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<第二十四章>追撃



全身の骨格が完全粉砕し、また内蔵を破裂させられた半赤鬼は、その再生能力をフルに使っても生命活動を再開することができなかった。海のように血だけが塞がれた門の前へと広がってゆく。

 截は半赤鬼の死を念入りに確認し、満足すると立ち上がった。

「……これだけの再生能力……何で東郷は赤鬼の細胞を拡散しなかったんだ? わざわざ劣化させた鬼を使わなくても、単純に自分が感染源になればもっと大きな被害を起こせたはずだが」

 唐沢が不思議そうに血の海を見つめ、そう言った。

 截は思ったとおりに答えた。

「扱いが難しいってこともあると思いますが、恐らくは細胞適正の問題でしょうね。赤鬼の細胞はイグマ細胞からかけ離れすぎている。たぶん感染爆発を引き起こそうとしても、百人に一人くらいしか成功しないんでしょう。今のやつも大分体にガタがきてた。プレートで潰さなくても、赤鬼の細胞が全身に回った途端、もしかしたら死んでいたかもしれません」

「東郷の目的は感染者の拡散だからな。自分の細胞ってもそれほど多くの分身は作れないし、しかもその持続時間も感染能力もかなり低いとなれば、まあ妥当な考えか。――なるほどな」

 まるで複雑な算術式を解いたかのように、唐沢は嬉しそうに頷いた。

「お、おい、早く行こうぜ。奴らの声がすげーんだけど……」

 壁に抱きつきながら麻生が截の背をつっつく。振り返ると夏と長島も不安そうな表情を浮かべていた。

 このプレートがある以上鬼がこちら側へ来ることはありえないが、急がなければならないのも事実だ。

「……そうですね」

 素直に同意し、截はみなの先頭へと移動した。

 半赤鬼の所為で大分時間をロスしてしまった。最悪六角構成が脱出し、いつここが爆破されてもおかしくはない。

 ――この先がファースト・ブラックドメイン……全ての始まりの地。

 イグマ細胞が人口細胞であることを知った現在では、その意味はこれまでとまるで違っていた。

 六角構成、イミュニティー、超感覚者計画、イグマ細胞、東郷大儀――

 全てにけりをつける覚悟で、截は歩き出した。




 ブラック・ドメインへ足を踏み入れた瞬間、嫌なざわめきが截の全身を包み込んだ。

 そこらじゅうから脅威の気配が溢れだし、少しでも気を抜けば一気にそれらが襲い掛かってきそうにも感じる。普通の人間が見ればなんともないただの岩場群なのだが、截にすればここを通り抜けるのは火の中を歩くようなものだった。

 ――それに――

 モグラの怪物や貴婦人にも匹敵する脅威を『二つ』ほど感じる。一体は赤鬼である東郷に違いないが、もうひとつのほうは得体がしれない。すくなくとも、上位感染体クラスの何かがいることは確かだった。

「これ以上、状況が悪くならなければいいんだけどな」

 願うように、截はつぶやいた。

「いつつ……」

 苦しそうに長島が自分の足を撫でる。貴婦人戦でダメージを負ったのに無理を続けたからか、側面が紫色に変色し晴れていた。

「うわっ……だ、大丈夫?」

 悲惨なものを見るように夏が口を押さえた。

「ははっ、心配ない。もう少しで外に出れることを考えれば、こんなの大したことねえさ」

 軽い調子で顔を上げる長島。だが、誰の目にも無理をしているのが明らかだった。早めに治療しなければ、歩行に問題をきたすことになるかもしれない。

「外に出たら直ぐに病院に行きましょう。その様子じゃ骨に損傷を受けているかもしれません」

「ああ、そうするよ」

 截の言葉に、汗だくの顔で長島は答えた。

「うわっ!? 何だあいつ!」

 前方を見ていた麻生が大声を上げた。全員がそちらへつられて目を向ける。岩場に囲まれた通路の奥から、眼球が真っ黒に染まった、触手のような腕をもつ何かが姿を覗かせていた。

「――黒目くろめ!」

 それの姿を見た途端、唐沢の顔に緊張の色が走った。

 截と目を合わせた唐沢は、こちらの意を読むようにすぐに説明をした。

「あれはイグマ細胞とは別種の進化をたどった細胞の感染者だ。接触感染することはないものの、死体に入り込んでその体を操作する。耐久力が高いから厄介だぞ」

「相手が一体だけなら何とかなります。僕が……」

 直接相手の脅威を理解できる截は、黒目の戦力を分析し、勝てるとふんだ。半身に構え迎撃しようとする。だがそのとき、小さな影が黒目の上に出現した。

 『植物で出来た虫』。それを一言で表現するならばこう呼ぶしかないだろう。その虫は黒目の頭部を左右の足で挟みこむと、強靭な顎で彼の頭部を噛み抜いた。

 血を流しもがく黒目に構わず、虫は残りの足を相手の体へ次々に突き刺していく。

「うっ……」

 あまりの悲惨な光景に夏が声を漏らした。

「今度は何なんだよぉ!」

 再び麻生が頼りない声で叫ぶ。

 截は先ほど唐沢が言っていたことを思い出した。このファーストブラックドメインには独自の進化をたどった生命体がおり、中には三本腕のようなものも存在すると。あれがそうなのだろう。

 ――三本腕系列の生命体なら、幼児期はそれほど脅威ではないと考えられる。よくて悪魔と同じレベルのはずだ。

 截はその大きなダニの前へ瞬時に移動し、頭部をナイフで貫いた。案の定、何の抵抗もなく崩れ落ちる。次にまだ生きていた黒目が襲い掛かってきたが、何度か頭部を指すとそれも動きを止めた。

 虫の死体を見て、唐沢が顎に手を当てた。

「こいつらが出てくるなんて……隔離網の電源が切られたのか? 一体誰が何のために……」

「……今は考えるだけ無駄です。とにかく先へ進みましょう」

 前へ進むごとに、生きるために歩を進めるごとに、雲行きがおかしくなっていく。そんな不安を感じつつも、皆の気を削がないために悟はそう言った。




 前から伸びてきた黒目の腕を掻い潜り、しずくはその腕の筋と足の関節の腱を軽やかに切断した。

 黒目細胞は侵食した細胞同士が『根』を張ることで連結し、その体を支配するのだが、支配対称の肉体を再生させる効果はない。筋が切断されたことで電気信号の疎通が不可能になった黒目の膝は、がっくりと地面に落ちた。

 まともに相手をしてたらキリがない。そう考え、雫はここまでの道筋で一度も黒目を倒そうとはしなかった。ただ眼前から相手をどかし、ルートを作る。それだけの作業に集中していた。

「着いたぞ! エレベータだ」

 満面の笑みで六角が叫んだ。

 岩場地帯を抜け、とうとう高速エレベータの目の前へたどり着いたようだ。雫は肩の荷が下りたような気がした。

 高速エレベータの前には整理された大きな空間があり、その周囲は隔離網と同様の柵に覆われていたが、電源が切られている現在は扉のロックも解除されていた。これならただ乗り込むだけで上へ脱出することが出来る。

 駆け出そうとしたそのとき、反対側の岩場から二人の人間が出てくるのが見えた。

「友――!」

 嬉しそうに千秋が声を上げる。

 友は無言で頷くと、亜紀の肩を支えこちらと同様にエレベータを目指した。

 隔離網の電源を落とした人間が何か罠を仕掛けている可能性も考えたが、そんなことをすればその人物自身も脱出出来なくなる。あったとしてもエレベータの機能に支障を起こすような問題はないはずだ。

 ――もう少し、もう少しで……――

 岩場とエレベータの中間地点、あともう半分走れば脱出できるといったこのタイミングで、――背後から大きな破壊音がとどろいた。

 何の前触れも無く吹き飛ぶ岩肌。舞い上がる土煙。真っ白に染まった世界の中から、巨大な何かが姿を現した。

 それを人目見た瞬間、雫は思わず我が目を疑った。




「あれは、一体どういうことだ――!?」

 爆音を耳にし振り返った友の目に飛び込んできたのは、巨大なダニのような形をした怪物だった。どことなく三本腕を思わせるようなその怪物の上半分に、先ほど倒したばかりの古矢の体が張り付いている。いや、張り付いているというよりは、まるで古矢自身からその巨体が生えてきたかのような名残が見て取れた。

 


 その怪物の姿を見た瞬間、何かを悟ったように六角が眉を細めた。

「 サトゥルヌスか! 古矢の肉体を媒介に成体へ進化したな。っち、このタイミングで……」

「何なんですかそれ?」

 わけが分からず、雫はすぐに質問した。

「ブラックドメインの中で育った細胞は、イグマ細胞や黒目細胞のように他の生物に寄生してその生命活動を持続するように設定されている。だが、まれにその細胞のみで成長し、独立進化、行動を繰り返す生命体が出現することがある。そいつらは十秒感染を引き起こすことはないが、代わりに生物の体を自らの体に取り込むことで、遺伝子の拡張と自己強化を繰り返すという本能をもっていた。あれはその一種だ!」

 ――ということは、古矢はその犠牲になったのか。

 ダニのような怪物の上半身にくっついている元同僚の顔を見て、雫は痛ましい気持ちになった。

「あんなのに構ってる場合じゃないわ。さっさとエレベータに走りこみましょう」

 怯えた表情で千秋が腕を掴んでくる。

 ここは周囲そこら中にイグマ細胞や黒目細胞が溢れている人外の巣窟。こんなところでまともに戦えるわけが無い。雫は当然彼女に賛同した。

「――――――――!!」

 突如、黒板を引っかいたかのような不快な音が落雷のように炸裂した。

 その爆音はガンガンと頭の中をかき回し、その場に居た全員の足を止め、動きと精神を乱す。

「なんて、鳴き声……!」

 雫は両手で耳を押さえながら何とかバランスをとるも、うまく体を制御することが出来ない。

 この一瞬の間に、怪物は前へと幾本もの足を伸ばした。

 荒いヤスリをすり合わせているかのような摩擦音を響かせ、ダニの怪物の姿が一気に大きくなる。

 まずいっと思ったときには既に遅く、その足の一本が自分たちの真上へと振り下ろされた。


 


 高速エレベータや隔離網の制御をになっているのは、その本体から二十メートルほど離れた場所にある二階建ての棟だ。

 高速エレベータ本体の施設にもある程度の管理機能は備わっているが、それはあくまでバックアップや補助としてのシステムのみで、基本的にこのファーストブラックドメイン内の管理は全てこの小さな建物内で行われていた。

 感染体や物資を運搬するという特性上、エレベータは事故が起きやすい。そしてもし起きた場合、管理設備への影響は大きい。そう考えた設計者たちの手によって、管理は全てエレベータ施設の外で行われる形式になっていた。

 コツコツという靴の音を響かせ、長い廊下を進む。行き止まりまで来ると、総合制御室と書かれたプレートの掛かっている扉があった。

 ノブに手を乗せながら、タヌキは小さく首を振る。

 ――この広いブラックドメイン全ての管理をしている場所にしては、随分とお粗末な作りだな。外的の侵入を考えていないのか、それとも厳重にセキュリティをかける必要が無かったのか。

 イミュニティと黒服が手を組み、共同で何らかの研究を行っているという情報は、ディエス・イレも把握していた。その研究場所として白居学の私邸が利用されていたこともつかんでいる。

 飛山鋭という被験体が暴走したことで公になり利用不可能となったその場所に変わり、もっとも代用地となる可能性が高かった施設が、この常世国のファーストブラックドメインだ。

 だが、この現状を見るとその線もかなり薄くなっていた。

 ――これまでの道筋で無意味なスペースやコンテナの置き跡が無数にあった。恐らく、一度は確かにここで研究を行っていやがったんだ。

 タヌキはノブをゆっくりと回した。

 ――だが、移動した。一体どこに?

 イミュニティーの所持している敷地の中で、ここ以上に安全で隠蔽に適した場所はない。考えを巡らせながら扉を開け中に踏み込むと、知った顔がそこに立っていた。

 一瞬動きが止まったものの、すぐにいつものにやけた表情を作る。

「……これはこれは――……なるほど、そういうことですか。いくら最高レベルの超感覚を持っているからとはいえ、普段戦闘場所に足を踏み入れることのない六角にあそこまでの余裕があったのは、やはりあなたが居たからなんですね?」

 警戒心たっぷりの目で睨みつけるが、相手は飄々(ひょうひょう)とした調子で答えた。

「クスクス、彼が余裕ぶっているのはいつものことだろう? 僕の存在なんて関係ないさ。お前の知っている通り、絶対に死の危険を回避できる力があるんだからな」

「……隔離網の電源を落とした理由は我々の妨害ですか? 残念ですが、『赤鬼』の細胞を持つ以上、ここの感染体はいっさい私と東郷さんを襲ったりしませんよ。あなたのした行動はただ六角の逃亡を遅らせただけです。こちらにはありがたいことですがね」

 ばっははと笑いながら視線を向けるも、キツネは余裕のある表情を崩すことは無かった。

「そんなことは説明されなくても分かりきている。僕を誰だと思っているんだ? 鳥島」

 キツネは机に寄りかかるのをやめ、すくっと立ち上がった。

 その言葉を聞き、タヌキは疑問を感じざる負えなかった。

 キツネと六角の関係性上、彼が六角を裏切ることはありえないし、裏切ったところであの男を殺せないことは分かりきっている。一体何のために隔離網の電源を落とし、黒目やその他の生物を解き放ったというのだろうか。

 感染者を出したことによって得られる効果は三つ。

 逃走者の足を遅らせること。逃走者の人数を減らすこと。そして黒目細胞を放出することだ。

 ――あえて感染者を解き放つことで、六角たちと俺たちの行動ルートを分離させたのか? 六角の身を危険に晒す前に俺たちを倒すために? いや、だったらこんな場所でじっとしているはずがない。奴がここにいるということは、高速エレベータの制御を操作することと関係があるのか? だが俺たちの行動を楽にしてエレベータの制御を抑えるなんて真似、まるで……

 まるで六角がこの場所から脱出するのを、阻止しようとしているようにしか見えない。

 タヌキは多少の混乱と疑惑を持った目で、キツネを見た。

「そんなに面白い顔をするなよ。僕の目的はいくつかあるが、今お前にそれを言っても理解はされないだろう。まああえて簡潔に説明するならば、この場所に存在する全てのものを、僕の望む終着へ向けて誘導しきりたいってだけだ」

 決着をつけるでもなく、終わらせるでもなく、『誘導』したい。一体こいつは何を言っているんだとタヌキは思った。

 ――何を考えているのかは読みきれないが、このままこいつを自由にしているのは不穏すぎる。それに、どちらにせよこの場所を押さえなければ自分たち自身も脱出できない。やはり、やるしかないな。

 タヌキは股間の前につけていたドスを抜いた。

「もうひとつ聞いておきますが、そういえばあなたは一体どうやって先にこの場所へ辿りついたんですか? まさか、前にブラックドメインが開けられたときからずっと潜んでたってことはないですよね?」

「クスクス、ここが前に開放されたのは一ヶ月以上前の話だぞ。そんなことあるわけないだろう。僕がここへ来たのは今日だよ。そうだな、お前たちディエス・イレが来る数時間前だ」

「数時間前? 私たちの行動が漏れていたことも問題ではありますが、ならば一体どうやって?」

 ドスをだらりとぶら下げ、タヌキは心底不思議そうに聞いた。

「どうって、出口から入ったんだよ」

「は?」

 思わず聞き返した瞬間、目の前に銀色の閃光が走った。完全に油断していたタヌキはかろうじてそれを受け止める。

 だがキツネはナイフが防がれると同時に腰をひねり、肘を横なぎに突き出した。

 防げないと判断したタヌキはとっさに頭の角度を変えることで急所へのクリーンヒットを避けると、逆に自身の肘をキツネのナイフ持ちの手にぶつけようとしたが、キツネが前に一歩踏み出し、肘を曲げたことで空振りに終わった。

 お互いの体が激しくぶつかる反動を利用し、一気に距離をとる。額から血を流しながら、タヌキは肝を冷やしたように苦笑いした。

 ――いきなり全力かよ、この野郎……!

 先ほどから薄々感じていたが、キツネがここで待機していた理由のひとつには、恐らく、自分の抹殺も含まれている。予想通り、容赦のない、完全に殺意のこもった攻撃だった。

「さすが、ディエス・イレにその人ありと言われた鳥島宗助だな。今の流れで殺せると思っていたんだが」

 息をまったく乱さず、言うキツネ。

 タヌキはフェンシングのようにドスを持つと、怒りの篭った眼でキツネを見つめた。

「不意打ちとはらしくないですね。黒服の中でも最上位の実力者に数えられている、『キツネ』の名が泣きますよ」

「そんな名声や名誉なんてどうでもいい。結果さえあれば、僕は満足さ」

 右足を前に出し、ナイフを持った右手を体の中心に添え、左手を顎の前に持ってくる。カウンターを主体とする、剣道にも似たキツネや截ならではの構えだ。

 タヌキは真剣な目つきでその動きを見ると、曲を停止させるように、しゃべるのをやめた。

 

 


 振り下ろされた怪物の爪が、生存者たちの間に落ちる。地面が大きく揺れ、衝撃で雫は倒れこんだ。

「―――――!」

 もはや鳴き声というよりは高音の何かとしか認識することの出来ない音が再び炸裂し、全員の鼓膜と脳を揺さぶる。

 身動きの取れない自分たちに向かって、怪物は地面を支えている爪の一本を浮かばせ、横なぎにはらった。

「あっ――」

 短く一声出したかと思うと、次の瞬間榊さかきがその場から消えていた。

 雫が慌てて彼女の吹き飛んだ方向を見ると、その体は岩壁に激しく激突し、背中から血の飛沫を撒き散らしていた。

「ろ、六角……代表……」

 か細い声で自身の主人の名を呼ぶ榊。しかし六角は彼女の姿に目もくれず、今すぐここから離れたいとばかりに高速エレベータへ視線を向けていた。

「ろ……か……」

 瞳から涙を流し、手を伸ばす。そんな榊の顔が徐々に赤灰色へと染まっていく。

「傷口から感染したんだわ!」

 痛々しいものを見るように千秋が口を覆い、身構えた。



「あんなのに暴れられたらエレベータがもたないぞ。どうにかしないと」

 右方向の惨状を見て、友は奥歯を嚙み締めた。高速エレベータは目と鼻の先だというのに、何故このタイミングでこんな怪物が出て来るんだと怒りを覚える。

「亜紀ちゃん、エレベータまで走るんだ。早く!」

 周囲に一切の道具も障害もないこの場所で、まともに戦えるとは思えないが、せめて彼女がエレベータにたどり着くまでの時間は稼ぎたい。友はWASPKNIFEの柄を強く握りなおし、雫たちのほうへ駆け出した。


 

 大きな制御室の中、かん高い金属音が木霊する。キツネとタヌキの刃が交差するたびに火花が散り、周囲を一瞬だけオレンジ色に照らした。

 実力的には拮抗していると、キツネは感じた。こちらとほぼ同等レベルの読みを行い、同等レベルの技術を持ち、同等レベルの攻撃を仕掛けてくる。まともに打ち合うのはこれが初めての機会だったが、噂にたがわぬ実力を持っていると感じた。恐らく単純な近接戦闘技術は東郷よりも上だろう。

 ――元々カウンター主体の僕のスタイルと、手数と速さが売りの鳥島のスタイルでは相性が悪いからな。予想以上に手ごずりそうだ。

 今の自分には時間がない。目的を達成するためには、あまりここで時間をかけるべきではなかった。

「これは、私の推測なんですがね」

 ナイフを交えながらタヌキが言葉を発する。

「キツネ、あなたもしかしてイミュニティの上層部とつながりが?」

「何でそう思う?」

 お互い何食わぬ顔で会話しつつも、その腕は互いの命を狙って動いている。表情を一切変えることなくこんなことが出来るのは、恐らく自分と鳥島だけだろうとキツネは思った。

「あなたの今までの行動、古矢の言動。そして侵入させていたあなたの部下。そう考えれば全て納得がいく」

「大した空想家だな」

 心臓の一センチ前まで迫ったナイフを弾き飛ばしながら、キツネは苦笑いした。

「あなたはイミュニティ上層部の依頼を受け、六角構成の身柄を拘束するように言われた。だからこそ、事前にここへの侵入が可能だったし、古矢を通して我々の攻撃タイミングを認知出来ていた」

 キツネは黙ってタヌキの攻撃を防ぐ。

「しかし、あなたに上層部の命令をそのまま聞くつもりなど無かった。公には伏せられていますが、あなたと六角構成には特別な関係がある。あなたは上層部の命令を聞いた振りをして逆に彼らを殲滅するつもりだった。そしてそれを実行するのに邪魔な古矢を消すためにこの環境を作ったのではないんですか。彼は生身の人間ですからね。感染者たちの捕食対象となる」

 タヌキは交差したナイフに力を込め、キツネを後方へ退かせた。

「我々に六角構成が殺せないのと同様に、あなたにも東郷さんを殺すことは無理だ。だからせめてディエス・イレの戦力を削いでおこうと私を狙った。違いますか?」

 確信を持った目で言うタヌキ。

 中々鋭い読みだと、キツネは素直に関心した。

 確かにその考えは筋が通っている。可能性としても十分にありえることだ。だが――

「少し違うな」

 キツネはにやりと口元を歪め、タヌキを見据えた。

「お前のその推測は半分正解で、半分不正解だ。そしてネタばらしをするのならば、そもそもお前らが起こしたと思っているこのテロを計画したのはこの僕だ」

「は? 何を言っているんです?」

「六角を出し抜けるような情報を一体どうやってお前らが手に入れられたと思っている? どうしてこのテロが成功出来たと思っている? さっきも行っただろ。この事件は全て僕の望む終着へ向かって動いている。最初から最後まで、全て僕の描いたままにな」

「何を馬鹿な……!」

 タヌキの表情に疑問の色が浮かんだ。

「お前らも、古矢も、イミュニティー上層部も、全て僕の掌で踊っていただけだ。全ては、ただある一つのことを成功させるために」

「だから、何を言っているんです?」

 混乱したようにタヌキの集中が揺らいだ。それを見て僅かにキツネの口から笑いが漏れる。

「今回の事件は全て――」

 キツネはゆっくりと静かに左手を右腕に括り付けてあるナイフへ持っていく。それに気づかず、タヌキはじっと次の言葉に注目した。

 楽しむように、それでいてどこか悲しむように、キツネは答えた。

「六角構成を殺すことが目的だった」

 タヌキの目が見開かれる。その瞬間を待っていたとばかりに、キツネは左手で小型ナイフを掴んだ。

 截が近接戦闘向けの二刃使いだとするのならば、キツネは遠・中・近全てに対応出来る二刃使いだ。純粋な近接戦闘では、確かにタヌキはいい勝負が出来ただろう。だが、この構えを取ったキツネが相手では、しかも虚を突かれた状態では、勝ち目などまったく無かった。

 一瞬にして複数の小型ナイフがタヌキの急所に突き刺さった。

 一発一発が銃弾のように深く肉に食い込み、その体を壁へ押し付ける。隙を見事に突かれたタヌキは、なすすべも無くたった一度の油断によって敗北を決定付けられた。

 何が起きたのか把握できていないタヌキへ向かって歩み寄ると、キツネはクスクスと小さく笑った。

「僕は直接斬ったり突いたりするよりは、こうして投擲するほうが好きなんだ。ただナイフの消費が激しいからあんまり使うわけにはいかないんだよな。残念だけど」

「く、そっ……さっきまでの話は油断を誘うための出任せか……! このキツネ野郎」

 口から血を吐き出し、心底悔しそうに睨むタヌキ。

「地が出てるぞ、鳥島。あの気持ち悪い紳士くさった敬語はどうした?」

「うるせぇ、くそっ……こんなところで……」

 立ち上がろうとするタヌキを見て、キツネは彼の腹部に刺さったナイフの柄を思いっきり踏んだ。

 悲鳴をあげ痛みに耐えるタヌキ。

「この傷じゃ、もう動くことは出来ないな。放っておいても問題は無さそうだ」

 右手に持った黒柄ナイフと、左手に持った小型ナイフを鞘に収め、キツネは出口のほうへと向かった。

「待てこの野郎! どうするつもりだ!」

 血反吐を吐きながら叫ぶタヌキ。それを後ろ目で見ると、キツネは笑顔で答えた。

「だから、さっきも言っただろ? 僕の目的は僕の望む決着を導くことだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 どうとでも取れる言い方をし、制御室から出る。再び扉を閉めると、タヌキの声は殆ど聞こえなくなった。






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