緊張の打ち合わせ
椎名春香がオーディションでアシスタントに選ばれた番組『GO!GO!シーサーペンツ!!』は横浜のケーブルテレビ局が新たにスタートする新番組で、地元横浜のプロ野球チーム横浜シーサーペンツの応援番組だ。
放送は週に1回。メインMCは長年シーサーペンツの名外野手として活躍し、今季限りで現役を引退した乙倉裕貴が務める。
春香は野球に疎かった。オーディションも気乗りしなかったし、受けに来たコたちの中で、おそらく一番野球に関して無知だったと自分でも思う。
それでも受かったからには中途半端ではいられない。落ちた人たちに失礼だし、これが小さな第一歩になるかもしれないのだから。
歌手を目指してこの世界に飛び込んだ彼女にとって、今回の仕事は決して望んでいる類のものではない。
それでも今はとにかく仕事をして名前を売って、地道に力をつけていくしかない。そう信じている。
その日、椎名春香は初めての打ち合わせのために、横浜市内のケーブルテレビ局へと向かっていた。
メインMCである乙倉裕貴がどんな人物なのか、春香は何も知らない。オーディションに受かってから色々調べて、昨シーズンまでシーサーペンツの名外野手として活躍していたことはわかったものの、実際のところは何もわからない。
プロスポーツ選手という人種に今まで会ったことのない春香には、漠然とした不安しかなかった。怖い感じの人じゃなければいいな、と思いながら彼女はテレビ局のドアを開けた。
「あ、あの、初めまして。私、アシスタントに選ばれた椎名春香です。よろしくお願いします」
乙倉裕貴と初めて対面した春香は、緊張気味に挨拶し丁寧に頭を下げた。
やっぱり、想像していた通りだった。筋肉質で背が高く、逞しい。春香の不安が少しだけ大きくなる。
しかし乙倉は、明らかに緊張している春香を見てにこやかに、そして穏やかに語りかけた。
「こちらこそよろしくね、椎名さん。僕は乙倉。乙倉裕貴です。オツクラじゃなくてオトクラ。オトクラユウキ、だから間違えないでね」
彼はそう言ってにっこりと優しく微笑んだ。その笑顔につられて、春香もついクスッと笑みを浮かべてしまう。
――よかった。怖い人じゃないみたい。
「椎名さんは野球については素人だって聞いてるんだけど、ホントなのかな?」
「ハイッ。子供の頃にお父さんと野球を観に行った記憶はあるんですけど、正直言って今まであんまり興味がなかったんです。だからオーディションも事務所の勧めで受けただけで、まさか選ばれるなんて思っていなくて。でも、これを機に野球の勉強をして試合もいっぱい観に行きたいなって今は思ってます」
乙倉は春香の話を聞きながら、嬉しそうにウンウンと頷いた。
「いいねぇ。椎名さんのような若い女の子の野球ファンが増えるのは嬉しい限りだよ。なにしろプロ野球全体の人気が下がってるって言われて久しいからねぇ」
「そうなんですか? 私は大人の男の人ってみんなプロ野球ファンなのかと思っていましたけど」
「いやいや。昔は朝、会社や学校で顔を合わせると昨夜の試合の話で盛り上がるのが当たり前だったんだけど、今はサッカーにバスケ、ラグビーにゲームのプロリーグまであるからね。野球だけ見てるって時代じゃなくなっちゃったんだよ。まあそれもあって、各チームとも最近は女性ファンを増やすことに凄く力を入れてるんだけどね」
「ニュースで見たような気がします。女の子向けのイベントとか」
「そうそうそれだよ。キレイでカワイイ女の子がいっぱい球場に来れば、それ目当てで男のファンもいっぱい来るでしょ? 男なんてそんなもんだからチームとしてもソレを狙ってるってわけ。理由はどうあれ、それで実際に観客動員が増えてるって言うんだから男ってホントにバカだよねー」
乙倉が面白おかしくそう言うと、春香はつられてクスクスと笑った。
「でもね、僕はとにかくどんな形でもいいから、野球を知らない人にも野球に触れてみて欲しいわけ。そして実際に観に来てくれたら最高だよね。とにかく面白くて深みがあって魅力的なスポーツなんだよ、野球ってさ。ドラマがあって熱くて感動もあるんだから」
熱く魅力を説く乙倉のその姿には好感しかなく、心の底から野球を愛しているんだなと春香には思えた。それはきっと、自分が歌を愛しているのと同じように。
「まあそんなわけだから、椎名さんみたいにこの番組をキッカケにして試合を見に来てくれるコが一人でも増えたら嬉しいし、そんな番組にしていきたいと思っているんだ。ケーブルテレビだから規模こそ小さいけど、今まで興味がなかった人がこの番組を見て、野球って面白そうだな、いっぺん観に行ってみようかなって思ってもらえるような番組にしていけたらいいよね。そもそも野球に興味の無い人がこの番組を見るのか? っていう素朴な疑問はコッチに置いておいてさ」
コミカルな口調でそう語る乙倉に、春香はまた思わずクスクス笑ってしまった。もともとの人柄が気さくで親しみやすく面白いタイプなのだということが、自然と伝わってくる。
乙倉は満足そうに頷き、スッと右手を差し出した。一瞬躊躇した春香だが、すぐに自分も右手を差し出す。
「僕も引退してから初めてのレギュラー番組だし、新人同士パートナーとして仲良くやっていきましょう。これからよろしくね」
「ハイッ! よろしくお願いします!」
春香はもうすっかり、彼との仕事が楽しみになっていた。
その夜、春香の部屋に小春が訪ねてきた。部屋に入るなり彼女は「どうだった? 初めての打ち合わせは?」と尋ねた。
「相手のMCの人ってどんな人だったの? たしか元プロ野球選手なんだよね?」
「うん。乙倉さんっていうんだけど、優しくて話が面白くて感じの良い人だったよ。もっと怖い感じの人かって想像してたんだけど、全然そんなことなくって」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ良かったね。春香、心配してたもんね。相手の人はどんな人だろうって」
「だってスポーツ選手って身体がおっきくて怖そうなイメージがあったんだもん」
自分が間違った認識をしていたことを春香は正直に話した。そして乙倉や番組スタッフや打ち合わせ内容のことなどを話し始めると小春は「へぇー」とか「そうなんだぁ」などと相槌を打ちながら話に耳を傾けた。
「選手の人にはまだ誰も会ってないの?」
「うん。でも再来週に合宿所で初収録をするんだって。まだ具体的な日にちは決まってなかったんだけど、その時に選手の人たちとも会えるんじゃないかなぁ」
「シーサーペンツの選手って、カッコイイ人いるの? 私よく知らないんだけど」
「えっ!?」
突然予想外のことを聞かれた春香は戸惑いを隠せなかった。春香の頭の中にあるのはこれからやっていく仕事についてだけで、それ以外のことに意識は向いていない。ましてやカッコイイ男の人がいるかどうかなんて考えもしていなかった。
「うーん、それはどうだろ。私も実際に会ったことがないから……でも選手名鑑を見ると結構ステキそうな人いるよ?」
「そっかぁ、じゃあ楽しみだね」
春香は小首を傾げた。小春の言う楽しみだねの意味が、彼女にはわからなかったのだ。
「楽しみって、何が? 私、仕事をしに行くんだけど」
「そうだけど、そういう楽しみがあった方がいいじゃない。それで誰かと恋に落ちちゃったりして」
「そんな、テレビのドラマじゃないんだから。そんなことあるわけないじゃない」
「そっかなぁ。春香は可愛いんだから、若い選手なんか春香のこと好きになっちゃうかもよ?」
「んもう、やめてよ小春ちゃん。私は純粋に仕事に燃えてるんだから、茶化すようなこと言わないで!」
少しばかり憤慨し口を尖らす春香を見て小春は「ゴメンゴメン」と笑いながら謝った。別に茶化しているつもりは毛頭ない。そういうのも張り合いになるんじゃないかと思ったことを素直に口にしただけだった。
「ねえ春香。その選手名鑑っていうの、持ってるんでしょ? 見せてよ」
小春は春香にそう頼んだ。




