焦燥
『GO!GO!シーサーペンツ!!』の放送が開始されるやいなや、番組内での飾らない親しみやすさと天然さがウケた春香は、あっという間にケーブルテレビ局だけではなくローカル局の番組にも顔を出すようになった。
出演する番組は1つ増え2つ増え、それに伴い活動はテレビ・ラジオだけでなくどんどん幅を広げてゆき、ついにはキー局の番組からオファーが舞い込むようになった。
まさに順風満帆を絵に描いたような状況だ。
しかし少しだけ本人が残念に思っているのは、新たな仕事の中に歌関係のものが1つとして無いということだった。
クイズ番組、料理番組、旅番組。仕事の種類は増えたが、なぜか歌番組だけがスッポリと抜けている。
(忙しくなったらなったで、悩みって尽きないのね……人気が出てくれば歌のお仕事もいっぱいできるようになるって、簡単に思ってたんだけどなぁ)
仕事を頑張れば頑張るほど、皮肉なことに歌以外の仕事ばかりが増えていく。何か違う、こうじゃないという想いは徐々にだが日に日に少しずつ膨らんでいった。
「ゴメンな、椎名さん。なかなか歌の仕事させてやれなくて」
ある日、事務所でマネージャーが静かにそう言った。仕事の増えた彼女は、最近になってようやく専属のマネージャーが付くようになっていた。
「いえ、マネージャーさんが悪いわけじゃありませんから気にしないでください」
「俺もな、事あるごとに椎名さんに歌の仕事をさせてやってくれって上に頼んではいるんだけど、でもなかなか上手くいかなくて……」
マネージャーはそう言って、自分の力不足だと頭を下げた。
「大丈夫ですよ、マネージャーさん。チャンスはいつかきっと来ますよ。私なんてまだ駆け出しなんですから、好きな仕事ばかりやれるわけじゃないってちゃんとわかってますから」
春香は気丈にそう言ってマネージャーを励ましたが、その総てが本心というわけではない。そうやって自分に言い聞かせていないと、どんどん不安になってしまう。
仕事帰りの電車の窓からボンヤリと外の風景を眺めながら、春香の脳裏にふとシーサーペンツの選手たちの顔が浮かんだ。
(合宿所……行きたいな……北野さん、まだ練習してるのかな。きっとまた走ってるんだろうな……会ってお話ししたいな……)
月が変わったとはいえ夏の暑さが未だ色濃く残る9月のある日曜日、スタジオで雑誌のグラビア撮影を行っていた春香の元に浅野小春がひょっこりと姿を見せた。
「あれー、小春ちゃん、どうしたの? 今日はお仕事無いって言ってなかった?」
「そうだよ。だから春香の仕事っぷりを見に来たんだ。ちょっと春香に話したいこともあったし」
「話したいこと? なに?」
「うん。収録の後でもいいから、時間あるかなぁ?」
そう尋ねる小春の表情は、どこか緊張しているように見える。あまり見たことのない表情の小春に少しばかりの違和感を覚えながら、春香は撮影終了後の約束を交わしてから仕事へと戻っていった。
「あのね春香……実は昨日の夜に事務所で言われたんだ。私、オーディションに通ってCDデビューが決まったんだって」
撮影が終わると2人は近くの喫茶店に入った。向かい合わせに座り飲み物を注文したところで、小春はおもむろに話を切り出した。
「えっ! 小春ちゃん、ホントに!? 凄いじゃない! よかったねー。おめでとう」
「ありがとう。ラインしようかとも思ったんだけど、やっぱり春香には直接言いたかったんだ。久しぶりに顔も見たかったし話もしたかったし」
「そうだね。同じ寮にいるのに、以前みたいには会ってお話しできなくなっちゃったもんね。仕方ないことだって分ってるけど、でもやっぱりちょっと寂しいよね」
「ホントは雪乃も一緒に来られたらよかったんだけど。雪乃も春香に会いたがってたよ」
「雪乃ちゃんも最近頑張ってるんだよね。私も2人に負けないように頑張らなきゃだよね」
「まだまだだよ。私たちは春香に追いつけ追い越せって思いながら毎日やってきたんだよ」
「でもCDデビューなんて、いいなぁ。羨ましいなぁ。私も早く歌のお仕事いっぱいできるようになりたいよ」
春香はポロリと本音を漏らした。小春のCDデビューが決まったことは喜ばしいが、それと自分も早く同じようになりたいという気持ちは別物だ。
「春香はもともと歌手志望だもんね。でも次はきっと春香の番だよ」
「そうかなぁ。そうだったらいいんだけど」
小春が受けたオーディションを、本当は春香も受けたかった。
だが仕事が立て込んで日程が合わず、泣く泣く諦めた経緯がある。そのオーディションに小春が合格したのは、何というか神様の悪戯のような皮肉さを感じる。
「そうだよ。大丈夫、次は絶対春香の番だよ。あ、でもどうかな。やっぱり次は雪乃の番かな? 春香はその次かも」
「もぉ! 小春ちゃんのイジワル!」
それからしばらくの間、2人は時間が経つのも忘れて会話を楽しんだ。
「じゃあ私、ちょっと他にも寄りたいところがあるから」
小春は軽く手を振りながら去っていった。その背中を見つめながら春香は、ふぅ、と大きくひとつ溜息をついた。
「いいなぁ、小春ちゃん。私も歌のお仕事したいのになぁ」
本当に歌を仕事としていけるのだろうか。オーディションを受けたくても受けられない。こんな状況がこのままずっと続くのだろうか。今のような仕事だけをこなしていくのだろうか。その問いに答えが出ないまま、漠然とした不安だけが胸に残った。
小春からCDデビューの話を聞いた数日後、学校帰りの春香の足はいつの間にかシーサーペンツの合宿所へと向かっていた。
その日の予定は久しぶりに何もなく、なぜか分らないが春香は北野の顔が無性に見たかった。会って話がしたかった。
案の定北野は1人グラウンドを黙々と走っていたが、春香は声をかけなかった。彼のトレーニングの邪魔はしたくない。
暗闇に包まれ始めたスタンドに腰掛けて、ただ黙って彼が気づいてくれるのを待った。
どれくらい時が経ったろうか。ようやく気づいた北野が声をかけてきた。
「なんだ春香さん、来ていたなら声をかけてくれりゃいいのに」
「北野さん一生懸命走ってたから、声かけちゃ悪いかなって思って」
北野はすぐに気づいた。声のトーンが、いつもと何か違う。
「どうかしたんですか? なんとなくいつもと違う気がするけど……」
春香は北野の方に顔を向けると「そんなことないです」と言って、またグラウンドの方に視線を戻した。
しばらくお互いに何も言わない時間が流れたが、やがて春香がおもむろに口を開いた。
「北野さんはプロ野球のピッチャーになりたくてプロ入りしたんですよね? もしも他のポジションをやることになったらって考えたこと、ありますか?」
「いや、考えたことも無いですね。今はピッチャーでプロのマウンドに立つことしか考えてないですよ」
「そうですよね……ごめんなさい、変なこと聞いちゃって。北野さんは自分の夢に向かって順調に進んでいるのに私はって考えたら、なんだかこのままでいいのかなって思えてきちゃって……」
北野は首を傾げた。
「春香さんだって順調に人気出てきてるんでしょ? なんで悩んでいるのか、俺にはよくわからないけど」
春香は思い切って心の内を話してみることにした。話してどうなるものでもないかもしれないが、北野が何と言ってくれるのか、それが聞きたかった。
「あの……事務所に同期のコが2人いるんですね。小春ちゃんと雪乃ちゃんっていうんですけど」
そう言われて北野は思い出した。
――以前ここに来た、あの二人の女の子のことか。
「覚えてますよ。以前ここに来ましたよね」
北野がそう言うと春香は小さく頷き、そのまま話を続けた。
「それで、この前その小春ちゃんが、オーディションに合格してCDデビューすることになったって教えてくれたんです」
なんとなく話の内容が先読みできた北野は、相槌を挟まず黙って話を聞くことにした。
「もちろん小春ちゃんがデビューするのはすっごく嬉しいんです。ずっと一緒に頑張ってきたし、だから自分のことみたいに嬉しいんです。それは間違いなくそうなんですけど……でもちょっと羨ましくって妬ましくって、でも友達に対してそんな風に思っちゃう自分がイヤだなって……」
「先を越された感じがして悔しい感じ?」
「そうかもしれません」
「その友達っていうのは春香さんが歌手志望だって知ってるの?」
春香は小さく頷いた。
「知ってて、わざわざ直接言いに来たんだ」
「小春ちゃんはきっと、自分が黙っていて人づてに知る方が私が傷つくって思ったんじゃないかなって。だからわざわざ直接伝えてくれたんだと思うんです」
「なるほど、そういうことか」
そういうことなら自分が間違っていたかもしれないなと北野は思った。それほど仲が良いのならば、確かに黙っていられると気を遣われているようでイヤに感じるかもしれない。
「私ね……本当は今みたいな仕事じゃなくって歌手になって沢山の人の前で歌を歌いたくてこの世界に入ったんです。でも歌の仕事なんて全然無くって……もちろん今のお仕事自体は楽しいし全然イヤじゃないんですけど、でもやっぱり何か違う気がして、これからもずっとこのままなのかなって。でも事務所の人たちにもシーサーペンツの人たちにも仲良くしてもらって、やっとお仕事も増えてきたのに、そんなことを考えるのはただワガママなだけなんじゃないかとも思えて……」
そういえば前にそんなことを話してくれたっけ、と北野は思い出した。
春香は芸能界に憧れてその世界に飛び込んだのだといつのまにか記憶がすり替わっていたが、確かにそんな話を聞いた記憶があった。
「今の仕事でもっと売れっ子になれば、自然と歌の仕事にもつながっていくんじゃないですか?」
北野はそんなありきたりの慰めにもならないセリフを言ってみたが、春香を納得させるには説得力があまりにも乏しく、それは彼女の表情を見れば一目瞭然だった。
「やりたい仕事があってそれをしたいって欲求があるのは良いことだと思うけどなぁ。今はただ単に望む形に現実が追いついてないだけじゃないかな。それは仕事をこなしていくうちに徐々に理想に近づいていけるんじゃないかと思うけど……それより春香さんは可愛いし性格良いしで人気が出てきたんだから、それは素直に喜んでいいと思うんですけどね」
北野にそう言われても春香の表情は変わらなかった。
「可愛いって言ってもらえるのは、そりゃあ女の子ですから嬉しいです。性格が良いって褒められるのももちろん嬉しいです。でもそれはこういう容姿に産んでくれてこういう性格に育ててくれた両親のおかげで、私は何もしていないじゃないですか。私は……私はやっぱり自分の力で私自身を評価してもらいたいです」
意外なセリフに北野は驚きを隠せなかった。春香はおっとりした性格で上昇志向とは無縁な女の子だと勝手に思い込んでいたからだ。そんな彼女が自分自身の力で自分を評価して欲しいのだと本音を漏らしている。
春香にこんな一面があるのだと知り、意外だと思う反面で彼女に対する北野の親近感は増した。なんというか今まで感じていなかった人間味を感じたのだ。
誰に尋ねても春香は可愛くて性格が良いと答える。確かにドジっ娘で色々とやらかすが、礼儀正しいし気が利くし自分の我を押し通すようなこともない。いつも前向きで愚痴をこぼさず、常に周りの人間に気を配り、誰かが困っていれば真っ先に救いの手を伸ばす、そんな女の子だった。それは北野にも既に充分過ぎるほど分っていることだ。
だが北野が思うに、春香はあまりにも良い人過ぎるのだ。人間が出来過ぎなのだ。欠点の無い完璧な人間などいるはずないが、北野には春香の性格が人間としてに完璧に思えていた。
だから北野は彼女を魅力的だと思う反面、どこか人間味に欠ける印象を拭えなかった。それが今、初めて自分の本音を語ってきた。自分は本当はこうしたいのだと言ってきた。思わぬ一面を見せられたことで北野の彼女に対する偏見は薄れていった。




