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エースの教え

 翌朝早く、4人は釣り船を借りて宮崎の海の沖へと出かけた。天気も良く波も低く、釣りには絶好の日だった。

 向井も小松もコンスタントに魚を釣り上げ、北野も何とか釣果を上げることが出来た。しかし春香だけはなかなか上手く掛けることが出来ず、ついには小松がコーチ役を買って出ることになった。

 

「あれっ? これってもしかして釣れてるんですか?」

「ちょっと待って春香ちゃん! 合わせるのはジックリ食わせてからだからな」

「えっ? えっ? 合わせるって、どうすればいいんですか?」

「大きく竿を上にしゃくり上げればいいんだよ。いいからそのままジッとしてて……まだだよ……よしっ! 合わせろ!」

 

 そう言われて竿を大きく上にしゃくり上げると、次の瞬間春香は今までに経験したことの無い感触を感じ、強烈な魚の引きに身体ごと海へ引きずりこまれそうな感覚に全身を包み込まれた。

 

「キャァァ!」

「よしっ! ノッたぞ春香ちゃん! そのまま竿を立ててしばらく我慢だよ!」

「でも小松さん、魚に引っ張られて海に落ちちゃいますよぉ! すっごい引っ張られてるぅ!」

「大丈夫! 竿を立ててしばらく我慢すれば魚もバテるから。頑張れ頑張れ!」


「小松さんともすっかり意気投合してるなぁ、春香は」

 

 2人が奮闘するその光景を眺めながら向井はそう呟いた。

 

「あのコはホントに、誰とでもすぐに仲良くなっちまうんだな」

「ですね」

「オマエはどういう経緯で春香と知り合ったんだ?」

「ええ、まぁ」

 

 相変わらず向井の前では気圧される北野だったが、こうして一緒に釣りをしている間に、話しかけられれば会話が出来るくらいにはなってきていた。彼は春香との出会いを話した。

 

「そりゃあいい。いかにもアイツらしいな」

 

 話を聞いた向井はクスクスと愉快そうに笑いだした。


 

 春香が魚をかけて5分ほど経った頃、ようやく魚が水面に姿を見せ無事網に収まった。なかなかの大物で、生まれて初めて魚を釣り上げた春香はそのキラキラと輝く魚体を満面の笑みで見つめた。

 

「北野さーん! 向井さーん! 見てください! 私、釣りましたよぉ!」

 

 釣り上げた魚を両手で抱えるように持ち自慢げに2人に見せる春香の隣りで、小松が目を細めてニコニコしていた。

 練習中はやはり近寄りがたい迫力を備えた人物だと思っていたが、今の小松は春香の前で別人のような和やかな雰囲気を醸し出している。これも春香がそうさせているのだろうか。

 

(ホント、不思議なコだよなぁ)

 

「おぉ~、春香、やったなぁ。おめでとう。デカイの釣り上げたじゃないか」

 

 向井の祝福に春香は「はい! 頑張りました!」と本当に嬉しそうな笑顔で答えた。

 

 


 喧騒が収まり、皆が再び釣りを再開し始めた頃には太陽がだいぶ高くまで昇っていた。北野はいつの間にかボンヤリと海を眺めていた。

 

「どうだ北野、1軍のキャンプで1クールやってみた感想は」

「2日目ぐらいまでは滅茶苦茶キツかったですけど、先輩方に色々話を聞いたら気持ちも少し楽になった気がします。なんだかやればやるだけ身になる気がしてます」

 

 そりゃ若くて伸びしろがある証拠だ、と向井は言った。自分もルーキーの時はそうだったと。


「そういえば、昨日オマエがシート打撃で投げた後、記者連中が色めき立ってたな」

「みたいですね。色々聞かれました」


 あのシート打撃での登板後、北野は報道陣の取材攻めにあっていた。

 だがそれも当然のことだろう。無名の育成枠ピッチャーがレギュラー陣を完璧に抑え込んだのだから、記者からすれば格好のネタだ。しかもその理由が見たこともないような変化をする魔球なのだから、記者が熱狂しない方がおかしい。


 北野はその記者たちに自分のことを正直に話した。


「連中、ビックリしてたろ」

「ビックリしてたというか、呆れてたというか、そんなピッチャーいるの? って顔してましたね。みんな」

「まあそうだろうな。俺もオマエみたいなピッチャー見たことないからな」


 長年プロの第一線で戦ってきた向井でさえ、北野のように条件だらけのピッチャーなど見たことも聞いたこともない。


 誰にも打てない球を投げられるのに先発しかできない。だがスタミナが圧倒的に足りなくて試合で使えない。それが北野翔というピッチャーだ。

 

 だがそんなマイナスを差し引いても、あのパラシュートチェンジはあまりにも魅力的すぎた。一度でもあれを見てしまったら、誰もが試合で見たいと思うのは当然だろうと向井は思う。


(若生コーチがずいぶん入れ込んでると聞いたが、そりゃあ無理もない。俺がコーチでもコイツを育ててみたいと思うだろうからな)


「なあ北野。プロのピッチャーにとって一番大切なのは何だと思う?」


 突然向井から問いかけが飛んできた。

 

「一番ですか? 一番って言われても……」


 北野は首をひねって考え込んだ。ピッチャーにとって大切なことは多いが、一番となると何になるのだろうか?

 

「それはな、バッターから逃げないってことだよ」

「バッターから逃げない、ですか」


 意外なことに、向井が明かした答えは精神論だった。

 

「かわすのと逃げるのは違うんだ。かわすピッチングで抑えるスタイルのピッチャーはいるが、逃げるピッチングのピッチャーはいない。そういうことだ」


 北野がわかったようなわからないような顔をしていると、向井は苦笑しながら話を続けた。

 

「よくわからないって顔だな。いいか、かわすってのはな1つの技術なんだ。バッターの狙いを読み切った上でその狙いを外して打ち取る。打ち取るためにピッチャーは色々考える、つまり攻めてるわけだ。それに対して逃げるってのは何も考えていない。粘られて投げる球がなくなって、ただ打たれたくない一心で低めに投げるなんてのが良い例だな。結果的に抑えたとしても、そんなピッチングは長続きしない。そんなものは運だけだからな」

「なるほど」

「逃げて打たれるぐらいなら攻めて打たれろ。少なくとも三原のオッサンは、そういうピッチャーの方を評価する。結果だけでなく過程もちゃんと見て評価する人だからな」


 逃げて打たれるくらいなら攻めて打たれろ。そのフレーズは、意外なことに北野の心の琴線に触れた。それこそがピッチャーに1番求められる姿勢なのだな、そんな気がした。


「気持ちが逃げたら自分の方が劣勢に立たされる。それだけ打たれる可能性は高まる。当たり前のことなんだが、実際そうなると多くの人間が弱気になっちまう。だがプロはそれじゃダメなんだ。どんだけ追い込まれても、絶対に抑えてやるって気持ちを忘れたら負けなんだよ」


 力が同じだったら最後にモノをいうのは気持ちなんだと向井は言う。古臭い精神論かもしれないが、しかし決して間違いではないと北野も思う。何よりも向井ほどの男が言うのだから説得力がある。

 

「ピッチングってのはな、攻めとかわしのメリハリなんだよ。160キロのストレートが投げられたって、それだけを投げてたら打たれるのがプロの世界だ。そこで重要になってくるのが緩急だよな。それがあるからバッターは配球に迷う。有利に立てれば抑えられる確率も上がる。そうやって俺は今まで投げ続けてきた」

「じゃあ、もっと変化球を覚えれば選択肢が増えて良いんですかね?」

「一概にそうとも言えないな。中途半端な変化球を幾ら覚えても役に立たん。それより絶対的な自信のある球を1つ持っている方が遥かに良い。今は今ある球種に磨きをかければ良い。新しい変化球を覚えろと言われているわけでもないんだろ?」

「はい。むしろ若生コーチには、チェンジアップをもっと磨けって言われます」

「だったらそれでいいじゃないか。北野と言えばこの球と言われるぐらいに磨きをかけるんだよ。そういう決め球を持てば、バッターはそっちにどうしても意識が行っちまう。そうなれば他の球種もより生きる」


 長年プロの第一線でエースを任されてきた男の言葉は、コーチのそれとはまた違う重みと説得力があった。


「多分オマエは、次の第3クールが終わったところで下に戻されるだろう。でも落ち込む必要なんてないんだぞ。今は足りないものだらけだとこの数日で自覚したろう? だったら下でもっと鍛えて、その足りないものを手に入れればいい。落ち込むヒマがあったら、もっともっと血を吐くくらい練習しろってことだ」

 

 2人はいつの間にか釣りそっちのけで野球談議に没頭していた。その光景に気づいた小松は、春香の肩をトントンと叩いて2人の方を指差した。

 

「北野さん、向井さんのこと怖い怖いって言ってたのに、随分熱心に話し込んでますね」

「たぶんピッチングについて色々話してるんじゃないかな。向井って、ああ見えて結構後輩にアドバイスするの好きなんだよ」

「え? そうなんですか? なんだか意外ですね」

「自分からあれこれ言ったりはしないけど、聞かれれば丁寧に答えるらしいよ。アイツは単にプロ意識が人一倍強いだけなんだ。それを他人にも求めちゃうから、人によっては厳しいとか怖いとかって評価になっちゃう」

「でも向井さんって、怖いけど良い人だなって私は最初から思ってましたよ」

「そうなのかい? そりゃ絶対ウソだろ」

 

 そう言って小松が笑うと春香は「ウソじゃありませんよ」と少しムキになって答えた。

 

「なんで良い人だと思ったんだい?」

「だって向井さんって、最初から私のことをさん付けで呼んでくれましたもん。ふた回りぐらい年齢が下の子をさん付けで呼べる人が悪い人なわけないじゃないですか」

「なるほどねぇ」

「それに向井さんって結構可愛いところもありますよね。三原監督の話をする時は本当にイヤそうに顔をしかめるんですよ。なんだか小さい子供みたいだなって」

「アイツのことを可愛いって言う女の子、初めて見たよ」

 

 キミは色んな意味でホントにおもしろいコだな、と小松は目を丸くしながら言ったが、その表情はまるで自分の娘を見ているかのようだった。


 


「あの、北野さん。今日は付き合ってくれてありがとうございました」

 

 船を降りると春香はそう言って北野にペコリと頭を下げた。

 

「北野さん、ホントは迷惑だったですか? 私、なんか無理言って付き合ってもらっちゃったかなって」

「いや、そんなことないですよ。釣り、楽しかったしリラックス出来ましたよ。何よりおかげで向井さんから色々話を聞けましたからね。誘ってくれてありがとう。ホントに有意義な時間でしたよ」

「ただ、出来たら春香さんよりデカいのを釣りたかったかなぁ」

「あ、私に負けて悔しいんだ。悔しいんですね?」

「……次は絶対リベンジしますから」

「じゃあまた2人で釣りに行きましょうね」

 

 えっ! と思わず北野は春香の顔を見た。確かに今2人で行こうと聞こえた。

 

(いやいやいや、2人きりって意味じゃないだろ。違うよな)

 

 北野の様子に気づき不思議そうな顔をする春香。そんな彼女になぜかドキドキして顔を赤らめる北野だった。

 

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― 新着の感想 ―
 毎回、楽しみに読ませていただいております。  私も野球小説を書いて投稿しておりますが、表現が素晴らしいと感じております。  
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