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<第六章>予期せぬ怪我人

 


無数のサボテン人間が見える。

 貴婦人の巣と化している部屋から数メートル離れた位置で、唐沢と截、長島はダンボールを積んだカートンの後ろに腰を屈めていた。

 その様子を心配そうに上、一階から亜紀たちが見ている。

 三人だけが下に降りたのには理由がいくつかあった。

 一つはサボテン人間の中を進むための機動性の確保。

 もう一つは自分たちがやられた場合に対する、亜紀たちの逃走配慮。

 そして最後の一つは彼らが戦闘に向かないという事実だ。

 麻生と夏は恐怖心が高いためまともに動けるとは思えず、千秋は彼らを守る必要がある。亜紀は感染者にも慣れ戦闘経験もあるが、それを截が知っているものおかしいし、千秋が許さなかったため待機となった。

「いいか。俺たちの優位性は怪我をしていないことだ。怪我さえなければ彼女の注意がこちらに向くことはない」

「でも、怪我人が一人も居ないと襲って来るんだろ?」

 唐沢の言葉を遮るように長島が言った。

「そうだ。その場合は人為的に怪我人を作ればいい。この三人のうち誰か一人が適当に血を流せば、彼女はそいつを追う。その隙に残りの二人で攻撃すればいい」

 三人のうちと言っているが、そうなれば間違いなく自分がやらなければならない。截は唐沢がそれを知っているにも拘わらず、こういった言い方をしていることに苦笑した。

「そうか。まあ、後はなるようになれとしか言いようが無いな」

 腰を上げ自分の頬を叩く長島。気合を入れているらしい。

「さあ、行こう。どうやって攻撃する?」

 そのまま金属棒を握りしめ、意を決したように顔を上げた。この棒は一階の部屋の一つから取ってきたもので、商品を溜めておくための棚を分解して手に入れた。正面から見ればただの棒だが、水平に見るとL字の形に曲がっており、所々にボルトを嵌めるための穴が開いている。唐沢は警備員の死体から抜き取ったナイフを渡そうとしたのだが、長島はこっちの方がいいとそれを拒否したのだ。普段自分で料理を作ることが多いらしく、刃物で仮にも元人間である存在を傷つけたくないとのことだった。

「じゃあ……」

 唐沢が何か言いかけたとき、目の前の巣から住岡が飛び出してきた。大型カートンの背後に居る三人には気づいていないようで、じっと一階の方を見上げている。

 巣から出てきたということは傷を負って連れ込まれていたということ。截は彼が感染しているということをすぐに察した。

「住岡……!」

 同僚の姿を見て一瞬唐沢は声を出しかけたが、彼が感染するきっかけになった理由が己にあると思い至ったのか、開きかけた口を閉じたままにした。

「あの人は? いいんですか」

 ふらふらと階段の方へと歩いていく住岡を観察しながら截が聞く。自分に対する脅威以外は感じることが出来ないため、彼のやろうとしていることには気がついていない。

「同僚だ。もう感染しているだろう。すぐに奴らの仲間になる。気にするな」

 その冷酷な判断に何の感情も抱くことなく、截は次の言葉を吐いた。

「あの人が感染するまでの間は貴婦人が活動しないんですよね。だったら今がチャンスだ」

「正確には『近くに怪我人が居ない場合は』のことだがな。まあ、概ね間違いは無い」

「僕は普段前衛を勤めています。囮をやるのなら僕が一番適していますが、その前に確認させてもらってもいいですか?」

 疑いの篭った目を横へ向けた。

「何だ?」

「あなたは貴婦人に対して何らかの攻撃を与えましたか? もしそうなら彼女の攻撃対象が優先的にあなたに向くことになります。僕よりあなたが囮をした方がいい」

「残念ながら俺は逃げ惑っていただけだ。他の警備員の方が戦闘に関してはプロだし、彼らの動きと彼女の応対を観察して対策を打ち出すつもりだった。だから……君が囮をするのがベストだろう」

 本当かどうかは分からない。だが、戦いが始まれば真実はすぐに明らかになる。この男にしても、今ここで自分の敵意を買うのは望んではいないはずだ。截は彼の言葉を信じることにした。

「……そうですか」

「サボテンたちは彼女本体の意思が無い限り殺意を持って動く事は無い。君が囮として血を流すのは奴らを除去してからだ」

「なるほど、だからさっき鬼に何の抵抗もしなかったのか」

 パーティー会場のことを思い出したのか、長島がそう言った。

「彼女の腕のような物だからな。体の一部と言っても過言じゃない。減らせば減らすほどこちらが有利になる。まずは彼女から遠い位置にいる奴らをおびき出し、適当に倒していこう」

 唐沢は立ち上がると長島の横に並んだ。その手にはナイフが握られている。

「上手くいくといいんですけどね」

 傷が無い間は自分の感覚は役に立たない。感染者と戦うようになってから初めての無感覚、超感覚が無い人間としての戦闘に、截は妙な不安感を感じていた。








 倉庫街の端。そこにある階段をゆっくりと上がってくる住岡を見て、亜紀は背中にぞわっとした悪寒が走った。

 舐めまわす様な、纏わりつくような、ぬるぬるとしたそんな視線を感じる。

 ――……何?

 何となく千秋の肩に腕を寄せ、体を半身に構えた。

「あなた……警備の人? 大丈夫」

 どこか壊れたような表情を浮かべてこちらに歩いてくる住岡を見て、千秋は不審感を顔の全面に押し出す。

 巣から出てきたところから考えるに感染しているのは明白だったが、何故こっちに来たのかが分からない。片腕を背中の方に隠していることが二人の警戒心を一層強めた。

 周囲の雰囲気が変わったからか、夏と麻生も住岡に目を移した。それらの視線を全身で受け止めながら、住岡は口元を横に広げる。

「い、いっぱい居る……! お、俺は一人じゃない」

「な、何言ってんの?」

 よほど不気味だったのだろう。夏が声を僅かに裏返らせた。

「一人は嫌だ……頼む……助けてくれ。こ、怖くて堪らないんだ」

「ちょ、ちょっとこいつヤバくねえか?」

 「はぁ、はぁ」と荒い息を吐き、変質者のように上気した顔で自分の方を見てくる住岡に、麻生は頬を引きつらせた。

 そしてその言葉を合図に住岡が速度を速める。

「も、もうみんな助からない。も、もう駄目だ。なあ、い、一緒に死のう?」

 そこで背中に隠していたナイフを右腕ごと前に出す。目の前まで来てようやく亜紀は彼の危険性を理解した。

「いひひひひひぃぃいいい!」

 住岡が亜紀に向って荒くナイフを突き出す。

「――っく――!」

 千秋は亜紀を横に推すと、左手でそのナイフを逸らした。腕を前に伸ばしたままの住岡は、勢い余って直線上に居た麻生に衝突する。

「はぁあ?」

 違和感を感じ麻生が下を向くと、見事にナイフが腰に刺さっていた。じわーっと赤いシミが服に浮かぶ。傷自体は大して深くは無かったものの、その瞬間麻生の精神は完全な興奮状態へと陥った。

「あぁぁあ!? 血が、ち、血がぁあ!」

 住岡を弾き飛ばし、両手を腰に当てる。そして手についた血液を見て絶叫をあげた。

「きゃぁあぁああ!」

 夏の悲鳴がそれと演奏を奏でる。

 手すりに背中をぶつけていた住岡は何事も無かったように体を起こすと、今度は夏の方を向いた。前屈みになり、血走った目を固定する。

「お、お前も一緒、だ」

「いや、こ、来ないで!」

 夏は階段へと逃げようとしていたが、その前に住岡がそのツインテールの片方をがしっと掴み取った。

「い、一緒……い、一緒……!」

 ぶつぶつとそれを何度も呟き、ナイフを掲げる。

 千秋はすぐに夏を助けようとしたが、青い顔で酔っ払いのようにふら付いている麻生に邪魔され、彼女に近付くことが出来なかった。

 あせったように表情を曇らせたとき、千秋が麻生を押した所為で開いた隙間を亜紀が駆け抜けた。

 まるで砲弾のように全身で住岡に体当たりする。住岡は「がひっ」と声をあげながら床の上に倒れた。

 涙目になっている夏を両手で後ろに引っ張ると、亜紀はそのまま逃げようとする。だが、ぐわっと立ち上がった住岡が素早くナイフを振り抜いた。咄嗟に片腕を頭の前に伸ばした亜紀は、そこにじーんとした痛みを感じた。刃の軌道を逸らすことは出来たものの、腕の皮が切られてしまったらしい。腕を斜めに横切るように赤い線が描かれていた。

 痛みにピンク色の唇を歪め、瞼を細める。

 今がチャンスと言わんばかりに住岡は第二撃目を繰り出した。亜紀の無用心な白い喉を目掛けて切っ先を伸ばす。体勢を崩した亜紀がそれを避けることは出来ない。住岡は嬉しそうに高い声を響かせた。

「うひひひひぃぃぃいー! ――げふっ!?」

 ナイフが亜紀の柔らかい肉を貫く前に、千秋の足がその顎を蹴り上げる。住岡は自分の舌を噛んだらしく、意味不明な奇声をあげながら再び倒れた。

「何なのこいつ? 狂ってるの?」

 不気味極まりないといった顔で住岡を見下しながら、千秋は亜紀と夏を背後に隠す。

 住岡はしばらく舌の痛みに転げ回っていたが、突然動きを止めた。驚いたように目を見開き、自分の体を両手で抱きしめる。

 亜紀は感覚的に彼が発症してしまったということを理解した。

「あがぁっ!? あがががぁっ、がががっ!」

 ビクンビクンと体を震わし、住岡の皮膚が薄茶色に染まっていく。四人が見ている前でその全身から無数の針が突き出た。肉を突き破り、血のシャワーを吐き出す。

 最後に顔を天に向ってあげ両手を伸ばすと、口元から血を流しながら住岡の動きは止まった。

 サボテン人間になったのだ。

 ――あっ――

 亜紀が唐沢の言葉を思い出し自分の腕の傷を見たのと同時に、住岡の目がこちらを向く。

 そしてその直後、地下一階にある貴婦人の巣から、無数のサボテン人間たちが噴出した。








 巣のある扉の前まで移動し中の様子を伺っていると、截たちの耳に悲鳴が聞こえた。

 慌てて背後を見ると、先ほど唐沢が住岡と呼んだ男が一階でナイフを振り回している姿が見えた。

「な、あいつ何してんだよ!」

 長島が血相を変え、唐沢が疲れたように頭に手を置く。

 ――亜紀……!

 截はすぐに戻ろうとした。別に彼氏彼女として付き合っているわけでもない。告白したわけでもない。ただ三年前の惨事を共有した、お互いの命をかばい合っただけの相手。自分が彼女を守らなければならないと思うのは実に勝手な考えなのだろう。だがそれでも、彼女に好意を持つ人間として截は亜紀を助けずにはいられなかった。

「待て」

 走り出すより前に唐沢が腕で行く手を塞いだ。截は一瞬一階の面々を囮にする気なのかと思ったが、すぐにその真意に気がついた。

 巣の中で体を揺らしていたサボテン人間たちが、エネルギーを注ぎ込まれたロボットのように動き出したのだ。白く濁った目をこちら、部屋の外へと向け、前進を開始する。

 悲鳴をあげたのは麻生と夏だ。恐らくはあのどちらかが怪我を受けたのだろう。截はサボテンたちが彼らの捕獲のために動き出したのだと踏んだ。

「住岡がナイフを振り回している今、まともに逃げれるとは思えない。こいつらを上に行かせればあいつらは全滅だ。傷を負っていない俺たちがここでこいつらを殺すしかない。彼女が動き出すのはサボテンが獲物を拘束してから。今のうちに数を減らすぞ」

 研究員というよりは熟練の兵士のような分析力で唐沢が指示する。截にもその言葉の意味は理解できたが、このままここで戦っている間に亜紀が死んでは元もこうも無い。自分は彼女を脱出させるために常世国に踏みとどまっているのだから。

「僕は上の援護に行きます」

 冷たい声でそういうと唐沢の横を強引に走り抜けようとする。しかし唐沢は截の腕先を掴んだ。

 イラッときた截は腕を引き肘を自分の腰に当てると、手の平を大きく開き、腰を回転させ唐沢の手首の前で水平に円を描くように腕を動かした。間接的に負荷がかかった唐沢の手はその動きで外れる。截はそれで拘束が解けたかと思ったが、唐沢は間を置くことなく前に踏み出し、逆の手で截の肩を掴んだ。

 ――しつこい!

 截は今度は唐沢の腕の外側から内側に、自分の腕を上から腰を回転させながら下ろす。再び唐沢の腕は外れたものの、完全に階段への道は塞がれてしまった。

 ――こいつ、隊員用の訓練を受けているのか?

 自分の対処に動じることもなく、すぐに次の手を打って来る唐沢に疑問を持つ。僅か数秒の睨み合いを続けていると、截は斜め左上から奇妙な声を聞いた。

「あがぁっ!? あがががぁっ、がががっ!」

「――発症したな。これで取り合えず、あの女の子たちがすぐに死ぬことは無くなった。もうサボテンたちと戦うしかないだろ」

 同じようにそちらを向いた唐沢が呟く。

 上のサボテン人間一体程度なら、千秋でも倒せる。だが、もし亜紀がさっきの住岡の暴走で傷を負っていれば不味いことになる。確かにこれでは道は一つしかない。

「……今度邪魔をしたら、ただじゃすみませんよ」

 截は怒りの篭った溜息を吐き、唐沢から離れた。

 おぼろげな視線を上方の生存者たちのみに向け、真っ直ぐに行進する針塗れの感染者たち。   

 薄く唐沢を睨むと、截は迎え撃つように扉の前へ体を投入した。

「おい、真正面から……!」

 背後から長島の驚く声が聞こえたが、そんなものは無視して二本のナイフを振るう。

 この者たちは悪魔や鬼とは違う。自由意志を持たないただの遠隔四肢だ。鬼の攻撃を受けて何の反応もしなかった以上、自分の攻撃をかわすはずも無い。手当たり次第に腕を振ると、予想通り次々にサボテン人間たちは血を噴出し倒れていった。



「うお、すごいな。あいつ」

 截の行動を勇気から来るのもだと受け取ったのだろう。長島は尊敬するような目で切り込む漆黒の背中を見つめたが、彼の行為がどのような結果をもたらすか知っている唐沢は、より緊張感を高めた。

「あれだけ堂々と『彼女の腕』を傷つければ、流石に怒りを買う。そろそろ来るぞ」

「え、何が?」

「決まってるだろ? ――彼女だ」

 その言葉が長島の鼓膜を振るわせた直後、激しい叫び声が扉の奥から爆発した。








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