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パラシュートチェンジ

 ある日いつものように練習場に姿を見せた春香は、北野を見つけるや駆け寄ってきた。

 

「北野さん! チェンジアップについて教えてください!」

「はぁ?」


 突然のお願いに北野は、ただただ面食らった。いったい何事だろうか。

 

「なんでまたチェンジアップのことを?」

「だって北野さんはチェンジアップが得意なんでしょう? どんなボールなのかなって」


 その圧に気圧されて、北野はチャンジアップという球種についてレクチャーした。

 

「えっと、速い球が来たと思ったら実は遅い球だった……っていう認識で合ってますか?」

「そう、そういうことです。だから大切なのは同じフォームで投げること。まあそれは変化球全てに言えることなんだけど」

「同じフォームで投げることが? それはどうして?」

「だって違うフォームで投げてたら、何を投げてくるかわかっちゃうじゃないですか」

「ええーっ!? あの一瞬の間にわかっちゃうものなんですか?」

「プロはわかっちゃうんですよ」


 春香は言葉を失うほど驚いた。ピッチャーが構えて投げるまでの僅かな時間、そこでフォームの違いを見分けて打つプロ野球選手の凄さ。それは彼女の想像できる範疇を軽く越えていた。


「まあ、それでも人間だから何かしらクセがあるもんなんですけど、プロは出来る限りそれを修正しなくちゃならない。それができないと打たれちゃうんです」

「プロの人たちって色々考えてるんですね。凄いなぁ」

「じゃあ問題出しましょうか。春香さんはチェンジアップの握り方って、幾つぐらいあるか知ってます?」

 

 突然の質問に春香は驚きながらも「うーん」と考え込み、「5つぐらいですか?」と答えた。

 

「残念。正解は数え切れない、です」

「ええーっ、なんですかそれ。なんかズルい」

 

 納得のいかない顔をする春香の目の前にボールをスッと差し出した北野は、そのままチェンジアップの握り方を幾つかやって見せた。

 

「これが基本的な握り、そしてこれがサークルチェンジ、これがバルカンチェンジ……」

「みんな、よく見るとちょっとずつ違いますね」

「まだまだありますよ。ベースになる握り方だけで20近くあるって言われてるんですから」

「そんなに……あれ? でもさっき、数え切れないって」

「実はチェンジアップって、ピッチャーによってちょっとずつ違うんですよ。例えばサークルだと基本はこう握るんですけど、この指をこうしたりとか、縫い目への掛け方を変えたりとか、そういうので変化の仕方も球速も全部変わってくる」

「えっと、つまり……ピッチャーの人が、それぞれアレンジしてる?」

「そうそう。だから数え切れないんです」

「はぁ、なるほど。北野さんはどんな握り方で投げてるんですか?」

 

 北野は自分のチェンジアップの握りを見せた。親指と人差し指でOKマークを作り、人差し指と薬指でボールを挟むようにし、中指はピンと伸ばしてボールから離している。浮いている中指以外の指は全て縫い目にかかっていた。


 ――この握り方で投げられるの?

 

 それは素人の春香には、とても前に投げられるとは思えない握り方だった。自分だったら投げる時にすっぽ抜けてどこかへ行ってしまいそうだ。

 

「これはパラシュートチェンジっていう握り方なんですけどね」

「パラシュート? あの、空から落ちてくる?」

「そうそれ。アメリカでこの球を武器にした凄いピッチャーがいるんですけど、彼が投げるとボールが突然減速するように見えたんですって。その減速の仕方がまるでパラシュートを開いたみたいだって」

「それでパラシュートチェンジ。面白いネーミングですね」

「色々試した中でこの握りが一番しっくりきて、それからずっとコレです」


 北野はさらに話続ける。

 

「中学の時のコーチに、まずはチェンジアップを覚えろって言われたんですよ。身体への負担が一番少ないからって」

「そうだったんですね」

「とにかく、このチェンジアップが僕の生命線なんですよ。育成で声をかけてもらったのも、これに目をつけてもらったかららしいんで」

「他の変化球は投げないんですか?」

「実はフォークボールも練習したんですけどね」

「フォークボールってたしか……落ちるボールでしたっけ?」

「そう、縦に鋭く落ちる変化球なんだけど、指が短いのか不器用なのかわかんないけど、どうしても上手く挟めなくって」

 

 北野がフォークボールの握りをやって見せると、春香は首を傾げた。

 

「投げようとして抜けちゃったりしないんですか?」

「そうならないようにちゃんと挟まなきゃいけないんだけど、指が短いと難しくて。もっと浅く挟むヤツもあるんだけど、それも上手くいかなくて、結局諦めちゃいました」

 

 春香はボールを受け取って自分も試してみたが、すぐに顔をしかめた。

 

「いたた……私の手じゃ全然ダメですね。挟めないや」

「まあ女の子だし普通じゃないですか。プロでも出来ない人多いらしいから」

 

 春香は興味深げに、握ったボールをしばらく眺めた。

 

「硬球って意外と重たいんですね。それに硬いし、当たったら凄く痛そう」

「痛いですよぉ。デッドボール喰らうと青アザになって何日も痛むし、当たり所が悪いと骨折とかするし」

「きゃあー。やだやだぁ」

 

 顔をしかめ両手で耳をふさぐ春香が可笑しくて、北野はクスクスと笑った。と同時に、少々のイタズラ心が湧いてくる。

 

「ピッチャーライナーとかね、マジで怖いんですよ。時速100キロ以上のスピードで打ち返されたボールが、うなりを上げてこっちに飛んでくるわけですから」

「もうやめてくださいよぉ。聞いてるだけで怖いです」

「そんな怖くて痛いスポーツを、なんでやるんだろうって思います?」

「……野球が好きだから、ですか?」

「そういうことです」

 

 春香は少し考えるような間を置いてから、やがて実感を込めて言った。

 

「それは私もわかります。辛いことやイヤなことがあっても、好きだから続けられるんですよね」


 春香のその言葉は、まさに彼女の本心だった。それは、なんとなくではあるが北野にもキチンと伝わっている。

 どんな困難があろうと、自分たちは好きだからそれぞれの道を選んでいるのだ。

 

 

「あの、北野さん。お願いがあるんですけど」


 練習に戻ろうとする北野に、後ろから春香が声をかける。

 

「お願い? 俺に?」


 振り向いてそう尋ねた北野の前に、思いつめたかのように真剣な表情の春香がいた。

 

「これからも、こんな風に野球のことを色々教えてもらえますか? ネットで調べるだけじゃなくて、実際にプレーしている人の話を聞きたくて」

「そんなことだったら、手の空いている時だったらいつでもどうぞ」

「ホントですか? やったぁ! ありがとうございます!」

 

 真剣な表情から一転して、はじけるような笑顔で喜ぶ春香を見ながら北野は、そんなの別に誰にでも聞けばいいのにと内心思った。この可愛くて人懐っこい女の子が尋ねれば、みんな喜んで答えるだろうに。

 

(いや、きっと他の人にも同じように頼んでるんだよな。そりゃそうだ。俺だけに頼むわけないもんな)

 

 危うく勘違いをするところだったと一人ドギマギしている自分に気づいているのかいないのか、春香はなおも嬉しそうに笑っていた。

 

「さて、じゃあそろそろ俺は練習を再開するんで」

「あ、ごめんなさい。どうもありがとうございました」

 

 いつもと同じように礼儀正しくお辞儀をする春香を見るたびに、自分の礼儀作法のなってなさを省みる北野だった。

 

「あ、あの、北野さん!」


 再び背後から春香の声がした。

 

「んっ? また? なんです?」

「北野さんって、キツいな、辞めたいなって思ったりしないんですか?」

 

 少しの間考え込んでから、北野はゆっくりと答えた。

 

「もちろんキツいし、毎日不安で仕方ないですよ。でも辞めようと思ったことは一度も無いなぁ」

「一度も、ですか?」

「うん、一度も無いな。だって俺、野球が好きだから。野球してるのが楽しくて仕方ないから、どんなにキツくても辛くても、辞めようとは全然思わないですよ」

 

 春香の表情が少し紅潮した。目がキラキラしているように見えた。

 

「スゴイですね、北野さんは。尊敬しちゃいます。私も北野さんを見習ってもっともっと頑張らなくちゃ」

 

 尊敬するなんて大げさですよ、と北野が言うと、そんなことないですと春香は答えた。その目を見るかぎり、何かが彼女の心の琴線に触れたようだった。

 


 春香はそれから、練習場を訪れるたびに北野に色々尋ねてくるようになった。他の人にも聞いているのか確かめてはいないけれど、どうやらそうでもない様子に思える。

 気のせいなのか、それとも本当にそうなのか。本当だとしたら何故なのか。それを確かめるのもおかしな話な気がして、なぜか心がモヤモヤして仕方が無い北野だった。

 

 この感情は一体何なのか。わからないということがこれほど気持ちの悪いことなのだと、彼は生まれて初めて知った。

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