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婚約を破棄されたので、私の夢を叶えにいきます

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/09/29


「ルーク、将来の夢ってある?」


 春の風が吹く丘の上。

 十歳の私は、草の上に寝転がりながら隣の少年へ問いかけた。


 少年の名はルーク。

 村の農家の一人息子。

 少しやんちゃで、――かっこいい男の子。


 ルークは青空を見上げたまま、少しだけ考えてから答える。


「騎士になる」

「へえ」

「なんだよ、その反応」

「だって即答だったから」

「決まってるんだ。昔から」


 彼はそう言って笑った。

 まだ少年なのに、妙に真っ直ぐな笑顔だった。

 私はその横顔を見ながら思う。

 ああ、きっとこの人は本当になるんだろうな、と。


「エレナは?」

「ん?」

「夢。……やっぱ親父さんの手伝いとかか?」


 そうか。

 私も答えないといけないのか。


 私の親はかなりやりての商会の3代目。

 そんな親にしっかりと育てられた私は、同世代から見てもかなり頭がよく、この街の何にでもなれると自負している。

 

「ん~」

 

 私は膝を抱えながら少し考えるふりをした。


 本当は決まっている。

 ずっと前から。


 けれど、言うのは恥ずかしい。


「秘密」


 ルークが嫌そうな顔をした。


「ずるいだろ」

「女の子には秘密があるの」

「十歳で?」

「十歳でも立派なレディよ」


 ふん、とそっぽを向く。

 するとルークが肩をすくめた。


「じゃあ教えてくれなくていい」

「ふふ」

「でも少しくらいヒントくれよ」


 私は少しだけ考えた。


「そうね」


 そして胸を張る。


「あなたが騎士になったら叶う夢よ」


 ルークが固まった。


「俺が?」

「うん」

「意味わかんねえ」

「そのうちわかるわ」


 私が笑うと、ルークはますます不満そうな顔になる。


「絶対叶うのか?」


 その問いに私は迷わず頷いた。


「絶対に叶えてみせる」


 それだけは自信があった。


「じゃあ約束しよう」


 ルークが小指を差し出す。


「俺は騎士になる」

「うん」

「そしたらエレナも夢が叶う。うんうんってやつだ」

「win-winね」

「そうともいう」

「ふふっ」


 私も笑いながら小指を絡めた。


「約束」

「約束だ」


 夕日に照らされたその横顔を、私はずっと覚えていた。






 ◇


 それから七年。


 ルークは騎士学校へ進学した。


 私は何度も手紙を書いた。

 彼からもすぐに返事が届く。

 別れて最初は泣いてばかりだったけれど、手紙が届くたび少しずつ笑えるようになった。


『剣術大会で三位だった』

『今度はもっと上を目指す』

『騎士団長に褒められた』


 読むたびに胸が高鳴った。


 すごい。


 本当に追いかけているんだ。

 夢を。


 私は便箋を大切に箱へしまった。


「私も……頑張らなくちゃ」


 彼の手紙の内容を噛み締めながら、実家の手伝いを行うのだった。





 その頃、父の商会は大成功していた。

 大口の取引を成功させ、国に多大な利益をもたらした。

 何度も貴族家に招待され、ついには王家からも声がかかった。


 そんな日々が続くと。

 気付けば我が家は男爵位を得て、生活も周囲の景色も変わってしまった。





「エレナ」


 ある日、父に呼ばれた。


 執務室に入ると父と母が揃っていた。

 嫌な予感がした。


「縁談だ」


 予感は当たった。


「相手はベルナール伯爵家の次男」


 頭が真っ白になった。


「お断りします」


 反射的に言っていた。

 父が眉をひそめる。


「話を聞きなさい」

「聞く必要はありません」

「エレナ」


 母が困ったような声を出す。

 私は拳を握った。


「待っている人がいます」


 父も母も黙った。

 知っているのだ。


 ルークのことを。


 幼い頃からどれほど話してきたか。

 父が深いため息を吐いた。


「その平民の少年か」

「平民じゃありません」

「平民だろう」


 違う。

 もう違う。


 きっと今頃。


 騎士になったに違いない。

 そろそろ卒業だと手紙でも書いていたし、成績はトップだと聞いている。


「いえ、もう卒業の――!」


 でも、その言葉は飲み込んだ。

 父と母の目を見てしまったから。

 悲しそうにしながらも、覚悟が決まった目を。


「家のためだ」


 父の声は静かだった。


「わかってくれ」


 父が頭を下げる。

 こんなことは初めてだ。


 あの父が、私に頭を下げるなんて。

 その言葉と行動に私は何も返せなくなった。


 父も母も私を愛している。

 そのことは知っていた。

 そして私も両親を愛している。


 だからこそ苦しかった。


「……わかり、ました」


 結局。

 私は婚約を受け入れた。






 ◇


 同じ頃。

 ルークは騎士となっていた。


 学校を主席で卒業。

 その足で騎士団に向かい、諸々の書類を全て提出した。


「ようやくエレナに会える……!」


 その日はいつもより寝つきが悪かった。




 正式任官の日。

 彼は久しぶりの帰郷を許された。


 他の新米騎士達も同様だ。

 親元に報告に行ってあげなさい、とは騎士団長の言葉。

 本当にいい団長の元で活動できる。

 誇りを持って故郷に凱旋できる。


 青い制服。

 新しい剣。

 胸には誇らしい徽章。


 そして手には花束。


 緊張していた。

 戦場の方がまだ楽だった。


 エレナに会う。

 やっと会える。

 俺は子供の頃から追い続けた夢を叶えた。


 だから今度は。

 今度こそ。

 あいつの夢を叶えてあげるのだ。


 村へ戻った彼は、まず家に、無事に騎士になったことを報告する。

 両親は泣いて喜んでくれた。

 ただ、どこか悲しそうにしている姿が心に残った。

 

 そんな両親に首を傾げながら、断りを入れて家を飛び出す。

 少し走ると、昔馴染みの爺さんが道端に腰掛けていた。

 エレナのことを知っているかも、と思い声をかける。


 彼も俺が騎士になった、と聞くと自分のことのように喜んでくれた。


 だが。


「エレナは?」


 聞くと、老人が驚いた顔をした。


「おや、知らんのか」


 妙な胸騒ぎがした。


「エレナ様なら婚約なさったぞ」


 花束が落ちた。

 世界の音が遠くなる。


「婚約……?」

「ああ。もう貴族様だからな」


 その瞬間。

 俺は崩れ落ちた。


 七年間。

 追いかけてきたもの。

 会いたかった人。

 伝えたかった気持ち。


 何も言えないまま終わった。


 ルークは花束を拾った。

 笑おうとした。


 でも上手く笑えなかった。


「そうですか」


 それだけ言うので精一杯だった。






 ◇


 婚約者の名はレオン。

 見た目だけなら整っていた。

 社交界でも人気がある。

 知識も貴族らしくしっかりと持っている。


 最初は私も努力した。

 彼のことを好きになろうと。


 でも無理だった。

 どれだけ努力してもルークの顔が頭に浮かぶ。


 だから。

 好きになれなくても、せめて良い妻になろうと努力の方向性を変えた。


 料理を学んだ。

 社交も勉強した。

 領地経営も覚えた。


 レオンの役に立つために。


 だが。


「またですか?」


 私の問いにレオンは鼻で笑った。


「だから何だ」

「三人目です」

「別にいいだろ」


 机に座ったまま酒を飲む。


「婚約者なんだから少しは見逃せ」


 頭が痛くなった。


 その日も女性関係の揉め事だった。

 また見知らぬ女を孕ませたらしい。

 それを実家の権力を使い黙らせていた。

 私が何度注意しても何も聞きやしない。

 その日もなあなあのまま寝室に消えていった。


 だが問題は他にもある。


 次の日は使用人への暴言だった。

 その次の日は借金。

 さらに次の日は愛人。


 何度話しても変わらない。


 ある夜。

 私は自室で古い箱を開いた。

 もうルーティーンになった行為。


 一番上にあった手紙を取り出す。


 懐かしい字。

 ルークの文字。


『騎士学校は厳しい』

『でも頑張る』


 思わず笑う。

 読み進める。


『騎士になる』


 胸が少し痛んだ。

 噂は聞いていた。


 ルークは今や若手有望株。

 騎士団内の剣技大会でも優秀な成績を残しているらしい。


 私は紙をそっと撫でた。


「すごいなあ……」


 自然と笑みがこぼれる。


 誇らしかった。

 昔、一緒に夢を語った相手が本当に夢を叶えた。

 それが嬉しかった。


 でも。


「遠くに行っちゃったな……」


 ぽつりと零れた。


 会えない。

 会う資格もない。


 私は貴族の婚約者。

 彼は将来有望な騎士。


 もう昔の二人じゃない。


 窓の外を見る。

 夜空は変わらないのに。

 あの日の約束だけが遠くなった気がした。







 ◇


 一方。

 ルークは騎士として活躍していた。


 功績を上げ。

 人々を救い。

 同僚からも信頼されていた。


 ただ一つだけ。

 結婚の話になると困った顔をする。


「お前、恋人くらいいるだろ」


 酒場で同僚が言った。


「いない」

「嘘つけ」


 ルークは苦笑した。


「昔な」

「ん?」


 彼は少し黙る。

 そして酒を一口飲んだ。


「好きな人がいた」

「いた?」


 しばらく沈黙。

 それから小さく笑う。


「いや」


 窓の外を見た。


「今も好きなんだろうな」


 同僚は何も言えなかった。

 その横顔があまりにも寂しそうだったから。







 ◇


 転機は突然訪れた。


 レオンの不正が発覚したのである。


 愛人問題だけではなかった。


 横領。

 賄賂。

 架空契約。


 次々と証拠が出てくる。


 私は驚かなかった。

 何故なら、新聞社に情報を渡したのは私なのだから。



 ずっと集めていた。


 いつか誰かが傷つくと思った。

 だからそれ相応の罰が与えられるように証拠を整えた。

 勿論バレないようにこっそりと。

 彼は家臣達に信頼されていない。

 誰が情報を漏らしたか分からないはずだ。


「ふふ」


 私はバレないように暗い笑みを漏らすのだった。


 





 ◇


 それから少し日が進み。

 断罪の時がやってきた。


 大勢の貴族が見守る中。

 レオンは顔を真っ赤にして叫んだ。


「全部お前のせいだ!」


 私は無言だった。

 無論、彼の言葉を裏付ける証拠などありもしない。


 彼の実家も混乱の中でまともに準備も出来ていなかったのだから。


「こんな地味な女と誰が結婚したからこんなことになったんだ!」


 会場がざわつく。

 だが私は無言。

 勤めて無表情を貫く。


「……もう我慢ならん、婚約破棄だ!」


 静寂。

 誰も動かない。


 私は数秒だけ立ち尽くした。

 そして。


 ――終わった。


 そう思った。


 そして次の瞬間。

 涙が溢れた。


「ありがとうございます!」


 会場が騒然となる。


「……何も言っているのだ!?」


 彼が何やらまだ喚いているようだ。

 だがそんなこともうどうでもいい。


 私は泣きながら頭を下げた。


「本当に、本当にありがとうございます!」

「は?」


 レオンが呆然とする。


 私は涙を拭った。

 胸の奥が軽かった。


 何年ぶりかわからないほど。


 自由になった。

 ようやく、自由になった。


 ――ならやるべきことはもう一つしかない。


 私は飛び出した。


 私の家が手配してくれた、馬車を待たなかった。


 両親にもこれから私がすることをもう伝えてある。

 彼らは諦めたように笑いながら「好きにしろ」と言ってくれた。

 そして「後のことも任せろ」とも。


 商会で忙しく、私のことを碌に見てやれなかったのがとても悔しいらしく、レオンをとことん潰してやると意気込んでいた。




 ドレスの裾を持ち上げて走った。


 髪も乱れる。

 息も切れる。


 でも止まれなかった。


 向かう場所は決まっている。


 ずっと前から。

 何年も前から。





 騎士団の訓練場。


 そこに彼はいた。

 剣を振り終えたばかりだった。


 汗を拭っている。

 昔より背が高い。

 噂には聞いていたが、ずっと格好良くなっていた。


「ルーク!」


 彼が振り返る。

 そして固まった。


「……エレナ?」


 私も息を切らして立ち止まる。


「あ、あの」


 上手く喋れない。


 でも。

 言わなきゃ。


「迎えに来たの」


 ルークの目が丸くなる。


「迎えに?」


 私は必死に頷いた。


 婚約破棄の話。

 今までのこと。

 全部説明した。


 ルークは最後まで黙って聞いていた。


 そして。

 少し困ったように笑った。


「今さらだろ」


 胸が痛くなった。


「え?」

「俺は平民出身だ」


 ルークは視線を逸らす。


「君は貴族だし」

「それに」


 少し寂しそうに笑う。


「もう終わった話だろ」


 その言葉で。

 何かが切れた。


「終わってない!」


 私の叫びにルークが目を見開く。

 私は涙目のまま叫んだ。


「終わってないわよ!」


 周囲の騎士達が驚いて見ている。


 そんなこと知るか。

 今さら恥なんてどうでもいい。


「私は忘れたことなんてない!」


 声が震える。


「一度も!」


 ルークが息を飲んだ。


「約束も!」


 涙が溢れる。


「夢も!」


 そこで彼が固まった。


「夢……?」


 昔の丘。

 夕焼け。

 小指。

 全部蘇る。


 私は泣きながら笑った。


「覚えてる?」


 ルークがゆっくり頷く。


「もちろん、覚えてる」

「あなたが騎士になったら」

「ああ」

「私の夢も叶う――叶えるって言ったでしょう」


 一歩近付く。

 もう逃げない。

 もう諦めない。


 何年遠回りしても。

 私の夢は変わらない。


 深呼吸する。

 顔が熱い。

 恥ずかしい。

 今すぐ逃げ出したい。


 でも。

 今言わなきゃ。


 絶対に。


 私はルークを見上げた。

 そして人生で一番勇気を出して告げる。


「私の夢は……お嫁さん!」


 ルークの目が大きく見開かれる。

 私は泣き笑いのまま叫んだ。


「――あなたの!」


 風が吹いた。


 ルークが何か言おうと口を開く。


 でも私は聞かなかった。

 だって。

 その顔だけで充分だったから。


 十年前。

 丘の上で始まった夢は。


 ようやく今。

 叶おうとしていた。

 

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