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<第二十七章>ディエス・イレ(怒りの日)

今回は二話連続です~



 十五年前、北海道である災害が起きた。山火事だ。

 それは複数の山とひとつの村を焼き払い、数多くの犠牲者を出した事件だった。犯人は二十四歳の若者。出来心で焚き火を起こし、それが広まってしまったと、報道では説明されたのだが、事実は異なった。

 この火災が起きた山にはイミュニティーの研究所があったのだ。いや性格にはイミュニティーのというよりは、六角構成個人のものといったほうが正しいのだろう。生まれつきの超感覚者である六角構成は、自分のその能力をおごるとともに恐れていた。何故こんな力が存在するのか。この超感覚とは一体何なのか。理論的な話ではなく、その存在そのものの価値の理由を知りたく独自の研究を行っていた。彼は探していたのだ。その力の価値を。自分の命の意味を。自分が存在する理由を。

 イグマ細胞と超感覚者計画は、何十年か前にある一人の天才が作り上げたものだ。人為的に超感覚者を増やし独自のネットワークを形成することで、これまでの人類には持ち得なかった情報伝達手段を構築する。それがその男の研究だった。六角はその研究に強い興味を持った。もしこの研究が完成すれば、自分の力の存在意味も、理由も、価値も、全てわかると考えたからだ。

 しかし残念なことに、現在のイミュニティーでは超感覚者の研究はすたれていた。実現不可能、有益性を感じられないという理由で高い能力を持った戦闘員を製作するという目的に変化してしまってすらいた。

 だから、それを本来の意味で研究するには、追い求めるには、独自の財力と研究者を使い、個人的に行うしかなかった。その実験場が、この山に存在する研究所だった。

 あの日、六角構成は高橋志郎を呼び寄せた。当時既に著名な研究者の一人として名を馳せていた彼は、いくつもの論文を発表しており、その中に六角の気を引くものがあった。『細胞と情報伝達の関係』と題されたそれは、まるでかつて超感覚者計画を生み出したあの男の理論を縮小化したかのような内容だった。それを読み、六角は高橋志郎を欲しいと思った。彼の自分の個人的な研究組織に加えたいと画策したのだ。

 しかし結果として、六角のその思惑は失敗した。独自に何かの研究を行っているという事実をテロ組織に察知され、またその研究データを奪取するために送り込まれた黒服の介入もあり、研究所とその周囲の場所は感染者が蔓延る魔域と化した。

 高橋志郎は感染者たちを殺すために火を放って山から脱走し、研究データは黒服へ奪われた。事件の最中、六角は絶望のふちに叩き落された。自分やってきたことが全て無駄になってしまったと。自分価値を確かめるための研究をこれ以上続けることが出来なくなってしまったと。

 だが、そこで転機が訪れた。研究成果を奪取しにきたはずの男の一人が、自分の研究と存在に興味を持ったのだ。

 以後十五年間、六角は密かにその男と共同でとある計画を練るようになった。

 


 かつての記憶を思い出しながら、キツネは言葉を吐いた。

「あの日、僕は黒服の部隊が進入する手伝いをした。それが仕事だったから。黒服在籍中は黒服としての存在に徹する。それがあなたの意思だと考えていたから」

「それはわかっている。ああしなければお前は黒服側に殺されていた。だからお前を責めたりなどしなかっただろ、截。一体何か気に食わなかったというんだ!?」

 倉庫の窓に両手を押し付け、不思議そうに六角はこちらを見た。

「そういう問題じゃないんですよ、父さん。あなたが叱るが叱るまいが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、さいのことだ」

「裁? ……あのとき、白居といっしょに任務に当たっていた黒服隊員のことか? あいつかどうしたというんだ?」

「裁は――」

 キツネは一呼吸置いた。

「事件中に生まれたあなたと白居の繋がり、計画を、非常に危険なものだと考えた。白居にもっとも近い場所に居たからこそ、彼の考えを知っていた。彼の危険性を誰よりもよく理解していた」

「一体なんの話だ? まさか奴の復讐をしているとでも言う気か? お前にそんな感情があるとは思えないが」

 ますます訳が分からなそうに六角はこちらを見た。

「復讐? そんなもんじゃない。僕は彼の意思を継いでいるだけですよ。あの日、死ぬ直前の彼に頼まれたんだ。あなたたちの計画を止めてくれと。彼には恩があった。それに報いるのは当然のことでしょう? それに僕自身、元々オル・オウン計画は好きじゃなかった。多様性や自由を無くした人間なんて、下らない存在以外の何ものでもない。僕は――」

 キツネはまっすぐに六角を見つめた。

「彼に会うまで生きる意味が分からなかった。価値が理解できなかった。何をしてもどうせいつか人は死ぬ。だったら生きることに一体何の意味があるんだと思っていた。裁は、そんな僕に目的をくれたんですよ。道具としての知識と技術しか与えなかったあなたたちからは得れなかった、非常に有益なものを。僕はその恩にむくいているだけです」

「――……っち、……毒されたな截。僕が今までお前のためにどれ程のことをしてきてやったか分かっているのか」

「十分に理解してますよ。物心つく前から黒服へ預けてくれるという、破格の待遇だったんですから。感情を殺す訓練。躊躇なく人を殺せる訓練。死体分解というなの人体学習。訓練員同士の殺し合い、悪魔があふれる場所からの脱出訓練。拷問を行う訓練。拷問を受ける訓練。いや、感謝してもしきれません。おかげで僕は黒服内でも上位の存在になることが出来ました」

 作ったような笑みでキツネは笑った。

「僕を恨んでいるのか?」

 少し間を空けた後に、六角は短く、それだけ言った。

「正直に言えば、そんな気持ちは一切無いですよ。正常な生活をしているものが同じ目にあえば恨んだりもするかもしれませんが、最初から異常な生活をしていた僕に、そんな感情が芽生えると思いますか? これは純粋に『楽しくて』やっていることです」

 自分は最初から壊れている。キツネはそう伝えた。

「……こんな所に閉じ込めてどうする気だ? 僕は死を察知できる。もしお前に殺意があるのなら事前に分かっていた。殺す気はないということなのだろ?」

「まさか、殺す気は満々ですよ」

 キツネはクスクスと笑った。

「あなたの超感覚には弱点がある。どんなシュチエーションでも、どんな死に方でも、あなたは確かにそれを事前に夢という形で体験できる。恐るべき能力だ。だが、それには有効範囲があるんですよ」

「有効、範囲だと?」

「ええ、『時間』です。あなたが察知できる死の未来は、大体一~三週間程度先の未来のみだ。ここでこうして閉じ込めておくことで、東郷によって常世国の外へ感染者が出るような事態になれば、さすがのイミュニティー本部もここを破壊するでしょう。そして破壊されたとしても、このエレベータの下にある施設だけは、シェルターのような役割もそなえているため無傷で済む可能性が高い」

 何かを理解したのか、六角の顔色が変わった。

「ここは地下深くにある極秘の施設。その深度は百メートルは超える。爆破後生存を知りまともに救出しようとしても、ここまで瓦礫をどけるのに軽く一ヶ月以上はかかるでしょう。このさき一、二週間は確かにあなたは生きているかもしれません。でも果たして、無食無飲で救助がたどり着くころまで生きていられるんでしょうかね?」

「ま、まさかそのためにこのブラック・ドメインを利用したのか!? たったそれだけのために」

 生まれて初めて恐怖を感じたかのような六角の顔に、キツネは思わずおかしさを感じた。

「あなたが生きていることは、その人脈や権力に関係なく、非常にやっかいな事態を招くことになるんですよ。あなたが思っている以上にね」

 常世国の最下層という、ただでさえ瓦礫をどかしてたどり着くにはかなりの時間がかかる場所。テロが起きイグマ細胞や感染者が溢れ出せば、その難易度は飛躍的に向上する。例え抗イグマ剤を散布したとしても、複雑に重なり合う瓦礫の中では、殺しきれないものがあるかもしれないからだ。救助作業や発掘作業は慎重をきすだろう。それが、東郷を利用してこの事件をこの場所で起こした理由の『ひとつ』。確実に六角構成を殺すための、策。

 こちらの考えをなんとなく理解したのか、六角の顔色がさらに青白くなった。

 もう、これで顔を合わせるのは最後だ。キツネは絶望に染まった六角の顔を見つめた。

 父親らしい真似はほとんどされてこなかった。普通の親子のように一緒にキャッチボールをすることも、家族仲良く食卓を囲むことも。二人で語り合うことも。

 だが、気のせいかもしれないが、それでもどこかで愛情を感じることはあった。一人の息子として自分を見てくれてはいた。例え歪みきった愛情だとしても、確かに繋がりを感じてはいたのだ。

 だからせめてもの情けとして、キツネは小型ナイフを扉の隙間から倉庫の中へ差し入れた。どのタイミングで使うことになるかは知らないが、あったほうが苦しみは少ないだろう。

 呆けたようにナイフに視線を向ける父を静かに見つめる。

「さよならだ。父さん」

 これが、親子として話す最後の言葉だった。

 




 

    

 地面に突っ伏しながら、截は下唇を噛んだ。こんなの、勝てるわけがないと思った。

「さっきまでの大立ち回りはどうした? 見る影もないな」

 主力三人を行動不能にし終えた東郷は、悠々とエレベータ前の階段に腰を下ろし、そう言った。唐沢も岩の隙間からひっぱり出され、この場に倒れている。

 ――せめて……体力が回復すれば……

 実際に傷を受けている友とは違い、自分と雫は致命傷を負っているわけではない。時間さえ経てば、まともに戦闘行動を行うことは出来るはずだ。だが、それはあくまで東郷が何もしないということを前提にすればの話だった。

「何故……殺さない?」

 苦しそうに膝をついたまま友が聞いた。

「こちらもプランが大きく変化してね。六角を殺せる見込みが出来てしまった。こうなった以上、イミュニティーの上層部に尻尾を振る必要はないからな。証拠隠滅のためにお前たちを殺す必要もないんだ」

 まあ、生かす理由も無いんだがなと、東郷は一言つけ足した。

「だからこれは俺からの提案、いや、譲歩といいってもおかしくはないな。お前たちに選択の余地を与えよう」

「選択って、何よ」

 裏返った声で千秋が尋ねる。それを見て東郷は失笑した。

「ふん。今回の事件で、六角が、イミュニティーという組織がどういうものが思い知っただろう。数多くの残酷な実験施設を目にしてきたはずだ。それを見て、何も感じなかったか? 何も思わなかったか? 奴らの非道さを、醜さを、凶悪さを! どうせここから脱出できても、古矢の命令を知ったお前たちが生かされる保障はない。お前たちに奴らと戦う意思があるのならば、俺のもとへつけ。そうすれば、あの組織が壊滅する光景を見せてやる。利用するだけ利用して隊員を切りすてるようなふざけた組織に居ても、いつかはお前たちも使い捨てにされるだけだぞ」

「部下を媒体にバイオハザードを起こした男が何を……!」

 截は刺すように東郷を睨んだ。

「あれは彼らが自ら望んで行ったことだ。俺が強制したわけじゃない。どうやら、お前たちは俺たちに対して誤解をしているようだな。……少し昔話をしようか」

 体の力を抜き、後ろに仰け反る東郷。すぐに殺そうとしてこないのはこちらとしても助かるが、なんだか違和感を截は感じた。まるで、東郷のほうが時間稼ぎをしているような気がしたからだ。さきほど六角とともに姿を消したキツネの姿が脳裏に浮かぶ。

「そもそも、ディエス・イレは元イミュニティー傘下の人間の集まりだ。隊員、職員、研究者、その家族、関係性は様々だが、誰しもが奴らの横暴によって被害をこうむった人間だ。勿論俺もな」

「あなたが……元イミュニティーの関係者……?」

 雫が目を見張った。

「そうだ。――わかりやすく、順を追って説明しようか。イミュニティー。それは非確認生物対策機関。国家の免疫。未確認ではなく、非確認組織。つまりその存在を社会から否定するための組織。人間社会に生存してはいけない、生存を否定された生物を管理し殺す組織。本来の目的は、純粋に危険な生物兵器や自然発生変異体から国民を守ること、その脅威を分析し、解き明かすことが仕事だった。UMA、エイリアン、妖怪など、眉唾な研究をしているような怪しい組織だった」

 東郷は真面目腐った顔でそう言った。

「そう、最初は純粋にそれだけの組織だったんだ。だが、ある一人の天才が所属したことで全てが変わってしまった。その男が作り上げたカルマ細胞というどんな特性、形態をも柔軟に取り込むことの出来る万能細胞と超感覚者計画によって、組織は大きく傾いた。自分たちが研究していた生物を、全て自分たちで作れるようになってしまったんだからな。この男の存在によって、組織は一気に肥大化し、権力を増やした。今のイミュニティーの始まりといってもいい。革新的な技術と力を手に入れた組織は暴走し、やがて国を動かすほどの力を手に入れた。ブラック・ドメインの製作、各地の研究所。その欲は留まることを知らなかった」

「ちょっとまて、何を言っている? カルマ細胞? ブラック・ドメインの製作だと?」

 東郷が言ったことが理解できなかったのか、友はわけがわからなそうに聞き返した。

「その天才が作り出したカルマという人口細胞を増殖、変質させるための場。イグマ細胞という自立的に他の形質特性を取り込む細胞を生み出すための場、それがブラック・ドメインだ。わからないならわかりやすく言ってやろう。イグマ細胞とブラック・ドメインは、イミュニティーが生み出した実験物なんだよ」

「何だと……そんな……」

 ショックが大きいのか、それきり黙りこむ友。かまわず東郷は話を続けた。

「天才が居なくなった後も、組織はその技術を利用し、多くの研究を続けた。天才は技術を生み出しただけでその活用法を残しはしなかった。あとには目的のない行き過ぎたオーバーテクノロジーだけが残ったのだ。そしてイミュニティーは自分たちの活動を正当化するために、イグマ細胞を自然発生した微生物だと偽り、その対策機関として自分たちを位置づけた。とんでもない茶番の始まりだ」

 心の底から馬鹿にするように、東郷は苦笑いした。

「つまり、今のイミュニティーはただ研究が出来るから、イグマ細胞という玩具を使って出来ることが色々あるから、目的もなくただそれで遊んでいるだけの組織だと言うんですか」

「その通りだよ、エリートのお嬢さん」

 にやりと笑う東郷。雫は不機嫌そうに目を細めた。

「だが確かに、イグマ細胞という技術は無くすには惜しい存在だった。だから国も、イミュニティーの上層部もその研究を止めさせはしなかった。それがよりイグマ部門のものたちの横暴を助長させ、ついには六角構成のような人間を生んでしまった」

 六角の名を出すときだけ、東郷の声に感情が篭る。とてつもない憎しみをそこへ込めているかのようだった。

「六角構成は、本部の誰もが諦めていた天才浅野博士の研究を引き継ごうとした。戦闘員の強化ではなく、本来の目的で超感覚者計画を再始動させようとしていた。そのために奴は、多くの人間をおとしめ上へ、より高い権力を手に入れようと暗躍した。……俺は、先代イグマ部門の横谷代表の私兵だった。彼が六角に暗殺されたあとも、最後までその事実を明らかにしようともがいた。実際いい所まで追い詰めることは出来たのだろう。六角の言い分に疑問を持つ人間も何人か居た。だがその結果、あいつは恐ろしい方法で俺たちに報復を行った」



 思い出したくなくとも、何度も何度も勝手に蘇る記憶。東郷にとって全てが始まった日であり、全てが終わった日。

 それは、ちょうど横谷代表の死に関する証拠を本部へ提出する用意が整ったころだった。六角の闇を暴こうと意気込んでいた東郷はその日、妻の陣痛が始まったことを知らされた。

 激しく扉を開け放ち、廊下を突き進む。

 本部に向かおうとしていたその足で病院へ来た東郷は、すぐに妻の居る手術室へ入った。

 白い防菌服に身を包んだ東郷を見て、妻は嬉しそうに、不安そうに微笑んだ。

「もう、生まれるって」

 そう大きく張ったお腹を押さえて言う。

「ずいぶん早いな。びっくりしたぞ」

 予定では、まだ三ヶ月ほど先だったはずだ。医師の診察でもつい最近までこんな予兆はまったく無かった。あまりに早い出産に驚きを隠くすことができなかった。

「あなたがせっかちな性格だから、きっと真似してるのね。すごく元気に動いてるわ」

「……体調は大丈夫か?」

「ええ、平気。ちょっと前までは心配で怖かったけど、いざそのときになると以外に落ち着くものね」

「お父さん、下がって。始めますよ」

 博識そうな医師が前に立ち、助手たちに指示を飛ばす。東郷は壁際まで下がると、緊張から拳を握りしめた。妻だけ苦しませるわけにはいかないと立会い出産を選んだものの、外に出ていたほうが良かったかもしれないと今になって思った。大声で叫ぶ妻、せわしなく動く医師たち。聞こえてくる緊張の声。ここに黙って経っているのは怖くて仕方が無かった。

「もう少しです! 頭が出ましたよ」

 医師が優しく妻に声をかける。東郷は無事に生まれてくれるように心の底から願った。

「出ました。生まれましたよ、奥さん」

 しばらくして、看護師の一人がそう言った。何か赤いものを布に包み、妻の顔の横へ持っていく。

 東郷はほっとした。早生まれだったためどうなるかと思ったが、何事も無くすんで良かった。そう安堵した時だった。

「えっ、な、なに!?」

 赤子を抱えていた看護師が、悲鳴に近い声を上げた。

 そのときの光景は、一生東郷を縛り付けることとなった。毎日のように夢に出て、何度も何度も死にたいと思わせた。何度も何度も六角を殺したいと憎しみを湧き上がらせた。

 それが、東郷が修羅の道に落ちるきっかけだった。


 

「俺の妻の腹から出てきたものは、人間じゃなかった。何者かに細工をされていたんだ。妻は、その子供の姿をした悪魔に喉を食いちぎられ死んだ。俺は気が付いたら叫んでいた。意味も無く、何を言っているのかも無自覚に、ただ叫び続けた」

 東郷は抑揚の無い声で話し続けた。

「犯人が六角の手のものであることはすぐにわかった。俺は当然復讐しようとした。奴を地獄に叩き落そうとした。だが、俺の妻の死に様を知った仲間たちは、自分たちも同じような目に合うことを恐れ、皆それ以上の協力を避けるようになった。証言も、証拠も、全てが無難なものに摩り替えられ、俺の意見は上部に認められることは無かった」

 自分の変化した手を見つめ、東郷は笑った。

「だから俺はイミュニティーを出た。もうまともな手段じゃあいつを殺せないと思ったからだ。それから、何度も何度も暗殺を試みた。出来る限りの力を持ってあいつを殺そうと努力した。だが、そのたびに多くの仲間が死んだ。見せしめのように無残な殺され方でな。――わかるか? ディエス・イレは、『そういう人間』の集まりなんだよ。種類は違えど皆俺と同じような経験を持った被害者だ。お前たちはイカれたテロ集団だと馬鹿にするが、まともな方法をやりつくしておとしめられ、それでも奴に対する復讐を実行するにはこうするしかなかったんだ。六角さえ殺せるのなら、イミュニティーさえつぶせるのなら、それさえ叶うのなら、自分の命も多少の犠牲すらいとわない。犠牲なくしてあいつを殺すことが不可能だと知っているからだ。それが、『ディエス・イレ(怒りの日)』という組織なんだ」

 さあ、選べ。と、東郷は言った。

「今なら六角を確実に殺せる方法が存在する。お前たちが自らの保身のために奴を連れてここから脱出しようとすれば、俺はお前たちを殺すしかない。だが、お前たちが俺についてくれば、命は保障する。六角を仕留め、この腐った組織を破壊する手伝いが出来る。一体どちらを選ぶべきか、わかりきっているだろ?」

 嘘偽りの無い、心の底からの叫び。思いの吐露。東郷の気持ちは痛いほど伝わった。目の前で見せられた最愛の人の死。それも考えられうる上でもっとも残酷な方法で。気が狂うには十分過ぎるほどの経験だ。

 その場に居た誰もが、とっさに言葉を返すことは出来なかった。截や友、雫でさえも。

 確かに六角天下のイミュニティーの中に居ては、彼を打ち倒すことは不可能に近い。テロという形をとることでしか反撃できないと判断した東郷の気持ちは十二分に理解できる。大切な目的をなすために、ある程度の犠牲を選択する。それは、ついさっき截が自ら行ってしまった行動だ。自分も、亜紀を守るために多くの人間を見捨てた。助けられた人間を救わなかった。度合いに違いはあれあど、結局やっていることは同じなのだから。

「俺はこれから常世国の壁をぶち抜く。あちら(キツネ)の策が成功しようが失敗しようが、どっち道イミュニティーをつぶすためには感染者の流出は必要だ。抗イグマ剤も多数散布されている可能性が高いが、なにせブラック・ドメインを解放したのだ。それなりの被害は出るだろう。止めたければ止めるがいい。それが本当に正しい行動だと、自信を持って言えるならばな」

 ようやく、東郷は重い腰を上げた。腕の先だけだった変化をゆっくりと肩まで侵食させる。一撃で悪魔の上半身を吹き飛ばせるような化け物なのだ。完全体になれば、ここの壁を粉砕することなど朝飯前に違いあるまい。殺すなら、止めるならこの瞬間しかなかった。

 目的も、その背景も、組織の出自もわかった。高橋志郎が彼に共感を覚えていた理由も、今なら何となく理解できる。自分も全てを失っている人間だったのなら、もしかしたら彼に賛同していたのかもしれない。今の自分は黒服に染まりきってしまった人間だ。犠牲者をいとわない人間だ。だから、東郷の考えも気持ちもよく理解できる。同じように復讐のために生きてきたから。六角を、白居を倒すことが目標だった。そのためならどんなことでもやるつもりだった。――そう、彼女さえいなければ。

 僅かに悩んだ末、截は東郷の前に立った。立ちふさがるように。彼の邪魔をするように。

 東郷の気持ちはよく理解できる。理解できるが、それに賛同するわけにはいかなかった。今の自分には亜紀を守るという役目があった。彼女を無事に帰したいという思いがあった。テロなんかに加担すれば、その場所を失わせてしまうことになる。今以上に、まともな人生を送れなくさせてしまうことになる。そして何よりも、この街中の人間をイグマ細胞や感染者の危険にさらすわけにはいかなかった。あの富山樹海の悲劇を繰り返さないために、そういう被害を起こさないために、自分はここに立っているのだから。それが、自分の『目的』なのだから。

 同じように友と雫も身構える。東郷は不思議そうな目でこちらを見た。

「これだけ言っても無駄か。六角を殺せる機会も、イグマ部門に大打撃を与えられるチャンスも、今をおいて他に無いんだぞ。たかが街ひとつの人間たちが危険にさらされようが、その後何年にもわたって出続ける奴らの被害者を無くすことが出来るんだ。何故それが理解出来ない?」

 太く猛々しい声が広場に響き渡る。余韻のように声の残りがその場に滞在し、東郷の言葉を印象付けた。

 座り込んだまま、重々しく唐沢が口を開けた。

「生きるということは、常にカルアネデスの板に掴まっているようなものだ。自分が前に進むために誰かを蹴落とし、その座を奪う。そうしなければ自分の居場所がなくなるから。欲しいものを得られないから。だけど、お前の行動は違う。まだ板にはぶら下がれるのに、救える命があるのに、それさえも犠牲にして目的をなすのは、ただの暴虐だ。自己中なガキとなにも変わらない。こいつらはまだ板に掴める場所があると思っているから、お前の誘いには乗らないんだよ」

 『こいつら』と自分をその中に入れなかったのは、別に東郷に賛同したわけではなく、自分にその資格がないからとでも思っているのだろう。イグマ細胞の研究には多くの犠牲者が伴う。截は唐沢の気持ちを何となく理解した。

「……お前たちは現実を知らないのだ。何かをなすには、必ず何かを犠牲にする必要がある。それが、この社会の真理。……まあいい。こちら側へ来ないというのならば、それだけの話だ。あとはもう――」

 東郷の雰囲気が一気に変わった。

「ただ殺し合うだけだ」

 



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