27 閑話「ホワイトブリム」
「わしも年貢の納め時やもしれぬな」
ファトマスは独り言のようにつぶやいた。
肉のついた首筋をだらりと嫌な汗が流れ落ちる。
領主邸から逃げ帰ってだいぶ経つ。
だが、まだ胸の中は風にあおられた湖面のようにざわめいたままだった。
「あの小娘め……」
ただのメイドと侮っていたが、とんでもない。
ル・シーフィアの凄まじいまでの眼光が未だにファトマスの背筋を凍てつかせていた。
あれほどのメイドをそばに置くとは……。
領主についても認識を改める必要があるようだった。
「わしは見誤っておったのか……」
領主オサム・ダンジョーとは長い付き合いになる。
その人となりについても知り尽くしているつもりでいた。
建町以来、かの御仁は公明正大の体現者であり続けた。
ゆえに、不正の証拠さえ掴ませねば裁かれぬと踏んでいた。
しかし、どうやらそれは間違いだったらしい。
『必ず報いがあります』
そう言ったル・シーフィアの言葉には殺害予告めいた響きがあった。
(よもや……)
グハンスらが全滅に至った仕儀がこれほど早く領主の耳に届くとは。
なにぶん地下迷宮の、密室での出来事だ。
そも露見するまいと高をくくっていた。
ところが、突如衛兵に囲まれ、半ば強引に領主の前に引き出されることになった。
おもてには余裕の笑みを浮かべていたが、内心は動転していた。
低姿勢で弁明に努めればよいものを、証拠はないと見て強気に出てしまった。
それが運の尽きだったらしい。
思わぬ虎の尾を踏んだ感触が残っていた。
(今にして思えば……)
領主ダンジョーには常に得体の知れぬ雰囲気がまつわりついていた。
老いぬ体に、人間離れした膂力。
そして、この辺境の地に都市を築き上げた手腕。
どうして、あれほどの才覚者に盾突いてしまったのか、ファトマスはおのれの浅慮にあきれ果てていた。
いずれにせよ、このままではまずい。
「ええい! 奴らはまだか!」
年季の入った執務机を叩くと同時にドアが勢いよく開いた。
会長室にゴロツキのような人相の男らが雪崩れ込んでくる。
「会長さん、言われた通り人数を集めてまいりやしたぜ」
壁のごとき大男がいかめしい顔で笑った。
この男らにはファトマス商会の裏の仕事――借金の取り立てや商売敵の闇討ちなど荒事全般を任せていた。
「おお。ようやく来おったか」
喜怒相半ばする想いでファトマスは安堵の息を漏らした。
「さっそくだが、わしは夜逃げする。荷の積み込みを手伝え」
「……は? そりゃまた急なことで」
のんきに説明を求めるふうの大男――デカルゾフにいささかの苛立ちを覚えながら、ファトマスは事のあらましを早口に並べ立てて事情を伝えた。
「――おそらく、第三階層にはなんぞ表に出せぬものがあったのじゃ。わしは拾ってはならぬ栗に手を伸ばしてしまったというわけよ」
「はあ。それで手が後ろに回っちまう前に夜逃げってワケですかい」
デカルゾフのあきれ顔もむべなるかな。
いかにも自分の不手際が招いた窮地。
しかし、今ならまだ再起の道はある。
「わしは王都でやり直す。貴様らには今夜中に荷造りをすませてもらうぞ。早ければ明日の朝には衛兵どもがやってこよう」
ファトマスは部屋の奥にある鉄門扉を開いた。
ゴロツキがどよめきの声を上げる。
扉の奥には宝物殿もかくやという金銀財宝の山があった。
「これがわしの人生のすべてよ。我が子も同じぞ。銅貨の一枚とて残すな」
「へへ。礼が弾みそうなご依頼で」
「わしが無事逃げおおせたらな」
夜闇が町を覆う中、ファトマス商会の裏手に停まった馬車に息つく間もなく荷が運び込まれた。
「そういや会長さん、ちょいと小耳に挟んだんですがね」
デカルゾフが額の汗を拭いながら面白がるような面持ちで言った。
「この町にゃ悪党ばかりを狙う掃除屋がいるらしいんすわ」
それはファトマスも知るところだった。
オッサミアの夜を駆ける白き影。
いわく、その者らはメイド装束に仮面という異様な出で立ちをしているらしい。
「たしか『白飾の掃除衆』とかいったか」
「へえ。狙われるのは旦那のような性悪ばかりでしてね、もう何人も始末されてるって話でさ。連中が現れるのは決まってこんな月夜の晩で――」
夜空を見上げたデカルゾフがうっ、と息を呑んだ。
ファトマスも釣られて上を見た。
「……な!?」
屋根の上に影が並んでいた。
その数、10にも及ぶだろうか。
みな一様にメイド装束に身を包み、その顔は仮面で覆われている。
煌々と輝く満月の下にホワイトブリムが白く映え渡っていた。
「があっ」
すぐ横で悲鳴。
ぎょっとして見やると、そこには今の今まで屋根の上にいたはずのメイドが立っていた。
その足がデカルゾフを踏みしだいている。
元Bランク冒険者をいとも簡単に……。
ファトマスは震撼した。
そして、気づいた。
あたりが水を打ったように静まり返っていることに。
見れば、荒事を生業とする腕自慢どもが揃って地に伏している。
もはやおのれ一人を除いて無事な者はいなかった。
とっさに逃げ場を探した。
そして、目を疑った。
七色の熊がいた。
絵の具のような濡れた臭気を漂わせ、歩くたびにカラフルな足跡を残しながら、表通りに通じる路地をその巨体で圧している。
「何が……」
起きているのか皆目見当もつかなかった。
ファトマスはメイドを呆然と見つめた。
仮面から長く伸びた耳の先で耳飾りがキラリと光った。
「それは……」
見覚えがあった。
かつて、まだファトマスが少年だった時分に売った品。
買っていったのは領主ダンジョー。
そして、それを贈られた相手は……。
「そうか。貴様……」
ファトマスは驚愕するとともに腑に落ちるものを感じていた。
なぜメイド装束なのか、その理由がわかった。
メイドとは主に仕えるものなのだ。
「意外であるな。まさかあの愚直しか取り柄のない男に暗殺者を差し向ける度量があったとは。木刀1本たばさんで単身乗り込んで来るほうが性に合おうものだが」
ファトマスは鷹揚に笑った。
相手が小娘だからと虚勢を張ったが、胸の中では心臓が狂わんばかりに早鐘を打っていた。
「私たちは奪う者から奪うのみ」
メイドはくぐもった声でそう言うと、冊子のようなものを数冊投げてよこした。
あっ、と叫びそうになった声をファトマスは呑み込んだ。
それは真っ先に運び出したはずの裏帳簿だった。
「ファトマス、店じまいの時間です」
メイドはいつの間にか短剣を抜き放っていた。
「ま、待て……金なら」
「そんなものに一体なんの価値があるのでしょう? 私たちに必要なのはオサム様だけです」
ホワイトブリムが闇に白い残像を描いた。
ファトマスは自分の悲鳴を聞いた。
そして、何もわからなくなった。




