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<第九章>暗闇の会合

 自分の予想した通りに唐沢が貴婦人の心臓を貫いた。いや、そうならなければワザワザ隙を作って彼女の注意を一心に引きつけた甲斐がないというものだ。

 体中の刺し傷から血を流し倒れ込む怪物。その姿を興味なさそうに見つめると、截は振動に合わせ転がるように彼女の横から離れた。

 「どしん」という音とともに土煙が立ち上る。

「ポォォァァアアア……!」

 胸の傷が激しく痛むらしい。貴婦人は今までとは打って変って心細そうな声で鳴いた。

「唐沢さん。すぐにこの場を離れましょう。貴婦人が完全に息の根を止めれば鬼たちが侵入してくる。今のうちに案内を」

「――ああ。分かってる」

 どこか悲しそうに唐沢は頷いた。床の上でもがき、徐々に弱っていく怪物を眺めながら、物思いにふけるように立ちすくんでいる。

 貴婦人を倒したことでサボテン人間たちも完全にその行動を停止した。截が背後を振り返ると、生存者たちを拘束していた手は離され、本物のサボテンのごとく棒立ちしている。

 視線に気がついたのか亜紀がこちらを向いた。截が無事を確かめるようにその姿を確認していると、まるで親の仇を見るような目で睨まれた。ズキりと自分の中で何かが痛み声を漏らす。

 截は彼女から視線を逸らすと、未だぼうっとしている唐沢に向って再度声をかけた。

「早く行きましょう。サボテン人間たちが少しは防波堤になってくれる。今立てば何とか逃げられるはずです」

 その言葉でようやく唐沢は貴婦人の前から離れた。倒れている長島を引き起こし、彼の肩を担ぐ。截は一瞬長島をここに置いて行くべきだと思ったが、その意図の非情さに気がつき、すぐに考えを振り払った。自分がキツネになったような不快感を抱く。

 先ほどの亜紀の目が無意識の内に頭の中に浮かんだ。

 ――……生き残るには必要なことだ。この地獄を抜けるためには甘いことなんか言っていられない。今だって冷静に対処したからこそ、犠牲者を出さずに乗り越えられたじゃないか。

 三年前の自分だったのなら、きっと亜紀たちを囮になどせずに他の手段を講じたことだろう。だがその結果、必ず誰かが大きな傷を受けることになっていたはずだ。成長しただけなんだと己に言い聞かせる。

 昔とは違い、大型感染生物を相手にしても一撃も攻撃を受けてはいない。今の戦いだって、ほとんど自分のシュミレーション通りに事が進んだ。何を後悔する必要があるというのだろうか。所詮亜紀は戦いの中に身を置いていないただの一般人。気にする事は無いとそう納得する。

 これが強引な考えだということは分かっていたが、そうしなければ截は前に進む事が出来なかった。

 悩んでいては生き残れない。亜紀を、彼女の命を守れないのだから。








 抱きつくように体を拘束していたサボテン人間の腕を振り解くと、肌に薄く刺さっていた針の傷みを感じた。出血するほどではないが、微妙に痒みを覚える。

「勝ったみたいね……」

 ほっとしたように息をつきながら千秋がこちらを向き微笑んだ。一歩間違えば死んでいたかもしれないこの状況でそんな笑顔を作ることが出来るのは、さすが特殊部隊の隊員というところだろう。自分とは大違いだと亜紀は思った。

「さっきはどうなるかと思ったけど、まあ結果オーライかな。こっちに死人は居ないし、最高の状態ね」

 そう言って彼女は截の方へ顔を向ける。さすが黒服の隊員だとかなんとか聞こえたが、自分にはまったくそんなことは思えなかった。ただ、こんな狂った状況の中でも最善手を打ち続けることの出来る彼が怖かった。まるで人間ではないような、この異常な世界でしか生きられない生き物のような、そんな恐怖を感じた。

 恐々眺めていると目が合った。鋭い刃を突きつけられているかのような威圧感を感じ思わず身構える。彼はそんなこちらの様子を見て視線を逸らしたが、何となくその包帯に包まれた横顔が寂しそうに見えた。

「ほら、あなたたちもしっかりして。大丈夫?」

 泡を吹き出さんばかりに口と瞳孔を開いて固まっている麻生と、小さく縮こまっている夏に苦笑いを浮かべながら千秋が呼びかける。二人とも青い顔をしていたが、何処にも怪我などは受けていないようだ。極度の恐怖で血の気が抜けただけなのだろうと亜紀は同情した。

「も、もう嫌だ。早くここから出たい……!」

 千秋に肩を叩かれ魂を肉体へと戻した麻生は、半目に涙を浮かべてそう呟いた。

「男のくせに弱音を吐かないでよ。上にいるのはあなた以外みんな女なのよ。恥ずかしくないの? まだ女子高生の夏ちゃんだってこんなに頑張ってるっていうのに」

「うるさい! 怖いものは怖いんだから仕方がないだろ。大体お前は元々そっちの世界の人間じゃねえか。俺の気持ちの何が分かるっていうんだ」

 血走った目で怒鳴る麻生。千秋は一瞬頭に血が上ったようだったが、彼の気持ちを考慮したのかそれ以上何も言わなかった。

「おい、あまり騒ぐな。鬼を呼び寄せたいのか?」

 麻生の声が聞こえたらしく、地下一階から唐沢が唸る。何故か分からないが、その表情はどこか満足げに見えた。もしかしたら貴婦人を倒せたからかもしれない。

「行くぞ。彼女の息が続いている間にここを離れる。早くしないと鬼が侵入してくるからな。横のパーティー会場の状態を忘れるなよ」

「そうね。……行きましょう」

 すぐに、千秋が返事をした。

 ”大丈夫なんですか?”

 亜紀は唐沢の抱えている長島を見て心配になり、そう聞こうとしたが、喉は接着剤で塞がれたかのように音の放出を許さなかった。

 自分がただ生きているだけの付属品のように感じる。何も出来ず、助けられ、利用される。一体いつになったらそんな状態から抜け出すことが出来るのか。三年前から全く成長していない己の状態に、亜紀は心底嫌悪感を抱いた。









 どす黒い水が大量に残留している。

 本来は緩やかな速度で絶えず流れ続けているはずのその水は、今は時間を停止させられたかのように定位置に留まっていた。

「六角はどうしている?」

 長い癖毛を掻き混ぜながら東郷は楽しそうな笑みを浮かべた。地下水路全体にその低く渋い声が木霊する。

 問いを受けたタヌキは明るい声で答えた。

「まだ詰め所へ閉じこもっているみたいですよ。そこら中鬼だらけですからね。助けが来ない限りはしばらくはあのままでしょう」

「外へのルートは全て完全に潰したのか? ヘリはどうだ」

「勿論手は打ちましたよ。感染体と化した同士たちが何人も徘徊しています。あれならば例え私でも突破するのは不可能でしょう。鬼が居ることはイコール行き止まりですからね。通り抜けられる人間が居るのならば是非見てみたいですよ」

 この常世国で異常事態が起きれば、まず最初に考えられる重役の逃走手段はヘリしかない。商業エリアでバイオハザードを起こすと同時に、当然そのことを考慮してヘリポートへと繋がる階段にもタヌキは部下を送り込んでいた。実際、それが幸を帰して六角行成は脱出することが敵わなくなったのだ。

「そうか。予定通りだな。ならば奴らは必ず地下を目指すはず。下の研究所とヘリポートは物資の運搬を行うために高速エレベータが直通している。いくら我々といえどもファーストブラックドメインへの侵入は難易度が高い。水路から外へ出る道は全て封鎖されているし、『こいつ』をここへ置いている以上、それ以外にどう頑張っても逃げ道は無いだろう」

 僅かに盛り上がり気泡を浮かべている水面を見つめ、東郷は口元を歪めた。

「では計画通りですね」

 東郷の笑みに合わせるようにタヌキもにんまりと笑顔を浮かべる。

 この地下水路はかなり古いもので、もう何年も前から使われてはいない。動いているものといえば空調くらいなものだ。地上へ出るための扉は万が一感染生物が流失した場合に備えて固く閉じられているし、こちらの兵器を置いておけば超感覚を持つ六角が気づかないはずは無いだろう。彼がここを通る可能性は殆ど無い。

 だからこそ、こうして自分たちディエス・イレが地下への侵入ルートとして利用出来るのだ。上へ行く道は無くとも下へ行く道がここにはある。制御不能な鬼とは違い、水路へ配備した兵器はある程度操ることが可能なもの。六角らにとっては死の道でも、自分たちにとっては安全地帯でしかなかった。

「ああ。これで六角は必ずファーストブラックドメインへと入る。最初の『成功例』にしてイミュニティーの支配を拡大させた諸悪の根源。あの場所へな」

 東郷の言葉を聞きタヌキは静かに頷く。

 六角行成を殺すためだけなら、ワザワザこんなバイオハザードを引き起こさなくとも、それを成し遂げるための手段はいくつかあった。毒殺、待ち伏せ、狙撃、ET CETERA……

 だが彼が死んだところでイミュニティーには新しい代表が生まれるだけだし、結局のところ何も変わりはしない。東郷が、ディエス・イレが今回のテロを起こした理由は他にある。

 イミュニティーの壊滅。

 そのために多くの人員を犠牲にして、こうして六角を泳がせているのだ。

 イミュニティーにとってもっとも不味い事態はイグマ細胞の存在が世間に知られ、国内で組織を維持出来なくなること。東郷はバイオハザードを起こすことでその事態を実現しようと考えていた。

 悪魔以上の性能を持った鬼が溢れている今、イミュニティーはその対処で手一杯なはずだ。これ以上さらにファーストブラックドメインの生物までもが流出すれば、その被害を抑えきることはほぼ不可能になるに違いない。

 最悪の場合は水憐島のように大規模爆破を行い事態を収拾しようとするかもしれないが、六角が内部に居る事でそれはある程度遅らせることが可能だ。どの組織も最高司令官の命が重要なのは変わらない。そしてだからこそ、東郷の思い通りに計画は進んでいた。

 ただイグマ細胞を撒くだけならばディエス・イレでも簡単に出来る。イミュニティーが、国が引き起こしたという事実が重要なのだ。国が運営していると正式に表明しているこの常世国でそんな事態が起きれば、どんなに頑張っても政府の関わりは否定できない。限界まで内部で感染者を増やし、後で一気にそれらを開放すれば、もはや事態を収拾することは完全に無理だろう。感染者たちは瞬く間にマスコミの前へと出現し、その存在を世間に知らしめるはずだ。

 『厳重管理下にあった政府の商業施設から、謎の化物が溢れ出る。国家の極秘研究か?』

 そんな新聞の見出しが頭に浮かび、タヌキは下品に小さく笑った。

「ブラックドメインの化物どもを開放次第、『こいつ』に外との壁を粉砕させる。爆発物を使ってもよかったが、やはり演出は派手に越したことはないからな」

「ではもう行きますか? スパイが持ち込んだ『こいつ』も既に十分な大きさに成長したことが確認出来ましたし、ここでの用事は終了しました。イミュニティーの調査隊も来ないようですし、私たちもブラックドメインへと向いましょう」

 早く計画を成功させたかったタヌキは、はやる気持ちを抑えきれないようにそう言った。

「いや、もう少し待とう。下への侵入は六角が中へ入ってからの方が都合がいい。今感染生物を開放すれば、それを恐れて奴が地下へ向わない可能性がある。それにそもそも奴らが行かなければ俺たちがブラックドメインへ入ることは不可能だ」

 事前に送り込んでいたスパイでも地下研究所までしか紛れ込むことは出来なかった。ブラックドメインの管理対策は万全であり、例えこうしてバイオハザードという異常事態が起きた今ですら、全く影響が無いかのようにそのセキュリティーは機能している。六角が下へと進みセキュリティーを突破するまで東郷たちが地下へ降りることは叶わない。

 貴婦人を解放したスパイが流したコンピューターウイルスには、六角らがセキュリティー解除のために使用するIDや指紋、声門、網膜、手相などのデーターを全てコピーし、擬似的に同様のものを作り出す機能が入っている。しかしその機能を利用するには六角が自分たちよりも前にブラックドメインへと入ることが必要不可欠であるため、現状としては東郷たちはここへ留まざるしかないのだった。

「それに、別働している同士が合流するためにここへ来る可能性もあるしな。今は下手に動かない方がいいだろう」

「そうですね。それでは……しばらくは引き続き六角の監視と同士の活躍を見ることに期待いたしましょう。じっとしているのが苦手な私としては非常に退屈かつつまらないことですが」

 心の底からそう思っているかのように、タヌキは肩を落とした。それを見て、東郷は同情するようにワイルドに笑った。









 

 倉庫街から職員用通路へと入った截たちは、すぐに足を止めざる負えなかった。

 電灯が消えていることは分かっていたが、実際に中へと踏み込むとあまりの暗さに反射的に尻込みしてしまう。

「何しているんだ。進まないと鬼に追いつかれるぞ」

 パッと懐中電灯の光をつけ、面倒くさそうに唐沢が呟いた。足元すら見えない暗闇の中で輝くその僅かな光が、逆に恐怖心を引き立てる。遠くの方から僅かに聞こえる鬼の声が、恐ろしく不気味だった。

 このままではまともに進むことが出来ないと判断した截は、何とか皆を安心させようとした。超感覚者であると亜紀に悟られないように、言葉を選びながら口を開く。

「僕は長年の経験から鬼の気配を察知出来ます。それに唐沢さんの知識があれば迷わず宿泊エリアまで進むことが出来る。何も心配することはないですよ」

 だがその言葉を聞いた麻生がすぐさま怒鳴り声をあげた。

「何が心配することはないだぁ? 人様を囮として利用するような奴の言葉なんか信用できるか! どうせピンチになればまた俺たちを使って逃げるんだろ」

「ちょっと麻生さん!」

 千秋が迷惑そうに顔をしかめる。声量が大きかったからか、それともここで争いたくなかったからか、截にはそのどちらにも見えた。

「そんなことを言っても他に道がないんだぞ。だったらお前一人でここに残るのか?」

 唐沢が飛ばした鋭い野次に、麻生は「うっ」と声を漏らして黙る。

「生き残りたかったら黙って従え。少なくとも俺とこの截くんにお前を守る義務なんか無いんだ。一緒に行動させてるだけでも儲けもんだと考えることだな」

 正論であるため言葉を返すことが出来ないようだ。唇をギリギリと塞ぎ、麻生はぷいっと視線を逸らした。

 話が纏まったところで唐沢はすぐに歩き出す。現状を考えれば当然の行動だ。截も自然にそれに続いた。

「ちょっといいか?」

 横に並んだところで唐沢が耳元へ顔を寄せる。何か話したいことでもあるらしい。大体の内容は予測がついているが。

「……彼女を倒す事に強力してくれたことには感謝している。だから深く詮索するつもりはないんだが……」

 一旦唐沢は言葉を切った。

「お前、本当はイミュニティーの依頼で来たわけじゃないんだろ」

 それを聞いた截は表情を全く崩さずに前を向く。

「何故、そう思うんですか」

「お前が黒服の人間なのは疑っていない。実際にその実力を目にしたからな。だけど、六角代表の身を守ろうとしているわりには焦っている様子が毛ほどもない。まるで代表の命なんてどうでもいいようだ。しかもあの女の子たちに対する行動、どう考えてもおかしい。お前の本当の目的はなんだ?」

「……六角行成の暗殺だとしたら?」

 氷のように冷たい声で截はそう言った。一瞬唐沢は目元を動かしたが、すぐにそれを否定した。

「ありえないな。だったらディエス・イレに敵対するような行動を取るはずがない。貴婦人は生かしておく方がお前にとっては都合がいいはずだ。もし本当に暗殺目的ならばここの地理を理解しているのは当たり前だし、俺の補助は全く必要ない。お前の行動は全くここの内情を知らない観光客のそれと同じだ」

 深く詮索するつもりはないと言っておきながら、唐沢はずいずいと踏み込んでくる。截は軽い溜息を吐いた。

「僕の目的を知って、あなたはどうするつもりなんですか?」

「返答によってはお前を拘束する――って言いたい所だが、戦っても勝てそうにないしな。実際のところは何も出来ないさ。ただ興味本位で聞いているだけだよ。もしお前と争うにしても詰め所へ辿り着いてからの方が楽だしな」

「……ただここから出たいだけですよ。常世国へは個人的に興味があって訪れていただけです。別にあなた方に害を与えるつもりはない」

 截は正直に答えたのだったが、唐沢はそれを嘘だと思ったようだ。片目を吊り上げながら截から顔を離した。

「どうあっても本当のことは言いたくないようだな。ま、別に構わないが。俺には何の関係もないことだし」

「イミュニティーに在籍しておきながら関係ないはないでしょう」

「関係ないさ。どうせ貴婦人の責任を取らされて俺はもう解任だ。研究自体は残るだろうが、別の人間が引き継ぐことになるだろう。お前に聞いたのは本当にただの興味本位だよ」

 唐沢は首にぶら下がっていたネクタイをさらに緩める。いっそもう取ればいいんじゃないのかと截は疑問に思った。

「それに……――気になることもあるしな」

「気になること?」

 何か重要な話が始まるような予感がして、截は耳に意識を集中させた。だが唐沢ははっとしたように顔を上げると、それ以上何も口に出すことは無かった。

 追求しようとすると、截の第六感――絶対危機回避感が警報を発する。どうやら近くに鬼が接近しているようだ。右斜め前へ神経を集中させつつ、その胸を手の動きで唐沢へと知らせる。黒服独自のコミュニケーション法だったが、イミュニティーでも意味は伝わるらしい。唐沢は軽く頷くと最後尾を守っている千秋へ截と同様の連絡を送った。

「ついてるな。敵が右にいるのならこのまま進んでも大丈夫だ。お前が感じ取った奴の場所からではここまで来るのに大きく迂回する必要がある。物音さえ立てなければ問題はないさ」

 どうやら感じた鬼は壁の向こう側に居たということのようだ。唐沢の囁きを聞き、截は緊張を幾分紐解いた。

 やはり唐沢を同行させて正解だ。自分の感覚だけでは鬼の居場所は分かっても、正確にそこを避けて目的地まで皆を誘導することが出来ない。最悪の場合は鬼を避けるあまりどんどん奥地へ進み、奴らに挟まれにっちもさっちも行かなくなるような危機を呼んでいたかもしれない。自分が判断を誤っていた場合のことを考えると少しだけ寒気がした。

 唐沢の知識と截の感覚。この二つが揃って初めてこの暗闇の中を進むことが可能となる。どちらかひとつが欠けていては決して生き延びれはしない。少なくとも截には他にこの道を進む手段は想像出来なかった。

 ある程度進み、間もなく反対側の宿泊エリアへと到達するかどうかという頃。截は再び死の危険を感じた。

 ――不味いな。唐沢さんの話だとここは一方通行だ。他に宿泊エリアへ出るルートは無い。戦うしかないのか?

 音の反響や空気の流れから察するに、今まで歩いてきた場所とは違い、ここは多少開けた場所となっているようだ。食べ物の臭いがすることから、小さな椅子や机を隅に配置した休憩所があるのかと予測した。

 こちらの指示を受け取った唐沢が皆を下がらせる。截としては唐沢や千秋と協力してベイト・トッラップを使いたかったのだが、この暗闇では二人ともまともな戦闘を行えるとは思えない。仕方が無く一人で前へと進んだ。

 強力な鬼だろうと五感に頼っているところは人間と同じ。身体能力に差異はあるものの、自分には特殊な感覚がある。ある程度の苦労はするだろうが、今の状況ならば一対一で勝てないことも無いと感じた。

 転がっている空き缶などを踏まないようにするためと、足音を立てないようにすり足で進み、暗殺者のように相手へと近付く。

 接近したことで截は相手が鬼とは全く違う存在だと知った。

 ――なっ、この感覚……これは……――

 刹那、足が何か糸のようなものに引っ掛かる。と同時にカランカランと鈴を鳴らすような音が真上から聞こえた。

 瞬時にそれが何かを理解する。

 鳴子だ。

 一直線に張ったワイヤーやら糸状の物に鈴や音の出る道具を括り付け、何者かがその糸へ触れることで警告音を鳴らすという、元々は畑を守るために農民が考えた手法。これがあるということは相手は鬼ではない。――人間。

 勿論イミュニティーの隊員が仕掛けたものが残っていっただけだという可能性もあったが、截はたった今相手が人間であることを感覚で理解していたため、その考えはすぐに頭の秘境へと消え去った。

 ――気づかれた! ディエス・イレの一員か!?

 慌てて鳴子から離れて後方へと飛びさがる。するとすぐ目の前の空気を何かが過ぎった。ヒュンという高い音が耳に届く。恐らくは小型ナイフに類するものだろう。

 相手が人間である場合は截の感覚の効果は減少する。人間ならば純粋に命を狙うのではなく、捕獲や様子見など余計な動作が入るからだ。向こうもこちらの正体が分かってはいないため、現状はその典型的な例だと言えた。

 相手の所属を確かめようと声を出そうとするが、直前で思いなおし口を閉じる。

 相手がイミュニティーの隊員だった場合はそのまま和解出来るだろうが、もしディエス・イレだった場合はただこちらの居場所を知らせるだけになってしまう。向こうが自分のことを人間か感染者か判断仕切れていないうちに、制圧してしまうのがベストだろう。多少強引すぎる気もしないではないけど。

 謎の敵はこちらが後方へ逃げたことを推測したのか、別の飛翔物を飛ばしてきた。感覚で予知した截はあっさりとおれをかわし身を屈める。が、横に動いたことで今度は別の鳴子に腰が当たり、再び鈴のような音が背後から響いた。

 ――おいっ、一体何個これを仕掛けてるんだよ!

 舌打ちしすぐにそこから離れようとする。しかしいきなり背後から危険を感知した。敵が潜んでいたわけではなく突然生まれた危機の感覚。わけが分からないまま截は黒柄ナイフでそれを弾く。散った火花の光で確認すると、どうやらヒモで引っ張られたらしいポールのようだった。

 火花で場所がばれたため再びそこから離れようとする。暗闇の中だというのに、先ほどからいいように相手に翻弄されている。普段は冷静な截も、この初めて味わう、手の平で踊らされるような感覚に多少の怒りと焦りを覚えた。冷たい汗が背筋を伝わる。

 相手は相当な実力者のようだ。間違いなくただの使い捨てのテロリストでも、三流隊員でもないだろう。もしかしたら黒服なのかと疑問を持つ。

 このままではすぐに追い詰められると思い、截は逆に相手の罠を利用することにした。

 左へ飛ぶと同時に小型ナイフを先ほど腰で押した鳴子へ向けて投げつける。足の着地と合わせてそれが激しく響く。これで相手は自分の居場所を見失うはずだ。

 再び右手の鳴子付近へ向けての攻撃音がなったが、それには構わず截は一気に前へと詰めた。この相手と時間をかけて戦うべきではない。どんな仕掛けを用意しているか分からない以上、瞬時に制圧しその策を防ぐべきだ。

 左手から感覚をたよりに相手に接近したとき、今度は何故か突然足元に段差が出現した。全力で移動していた截は見事にそれに足を取られ、前のりにつんのめる。

 思わず「またか!」という感想が浮かんだ。

 体と地面で強烈なハグを行う音が鳴り響き、相手の攻撃をさけるために急いでゴロゴロと横へ転がる。感触から足元にあったのはダンボールだと気づいたが、今更遅い。

 転がり始めた直後、そのダンボールの目の前へと巨大な何かが落下したようなぐしゃりという鈍い音が聞こえた。一歩遅ければあれが自分の頭に直撃していたかもしれない。

 戦慄し、截は唾を飲み込んだ。

 だが、幸いなことに相手へは近づけたようだ。今まで自分が引っ掛かった罠の位置は全て確認しているし、もうそれに気を取られるようなこともないだろう。立ち上がり真正面にいるであろう相手へ向って突撃する。また何かしらの罠が仕掛けられている可能性も踏まえ、自分と相手の中間地点に小型ナイフを投げつけた。案の定、変な金属音がなる。

 截はその得体の知れない罠を飛び越えると、ようやく相手の眼前へと辿り着いた。足を地面に着きながら右手のナイフを振り下ろす。敵か見方か分からないため勿論刃は裏返している。

 こちらの接近を知ったのか、相手は後方へとさがったようだ。截のナイフが空を切り、その一歩分奥で物音が聞こえた。

 ――逃がすか――!

 距離を開ければ何をされるか分からない。これ以上ホラー映画さながらの霊的な攻撃を受けるのは是非拒否したい。すぐに截は踏み込み、右腕を引く力で左腕のナイフを繰り出した。

 それが届くか届かないかという所でいきなり目の前に強烈な閃光が走る。懐中電灯の光だ。

 相手はこちらが完全に虚を疲れたと思ったらしい。隙をつくようにその手にもったナイフを動かす。

 しかし、目の前の人間にはそんな光など無意味だった。

 不意打ちも、姿を隠す事も、その動きすらも全てを否定する感覚。絶対危機回避感という圧倒的な有利性。

 その力によって、截は光の嵐など構いもせずに相手のナイフを防ぎきる。

「何!?」

 初めて驚いたような相手の声が聞こえた。

 ――悪いな。俺は普通じゃないんだ。

 接近戦に持ち込めばこっちのもの。截は防いだ左手のナイフを円を描く様に回し相手のナイフを封じると、右手に持ったナイフでその首元へと刃を当てた。

「俺の勝ちだ。武器を捨てろ」

 そう力強く鋭い声を放つ。かなりギリギリの勝利であり、一歩間違えば拘束されていたのは自分の方だっただろう。超感覚が無ければほぼ九十九パーセントそうなっていたに違いない。

 相手は諦めたのか、苦々しげにナイフと懐中電灯を捨てると両手を上に上げたようだった。

 ころころと転がっていた懐中電灯が二人の姿を壁に映し出すが、闇の中で放たれる光が強すぎるためにお互い相手の正体を確認出来ない。すると、相手の背後から足音が聞こえ向かい合っている二人の方向へとそれが近付いてきた。

 新手かと截は用心したが、その人物はこちらの様子を理解していないのかばたばたと物音をたてながら何か動き回っている。

「誰か知らないが止まれ。この男を斬るぞ」

 まるで悪役のような低い声で截が怒鳴ると、その足音の主はひゃあ!?などと奇声をあげながらどこかにぶつかった。壁のようだ。

 偶然か狙ってのものか、突然周囲が明るくなる。

 唐沢は職員用通路の全ての電灯が破壊されたとは言っていない。相手は電気を消す事で自分たちの罠を隠し、有利に動こうとしたようだ。まさに敬服に値する手腕だった。だが今はそんなことはどうでもいい。まったくもってどうでもいい。

 截は相手の顔を見た瞬間、思わず呟いてしまった。

 言ってはいけない一言を。

 今この場でそれを口に出すことがどんな結果を生み出すのか、考えもせずに。

 自然に。

 無意識に。

 流暢に。

 かつてもっとも信頼した男の名前を呼んだ。

「――友――……!」







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