り出た。

一年間の過酷な肉体改造によって、高所の低酸素下でも爆発的な出力を維持できるようになったアキラの躍動は、もはや人間の領域を超えていた。アイゼンの前爪を数ミリの岩の結晶に引っ掛け、氷にアックスを叩き込み、重力に引きずり下ろされそうになる三人の命綱を、圧倒的なフィジカルでグイグイと引き上げていく。

そして二日目、標高八二〇〇メートル。『デスゾーン(死の領域)』。

生命維持すら困難な超高所で、三人の意識が朦朧とし始めたその時、穂乃果の胸元の衛星無線機がノイズとともに鳴り響いた。

『こちらBCの麗華ですわ! 穂乃果さん、聞こえますか!?』

吹雪の底、三〇〇〇メートル下のベースキャンプから届く、麗華と美咲の声だった。

『大変です、予定より六時間早く偏西風の蛇行が始まりました! あと三時間で東壁の上部に秒速五十メートルのジェット気流が戻ってきます! 今すぐその氷壁を抜けないと、退路を断たれますわ!』

『穂乃果! アキラ! マヤ! 足を止めないで! 私たちがここでずっと見守ってるから!』

二人の必死の叫びが、凍りつきかけていた穂乃果の脳を激しく揺さぶった。

(みんなを……絶対に、生きて美咲と麗華ちゃんのところへ連れて帰る!)

「アキラちゃん、マヤちゃん! 私の踵のリズムに合わせて! 呼吸をひとつにするよ!」

穂乃果がリーダーとして最後の力を振り絞り、自らが先頭に立って胸までの深い雪をラッセルし始めた。

かつて奥多摩の山で美咲の歩幅に寄り添ったように、穂乃果は極限状態にあるアキラとマヤの鼓動を感じ取り、三人が最も力を発揮できる奇跡のペースを刻み続ける。親の背中を追うのではなく、仲間と共に歩むために培ってきた彼女のリーダーシップが、デスゾーンの悪魔をねじ伏せていく。

最後の垂直の雪壁にピッケルを打ち込み、体を強引に引き上げた瞬間――。

それ以上、登るべき壁はどこにもなかった。

足元に広がるのは、地球の丸さすら感じさせる果てしない大雲海と、遥か眼下に小さく見える周囲の八千メートル峰の頂。

標高八六一一メートル、K2山頂。人類が初めて『東壁・アルパインスタイル』を完全踏破した瞬間だった。

「……着いた。本当に、着いちゃった……」

アキラが雪の上に膝をつき、マヤが空を見上げて静かに微笑む。

穂乃果は震える手でザックを下ろし、嵐が来る前のわずかな静寂の中、緊急用の黄色いツェルトを素早くかぶった。そして、美咲から託されたあの古いシングルバーナーを取り出し、点火する。

チリチリと、標高八六一一メートルの希薄な空気の中で、小さな青い炎が灯った。

山頂の雪をクッカーに詰め、溶かした湯に麗華の茶葉とスパイスを投入する。立ち上るシナモンとカルダモンの甘い香りが、冷え切ったツェルトの中を一瞬で「あの放課後の部室」へと変えた。

穂乃果は無線機のスイッチを押し、三つのチタンカップに熱々のチャイを注いだ。

「……美咲、麗華ちゃん、聞こえる? 今、山頂でお湯が沸いたよ」

無線機の向こう、三〇〇〇メートル下のベースキャンプのテントの中で、泣きじゃくる美咲と麗華の声が返ってきた。

『ええ、聞こえていますわ! こちらも今、同じチャイを淹れたところですの!』

『穂乃果、アキラ、マヤ……! 本当に、本当におめでとう……!』

「五人全員で登ったんだよ。さあ、生徒会じゃなくて……世界中のうるさい大人たちに提出する記念写真を撮る前に、乾杯しよう!」

穂乃果がカップを無線機に近づける。

山頂の三人と、ベースキャンプの二人。標高差三〇〇〇メートルを隔てながら、五人の心はひとつの小さな部室の中で完全に重なっていた。

「「「「「乾杯!」」」」」

カチン、とチタンカップが触れ合う軽やかな音が、無線機越しに響き渡る。

世界一高くて、世界一過酷で、そして世界一贅沢な五人だけのお茶会。一口すすったスパイスチャイの温もりを胸に、彼女たちは再び、自分たちの待つ場所へと続く白い稜線へ力強く足を踏み出した。


お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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