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<第二十八章>墜落

28章ちょっと内容を修正しました。申し訳ございません。

 


 右から黒服の男が、左からイミュニティーの女が向かってくる。

 ちょっと前まで疲労で倒れそうな様子だったが、自分が長々と話をしている間に少しは体力を回復したようだ。

 東郷は変化した右手を男に向かって振るった。男は当然のようによけたが、それはこちらの予想通りだ。この男の戦い方は以前見ている。強い脅威の攻撃に意識をくらませれば、弱い脅威への注意が疎かになる。懐へ入ったと錯覚している男の腹部へ突きのような蹴りを打ち出し、遠くへ押しのけた。

 ――キツネが確実に六角を閉じ込めるための時間が必要だったとはいえ、少し無駄話が過ぎたか。よく動く。

 全員をその場でさっさと殺すという選択肢もあったが、さすがにこの人数を一人で相手にすればエレベータへ逃げ延びる者も出てくるかもしれない。そうなればキツネの策に問題が発生する可能性もあった。万全をきたし、東郷はあえて過去の話をしたのだった。

 雫のナイフが下から浮上する。低い姿勢から攻撃するスタイルのようだ。黒服への攻撃からまだ体勢が戻ってはいない。東郷は気にせずそれを右胸に受けた。神経がざわめき刺された箇所が熱くなる。女はさらに深く刺そうとしたが、その前に彼女の手を掴み足を払って膝を崩し、右手で吹き飛ばした。女は左の腕と肩を大きく裂かれ、苦痛に顔を歪める。

 一瞬できた間で主戦力らしい最後の一人に視線を飛ばすも、先ほどのダニの怪物にやられた傷の影響でもはやまともに動けないようだ。生存者の女に支えられる格好でこちらの成り行きを見守っている。

 ――勝てると思っているのか? この俺に。

 元先代代表の私兵。イミュニティー内でもその実態を知るものは少ない、暗部組織の一員。東郷はその部隊長を務めていた人間だ。戦闘技術は黒服にも引けをとらず、今はイグマ細胞によって不死身の肉体を手に入れている。相手が黒服の一個部隊だとしても、負ける気はしなかった。

 彼らほどの人間なら自分との戦力差をすぐに理解し、無駄な戦闘は避けると考えていたのだが、まさかこう真正面から攻撃してくるとは思わなかった。やけになっているのか、それともしっかりとした策があるのか理解に苦しむ。

「俺が一切反撃をしないでここに立っているだけでも、お前らが俺を殺しきることはできない。無駄なことは止めて手を引け」

 今回の事件でディエス・イレは多くの人員を失った。もし彼らが仲間になるというのならば、その戦力は貴重だ。可能性があるのならば、是非仲間に引き入れたかった。

 敵の二人は無言でそれに答えると、再び向かってきた。どうあっても誘いに乗る気はないらしい。東郷はしかたなく殺す決意をした。

 男が先ほどと同様に突っ込んでくる。おそらく前衛だろう。東郷の右腕を巧みにかわし、距離をつめてくる。

 ――何度やっても無駄だ。

 再び右手の脅威を利用し、男の感覚を引き付けた。さっきと同じでは防がれる可能性があるため、今度はわざとらしく右手を伸ばし、それを囮に攻撃するように見せかけて相手が対処するのを見計らい、逆に右手で攻撃を行うことを考えた。カウンターのカウンターだ。

 男が予測どおり右手を避け、こちらの反撃を警戒したような視線を向ける。東郷はわざと大雑把に左拳を出し、男にカウンターを打たせようとした。

「む――!?」

 だがそこで男がとったのはこちらの思惑に反した動きだった。

 東郷の左手を頬に命中させ、そのままその腕を右手で掴み、逆の手で東郷の右手の付け根にナイフを突き刺した。人間の腕なら、食らっても大したダメージはない。あえて避けないことで、東郷の右手を封じる余裕を作ったのだろう。。

 そのまま膝をこちらのの膝に押し入れ体勢を崩す。無防備となった胸部に、男は渾身の肘打ちを当てた。

 上半身を仰け反らした東郷はすぐに元の構えを取ろうと力を入れ、僅かに前傾姿勢になった。それを待ってましたと言わんばかりに女が下から飛び出す。視界が真っ黒になり、東郷は目をやられたのだと悟った。

 同時に、女の透き通った声が響いた。

「今です! エレベータに走って!」

 どうやら彼女らの目的は最初からこれだったらしい。声が聞こえた直後、複数の足音が遠ざかるように聞こえた。

 奴らがあそこを通り外に出れば、キツネと遭遇することになる。もしまだ六角が拘束されてないのならば、作戦が失敗する可能性は大だ。東郷は焦りを募らせ、耳だけを頼りにエレベータがある建物の入り口へ飛んだ。

「うわあっ!?」

 唐沢の声が間近で聞こえ、右手が何かをかすった。外したものの、逃亡を防ぐことは出来たようだ。

「くそっ、下がれ!」

 男の声が聞こえ、胸に痛みが走った。攻撃されたのだろうが、そんなものに意味はない。しばらく適当に暴れていると視界が回復し、状況を確認することが出来た。

「惜しかったな。だが、――これで終わりだ」

 もう二度と今のような手は食わない。東郷は一気に片付けようと全身を赤鬼化させることにした。膨れ上がる筋肉。浮かび上がる血管。生存者たちの顔に絶望の色が浮かぶ。

 だがその直後、何かが背中に刺さった。痛みも損傷も大したことはないが、得体の知れない違和感を感じる。振り返ると、クスクス笑みを浮かべている見知った顔が居た。黒服の男が声を上げる。

「キツネ!?」

「――やあ、東郷大儀。こっちの仕事は終わった。次は、お前の番だ」

「な、に――?」

 途端、背中に感じていた違和感が激痛へと変わった。燃えるような、電流が走るような、皮を削がれるような、そんな痛み。体の中をムカデが這いずり回っているような常軌を逸した激痛。

 腕を振るも、キツネは軽々とそれを避け後ろへ下がる。手には注射器のようなものが握られていた。

「な、何だそれは……!?」

「黒目細胞だよ。イグマ細胞の塊であるお前には、激毒だろ?」

 悪びれることなく自然に答えるキツネ。

 それを聞いた直後、東郷は意識を失った。





 あれほど強かった東郷が、泡を吹いてビクビク痙攣しながら倒れている。赤く染まろうとしていた彼の体は、キツネが注入した黒目細胞によって蝕まれ、ところどころに痣のような斑点を浮かべていた。

 悠々と東郷の前に立ちながら、キツネはクスクス笑った。

「ずいぶんと面白い顔をしているな截。どうした?」

「――っキツネ――お前、一体……!?」

 六角とともに消えたかと思えば、今度は急に現れて東郷を倒してしまった。一体どういうつもりなのかまったく理解が出来ない。

「話はあとだ。とりあえずここから脱出するぞ。――心配するな、イミュニティーの上部にはコネがある。僕が居る以上、お前たちを口封じに殺させたりはしない」

 ガサガサというゴキブリのような音が聞こえ、振り返ると、岩場のほうからダニの化け物たちが湧き出していた。東郷が戦闘不能になったからだろう。千秋が気持ち悪そうに舌を出した。

「うげ~……何あれ……」

 亜紀に支えられ前まで来た友は、キツネの顔をみた瞬間、大声を出した。

「岸本? お前、岸本か……!?」

「岸本? ……何の話だ? 会ったことはないはずだが」

 わざとらしい声で答えるキツネ。友は彼を強く睨んだ。

「岸本……お前が、お前が『キツネ』か。お前が悟を……」

「ちょっともめるのは後にして。あいつら、こっちに向かってくるわ」

 大型感染体である東郷が行動不能になったことで、ダニの化け物たちは截らを獲物として狙えるようになった。じりじりとその距離をつめてくる。千秋の言葉を聞き、仕方なく友は黙ることにしたようだった。

「――行くぞ」

 キツネが先導するように歩き出す。皆は無言でそのあとに続いた。

 エレベータ本体が見える場所まで来ると、廊下に隣接している倉庫から誰かが叫ぶ声が聞こえた。扉を何度も強打し激しく揺らしている。

 中の人物を見て、截は驚いた。

「六角構成……! どういうことだ?」

 顔を涙で塗らした六角は、一行を見ると必死に助けを求めた。

「ここを開けてくれ! 僕が悪かった! 僕はただ知りたかっただけなんだ。僕は――」

「放っておけ。時間がない」

 目もくれず先へ歩いていくキツネ。脱出後の安全は保障されている。別にこの男を助ける理由はもう何もない。截たちも黙ってそこを離れた。エレベータに乗り、扉を閉めた後も声が聞こえたが、上昇するにつれてそれは小さくなり、すぐにかき消えた。

 強化ガラス越しに見える景色は、中々に絶景だった。イグマ細胞さえなければ、それだけで観光地として利用できそうなほどに。下の方に群がっているダニの化け物たちが多数見えたが、もう追いつかれることはないだろう。これでこの地獄とはおさらばだ。

 落ち着いたことで冷静さを取り戻した截は、すぐにキツネに問いかけた。

「どういうことか説明してくれ。何でお前がここに居るんだ」

「六角構成を殺すためだ。このブラック・ドメインとテロという環境を利用すれば確実にあの男を殺せると判断し、利用させてもらった」

 ごく普通の調子でとんでもない言葉を返すキツネ。截は何の冗談だと思ったが、キツネの表情を見てそれが本気なのだと悟った。

「……まさか、何でお前が……!?」

「あの男はこの国のバランスを崩す最重要要素だ。生かしておけばとんでもない事態を招いていた。僕は、今のこの危うい国家が気に入っていてね。邪魔だったから消すことにしたんだよ。ああ、そういえばご苦労だった。お前が侵入してくれたおかげで僕の仕事がだいぶ楽になった。助かったよ」

「はあ? 何を言ってる?」

 ここには自分の意思で来た。自分で調査し、自分でタイミングを見計らい、自分で情報を手に入れようとしたのだ。截はキツネの言っている意味がわからなかった。

「お前に情報をリークさせたのは僕だ。今日このタイミングでここへ来れるようにスケジュールを調整し、お前がこの日を選ぶような情報を絞って流した。僕の部下であるお前が誰の指示もなくこの場に存在すれば、イミュニティーも、ディエス・イレも、お前は僕の指示で動いていると錯覚するだろう。なまじ六角や白居は僅かだが僕に疑念を抱いていたようだったしな。そうなれば、僕の監視は弱くなる。実際それはうまくいった。お前は期待通りここの怪物たちを撃破し、六角がブラック・ドメインへ到達する助けとなり、同時にディエス・イレが早いタイミングで感染者を流出する危険を防いでくれた。まさに僕の思惑通りにな」

「なっ……!? はあ?」

 思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。キツネの話があまりに衝撃的だったからだ。

「何をアホ面している。めったに人を評価しない僕がほめてやっているんだ。喜んだらどうなんだ?」

 それを見て、おかしそうに笑うキツネ。

 これまでの自分の行動が、戦いが、思いが、その全てがキツネの思惑通り。それは、到底信じられるものではなかった。キツネが策略家なのは知っているが、これはあまりに滑稽無等だ。そこまでうまく人を操れるわけがないと思った。

「まあ、信じる信じないはお前の勝手だ。僕はただ、正確に仕事をこなしてくれたお礼としてお前を評価しただけだ。これで、白居もお前の存在を知ったはず。十分な結果だ」

 ショックを受けている截に変わって、唐沢が質問を続けた。

「六角を殺すことが目的だった。生きていたら不味いことになると言ったな。どういう意味だ?」

「その言葉の通りだ。唐沢蓮司からさわれんじ。奴は黒服の白居学と繋がっている。六角と白居は共同である計画を企てていた。超感覚というシステムを利用したな。六角構成はそれを実現する上で必要不可欠な存在だった。その計画が成就すれば、日本は大きく変わってしまう。それが嫌だから、僕は奴を殺すことにした」

「ある計画? それは一体何なんだ? 最近話題になっている噂と関係があるのか?」

 興味深そうに質問を繰り返す唐沢。そこでエレベータが屋上へついた。

 突然周囲の壁から白い煙が噴出し、全員の体を覆う。思いっきり吸い込んでしまった亜紀が大きく咳き込んだ。

「何なのこれ?」

 千秋が怖がった様子で聞く。落ち着いた調子でキツネは答えた。

「抗イグマ剤だ。ブラック・ドメインからこちらへ上がってくる場合は自動で噴出されることになっている。三分くらいは出続けるからこのままじっとしていろ。表面と肺の中を洗浄することが目的だ。害はない」

 その言葉の通り、すぐに煙は止まった。全員をむせかえしながら、エレベータの扉が開く。外は屋上というよりはその下にある隠しスペースのようで、短い階段を上った位置に本当に外へ出るための扉があった。

 截はまだ多少混乱していたが、とりあえず外に出たことである程度の冷静さを取り戻した。もしキツネの思うがままに動かされていたとしたら、それは腹立たしいことこの上ないが、とりあえず目的を達成することは出来た。亜紀を無事に脱出させるという目的を。細かいことは後で詳しく問いつめ、判断すればいい。今はとにかくあの地獄を脱した。それだけで十分だ。冷たい空気を肌で受け取り、強く風を感じた。

 周囲を見てみたが、人の姿はなかった。イグマ細胞の流出を恐れて離れた位置から監視しているのかもしれない。昼間とはうって変わって無音の空間だけが広がっている。

 屋上の中心にはヘリコプターが一機置かれていた。六角の脱出用に用意されていたものだろう。見たところ乗れても四~五人といったところだ。重態の友を寝かせなければいけないことを考えれば、何人かは次のヘリを待つ必要がありそうだった。

 唐沢と雫が運転席へついたところで、キツネが彼に声をかけ紙切れを渡した。

「唐沢。着陸させたらこの通りに行動しろ。僕の知っているイミュニティー上部の人間の連絡先も書いてある。それに従えば、六角派の拘束からは逃れられるはずだ」

「……さっきの話、詳しく聞かせてもらえるんだろうな」

「ああ、後でしっかり教えてやるさ。使える駒は多いほうがいい。お前は役に立ちそうだ。ある程度の情報は与える」

 ずいぶんと上から目線の台詞だったが、それを聞き逆に唐沢は安心したようだ。わかったと素直に頷くと、入れっぱなしになていたキーを回した。

「友の状態はどうですか?」

 ヘリコプターに手を付きながら、截は中の千秋に聞いた。

「傷は急所を外してるけど、出血が酷いわ。すぐに輸血しないと命に関わる。もう、あまり力も入らないみたい」

「すぐに医療施設へ移動してやって下さい。ここなら近くにいくらでも病院はあるはずです」

「あなたはどうするの?」

 心配そうに千秋は聞いた。

「収容スペース的に考えてこれ以上は乗らないほうがいい。俺とキツネは他の手段で帰ります。下には車やバイクが多数あるし、ここまで脱出できれば、あとはどうにでもなります」

「そう。わかった。ここは監視されてるはずよ。六角派の連中が襲ってくるかもしれないから、気をつけてね」

「ええ、わかってます」

 截は神妙な顔で頷き、ヘリから手を離した。そのまま離れようとすると、背後に気配を感じたため振り返った。

「……亜紀ちゃん。何してるんだ? 早く乗るんだ」

 彼女は右手で自分の服のすそを掴み、不安そうにこちらを見ている。しばらく待っていると、うったえるように声を出した。

「悟くんも一緒に行こう。今の黒服は六角の仲間なんでしょ? もうこれ以上、居る必要はないよ」

「……そういうわけにはいかない。確かに今は妙な噂が耐えないけど、だからこそまだ内部に居たほうがいいんだ。六角が居なくなってもまだ白居という危険がある。イグマ細胞の脅威を無くすには、どうしても奴を倒すことが必要だ」

「でも、それは別に悟くんがやらなくてもいいことじゃないの? わざわざ危険なことをする必要はないじゃない」

 すごく心配そうに言う亜紀。身を案じてくれる気持ちは嬉しかったが、ここまできて今更引くわけにはいかない。他の誰のためでもなく自分自身のために、六角と白居の計画を潰す必要があった。

「俺は――……庄平を死なせたイミュニティーが許せなかった。あんな細胞を生み出して、人の命をゴミくずみたいに利用している人間や組織が許せなかった。だから黒服に入ったんだ。技術と力を手に入れて、あいつの復讐が出来るように。今は黒服を、白居を倒せるチャンスなんだ。だから、ここで逃げるわけにはいかない。この機会を活かさなければ、二度とやつらを倒すなんて出来ないかもしれないから」

「……悟くんは大分変わった。昔よりも、冷たくなった。もしこのままあの人と一緒に行けば、もう戻れなくなるかもしれない。それでもいいの?」

 あの人とは、キツネのことを言っているのだろう。亜紀は自分と高橋博士以外でキツネにあった唯一の人間だ。目の前で彼に親友を殺されているからこそ、その危険さや危うさをこの場の誰よりもよく理解している。彼女からすれば、キツネのもとで訓練をつんだ自分は異質なものにしか見えないはずだ。簡単に人を傷つけ、見捨てる。生き残るために必要なこととはいえ、それはまともな社会において嫌悪される行為。三年前の何も知らなかった悟と比べれば、確かに別人に見えてもおかしくはない。

 だが、その代わりに自分は感染者と戦える力を、知識を手に入れたのだ。三年前では決して生き残れないような状況や相手を前にしても、表情ひとつ崩さす立ち向かうことの出来る強さを手に入れたのだ。技術だけでなく、考え方すらもキツネに近づいていることは良くわかっている。しかしそれは必要なものだ。生きるために、戦うために、敵を討つために、無くてはならないものだ。例えまともな人生を犠牲にしてでも、もう引き返せなくなろうとも、全てを終わらすことが出来るのならばそれでも構わない。こういう道を生きた男の末路は、つい先ほど見た。自分もきっと同じような結末をたどるかもしれない。しかしそれでも、戦わずに生きるよりはマシだ。どんなに辛くとも、逃げることだけはしたくなかった。だから、截は亜紀の誘いを断った。

「それが、あのときに俺が自分で選んだ道なんだ。――さあ、乗るんだ亜紀ちゃん。友の容態が心配だ。なるべき早く治療した方がいい。地上で逃げようとすればイミュニティーやマスコミの妨害があるかもしれない。そうなったら、訓練を受けているキツネと二人っきりのほうが逃げやすい」

 背を押すように強引に移動させる。亜紀はしぶしぶといった様子でヘリに乗った。

 ヘリの扉を掴み、中を見る。友が上を向いたまま親指を立てこちらに向けた。唐沢が無言で頷き、雫が軽く会釈をする。最後に亜紀に視線を向け、截は静かに呟いた。

「ごめん。亜紀ちゃん。ずっと騙していて悪かった。――……それと、ありがとう」

 まだ涙の乾ききっていない亜紀が、艶のある目で悲しそうに微笑む。截は蓋をするようにそっと扉を閉めた。

 ローターが激しく回転し、周囲の埃やゴミを巻き上げる。後ろへ下がった截は、眩しそうにそれを見送った。

 高く、高く、上昇し、離れていく仲間たち。あの時とは違って嘘偽りのない、しっかりと自分の思いを伝えた別れ。これでようやく、肩の荷がひとつ降りたような気がした。

 ヘリが大分離れるまで見送ると、截は表情を改め横を向いた。

「……俺は下にバイクを置いてる。お前はどうやって来たんだ?」

「タクシーだ。私服でここに入ってテロの前に屋上へ移動し、そこで着替えた。ブラック・ドメインへ侵入するにはどうあっても六角の認証が必要だったからな。だから奴が扉を開けると同時にディエス・イレと同様の方法でここから進入した。大変だったよ。何回か感染者が上がってきたからな。まあ、全て殺したが」

「お前とニケツなんて絶対嫌だぞ」

 心底嫌そうに截はそう言った。

「僕は僕で勝手に足を捜す。心配するな。お前のケツを狙う趣味はない」

 その物言いに苛立ちを覚えたものの、ここで争っている時間はないため出掛かった言葉を飲み込んだ。

「上部の連中もここを監視している。僕の脱出が認知されれば、無理やりにでも爆撃命令が出るはずだ。早く離れたほうがいいだろう」

「エレベータは? あれがあればここから進入出来る」

「勿論、細工はしてある。隠れていた東郷に接触し協力を打診する前に、管理室へ侵入し、一度しか上昇出来ないように設定した。再び内部を通って管理盤を直接操作しない限り、もうエレベータを動かすことは不可能だ」

 キツネはつまらなそうに柵へ寄りかかった。

「全て計算ずくってわけか。とんでもない策略家だよ、お前は。まったく憎たらしい」

「褒めてくれるとは珍しいな。残念ながら、欲しいオモチャは買ってやれないぞ?」

 いつものように見下した調子でそういうと、キツネは柵から腰を離した。截は湧き上がる怒りを必死に抑え、その後に続いた。

 さあ、自分たちも脱出するかと、意気込む。今更建物の中を通って下に行くことは出来ないため、壁伝いに降りようと突起物のある場所を探そうとした瞬間、足元から何か物音が聞こえた。

 重い金属のきしむ音。錆びたワイヤーが擦れるな、細かく何かが振動しているような音。動かないはずのエレベータが始動したような、そんな音が。

 ――おいおい、もう動かないんじゃなかったのか。

 嫌な予感しかしない。

 截は下のスペースからこちらへあがって来る扉へ目を向けた。外部から進入したものがもう最下層へたどり着いているわけがない。あがって来れる者が居るとすれば、それは東郷大儀のみだ。もう友も雫も唐沢も居ない。たった二人であの怪物とやり合うなんて、冗談もいいところだ。勘弁してくれ、と泣きたくなった。

 振動から下のエレベータが開いたのを感じた。キツネも当然気配に気がついたようだ。二人して、身構える。意識をその誰かに集中させようとした刹那、突然背後から爆発音が響き渡った。

 反射的に目を向ける。近くではない。遠くの方。それはつい先ほど、ヘリが飛び立った方向だった。

 辛うじて燃え落ちる残骸が見える。ビルとビルの隙間に落ちていく丸い鉄の塊が。

 ――あれは、まさか……!?

 脳裏に友や唐沢の姿、亜紀の微笑が浮かぶ。

 もっとよく確認しようとしたところで、エレベータ室の扉が激しく開いた。

 。足音を鳴らし、何者かが屋上へ上がってくる。その人物の顔を見て、悪い予感は的中したのだと悟った。






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