春季キャンプ
2月1日になると、プロ野球の世界では春季キャンプと呼ばれる全体練習が一斉に始まる。気候の暖かい場所にキャンプ地を定めて、1ヵ月程度の期間、寝食を共にしながら練習に明け暮れるのだ。
1軍と2軍ではキャンプ地が異なり、シーサーペンツの場合1軍が宮崎で行うのに対し、2軍は伊豆の伊東で行われる。
設備や待遇面は比べようもなく格差をつけられている。もちろん格差をつけることで早く1軍に上がりたいという気持ちにさせるため、意図的にそうしている。2軍はあくまでも2軍であって、そこに安住されては困るということだ。
育成枠という立場の北野は2軍のキャンプに参加していた。他の選手たちと全く同じメニューで、毎日泥だらけ汗まみれになりながら練習に食らいついた。
「くあ~っ! 今日もキツかったなぁ~」
湯船に浸かるなり真鍋はそう言って足を伸ばした。
「練習終わって風呂で汗流すこの時間が、一番ホッとするよなぁ」
「あー、わかるわ。俺もそうだ」
「朝から晩まで泥まみれ汗まみれだからな。貴重な癒しの時間だよ」
選手たちは和気藹々とリラックスした会話に花を咲かせた。キャンプという練習漬けの環境下では、風呂と食事が数少ない憩いの時間だ。
ひとしきり他愛のない会話をしたところで、真鍋がふいにボヤキ始めた。
「あ~、これで春香ちゃんが取材に来てくれれば言うことないんだけどなぁ。キャンプの間は2軍には来ないから寂しいよなぁ」
「いつきさん、またそんなこと言って」
呆れ顔でそう言いながら北野は浴槽に浸かった。
「だって春香ちゃん可愛いじゃん。可愛いし勉強熱心だし性格良くて最高じゃん。彼氏いんのかな?」
「さあ……どうなんですかね?」
「北野はあのコと仲良いのに知らないのかよ?」
湯煙の向こうから誰かがそう問いかけた。
「知らないですよ、そんなこと。それに別にそんな仲良いわけでもないです。普通ですよ、普通」
しかし他の選手たちはそれに納得しなかった。
「そうかぁ? オマエら合宿所でしょっちゅう喋ってんじゃん」
「って言うか、あのコの方から北野のとこに会いに行ってるんじゃねえの? いつも真っ先に北野のとこに行ってる気がするけど」
「いや、それはあのコが野球のことを色々教えて欲しいって聞きに来るってだけですよ」
「それをわざわざオマエにだけ聞きに行くところがアヤシイぞ。野球のことを教わりたいなら、別に他のヤツに聞いたっていいんじゃねえのか?」
それは正論だった。北野自身もそれは以前から思っていた。
「年齢が近いから話しやすい……とかじゃないですか?」
「その割には楽しそうに話してるように見えるけどな」
「ただその、なんかあのコ話やすいんですよね。自分から話題をふってくれるから会話が続くし、話してて楽しいとも思いますよ。でも何だか完璧過ぎません? 人間的に出来過ぎな感じがして、別世界の人間って感じがするんですよね」
北野は思わずポロッと本音を漏らしてしまった。
「そうかぁ? むしろ普通に周りに人の輪が出来るタイプだろ、あのコ」
「誰にでも好かれるってのを絵に描いたような女の子だからな。この前みんなに差し入れてくれた手作りクッキーも美味しかったし」
「それをニコニコしながら全員に差し出されたら、真鍋さんじゃなくてもファンになっちゃいますよね」
どうやら北野の想像以上に春香はチーム内にファンを多数獲得しているようで、誰にも味方をしてもらえない北野は黙ってしまった。
(そう言われたって、そう思うんだから仕方ないじゃん……)
顔半分まで湯船に沈めながら、北野は内心でそう不平を鳴らした。
「礼儀正しいし、明るいし、可愛い笑顔でよく笑うし、気配りも出来るし。今時あんなコ他にいないよ。俺は好きだなぁ。充分ストライクゾーンだし」
真鍋がそう力説すると、即座に反対の声が上がった。
「いやいや、それはないわ。本気であのコとどうこうなんて考えてるのは真鍋だけだから」
「俺らはマスコット的に可愛がってるだけで、彼女にしたいとかじゃねえんだよなぁ」
「年齢的にどっちかって言うと妹の方が近いですしね。下手すりゃ人によっては娘ですもん」
今度は真鍋が周囲から総ツッコミを喰らった。やっぱりこの人の性格は見習っちゃいけないと北野はあらためて思う。
「でも北野が言ってることもわかる気はするわ。あのコ、確かに女の子として完璧な感じするよな」
「まあでもさ、北野が内心でそう思ってるんならそれはそれでもいいんじゃねえの? 別にキライだって言ってるわけじゃねえんだしさ」
「っつーかさぁ、俺らなんでこんな話してんだ? 練習後に女の子のことであーだこーだって、部活後の高校生かよ」
その場にいた皆が一斉にどっと笑い出した。
確かに自分達の会話は、可愛い女子の話で盛り上がる男子高校生そのものだと誰もが思ったからだ。年齢がいくつになろうと、男の中身はそうそう変わらないものらしい。
風呂から出て脱衣場で身体を拭きながら、北野はふと考え込んだ。
――俺と春香さんって、そんなに仲が良いように見えんのかな。
確かに彼女が合宿所へ来るたびに話してはいるから、頻度を考えれば相当な回数にはなるだろう。
しかし北野からすれば、彼女の方から野球のことを教えて欲しいと話しに来るわけで、自分の方から会いに行っているわけではないという意識がある。
(春香さんは俺のこと、どう思っているんだろう?)
なぜ自分に野球の質問をしに来るのだろう。疑問の行き着く先はいつもそこだった。別に誰に聞いてもいいことなのに。
(いやいや、他の人にも色々話を聞いてたじゃん。要は春香さんが勉強熱心なだけなんだ。そうだ、きっとそうだ)
それよりも今は支配下選手登録が最優先だ。それ以外のことを考えている余裕はない。北野は半ば無理矢理に頭の中をリセットした。
「ウェイトトレーニングでもしようかな……」
風呂から出たばかりだというのになんとなく胸の中がモヤモヤして、身体を動かしたい気分だった。何に対してモヤモヤしているのか、それは彼自身にもさっぱりわからない。




