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つかの間の安寧

 春季キャンプが終わると、プロ野球界はオープン戦期間へと突入する。実績ある者は開幕に向けての最終調整を行い、実績の無い者は自らをアピールする。

 育成枠である北野にとっては、アピールが実れば支配下選手登録、さらにそのまま1軍登録ということだって有り得る。手を抜けるわけがない。

 

 だが現実はそんなに甘くなく、キャンプが終わっても北野は育成選手のままだった。

 しかしそれでも少しも落ち込みなどしない。朝から晩まで汗と泥にまみれ、チームの練習を終えると個人的な自主練習を行い、風呂に入り食事を摂ったらすぐに寝てしまう。そんな毎日を変わらず送り続けた。

 

 今季は3軍で試合に出ることが決まっているし、関東独立リーグも4月には開幕する。支配下登録の締め切りは7月末だ。それを逃すと次のチャンスはシーズンオフになってしまう。残されている時間はあと数ヶ月。春香がいつ練習場を訪れても、北野の顔もユニフォームも例外なく汗と泥まみれだった。


「北野さんって、1日何時間練習しているんですか?」

 

 ある日春香はそう尋ねた。

 

「さぁ、何時間ですかねぇ? 改まって数えたことないけど、通常の練習をした後居残りで練習して、戻ってからもウエイトトレーニングしたりシャドーピッチングしたりするし」

「えぇ~!? そんなに練習して大丈夫なんですか? 練習のやり過ぎは逆効果だって、この間コーチが言ってましたよ?」

「いやぁ、そうなんですけどね。なんか今は練習すればするだけ身になる気がして。だからついついやっちゃうんですよね。昨日も若生コーチにやり過ぎだって注意されちゃいましたけど」

「北野さんって、もしかしてマゾッ気があるんじゃ?」

「ありません!」

 

 キッパリそう答えると、その様子が面白かったのか春香はクスクスと笑った。


 

「でも北野さんのそういうところ、ホントに凄いと思います。私も負けてられないなぁ」

「そういえば春香さん、番組の方はどんな感じなんですか?」

「おかげさまで評判良いみたいです。この間、初めて私宛てのファンレターをもらっちゃって。ケーブルテレビですから数は全然かもですけど、でも私そういうのもらうの初めてだから嬉しくって嬉しくって。ファンレターって、ホントにやる気が出るものなんですねぇ」

「へぇ、そうなんだ。いいなぁ。俺はファンレターなんてもらったことないからわかんないや」

「もらったことないんですか?」

「……今ちょっと上から目線で言ったでしょ」

「……ちょびっと。えへへ」

 

 ニコニコ笑いながら話す春香を見ていると、不思議と心和む。

 

(これだもんなぁ。そりゃファンも増えるさ)

 

「ファンレターをもらって初めてわかったんですけど、応援してくれてることも嬉しいんですけど、それ以上に自分が頑張ってるところをちゃんと見てもらえているのが嬉しいんですね。認められているっていうか、それにすごく励まされてやる気が出てくるんです」

「いいなぁ、俺も早くファンレターをもらえるぐらいにならなくちゃ」

「あの、私が書いてあげましょうか? ファンレター」

「……同情なら、いらんですよ」

「えぇー。私ホントに北野さんのファンなのにぃ」

「えっ!?」

 

 北野は思わずドキッと心揺らされた。話の流れでそう言っただけで特に他意はないのだろうが、自分のファンだと口にする春香のほんの些細な一言は、意外なくらいに彼の心へ突き刺さった。

 

「えっ、あ、いや、そのなんつーか、やっぱそういうのは実力でちゃんともらえるようにならなきゃっていうか」

 

 しどろもどろな返事に、自分でもおかしさを感じる。どうも春香の前だと調子が狂ってしまう北野だった。

 

「でもぉ……私がファンなのは本当のことなんですよ?」

「いや、それを言ったら俺だって春香さんのファンですから」

「え、そうなんですか?」

 

 ポロッとこぼしてから北野は(しまった)と思った。なんて照れくさいことを口にしてしまったのか。

 

「えへへ。北野さんにファンだって言われちゃった。なんだか嬉しいなぁ」

 

 そう言って喜ぶ春香は、いつにも増して嬉しそうに見えた。

 同じようなことはチームのみんなから言われているだろうに、自分から言われたからってどうしてそんなに嬉しそうなのか。


 それもまたわからない北野だった。

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