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主役になれない私たち

 こちらの作品は、10年近く前に書き始めたまま未完だった作品を、再構成・加筆・修正したものです。北野翔と椎名春香。二人とともに物語を追いかけていただければ幸いです。

「ねえ、春香ぁ。今日のレッスン終わったら、ここ寄ってかない?」

 

 浅野小春が、ファッション雑誌のあるページを指差しながら、キラキラした目で言った。

 

 土曜日の朝、とある芸能事務所が管理する女子寮の談話スペース。小春が指し示すそこに載っていたのは、最近オープンしたばかりだという見るからにお洒落なスイーツショップだった。

 

「わ、美味しそう。行く行く!」

 

 春香が頷くと、小春は満足そうに笑う。甘いものが大好きな彼女は、こうしてよく春香たちを誘うのだ。

 それはレッスンばかりで変化のない毎日に、ささやかな彩りをくれる大切な時間だった。

 

「そういえば雪乃は? あと10分で出ないと遅刻するんだけど」

「まだ部屋みたい。準備に手間取ってるのかな」

「もう、あのコは……」

 

 小春が呆れたようにため息をついた、その時だった。談話室の大きなテレビ画面に、ふと見慣れた顔が映った。


 『――それでは、望月りんかちゃん! 新曲の紹介を、お願いします!』

 

 彼女たちより1年遅れて事務所に入ってきた、中学3年生の望月りんかだ。彼女がセンターを務めるアイドルグループが、新曲の宣伝のために朝の情報番組に出演していた。

 

 司会者にマイクを向けられたりんかが、満面の笑顔で応える。さっきまで雑誌のスイーツに夢中だった小春が、その画面を食い入るように見つめていた。

 その横顔からは、さっきまでの明るさがすっかり消えている。テレビの中の望月りんかは、キラキラした照明を浴びて、すごく、すごく輝いて見える。

 

「……仕事、したいね」

 

 ぽつりと、小春が呟いた。それは、テレビの中の喧騒とはあまりにも不釣り合いな、小さくてか細い声だった。

 

「うん……もっと、お仕事したい」

 

 春香も、そう答えるのが精一杯だった。

 


 レッスンスタジオからの帰り道。湿っぽい空気を吹き飛ばすように、彼女たちは例のスイーツショップで、それぞれお目当てのケーキを頬張っていた。

 

「……それにしてもさ、りんかちゃん達のグループ、すごいよね。もうゴールデンの歌番組への出演も決まってるらしいよ」

 

 フォークを持つ手を止めて、小春が言った。

 

 椎名春香、浅野小春、相原雪乃。

 

 オーディションに合格して、高校入学と同時にこの事務所に入った三人のスケジュール帳は、「ダンスレッスン」「ボイストレーニング」といった類の文字でびっしりと埋め尽くされている。

 

 ――歌番組収録なんて、そんな夢みたいなスケジュールが書き込まれる日は来るのかな……。

 

 そんなことばかり考えてしまい、そのたびに春香の心には暗い影が落ちる。

 

「私たち、このままで大丈夫なのかな……。もう高二だよ? 来年には進路も決めなきゃいけないのに……」

「……」

 

 雪乃が心配そうに春香の顔を覗き込む。

 

 ――分かってる。言い訳だってことは。

 

 学生と芸能活動を両立して成功している人なんて、いくらでもいる。現に望月りんかがそうなのだ。

 結局は自分たちの力が足りないだけ。それは彼女たちも、痛いほど分かっている。それでも時々、どうしようもなく不安になってしまうのだ。

 

「……大丈夫ですよ」


 沈黙を破ったのは、意外にも一番年下の相原雪乃だった。

 

「私たちは、私たちです。りんかちゃんは確かにすごいけど……でも私たちだって、毎日こんなに頑張ってるじゃないですか。今は一生懸命レッスンして、力を蓄える時なんだって、私は思います。きっと、絶対神様は見ていてくれますよ。私たちの頑張りを」

「そっか……そうだよね。そうだった」

 

 春香が自分に言い聞かせるように相槌を打つ。

 

「……そうだね。雪乃の言う通りだ」

 

 小春が、吹っ切れたように顔を上げた。

 

「よし! このケーキ食べたら、明日のボイトレも頑張ろう! いつか、3人で武道館のステージに立ってやるんだから!」

「うん!」

「はい!」

 

 この手の話になると、最後はいつも同じ結論だ。

 そうやって互いを支え合うのが、今の彼女たちにできる精一杯の戦い方だった。甘くて、でもなぜか少しだけしょっぱい味のするケーキを、3人は夢中で口に運ぶのだった。


 


 それから数週間後の朝。春香が支度を済ませ部屋を出て玄関に向かうと、小春がちょうど談話室から出てきたところだった。

「あれ? 春香、もう行くの?」

 

 その日、春香は横浜にあるケーブルテレビ局へ向かうことになっていた。彼女がアシスタントを務めることになった番組のスタッフとの顔合わせや打ち合わせを今日行うことになっているからだ。

 

「ずいぶん早いんじゃない?」

「うん。そうなんだけど初めての顔合わせで遅刻したら恥ずかしいし、余裕を持って早めに行こうかなって」

「それにしたって早すぎると思うけど」

 

 早く着き過ぎたら時間を潰せばいいだけなのだから、その気持ちは小春にもよくわかる。しかしそれにしても早過ぎではないだろうか。

 

「それにしても春香がテレビのレギュラーだなんてねぇ。いいなぁ」

「ケーブルテレビ局だけどね」

 

 春香が謙遜してそう言うと、小春はそれを強く否定した。

 

「なに言ってんの! ケーブルテレビだろうとテレビはテレビじゃない。アタシたちの中でテレビのレギュラー持ってるのは春香だけなんだから。言っとくけど、アタシはホントに羨ましいんだからね!?」

 

 春香が合格したオーディションには小春も参加していた。合格しようと自分にできる精一杯のことをしたのだが、残念ながら小春は落選し春香が合格した。

 もちろん落ちたことは悔しいが、だからといって春香を妬むような気持ちなど微塵も無い。ただその代わりに、今まで共に歩んでいたはずの春香がこれからは追いかける目標になったんだなぁという気持ちがあった。

 

「アタシも負けてらんないよ。今まで以上に頑張らないとね。アタシだって、いつか絶対テレビのレギュラー掴んでみせるんだから。絶対やってやるんだから!」

 

 非常に仲の良い三人だけれど、しかし小春は春香と雪乃に対してライバル心も内に秘めて持っていた。

 春香がチャンスを掴んだことは友人として素直に嬉しいし祝福するけれど、同時に先を越されて悔しいという感情も確かにある。仲が良いからこそ、親友だからこそ対等の立場でいたい。

 

「それじゃ小春ちゃん、そろそろ行くね」

「うん、いってらっしゃい。頑張って」

「ありがとう。それじゃ行ってきまーす」

 

 春香が出て行った後のドアを小春はしばらく見つめていた。

 

(春香にちょっと先行かれちゃったなぁ……でもアタシだって負けてられないぞ。もっともっと頑張って、絶対チャンスを掴んでみせるんだから)

 

 そろそろレッスンに向かってもいい時間だが、一緒に行く約束をしている的場雪乃が部屋から姿を現さない。

 シビレを切らして部屋へ行こうかとしたその時、階段を慌しく駆け下りてくる足音が聞こえた。

 

「ごめなさーい小春さん。待ちましたぁ?」

 

 ハァハァと息を切らしながら雪乃が言った。

 

「待ちましたぁ? じゃないって。遅いよ雪乃。そんなことじゃ春香にどんどん先行かれちゃうぞ」

「へ? 何ですか? 春香さんがどうかしたんですか?」

「だから、春香はアタシたちより一歩先を行っちゃったじゃない? 遅れをとってるんだから、アタシたちは春香以上に頑張らなきゃダメでしょってこと。そうじゃなきゃどんどん置いていかれちゃうよ」

「急にどうしたんですか小春さん。春香さんと何かあったんですか?」

「別に何も無いけど、アタシだってもっといっぱいお仕事したいの! 春香は努力してチャンスを上手く掴んだけど、アタシだってチャンスを掴みたいもん。早く春香に追いつきたいの。雪乃だってそうでしょ? もっとたくさんお仕事したいでしょ?」

「それはそうですけど……そりゃあ私だって早く春香さんみたいにテレビ出たいですよ。春香さん、いいですよねぇ。うらやましいなぁ」

「だったら! うらやましがるよりやることがあるでしょ! って言うか、今は羨ましがってる場合じゃなかった。早くしないと遅刻しちゃうじゃない。ほら、グズグズしない! レッスン行くよ、雪乃!」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ小春さん。せめてお水を一杯飲ませて」

「あぁ、もう。じゃあ早く飲んできて」

 

 雪乃は慌てて水を飲むため食堂へ小走りに駆けていった。

 

(絶対すぐに追いついてみせるからね。負けないよ、春香)

 

 小春は駆けていく雪乃の背中を見つめながら心の中でそう呟いた。

 戻ってきた雪乃を急かしながら、小春は掃除をしていた職員に「行ってきます」と声をかけた。

 雪乃が続いて挨拶をしようとしたその時、彼女の視界の隅に見慣れた何かが映った。

 

「ねえ、小春さん」

「あぁ、もう。何よ。遅刻しちゃうって言ってるじゃない!」

「あの、あれ。あのテーブルの上にあるのって……」

「テーブルの上?」

 

 言われて見たテーブルの上には、見覚えのあるスマホが置かれていた。

 小春は歩み寄りそれを手に取った。見覚えのある色と形、見覚えのあるストラップ。椎名春香のものに間違いなかった。

 

「春香のだ……あのコ、スマホ忘れてっちゃった……」

「大丈夫ですかね? たしか今日、春香さんってテレビ番組の打ち合わせじゃなかったでしたっけ? スタッフさんと連絡取れなかったりしませんかね?」

「大丈夫だと思うけど……それにしてもあのコ、忘れ物が多いのは治らないよねぇ」

「春香さんってすっごく真面目でしっかりしてるように見えますけど、中身はけっこうオマヌケさんですよね」

「いつかきっと痛い目にあうと思う……」

 

 小春はそう言って肩を落とした。


 


 プロ野球チーム横浜シーサーペンツの二軍練習場。師走の刺すように冷たく透き通った空気の中でランニングをしながら、真鍋いつきは並んで走っている後輩の北野翔に話しかけた。

 

「なあ北野、知ってっか? 来週だか再来週だかにさぁ、テレビ局の連中が来るらしいんだ」

「別にテレビ局なんて珍しくないじゃないですか。ウチはプロ野球のチームなんですから」

 

 話しかけられた北野は特に興味なさげにそう答えた。

 テレビ局の取材など本当にどうでもいい。今の彼の頭の中は、一日でも早く支配下選手登録されるために力をつけることでいっぱいなのだから。

 

「まあまあ待て。黙って俺の話を聞けよ。なんでも来るのは地元のケーブルテレビらしいんだけどな、新しくウチの応援番組が始まるらしいんだ」

「でもそれも別に珍しいことじゃないでしょ」

「話はまだ途中だぞ。それでな、俺の耳にした情報だと、その番組のメインMCは乙さんなんだよ」

「へぇ、乙倉さんが。今年引退したばっかりなのにすぐレギュラー番組とか、結構凄いんじゃないですか?」

「あの人、喋りは上手いからな。現役時代から結構テレビで仕事してたし、その辺を買われたんだろ。でな、本題はここからなんだけど、その番組で乙さんのアシスタントを務める女の子がメチャクチャ可愛いらしいのよ。広報のヤツの話なんだけど、なんでも女子高生なんだと。どんなコか楽しみじゃね?」

「そうですね」

「……なんだよ。ノリが悪いなぁ、オマエは」

 

 思ったようには話に反応してこない北野にようやく気づいた真鍋は、そう言って北野の頭を軽く手で小突いた。

 

「いや、だって、可愛い女の子とかなんとか、俺にはそんなこと考えてる余裕ないですよ。いつきさんと違って俺は育成枠なんですよ? スタミナが課題だから徹底的に走り込めってコーチに言われてるのに」

 

 育成枠の選手に与えられている時間は短い。結果を出せなければ、三年で終わりだ。だから余計なことに時間を割いているヒマなど、本来は無い。

 

「オマエねぇ、いつも言ってるだろ。余裕無さ過ぎなんだよ。育成枠だから他のヤツ以上に頑張らなきゃいけないのはわかるけどさぁ、思いつめて根つめてやりゃあいいってモンじゃねーのよ。少しは心に余裕を持たないと、肝心な時に萎縮して実力を出せないで終わっちまうぞ」

 

 北野は何も言い返せず、口を尖らせて黙りこんだ。

 頭ではわかっている。でもそうは言っても焦ってしまう。自分がプロでやっていける手ごたえを何も掴んでいない今、残された時間があまりにも少なく感じるのだ。

 

「まあまあ。でな、そのコがどんなコなのか知りたいから、収録してるとこを見に行こうと思うわけよ。だからオマエも付き合え。な?」

 

 付き合えとは言うが、それは要望ではなく強制だということを北野はよく知っていた。この手のお誘いは今までに何度となくあったのだから。

 

「えっ? いや、なんでそれで俺が付き合わなきゃいけないんですか。イヤですよ。そんなヒマあったら練習します」

「北野、オマエ……俺の言う事が聞けないっての?」

「いくらいつきさんの言うことでも、イヤなもんはイヤです!」

「オマエ、もうメシおごってやらねえよ?」

「うっ!」

 

 その一言は北野に思いのほか大きなダメージを与えた。

 育成枠の薄い給料では、美味い食事など滅多にできない。真鍋に連れていってもらう食事は、北野にとって数少ない楽しみのひとつだった。

 

「誰のおかげで時々美味いもん食えてるのかなぁ?」

「うぅ……それは……いつきさん、それはズルイですよ」

 

 ささやかな楽しみを人質に取られた北野は逆らう術を残されておらず、口を尖らせながら渋々同意した。

 

「まあまあ。たまには息抜きもしないとな」

 

 仏頂面の後輩を見やりながら真鍋はそう軽口を叩いた。

 

(いつきさんは年がら年中息抜きばっかじゃん)

 

 北野は内心でそう思ったが、もちろん口にはしない。真鍋の言うことも間違いではないからだ。頭ではそうだとわかっている。ただ、わかっていても、焦りは消えないのだ。

 いかがだったでしょうか。北野と春香の物語は始まったばかりです。よろしくお付き合いください。

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