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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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52/85

レジェンドからのアドバイス

 真鍋に会った翌日、北野は若生2軍投手コーチに試合での登板を直訴した。

 通常このような選手個人の願い出は却下されるのだが、真剣に願い出るその熱意に何らかの変化を感じた若生は「なら明後日のイースタン戦で投げてみろ」と北野に申し渡した。

 

 当日の北野に変化は感じられなかったが、投じた初球のストレートを見て若生の頬が緩んだ。

 すっかり調子を崩していたので本調子ではないものの、投じられたそのストレートは明らかに前回登板時までのモノとは違っていた。

 

 その証拠にキャッチャーの捕球音が違う。


 これほど小気味いい音を北野の登板で聞いたのは久しぶりだった。フォームから力みも消え、腕の振りも以前に戻りつつある。

 

(何があったか知らないが、ようやくか……)

 

 どうやらドン底の状態から調子は上向きに変わったらしい。これなら……。

 

 

 北野から電話がかかってきたその時、春香は一瞬出ることを躊躇った。

 自分が余計なことを言って北野を怒らせてしまったあの時から、なんだか気まずくなってお互い電話もラインも控えるようになってしまった。

 

 また元のようにやり取りをしたいと思ってはいるものの、傷つけた側の自分からはなかなかアクションを起こすことが出来ず、かといって北野の側から連絡が来るわけでもなく、ただイタズラに時間だけが過ぎてしまっていた。

 

 どうすればいいかと悶々としていた、そんな時に北野の側から電話がかかってきた。なにかあったのは直感的にわかったが、それでも一瞬躊躇った。

 だが気づいている以上出ないという選択肢は無い。春香は意を決して電話を取った。

 

「あ、春香さん? ゴメン!」

 

 春香が電話に出るなり、北野は開口一番でそう謝った。

 

「えっ? どうしたんですか北野さん。どうして私に謝るんですか?」

 

 いきなりの謝罪に戸惑う春香に、北野は話を続けた。彼は春香に対して酷いことを言ってしまった、向井と真鍋にも同じことを言われて自分が間違っていたとようやく気づいた、本当に申し訳なかったと心からの謝罪を述べた。

 

「そうですか。向井さんと真鍋さんが……」

 

 2人が北野とそんな話をしていたことを当然春香が知る由もない。向井に電話をしたことはあるが、あれは自分に何か出来ることがないかアドバイスを求めたもので、頼みごとをしたわけではない。

 

(手を貸してくれるとは言っていたけど、北野さんに直接話をしてくれたのね。ありがとう向井さん)

 

 真鍋が直接会いに来たというのもきっと向井が手を回したのだろう。なんだか電話一本かけて向井をアゴで使ったような形になってしまった。


(向井さん、ごめんなさい)


 申し訳ないなと思った春香は、心の中で向井に謝った。



 北野が再びイースタンの試合に登板するその日、向井は試合が行われる球場にいた。

 すでに1軍へと戻っている彼は、この日のナイターで先発することになっている。にもかかわらず2軍の試合に足を運んだ。もちろん北野が登板すると聞いたからだ。


 試合前に彼は若生コーチと話し込んでいたのだが、そこに思いもかけない人物が姿を現した。

 その人物は若生コーチと向井が話し込んでいる背後から、ふいに話しかけてきた。振り返った向井はその人物の顔を確認した瞬間、大慌てで直立不動になった。


「川島さん! お久しぶりです!」


 それはシーサーペンツの、いや日本プロ野球界のレジェンド、川島良樹だった。キャッチャーとして世界でただ一人盗塁王を獲得し、数々のタイトルや賞を何度も獲得したこの名キャッチャーの名前と顔を知らない人間は、このチームには誰一人としていない。


「オマエもさ、もういいトシなんだから、いい加減いつまでも俺にそんな恐縮すんなよ」

「そんな……できるわけないじゃないですか、そんなこと。川島さんにも志保さんにもお世話になりっぱなしなんですから」

「新人の時は、あんなヤンチャだったくせに」

 

 向井は照れくさそうに「川島さん、それはもう言いっこなしですよ……」と言って頭を掻く。


「川島、今日はどうしたんだ。奥さん同伴で遊びに来たのか?」


 少し離れたところにいた川島の妻に目をやりながら、若生は少しからかうような口調でそう尋ねた。旧知である2人だが、若生は引退して以降指導者としての道を採ろうとしない川島に少々不満を抱いている。できることなら彼に指導して欲しい選手が何人もいるからだ。


「まあ、そんなとこです。現役時代はなかなかかまってやれなかったんでね。引退したからには、その分せいぜい奥さん孝行しないと」

「私は、今すぐにでもオマエさんにコーチとしてウチに入って欲しいんだがね」

「名コーチの若生さんがいるのに、俺なんか出る幕ありませんよ。若生さんに任せておけば安心安心ってね」

「おだてたって何も出さんぞ。しかし、じゃあ今日はなんでここに来たんだ? 奥さん孝行で来る場所じゃないだろうに」

「志保のご機嫌取りはこの後行くんですよ。ただ、その前にちょっと見てみたいヤツがいますんでね。付き合わせたって感じです」

「なんでわざわざ……」

 

 若生は疑問だった。現在は指導者どころか解説者すらしていない川島が、イースタンの試合を観に来る理由がわからない。ましてや妻を同伴して。


「隠したってダメですよ。前回良いピッチングしたって聞きましたよ」

「……オマエさん、まさか北野を見に来たのか?」

「せいかーい」


 若生も、黙って横で話を聞いていた向井も驚きを隠せなかった。


「川島さん、北野に目をつけてたんですか?」

「去年のフレッシュオールスターを見てたんだよ。良いピッチャーが出てきたなぁと思ってさ、一度は自分の目で見たいと思ってたんだ。ただなかなか都合が合わなくてさ、そうこうしてるうちに調子落として絶不調になっちまったんだろ?」


 やはりあの試合のインパクトは絶大だったようで、このレジェンドをしてあの日の北野に魅了されたと語る。向井は「実は……」と北野が不調に陥った一連の流れを説明した。


「なるほど、そんなことがあったわけか。若いねぇ」


 話を聞いた川島だったが、彼は笑い飛ばすように「若い若い」を繰り返した。


「ずいぶん真面目な性格なんだな。先輩のために頑張るなんて浪花節の世界でキライじゃねえけど、それで調子を落とすあたりが青臭いというか若いんだよな。でも前回の登板で調子を取り戻してきてたんだろ?」


 その問いに答えたのは、向井ではなく若生だった。


「どうやら向井の檄が功を奏したようでな。前回の登板はようやく自分を取り戻したように見えたよ。今回はさらに良いピッチングをしてくれると期待しているんだ」

「へぇ、向井の檄ですか」


 川島はそう言うとニヤニヤしながら「オマエも後輩に対してそんなことするようになったのか」とからかった。


「檄ってほどのモンじゃないですよ。半人前のくせにいっちょ前のこと言うなって言っただけですから。もっとも、それももう別の誰かに言われてたようですけどね」

「?」


 川島は首をわずかに傾げたが、特にその点を深く掘り下げようとはしなかった。そこへたまたまブルペンに向かう北野が通りがかる。向井はすぐに彼を呼び止めた。


「あれ、向井さん。どうしたんですか? たしか今日の夜先発ですよね?」

「オマエが投げると聞いたから見に来たのさ。それより紹介しよう。と言っても知ってるだろうけどな」


 それはもちろん知っている。プロ野球に携わる者で、川島良樹の顔と名前を知らない者などいやしない。北野もテレビで彼の活躍を見て育ったのだから。


「キミが北野くんか。去年のフレッシュオールスターはスゴかったな。良いピッチャーが出てきたなあと思ってな、それからキミには注目してるんだ」

「あ、ありがとうございます。はじめまして。北野翔です」

 レジェンド選手に褒められた北野は、喜ぶ以前に恐縮してしまった。向井は川島の横で背筋を伸ばした姿勢を崩そうとしない。北野も同じ気持ちだ。


(すっげーな。俺はともかく、あの向井さんが直立不動だ)


 初めて会った川島良樹は、向井とはまったくタイプが異なった。

 雲の上の存在である向井が頭の上がらない人物ならば、川島は北野にとって神も同然の存在と言える。

 だが目の前の人物は威圧感もなければ強面でもないし、むしろ軽さすら感じさせる明るいタイプの社交的な人物に見えた。ただし、やはりオーラは半端ない。

 そして北野は、川島には人を惹きつける不思議な魅力があることも感じた。他人の懐に入るのが上手いのか、初めて会ったのにそんな気がしない。


(不思議だな。なんだかずっと昔からの知り合いみたいだ)


 その親近感は単に彼のプレーを子供の頃から見ていたからなのか、それとも他の理由があるのだろうか。


「今日はキミが投げると聞いたから来たんだ。良いとこ見せてくれよな」

「おい、川島!」


 川島の一言に若生が色めき立った。ようやく復調の兆しが見え始めてきたところで妙なプレッシャーをかけてもらいたくはないからだ。

 だが、当の川島はそんなこと一向に気にした素振りを見せない。


「なんですか、若生さん。まさかプレッシャーかけるなとか言いませんよね?」

「そういうわけじゃないが、コイツにとって今は微妙な時期であってだな……」

「あー、甘い甘い。甘いですよ若生さん。プロなんだから、プレッシャーを楽しむぐらいにならないとダメでしょ」


 そう言うと、川島は北野の方へ向き直った。


「向井から話は聞いたよ。アイツからボロクソ言われたんだってな」

「あっ、ええ、まあ……厳しいことは言われました、けど……」


 川島は、こみ上げてくる笑いを必死にこらえようとしながら話を続けた。


「気にすんな。そりゃあアイツが俺から言われたこと、そのまんまだから」

「川島さん!」


 今度は向井が慌てて口を挟んできた。


「えっ? 向井さん、そうだったんですか?」


 向井はバツの悪そうな顔で答えた。

 

「……そうだよ。俺も新人の頃、川島さんにプロ舐めてんのかってこっぴどくやられたんだ」

「コイツ、ホントに生意気でさぁ。他人の言うこと聞きゃあしねーから、俺がガツンとシメたのよ。プロで何の実績も無いガキがふざけてんじゃねぇ、テメーはプロ舐めてんのか、ってね」

「……川島さん、もう勘弁してください……」


 初めて見る向井の姿、表情、態度。そして初めて聞くエピソード。向井の過去がそんなだったとは想像もしていなかった北野は、ただただ驚くばかりだった。

 

 川島が言うには、ガツンと言われたにもかかわらず向井の態度は改まらず、しかし結果を残すこともできなかった。

 苦しみ悩んだ向井が救いを求めた先、それが川島だったらしい。


「こうやって未だにからかわれるのは不本意だが、俺が今でもプロでこうしてやっていけてるのは川島さんのおかげだ。技術的にも精神的にもな」


 川島はそんな向井の言葉を聞いてドヤ顔になりながら「そんな俺が、キミにひとつアドバイスをしてやろう」と言った。


「向井に言われたことは正しい。重荷になるプレッシャーなんざ捨てちまっていいんだ。いずれ実力がついてから改めて背負えばいいんだからな。俺が言いたいのはその先さ」

「その先……ですか」

「こういう世界はさ、自分が成功するためには誰かを蹴落とさなきゃいけないわけじゃん。それも何10人ってレベルでさ。そんなの意識しちゃうよな。蹴落としたヤツの分まで頑張らなきゃって思うよな。キミは真面目だっていうから特にそう思うんじゃないか?」

「……かもしれません」

「そこでさ、こうは思わないか? 結局プレッシャーから逃れることなんてできないんだって。今は捨てちまっていいけど、いずれ背負わなきゃいけなくなる。それはプロの世界で生きていく以上どうしようもないことなんだって」

「それは……そうですね。そう思います」

「で、だ。オジサンが若者にアドバイスしたいのは、どうせ逃げられないなら逆に力にしちまえってことさ。青年、恋人は?」


 突然の問いかけに北野は目を丸くした。全くもって予想外の質問だったからだ。


「い、いませんよ。そんなの」

「なんだ、いないのかよ。じゃあ好きな女の子は? それならいるだろ、若いんだから」

「それは、まあ……気になるってレベルなら」

「よし! じゃあさ、その女の子に自分のカッコイイとこ見せてやろうぜ。男が頑張る理由なんてさ、結局それじゃん?」

「ええっ? そんなんでいいんですか?」

「いいに決まってるだろ。今日登板する時にさ、スタンドにその女の子が見に来てるって想像しながら投げてみな。今までそんな気持ちでマウンドに立ったこと無いか?」

「な、無いですよ。そんなこと」

「そっか。じゃあ効果てきめんだぞ。騙されたと思って俺の言う通りにしてみろ。ウソだろって思うくらい良いピッチングが出来るはずだぜ」


 北野は試合時間が迫っているために、話途中ながらブルペンへと向かった。もっと川島の話を聞きたかったが仕方がなかった。


「どうなることかと思って見ていたが、簡潔で的確なアドバイスだったじゃないか」


 若生は少し感心したような口ぶりだった。川島のアドバイスは、自分のために投げろという抽象的なことを明確にしていたからだ。

 好きな女の子に自分のカッコイイところを見せたい。これ以上に自分のために投げるということをわかりやすくした例えがあるだろうか。若生は、やはり川島にコーチをして欲しいという意を改めて強くしたのだった。


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