42 この我輩が変態だと?
「きゃあああ……ッ」
50メートル。
100メートル。
いや、もっと高く。
血の触手がシーフィアを宙吊りにした。
「どれ? 城壁に叩きつけてみせようか」
ヴラド公は悪童のように笑っている。
「ヴラド公、貴様……」
「案ずるな。殺しはせぬ。我輩はレディーにはどこまでも紳士的なのだ。この娘は追って我輩の妃の一人としてくれよう」
「ヴラド公、貴様……」
どっちみち下衆なので、俺は同じセリフを吐くはめになった。
「どうだね? 自分の愛する者を取り上げられる気分は、フフフフフ」
その言い方は大いに語弊がある。
「刀を捨てよ。この女が大事ならばな」
「いけません! オサム様! 私のことは放っておいて構いませんから! わぁ、景色が綺麗! むしろありがたい気分ですー!」
シーフィアの場違いな強がりがだいぶ上のほうから降ってくる。
ちょっと面白い。
口の中で笑うと少し冷静になってきた。
「そうか。ヴラド公、貴公は私に刀を捨てさせたいのだな?」
「そう言っておろうが」
「そして、触手で縛った少女を無理やり嫁にするのだな?」
「……」
ヴラド公が眉をぴくつかせた。
「ハアアアア? きんもー! この変態! 死ねアホ!」
城壁の上からイラスティリアが罵倒する。
「きンもいのよ、この馬ぁ鹿! ざぁーこざぁこ! 陰キャ! 変態アホマント!」
「この我輩が変態だと? 雑魚だと? 今、我輩を愚弄した者、前に出よ。後悔させてくれる!」
ヴラド公が意外なほど気色ばむ。
安い煽りにあっさり乗った格好。
冒険者たちがニヤリと笑った。
「出てけや変態!」
「逆さま陰険糞マントォ!」
「きっしょいんだよ女の敵! きんも!」
「人質取るなんて、それでも階層主かボケ!」
「正々堂々戦わんかい! この血吸いハああああゲぇ!」
「お、おのれぇ……」
冒険者は煽りの達人だ。
酔って煽って喧嘩する。
そういう生き物だ。
一方、ヴラド公は何十年も第四階層の陰気な城にこもっている。
煽りに免疫がない。
精神攻撃は抜群に効く。
もはや弱点だ。
これだけ煽られたのだ。
ヴラド公もシーフィアに危害を加えにくくなったはず。
そう願おう。
俺は強い目でヴラド公を見た。
「……我輩は刀を捨てよと言ったはずだが? 人質の意味がわからぬほど暗愚なのかね、貴様は」
「これは俺の持論なんだが、人質を取られても武器は捨てるべきではないと思う。武器がなくなる分だけ状況が悪化するからな」
「ほう。ならば、なんとする?」
「――『奇魂』」
俺の魔力が数倍に跳ね上がった。
どっ、と体から噴き出す風で地面に円ができる。
俺は上段に刀を振りかぶった。
「この一撃、剣や盾では受けきれんぞ!」
「笑止。なれば、その必殺の一刀、ひらりとかわして貴様の首を刎ねてくれる」
薄明るくなってきた城壁前に静けさが戻った。
俺はふっ、と息を吐き、
「秘剣・一の太刀改! 『草薙――
刀を渾身の力で振り下ろした。
世界を縦に裂く斬撃が飛ぶ。
斬撃は地面を割りながらヴラド公を呑み込んだ。
ヴラド公の体が千々に砕ける。
が、破片は無数のコウモリとなり、その横に像を結んだ。
「外したな」
ヴラド公が不敵に笑う。
血の剣を構え、突っ込んでくる。
俺は口の中でつぶやいた。
――十字』」
横一文字が飛んだ。
秘剣・一の太刀改『草薙十字』――。
斬撃を縦横に重ねる、回避狩りの剣。
ブライオロス3世が死に際、俺に放った技だった。
ヴラド公の胴体が上下に分かれた。
下半身がゴロゴロと転がる。
「我が友の技を……ッ! この外道めがア!」
ヴラド公の断面から大量の血が噴出。
血は竜の顔になり、俺の手から刀をもぎ飛ばした。
血の触手が脚に絡みつく。
俺はぎゅん、とすごい力で引っ張られた。
飛ぶように景色が流れていく。
背中に硬いものが当たった。
石片が飛び散る。
城壁の上側が砕け散るのが遠くに見えた。
俺は城壁を突き抜けて町の中心に飛ばされているらしい。
「貴様だけは殺してやる!」
ヴラド公は上半身だけで飛んできていた。
ぐるぐる回る視界に、領民たちの姿が見える。
家の外に出て不安げにあたりを見渡している。
俺はこの町の領主だ。
彼らを守らなければならない。
心を奮い立たせる。
俺は風を受けて身をひるがえした。
薄闇の中に立つ大魔杉に足を向ける。
両足で杉のてっぺんを踏み込んだ。
幹がぐんにゃり曲がる。
巨大な弾性力が俺を空に投げ返した。
「なんと……!」
ヴラド公の目が見開かれた。
俺は木刀を抜き、弾丸のごとく突っ込んだ。
空中で衝突。
五体満足な分、俺のほうが勝った。
「おおオオオオアアアアアアアアアッ!!」
二人でもつれ合いながら城壁にぶち当たる。
突き抜けて、壁外の地面に転がる。
「ウガアアアアアアア……!!」
すぐ体の下で絶叫が聞こえた。
ヴラド公が血を吐いていた。
胸の中央に木刀が突き刺さっている。
さながら、木の杭で心臓を串刺しにしたよう。
ヴラド公の手に血の剣が伸びる。
それが俺の喉を突く寸前、ぱしゃあ、と液体に戻った。
血の根源たる心臓を潰されたからだろう。
「支え……きれぬ」
ヴラド公がうめくように言った。
なんのことだ?
ヴラド公の赤黒い目は俺を見ていない。
薄明るくなった空を見上げている。
宙吊りにされたシーフィアのことだとわかった。
シーフィアを吊り上げていた血の触手が崩壊した。
どん、とヴラド公が俺を突き飛ばした。
その力に押され、俺は走った。
「シーフィア!」
背中から落ちてくる。
ホワイトブリムの白が何かと重なった。
『普通あそこで落とすかよ』
9回裏、2アウト満塁。
一打逆転サヨナラのピンチ。
イージーフライだった。
俺が捕り損ねて、高校の夏は終わった。
なんで今そんなことを思い出す?
「おおおおおおおお!」
と叫んで、俺は嫌なイメージを振り払った。
今度は死んでも落とさない。
俺はシーフィアを全身で受け止めた。
ずどん。
結構な衝撃だったけど、大丈夫!?
「んぐぅ……。い、痛いれす」
シーフィアは涙目になっていた。
でも、無事だ。
「あふう……」
俺は変な息を吐いて、その場にへたり込んだ。




