婚約を破棄されたので、私の夢を叶えにいきます
「ルーク、将来の夢ってある?」
春の風が吹く丘の上。
十歳の私は、草の上に寝転がりながら隣の少年へ問いかけた。
少年の名はルーク。
村の農家の一人息子。
少しやんちゃで、――かっこいい男の子。
ルークは青空を見上げたまま、少しだけ考えてから答える。
「騎士になる」
「へえ」
「なんだよ、その反応」
「だって即答だったから」
「決まってるんだ。昔から」
彼はそう言って笑った。
まだ少年なのに、妙に真っ直ぐな笑顔だった。
私はその横顔を見ながら思う。
ああ、きっとこの人は本当になるんだろうな、と。
「エレナは?」
「ん?」
「夢。……やっぱ親父さんの手伝いとかか?」
そうか。
私も答えないといけないのか。
私の親はかなりやりての商会の3代目。
そんな親にしっかりと育てられた私は、同世代から見てもかなり頭がよく、この街の何にでもなれると自負している。
「ん~」
私は膝を抱えながら少し考えるふりをした。
本当は決まっている。
ずっと前から。
けれど、言うのは恥ずかしい。
「秘密」
ルークが嫌そうな顔をした。
「ずるいだろ」
「女の子には秘密があるの」
「十歳で?」
「十歳でも立派なレディよ」
ふん、とそっぽを向く。
するとルークが肩をすくめた。
「じゃあ教えてくれなくていい」
「ふふ」
「でも少しくらいヒントくれよ」
私は少しだけ考えた。
「そうね」
そして胸を張る。
「あなたが騎士になったら叶う夢よ」
ルークが固まった。
「俺が?」
「うん」
「意味わかんねえ」
「そのうちわかるわ」
私が笑うと、ルークはますます不満そうな顔になる。
「絶対叶うのか?」
その問いに私は迷わず頷いた。
「絶対に叶えてみせる」
それだけは自信があった。
「じゃあ約束しよう」
ルークが小指を差し出す。
「俺は騎士になる」
「うん」
「そしたらエレナも夢が叶う。うんうんってやつだ」
「win-winね」
「そうともいう」
「ふふっ」
私も笑いながら小指を絡めた。
「約束」
「約束だ」
夕日に照らされたその横顔を、私はずっと覚えていた。
◇
それから七年。
ルークは騎士学校へ進学した。
私は何度も手紙を書いた。
彼からもすぐに返事が届く。
別れて最初は泣いてばかりだったけれど、手紙が届くたび少しずつ笑えるようになった。
『剣術大会で三位だった』
『今度はもっと上を目指す』
『騎士団長に褒められた』
読むたびに胸が高鳴った。
すごい。
本当に追いかけているんだ。
夢を。
私は便箋を大切に箱へしまった。
「私も……頑張らなくちゃ」
彼の手紙の内容を噛み締めながら、実家の手伝いを行うのだった。
その頃、父の商会は大成功していた。
大口の取引を成功させ、国に多大な利益をもたらした。
何度も貴族家に招待され、ついには王家からも声がかかった。
そんな日々が続くと。
気付けば我が家は男爵位を得て、生活も周囲の景色も変わってしまった。
「エレナ」
ある日、父に呼ばれた。
執務室に入ると父と母が揃っていた。
嫌な予感がした。
「縁談だ」
予感は当たった。
「相手はベルナール伯爵家の次男」
頭が真っ白になった。
「お断りします」
反射的に言っていた。
父が眉をひそめる。
「話を聞きなさい」
「聞く必要はありません」
「エレナ」
母が困ったような声を出す。
私は拳を握った。
「待っている人がいます」
父も母も黙った。
知っているのだ。
ルークのことを。
幼い頃からどれほど話してきたか。
父が深いため息を吐いた。
「その平民の少年か」
「平民じゃありません」
「平民だろう」
違う。
もう違う。
きっと今頃。
騎士になったに違いない。
そろそろ卒業だと手紙でも書いていたし、成績はトップだと聞いている。
「いえ、もう卒業の――!」
でも、その言葉は飲み込んだ。
父と母の目を見てしまったから。
悲しそうにしながらも、覚悟が決まった目を。
「家のためだ」
父の声は静かだった。
「わかってくれ」
父が頭を下げる。
こんなことは初めてだ。
あの父が、私に頭を下げるなんて。
その言葉と行動に私は何も返せなくなった。
父も母も私を愛している。
そのことは知っていた。
そして私も両親を愛している。
だからこそ苦しかった。
「……わかり、ました」
結局。
私は婚約を受け入れた。
◇
同じ頃。
ルークは騎士となっていた。
学校を主席で卒業。
その足で騎士団に向かい、諸々の書類を全て提出した。
「ようやくエレナに会える……!」
その日はいつもより寝つきが悪かった。
正式任官の日。
彼は久しぶりの帰郷を許された。
他の新米騎士達も同様だ。
親元に報告に行ってあげなさい、とは騎士団長の言葉。
本当にいい団長の元で活動できる。
誇りを持って故郷に凱旋できる。
青い制服。
新しい剣。
胸には誇らしい徽章。
そして手には花束。
緊張していた。
戦場の方がまだ楽だった。
エレナに会う。
やっと会える。
俺は子供の頃から追い続けた夢を叶えた。
だから今度は。
今度こそ。
あいつの夢を叶えてあげるのだ。
村へ戻った彼は、まず家に、無事に騎士になったことを報告する。
両親は泣いて喜んでくれた。
ただ、どこか悲しそうにしている姿が心に残った。
そんな両親に首を傾げながら、断りを入れて家を飛び出す。
少し走ると、昔馴染みの爺さんが道端に腰掛けていた。
エレナのことを知っているかも、と思い声をかける。
彼も俺が騎士になった、と聞くと自分のことのように喜んでくれた。
だが。
「エレナは?」
聞くと、老人が驚いた顔をした。
「おや、知らんのか」
妙な胸騒ぎがした。
「エレナ様なら婚約なさったぞ」
花束が落ちた。
世界の音が遠くなる。
「婚約……?」
「ああ。もう貴族様だからな」
その瞬間。
俺は崩れ落ちた。
七年間。
追いかけてきたもの。
会いたかった人。
伝えたかった気持ち。
何も言えないまま終わった。
ルークは花束を拾った。
笑おうとした。
でも上手く笑えなかった。
「そうですか」
それだけ言うので精一杯だった。
◇
婚約者の名はレオン。
見た目だけなら整っていた。
社交界でも人気がある。
知識も貴族らしくしっかりと持っている。
最初は私も努力した。
彼のことを好きになろうと。
でも無理だった。
どれだけ努力してもルークの顔が頭に浮かぶ。
だから。
好きになれなくても、せめて良い妻になろうと努力の方向性を変えた。
料理を学んだ。
社交も勉強した。
領地経営も覚えた。
レオンの役に立つために。
だが。
「またですか?」
私の問いにレオンは鼻で笑った。
「だから何だ」
「三人目です」
「別にいいだろ」
机に座ったまま酒を飲む。
「婚約者なんだから少しは見逃せ」
頭が痛くなった。
その日も女性関係の揉め事だった。
また見知らぬ女を孕ませたらしい。
それを実家の権力を使い黙らせていた。
私が何度注意しても何も聞きやしない。
その日もなあなあのまま寝室に消えていった。
だが問題は他にもある。
次の日は使用人への暴言だった。
その次の日は借金。
さらに次の日は愛人。
何度話しても変わらない。
ある夜。
私は自室で古い箱を開いた。
もうルーティーンになった行為。
一番上にあった手紙を取り出す。
懐かしい字。
ルークの文字。
『騎士学校は厳しい』
『でも頑張る』
思わず笑う。
読み進める。
『騎士になる』
胸が少し痛んだ。
噂は聞いていた。
ルークは今や若手有望株。
騎士団内の剣技大会でも優秀な成績を残しているらしい。
私は紙をそっと撫でた。
「すごいなあ……」
自然と笑みがこぼれる。
誇らしかった。
昔、一緒に夢を語った相手が本当に夢を叶えた。
それが嬉しかった。
でも。
「遠くに行っちゃったな……」
ぽつりと零れた。
会えない。
会う資格もない。
私は貴族の婚約者。
彼は将来有望な騎士。
もう昔の二人じゃない。
窓の外を見る。
夜空は変わらないのに。
あの日の約束だけが遠くなった気がした。
◇
一方。
ルークは騎士として活躍していた。
功績を上げ。
人々を救い。
同僚からも信頼されていた。
ただ一つだけ。
結婚の話になると困った顔をする。
「お前、恋人くらいいるだろ」
酒場で同僚が言った。
「いない」
「嘘つけ」
ルークは苦笑した。
「昔な」
「ん?」
彼は少し黙る。
そして酒を一口飲んだ。
「好きな人がいた」
「いた?」
しばらく沈黙。
それから小さく笑う。
「いや」
窓の外を見た。
「今も好きなんだろうな」
同僚は何も言えなかった。
その横顔があまりにも寂しそうだったから。
◇
転機は突然訪れた。
レオンの不正が発覚したのである。
愛人問題だけではなかった。
横領。
賄賂。
架空契約。
次々と証拠が出てくる。
私は驚かなかった。
何故なら、新聞社に情報を渡したのは私なのだから。
ずっと集めていた。
いつか誰かが傷つくと思った。
だからそれ相応の罰が与えられるように証拠を整えた。
勿論バレないようにこっそりと。
彼は家臣達に信頼されていない。
誰が情報を漏らしたか分からないはずだ。
「ふふ」
私はバレないように暗い笑みを漏らすのだった。
◇
それから少し日が進み。
断罪の時がやってきた。
大勢の貴族が見守る中。
レオンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「全部お前のせいだ!」
私は無言だった。
無論、彼の言葉を裏付ける証拠などありもしない。
彼の実家も混乱の中でまともに準備も出来ていなかったのだから。
「こんな地味な女と誰が結婚したからこんなことになったんだ!」
会場がざわつく。
だが私は無言。
勤めて無表情を貫く。
「……もう我慢ならん、婚約破棄だ!」
静寂。
誰も動かない。
私は数秒だけ立ち尽くした。
そして。
――終わった。
そう思った。
そして次の瞬間。
涙が溢れた。
「ありがとうございます!」
会場が騒然となる。
「……何も言っているのだ!?」
彼が何やらまだ喚いているようだ。
だがそんなこともうどうでもいい。
私は泣きながら頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございます!」
「は?」
レオンが呆然とする。
私は涙を拭った。
胸の奥が軽かった。
何年ぶりかわからないほど。
自由になった。
ようやく、自由になった。
――ならやるべきことはもう一つしかない。
私は飛び出した。
私の家が手配してくれた、馬車を待たなかった。
両親にもこれから私がすることをもう伝えてある。
彼らは諦めたように笑いながら「好きにしろ」と言ってくれた。
そして「後のことも任せろ」とも。
商会で忙しく、私のことを碌に見てやれなかったのがとても悔しいらしく、レオンをとことん潰してやると意気込んでいた。
ドレスの裾を持ち上げて走った。
髪も乱れる。
息も切れる。
でも止まれなかった。
向かう場所は決まっている。
ずっと前から。
何年も前から。
騎士団の訓練場。
そこに彼はいた。
剣を振り終えたばかりだった。
汗を拭っている。
昔より背が高い。
噂には聞いていたが、ずっと格好良くなっていた。
「ルーク!」
彼が振り返る。
そして固まった。
「……エレナ?」
私も息を切らして立ち止まる。
「あ、あの」
上手く喋れない。
でも。
言わなきゃ。
「迎えに来たの」
ルークの目が丸くなる。
「迎えに?」
私は必死に頷いた。
婚約破棄の話。
今までのこと。
全部説明した。
ルークは最後まで黙って聞いていた。
そして。
少し困ったように笑った。
「今さらだろ」
胸が痛くなった。
「え?」
「俺は平民出身だ」
ルークは視線を逸らす。
「君は貴族だし」
「それに」
少し寂しそうに笑う。
「もう終わった話だろ」
その言葉で。
何かが切れた。
「終わってない!」
私の叫びにルークが目を見開く。
私は涙目のまま叫んだ。
「終わってないわよ!」
周囲の騎士達が驚いて見ている。
そんなこと知るか。
今さら恥なんてどうでもいい。
「私は忘れたことなんてない!」
声が震える。
「一度も!」
ルークが息を飲んだ。
「約束も!」
涙が溢れる。
「夢も!」
そこで彼が固まった。
「夢……?」
昔の丘。
夕焼け。
小指。
全部蘇る。
私は泣きながら笑った。
「覚えてる?」
ルークがゆっくり頷く。
「もちろん、覚えてる」
「あなたが騎士になったら」
「ああ」
「私の夢も叶う――叶えるって言ったでしょう」
一歩近付く。
もう逃げない。
もう諦めない。
何年遠回りしても。
私の夢は変わらない。
深呼吸する。
顔が熱い。
恥ずかしい。
今すぐ逃げ出したい。
でも。
今言わなきゃ。
絶対に。
私はルークを見上げた。
そして人生で一番勇気を出して告げる。
「私の夢は……お嫁さん!」
ルークの目が大きく見開かれる。
私は泣き笑いのまま叫んだ。
「――あなたの!」
風が吹いた。
ルークが何か言おうと口を開く。
でも私は聞かなかった。
だって。
その顔だけで充分だったから。
十年前。
丘の上で始まった夢は。
ようやく今。
叶おうとしていた。




