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波乱の予感

 向井拓海。40歳を越えた今なお横浜シーサーペンツ不動のエースと呼ばれる男。精密なコントロールと鋭いスライダー、フォークボールを武器に相手打者を打ち取る。ここぞという場面では必ず抑える彼に、野手陣もファンも絶大な信頼を寄せている。

 

 しかしその反面、報道陣からはプロ野球界で最も取材のしにくい男と目されていた。

 

「怖い」

「厳しい」

「気難しい」

 

 向井を形容する際には必ずそういった枕詞が付く。


 

 

「親分はさぁ、マスコミ受けが悪いんだよなぁ」

 

 真鍋いつきは向井をそう評す。理由を尋ねる北野に、彼はそっと教えてくれた。

 

「取材でさ、相手が不勉強だったりすると平気で打ち切っちまうんだ。ただでさえ威圧感のある人がそれやるんだぜ。テレビ局の女子アナなんか今までに何人も泣かせてんだから」

 

 ちゃらちゃらしたヤツが嫌いなんだろうと真鍋は言った。女の子だからって容赦しない。仕事で関わる以上、男も女も大人も子供も関係ない。それが向井の考えなのだとも。

 

「でもな、あの人がカッコイイのはさ、逆にちゃんと勉強してるヤツやプロ意識の高いヤツが相手だったら、幾らでも取材に応じるんだ。それがたとえ新人でも素人でも、時間をオーバーしてでも対応して、もう聞きたいことはないのかって自分から言うぐらいでさ。そこがただの変わり者じゃないとこなんだよなぁ」

「変わり者って……いつきさん……」

 

 向井という男は厳しさと広い度量を併せ持つ。マスコミ関係者に彼を嫌う者は少ないが、畏れる者は無数に存在する。

 同僚の投手たちも同様で、北野もその一人だった。真鍋のように平気で軽口を叩ける者は、彼だけと言っても過言ではない。

 

 その向井拓海が、合宿所の練習グラウンドに姿を現した。


 

 

「こんちわっス! 向井さん、お久しぶりっス!」

「ちわっす!!」

「今年もよろしくお願いします!」

 

 向井がグラウンドに姿を現すなり、ピッチャーたちは慌てて全員集合し直立不動で迎えた。しかし当の本人は、それがお気に召さない様子だった。

 

「それやめろって前から言ってるだろ。出所してきたヤクザの親分じゃないんだから」

 

 向井は手で皆を追い払う仕草をした。

 

「散れ! 散れ!」

「おっ、親分来ましたね」

 

 向井の姿に気づいて言ったのは真鍋だった。向井は少し怒りの色を浮かべた鋭い目で真鍋を見やった。

 

「オマエは……その親分ってのを止めろと何度言わせるんだ」

「だって親分は親分ですから。俺としては親愛と尊敬の情を込めてそう呼んでるんですよ? ウチの投手陣は1人の例外もなく向井組の組員ですから」

「そんなもん、俺は作った覚えないぞ」

「親分に覚えがなくても俺らに覚えがありますから」

「人の嫌がることはするなって、子供の時に教わらなかったらしいなオマエは」

 

 真鍋に何を言っても無駄とわかっている向井は、それ以上何も言わなかった。

 そんな2人の会話を聞きながら震え上がっていた男がいた。北野だ。

 

(相変わらず向井さんは怖えー)

 

 向井拓海は雲の上の存在であると同時に恐るべき人物だ。長年のプロ生活で培った強烈なオーラを身にまとっており、その迫力たるや北野など前に立つと言葉を発することすら出来なくなるほどだ。

 

(ホントあの人は、向井さん相手によくあんな軽口叩けるよなぁ)

 

 ピッチャーにとってマウンド上で動じない精神力は非常に重要だ。その意味では真鍋の物怖じしない性格はプラスになっているのだろう。だが北野はすぐに思い直した。

 

(いやいやいや。いつきさんのアレは多分無神経とかそっち方向で、マウンド度胸とは絶対別物だ。見習っちゃダメなヤツ!)

 

 


 相変わらず毎週の収録以外にも週に2度3度と合宿所に顔を見せる椎名春香は、今ではすっかり選手たちのマスコットガール的な存在となっていた。

 彼女の姿を見かけると、選手ばかりか球団スタッフまで誰もが自分から声をかける。

 親しみやすさ、それは彼女が持つ天性の武器だ。

 そんな春香がその日もいつものように合宿所を訪れた。北野の姿を見つけると彼の元へと歩みを進めた。

 

「こんにちは、北野さん!」

「こんちわ。今日も元気ですね」

「はいっ! 元気が取り柄ですから! 北野さん、練習は? 休憩中ですか?」

「ああ、今ちょっと向井さんが取材を受けててね。休憩がてら見てたんですよ」

「向井さんって、シーサーペンツのエースの人ですよね」

「おっ、よく知ってますね。ちゃんと勉強してるようで何よりです」

「えへへ」

 

 褒められた春香が照れ笑いをしたその時、突然怒鳴り声が聞こえた。

 

「そんなくだらん質問ばかりなら取材は終わりだ!!」

 

 声の主は向井だった。取材をしていた記者が青白い顔になって震え上がっている。

 

「あーぁ、あの人新人なのか?」

 

 いつの間にやら背後にいた真鍋がそう呟いた。

 

「あの、あの記者の人はなんて言ったんですか?」

「俺にもわからん。でも多分くだらない質問でもしたんだろうな」

 

 真鍋は向井の性格を手短に春香に説明した。ストイックで自分に厳しく、相手にも同じプロ意識を求める。だから不勉強な質問をすると即座に取材を打ち切る。


 「そのうち春香ちゃんも親分と仕事するだろうから、覚えておくといいよ」


 そう言って真鍋は食堂へと去っていった。

 

「ど……どうしよう、北野さぁん」

 

 突然春香が北野の腕にすがりついてきた。

 

「え、なっ、何が?」

「実は私、今日の収録で向井さんにインタビューするんです」

「えっ!?」


 まさか、としか言えなかった。北野には、春香がたった今目の前で起きた出来事を再現する、そんな未来しか見えない。

 

「インタビューなんて生まれて初めてだから緊張しちゃって……今の真鍋さんの話を聞いたらますます不安になっちゃって……失敗したらみんなに迷惑かけちゃう。どうしよう」

 

 北野は驚いた。生まれて初めてインタビューをする相手が向井とは、いくらなんでもハードルが高すぎるのではないだろうか。

 

「ウソでしょ? マジで向井さんにインタビューするんですか? しかも初めてって、それはちょっと……」

「ウソじゃないですよぉ」


 春香は今にも泣きだしそうだ。

 

「あの、俺が言うのもなんですけど、向井さんだけは冗談抜きで気をつけた方がいいですよ。俺なんて向井さんの前に立つと怖くて何も言えなくなりますもん」

「……ど、どうしよう北野さん。私、凄く不安なんですけど……」

「ま、まあ、よっぽど失礼なことでもしない限りは心配ないと思いますよ。さすがに高校生の女の子にマジギレする人じゃない……とは思うんだけど」

「よっぽど失礼なことをしそうだから不安なんです!」

「ああ、そういえば春香さんはドジっ娘でしたっけ」

「ひどーい。ドジっ娘とか言わないでくださいよぉ!」

 

 不謹慎かもしれないが、向井と春香の2ショットでのインタビュー風景を見てみたい気持ちに北野は強く駆られた。春香とあの向井拓海が組み合わさって何が起きるのか。

 ただ、一抹の不安は拭えない。このドジっ娘が何かやらかす気がして仕方なかった。

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