期待
横浜市内のとあるレストラン。プロ野球横浜シーサーペンツ1軍監督の三原は、そこで2軍監督の広岡と2軍投手コーチの若生とともに食事を摂っていた。
「ところで三原監督。我々2人だけをわざわざ招いているということは、何か特別に伝えたいことがあるということですよね? そろそろ本題に入りませんか?」
食事をしながら他愛無い会話をしていた3人だったが、広岡が頃合を見計らってそう切り込んだ。
「実は話というのは他でもない。私の要望をキミたちに自分の口から伝えようと思ってね」
三原はあらためて2人の方に向き直り、一呼吸おいてから話を始めた。
「キミたちもわかっているだろうが、ウチはなにしろ投手陣が弱い。去年1年間このチームを率いてあらためてわかったが、とにかく投手陣が脆弱過ぎなのだよ」
広岡も若生も、その点に異論はなかった。特に若生は、若手投手陣強化のため三原に強く乞われて2軍の投手コーチに就任した経緯がある。
「なかでも私が痛感したのは、このチームは左ピッチャーがいなさ過ぎるということだ。これほど左ピッチャーのいないチームは過去に遡っても無いんじゃないかと思うくらい、とにかく左が足りない。使える左ピッチャーがいるのといないのでは作戦の幅が違う。それはキミたちだってわかるだろう?」
広岡と若生は黙って頷いた。左ピッチャーがいないということは、それだけ採る作戦が少なくなり、相手チームに作戦を読まれやすくなる。三原が言っているのはそういうことだ。
「外から見ていた頃から思っていましたが、シーサーペンツはなぜか不思議と昔から左ピッチャーが台頭してきませんね。悪い意味での伝統になってしまっている」
「私はね、優勝したいのだよ。このチームでも優勝したい。このチームは長らく可もなく不可もない緩いシーズンをずっと送ってきた。だが私が監督になった以上、もうそれは許さない。私が望むのは唯ひとつ。常に優勝を争えるチームだ」
三原の眼は本気であり、それは広岡と若生にも十分伝わってきた。
「そこでキミたちにお願いなんだが、とにかく左ピッチャーを早急に育てて1軍に送り込んで欲しいんだ。先発でもリリーフでもいい。とにかく1人でも多く1軍で使える左を育てて送り込んで欲しい」
「やはり優先順位としては先発が真っ先に欲しいのでは?」
広岡の問いかけに三原は頷いた。
「もちろん先発で左が出てきてくれれば言うことはない。なにしろウチは先発ピッチャー自体が不足しているからな。ただ、とにかく今は上で使える左であればいい。もしリリーフタイプならば、現状のリリーフ陣の中から誰かを先発に転向させることも視野に入れている」
三原は投手陣の配置転換をも示唆した。それはつまり、それだけ本気だと言う証だ。
「トレードや外人ピッチャーの獲得という選択肢はないんですか?」
「もちろんそれも考えているしフロントにも願い出ているよ。しかし優秀な左ピッチャーはどこのチームだって欲しいし、手放したくはないからな。なかなか思うように話が進展しないし、足元を見られて交換要員をふっかけられたりする。外人の方は当たり外れが大きいから計算には入れにくい。それはキミらも理解できるだろう?」
三原は自分の想いを、噛んで含めるように二人に伝えた。
「とにかく今いる左ピッチャーを最優先で鍛えあげて、早急に上に送り込んで欲しいんだ。どうだね、誰か目ぼしいヤツはいないかね」
そう尋ねられた広岡と若生は顔を見合わせ、すぐに広岡が向き直って答えた。
「そういうことでしたら面白いのが1人いることはいるんですが」
「ほう、誰だい?」
「去年入団した育成枠のピッチャーなんですが、北野といいます」
「北野か。どこに目をつけているんだね?」
それは若生くんに説明させましょう、と言って広岡は若生に発言を促した。
「まず北野のフォームなんですが、バッターにしたらボールの出どころが見づらくてタイミングがとても取りづらい。そしてストレートが異常にノビてくるんです。まるで途中から加速してくるように見える」
「バッターがタイミングを取りづらいというのは、それだけで大きな武器だな」
三原が興味を示し始める。
「それから、なかなか良いカーブを持っています。大きく縦に弧を描くスローカーブですね。これをもう少し遅く投げられたら、かなり効果的じゃないかと」
「左ピッチャーのスローカーブは、それだけで武器になり得るからな。いいじゃないか」
「そして私が北野に注目している一番の理由は彼のチェンジアップです」
「チェンジアップ?」
三原は怪訝そうな顔で若生を見た。
「チャンジアップを投げるピッチャーなんど、いくらでもいると思うが?」
「それがアイツのはただのチェンジアップじゃないんです。育成で拾われたのもそれを評価されたかららしいんですが、今まで見たことがない変化をしますね。チェンジアップだけなら今すぐにでも1軍で通用するかもしれません」
「ほう、そんなに? なかなか良いじゃないか」
チェンジアップだけなら今すぐにでも1軍で通用する。この言葉は三原の興味を思いのほか引いた。彼はそういった一芸に秀でた選手を使いこなすことに喜びを見出すタイプの監督で、事実1軍ベンチにはそういったスペシャリストともいえる選手が何人かいた。
「随分と面白そうな素材じゃないか。しかしそんなピッチャーがどうして育成なんだね?」
「色々と課題も多いんですよ。高卒で入ってきた育成枠ですんで身体が全然出来ていなくて、昨年1年間はみっちり身体作りに専念させたんです。その甲斐あってストレートの球速も球威もアップしまして、それがなおさらチェンジアップの威力を高めるようになりました。オフの間にどれぐらい成長しているのか楽しみにしているんですよ」
「随分と肩入れしているじゃないか。いいね。楽しみだ」
「ただ……」
ここで若生の声のトーンが下がったことに三原はすぐ気づいた。
「ただ、なんだね?」
「ただアイツは先発しか出来ないんですよ。リリーフで投げさせると、とにかく不安定でどうしようもない。それと、スタミナに欠けるんです」
「先発として使うしかないくせにスタミナが足りないというわけか……それはまた……」
三原は顔を曇らせたが、それは決して悲観的になったわけではなく、そんな問題を抱えたピッチャーでも使いようはないだろうかと考えていたのだ。
「はい。当初は5回どころか3回を投げきるのも難しい状態でした。ですから去年は途中から徹底的に身体作りに専念させまして。秋のキャンプではスタミナも筋力も随分アップしていました。まだまだなんですが……私は、ひょっとするとひょっとするんじゃないかと密かに思っているんですよ。スタミナさえ人並みになればアイツは大化けするような、なんとなくそんな気がして仕方ないんです」
若生の熱がこもった語りように、三原は相好を崩した。
「話を聞いていて、ちょっとその北野というピッチャーを実際に見てみたくなってきたな」
「今年はウチも3軍を編成しますので、そちらでどんどん投げさせて経験を積ませようと考えています」
「うむ、そうか。なかなか楽しみなピッチャーがいるようで何よりだ。まあとにかく、その北野に限らずどんどん鍛えて上に送り込んでくれ。何度も言うが、私は本気で任期中に優勝するつもりなのでね。完投出来るスタミナがなくてもかまわん。1イニングしかもたなくてもいい。ワンポイントでもいい。とにかく下のピッチャー達を徹底的に鍛え上げて欲しい」
2軍のピッチャー達に大きなチャンスが巡ってきたな、と若生は思った。これを伝えれば彼らのモチベーションは大きく上がるだろう。
その結果北野以外のピッチャーも大きく成長するかもしれない。楽しみな反面、自らの責任の重さをあらためて感じる若生だった。




