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<第七章>貴婦人(フォルセティ)



 亜紀たちが感染するには貴婦人との接触が必要不可欠。サボテンに捕まってもすぐに化物にされることはない。だからその「声」が聞こえたと同時に、截は攻撃の優先対象を目の前の怪物へと変えた。

 彼女の討伐こそが皆の生存率を上げる最大の要因なのだから。

「ポォォォゥゥウウウ――」

 扉の奥から茶色の巨体がその全様を電灯の元へと晒す。イグマ細胞は遺伝子の関係から男性とは結びつき難い。大型感染体に女性の姿が多いのもそれが理由だ。截は僅かに生前の形を残した彼女の整った顔を見上げると、その不幸な死体の行進を終わらせるために刃を視線の先へと沿えた。

 ――こうして間近に立っているのにまだ『感覚』に反応が無い。こいつの興味対象が俺に向いていない証拠か。

 普通、殺意や敵意を向けられれば、截はすぐにそれを感じ回避行動へと移ることが出来る。正当な殺し合いではない、日常の訓練でも反応することから、截はその感覚無しでの戦闘というものをこれまでに経験したことは無かった。亜紀の身に対する心配と合い重なり、不安は益々強まっていく。

 貴婦人が截に対して持っている認識はそこら辺に転がる石へと同じものだ。邪魔だから退かす。

 死のうが、生きようがその結果には興味が無い。ただ怪我人という、自分の役目を果たす存在を得るための路線上から消えさえすればいいのだ。

 そんな意思で繰り出される攻撃に截の感覚が反応することはありえない。いや、正確には命を直接奪える程の攻撃なら反応するのだが、ただ目の前のものを退かすだけの動作に殺傷能力などあるわけがない。截にとってはある意味、これは突然「盲目」にされたのと同然の状態だった。

「何している、来てるぞ!」

 唐沢の怒声が真横から衝突する。反射的に後方へ跳ね退くと、目の前の空間を貴婦人の腕が横薙ぎにしていた。まるで障害物を払いのけるような動きだ。あれでは直撃しても殆どダメージは受けないだろう。

 ――くそ、なんてやりにくい……!

 いっそあのぷにぷにした手の先に刃でも付いていればよかった。そうすれば自分の感覚は反応することができるのに。

 目、耳、肌、第六感以外の全ての感覚器官を総動員して貴婦人の猛威から逃れる。どれも直撃する目と鼻の先で、囮として攻撃する暇など全く無かった。これでは唐沢も動くに動けないななどと内心思いながらも、それでもただギリギリで回避を続けることしか叶わない。時間だけが無駄に過ぎて行った。

 自分がやらなければならないことは囮。貴婦人とサボテン人間たちの注意を引きつけること。出血を意図的に作り出せば簡単にその役目を担うことは出来るだろうが、そうなれば距離的に考えて全サボテン人間と貴婦人の注目を一身に集める事となる。感覚が発揮されても、その状態を脱することは極めて難しいだろう。だからサボテンの数が多数残っている今は、まだ傷を作るわけにはいかなかった。

「おい、後ろ!」

 長島が姿を隠すことも忘れ叫んだ。何事かと思った途端、強制的に動きが止められる。

 亜紀たちに近付かせないようにと貴婦人に意識を集中させすぎていたようだ。突然真後ろから伸びた針塗れの手に肩や腕を押さえつけられた。

 その隙に貴婦人は階段の方向へと進んでいく。

「離せ――」

 危機感を感じた截は肘でサボテンの腹を何度も打ったが、その効果は殆ど無く、拘束は緩まなかった。相手が人間なら、正面から押さえつけられているのなら、まだ対処の方法もいくらかあった。しかし今の相手はイグマ細胞に感染した人外の化物であり、内臓を食いちぎられても平然としているような生き物だ。こちらの抵抗など全く意に介さないように、忠実に自身の本体の命を実行する。

 ――亜紀……!

 背中に突き刺さる数多の針の痛みを感じながら、截は声無き女性の身を案じた。







 サボテン人間と化した瞬間、住岡はすぐに亜紀へと飛び掛った。彼女の腕から流れる奇麗な血液を指針に、その本能のまま膝を伸ばす。

「下がって!」

 両手を前に突き出しながら激走してくる住岡を嫌悪感タップリの表情で見ると、千秋は長島と同時に手に入れた鉄柱でその頭を横薙ぎに殴り飛ばした。数本の前歯を撒き散らしながら吹き飛んでいく住岡。 彼がよろけるのに合わせ、渾身の蹴りを浴びせる。威力自体は大したことは無いのだが、体勢を崩していたことと押し出すような蹴りだったため、住岡の体は階段まで戻りそのままそこから転げ落ちていった。

 鈍い音が弾ける。下を覗くと、住岡は首の骨を折り、絶命しているようだった。

「し、死んだのか!?」

 こちらの背中を防波堤のようにし、麻生が青い顔を覗かせる。千秋はそんな彼の情けない姿を呆れたように見ると、すぐに階段から離れようとした。

 多数の足音を響かせ自分たち目掛けて迫ってくるサボテン人間たちの姿が眼下に移る。

 亜紀と麻生が傷を受けてしまったのだ。もはやこの場所も安全地帯ではなくなっていた。

「みんな、移動しないと捕まるわ。逃げるわよ!」

「逃げるって、どこへ?」

 左右の先を見据えながら夏が聞いた。

 地下からこの一階へと通じる道は左右の階段のみ。二つともサボテン人間たちが駆け上がっている真っ最中であるため、事実上逃亡は不可能だ。突然訪れた危機的状況に千秋は打開策を思いつくことが出来なかった。

 悩やんでいると亜紀の姿が目に入った。震える拳を握り締め、左側の階段へと顔を向けている。

 長い付き合いとは言えないが、千秋は彼女の性格は熟知している。当然その考えている内容もすぐに分かった。

「駄目、亜紀ちゃん。麻生も傷を受けているし、この状況じゃ例えあなたが囮になっても意味はないよ」

 引きとめるようにそう言ったのだが、亜紀は躊躇ったような表情を浮かべた。優しい彼女のことだ。自分たちの身を案じてくれているのだろう。

「貴婦人にさえ触れなければ感染することはないはず。今はもう、下で戦っている截さんたちを信じるしかない。何とか決着がつくまでここで持ちこたえよう? 大丈夫、私だってイミュニティーの一員なんだから」

 鉄パイプを前に掲げ、出来るだけ力強く微笑む。

 それを見て亜紀も覚悟を決めたのか、走り出そうとしていた構えを解いた。

 針がコンクリートに擦れる「キン」、「キン」という音があちこちから聞こえる。それは瞬く間に大きくなっていき、とうとう階段の上へと音源を移した。

「うぁああ、も、もう終わりだぁ……!」

 泣き叫ぶ麻生。絶句する夏。そして鋭い視線を飛ばす亜紀。

 こちらを虚無感タップリの目つきで見つめると、サボテン人間たちは波のように押し寄せた。







 右手に持った白柄ナイフを逆手に変え、背後のサボテン人間の心臓を穿った直後。截は自分が逃したサボテンたちが階段を駆け上がっていく様子を見た。

 このままでは上に居る生存者たちが、亜紀の身が危ない。あれほどの数のサボテンが相手では四人が捕まってしまうことはもはや不可避の現象だ。そして捕まれば、貴婦人は簡単に彼女たちを感染させることが出来る。

 截の決断は早かった。

 ――どっち道このままじゃ戦えないんだ。ならいっそ……――

「な、おい!」

 長島と唐沢が正気を疑うような視線をこちらへ向ける。

 だが、そんなものになど一切の抵抗も感じず、截は己の腕へとナイフを振り下ろした。

 裂かれるレインコート、灰色のシャツ。飛び散る真紅の雫。

 ――さあ、これで……――

 額に脂汗を流しながら左斜め先へ視線を向ける。

 同時に、行進を始めていた貴婦人の足が止まった。








「まだ無数のサボテンが残ってるのに――あいつ、本気で自分を傷つけやがった……!」

 彼の考えは分かる。理解出来る。だが、果たして自分がその立場にいたとしたら、同じような判断を下すことが出来るだろうか。

 截の決断の早さ、その覚悟の強さ、自分には到底真似の出来ない彼の行動に、唐沢は「ゾクッ」とした奇妙な畏敬を抱いた。

 「巣」の前であるこの場所だからこそ分かる。一階に残っていた生存者たちへ向っていたサボテン人間たちの半数が、截の自虐的な策に反応し、その体を反転させた。これで截は貴婦人の「治療」の対象になり、もっとも優先されるべき近い場所にいる獲物となった。総勢十数名のサボテンン人間に加え、貴婦人という巨大な怪物の矛先が全て彼へと向けられる。

 普通なら生き残ることは出来ない。

 普通なら生き残れるとは思えない。

 圧倒的な脅威を前にした絶望。

 心の底から感じる生命の危機。

 その渦の中で彼はどんな苦悩を、どんな恐怖を味わっているのだろうか。

 科学者としての観察と純粋な興味から唐沢が目を向ける。だが、飛び込んで着たのは全く予想外の表情だった。

 それは間違う事無き「笑み」。

 怯えていないわけでもない。

 尻込みしていないわけでもない。

 だがこの破滅的な状況の中で、彼は確かに笑っていた。







 突然重力が倍化したかのように圧し掛かる「危機の感覚」。

 物心ついた時からずっと共に過ごしてきた自分の第六感、生存力の要。

 それが、己の腕を傷つけたことで甦った。

 背後から、左右から、己の身を拘束しようと狙うサボテン人間たちの脅威。

 真正面に立ち新たな怪我人を治癒しようと本能のままに鳴き唸る貴婦人。

 改めて感じる危険という名の雨の中、全身に鳥肌を立てながらも截は薄く笑った。

 これこそが自分の居るべき世界。

 これこそが自分の過ごしてきた次元。

 これでやっとまともに戦うことが出来る。

 これで役目を果たすことが出来る。

 所詮自分は死んだ人間。感染者と戦うために作られた刃。

 恐怖を感じない戦いなど、不自然極まりないものだ。

 唐沢や長島とは違い、この状態こそが、もっとも截にとって戦い易い環境。

 何故ならば黒服は、截は、”死者の船”ナグルファルの船員なのだから。

「ポゥゥウウウォオオォォオ!」

 優しいようで不自然なほど冷たい貴婦人の声が、こちらに向って波紋を広げる。

 上階を目指していたサボテン人間たちが、我先にと階段を駆け下りる。

 截は反時計周りに倉庫街の中を移動すると、向かい側にある階段を目指した。あの場所ならば敵の攻撃を正面のみに固定することが出来そうだ。

 追いつかれるのが早いか、自分が辿り着くのが早いか、一対多数の戦いが始まった。

 

 





 全感染者の視線が截へと集中している。これなら頑張れば貴婦人の背後をつけるかもしれない。

 横で呆けたように口を開けている長島の肩を叩くと、唐沢はようやく行動を開始した。

 いくら截が黒服のメンバーとはいえ、このあまりに多勢に無勢の状況では、彼が死を迎えるまでの時間はそう長くは無い。貴婦人はサボテン人間を手足のように扱うという特性上、必ずその本体は一番後方に待機される。その隙をつくことが出来れば、彼女を倒すことは可能なはずだ。ナイフを持った手に溜まる汗のヌメリを感じながら、截と同様時計回りの方向へ、慎重に進み出す。自分たちは何の怪我も負っていない以上、堂々と歩いても攻撃を受けることは無いのだが、それでも認識されているとされていないとでは作戦の結果は大きく変わる。出来るだけ貴婦人の視界に入らないように気をつけ、亜紀たちが待機している場所の下へとこっそりと立ち位置を変えた。

「どこを狙うんだ?」

 鉄柱を握りしめた長島が気迫に満ちた表情で聞いてくる。

「感染体といえども、有機生命体であることにはかわらない。脊髄や脳に大きな損傷を与えることが出来れば、彼女を止められる。近くまでいったら、長島さんはあいつの横に飛び出して意識を逸らしてくれ。俺は逆方向から止めを刺す。まあ、截と合わせて二重囮って呼ばれる戦法だな」

 かつて実践部隊に配属されていた時の経験を思い出し、自然に形式化されている戦い方の呼称を口に出した。当然長島にはその言葉の知識は無いが、大体の内容は理解出来たようだ。質問もなく唐沢の後に続いてくる。

「あともう少しサボテンたちが離れれば傷害も無く貴婦人の真後ろまで迫れる。あの男がそれまで何とかもってくれるといいんだが」

 『ベイト・トラップ』の役目をしている截が死ねば、実質上この場にいる面子の仲で、貴婦人たち注意を引きつけたまま時間を稼げる人間は居なくなる。後のことも考えれば彼を失うのは痛い。唐沢はこの機会に全てを終わらせようと決意を固めていた。







 階段の三段目に飛び乗ると同時に、肩へサボテン人間の手が掛かる。

 截は膝を屈めその手を外すと、振り返えざまに相手の腹を蹴った。一直線に並んでいたサボテン人間たちは、ドミノのように倒れ込む。

 ――ここなら瞬間的に一対一へと持ち込める。こいつら程度なら――

 自分の意思で行動していない彼らには「避ける」、「防御」するという概念が存在しない。ただ貴婦人の命のままに対象を捕獲しようとしているだけ。今の状態ならば、数の差があっても何とかなりそうだと截は思ったが、それはすぐに幻想だと気づかされた。

 十体以上ものサボテン人間が集まれば、その重量も押す力も数に比例して増加する。個別意識を持つ人間ならばともかく、彼らは貴婦人という絶対唯一の精神によって統制された肉の槍。全ての動きが連携しているのだ。兵隊蟻のごとく階段に群がると、仲間に圧し掛かられることも吹き飛ばされることにも構わず、一心にその段を駆け上がっていく。

「まるで歩く壁だな」

 こうなると当然截もさがるしか術がない。半強制的に一階へと体が近付いた。

 間に空間を挟んでいるとはいえここは一方通行だ。向かい側には亜紀たちがいる。逃げ続ければ間違いなく彼女たちの場所へ到達してしまう。他の場所へ行こうにもパーティー会場は塞がっているし、この倉庫街から出ることは出来ない。残された道は二つしかなかった。

 サボテンたちを殲滅するか、特攻して貴婦人を殺す。

 どちらも実現不可能に近い選択だったが、生存者たちに被害を出さないでこの場を収める手段はそれ以外に皆無だ。一歩づつ上へと近付きながら、截は指針の矛先を揺らす。

 答えを出そうと意を決したとき、視界の隅に貴婦人へと近付く二人の姿が見えた。

「唐沢――……!」

 ――もうあそこまで接近したのか。ここで俺が攻め入ればあいつらの行動を邪魔することになる。幸い貴婦人の注意は俺に向いているし、こうなったら、一か八か囮に徹するべきか――!?

 截は己の腕を傷つけた瞬間、生存率の低さから自分の命を唐沢が諦めるだろうと予測していた。だが、意外にも彼は当初の作戦通り後衛としての役目をしっかりとこなしている。ならば、それに乗らない手はないだろう。

 がしっと階段の手すりを掴み、左の空間へ向けて跳躍する。頭から落ちたが、空中で身体を回転し宙返りのような動きで見事に床の上に着地した。

 ――もう後には引けない。頼むぞ、唐沢。

 一筋の汗が頬を伝わりキメ細かい首筋の上を滑る。キッと顔を上げると、弁慶のように仁王立ちし、截は己の四肢へ力を込めた。







この貴婦人戦に対するモチベーションが物凄く低いので、次でこの戦いは終わらせます。友が出てくるとこまでいければきっと執筆速度が早くなる……はず。

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