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<第十八章>国家の免疫

今回はかなり長いです~


短期集中攻撃。鬼が体勢を立て直すより早く、友は素早くナイフの刺突を行った。鋼色の刃は鬼の右目に命中するかと思われたが、一瞬早く鬼の手が動き、その直前で止められる。血まみれの手からナイフを引き抜きすぐに次の攻撃を繰り出すも、既に鬼は立ち上がり後ろへと飛びのいていた。

 空を切る友のナイフ。鬼はその隙を狙ったかのように勢いよく飛び出し、浅黒く変色した爪を前に伸ばした。

「――っ――!」

 頬にかする指を見て友の口から声が漏れる。距離を取ろうとしたが、鬼はそれを許さずもう一方の腕で友の肩を鷲づかみにした。友はあがくようにナイフを斜め上へ斬り上げたが、首を傾けただけで鬼は簡単にそれをかわし、友の体を己のほうへ引き付けた。

 ディエス・イレによって開発されたこの鬼という感染形態は、身体能力を強化されただけではなく、純粋なイグマ細胞の感染者である悪魔とは違い、ある程度の判断能力と認識能力の自由が許されている。故に従来の感染者ではろくに目にすることの無かった、回避や防御という行動を実に頻繁に繰り返すことが出来た。

 友が捕まったのを見た千秋が、背後から鬼へ突進する。しかし鬼は腰を屈めることでそれさえも完璧に避けて見せた。

投げ出すような蹴りを受けて悶絶する千秋。鬼は彼女を無視し、友のほうへ向き直った。

 ――身体能力や五感が異常に強化されている分、そこに判断能力が付加するだけで恐ろしいほど脅威度が跳ね上がっている。さすが、殺人能力だけを極めようとしたディエス・イレの生物兵器と言ったところか……!

 友は諦めずにナイフを突き出したが、それも鬼のもう片方の手で封じられてしまった。これによりなすすべがなくなる。

 服越しであるため十秒感染の危険はないが、鬼にはまだ歯という凶悪な武器が残っている。自分の喉下を食いちぎらんとする相手の意図を察し、友は咄嗟に膝で相手の顎を打ち上げた。

 いい手ごたえだったのだが、その一撃で鬼が手を離すことは無かった。怒りに染まった表情で猛烈な勢いの歯を無防備な首目掛けて繰り出したのだ。



 ――まずい! このままじゃ友さんが――

 鬼の歯が友の肌に触れた瞬間、亜紀は地面を蹴った。腕の一本だけでも退かすことが出来れば、きっと友ならば何とかしてくれると思った。

 鬼は己の食欲を満たすことに夢中でこちらの動きに気づいてはいない。自分に武器はないけれども、一箇所だけ相手にダメージを与えられる場所を亜紀は見抜いていた。

 先ほど友が投げた小型ナイフ。鬼の膝裏に突き刺さったままのそれをスライディングするような動きで踏み抜いた。

 驚いたように鬼の口から悲鳴が漏れ、その背が仰け反った。がくっと腰が落ちる。

 当然、友はその機会を逃さなかった。

 先ほどと同様の動きで膝蹴りを突き上げる。今度は顎ではなく、自分の腕を掴んでいる相手の右腕を狙った。友の紺色の服を引きちぎりながら横へ弾き飛ぶ鬼の手。友はそのまま解放された腕で敵の心臓へ真っ直ぐにナイフを叩き付けた。

 刺さった直後はまだ足掻きを見せようとしていた鬼だったが、ナイフが抜かれ大量の血液が体から放出されると、それに比例して動きを停止させていった。座り込むように体を落とす。

 友はそこで盛大なため息を吐き、ほっとしたように亜紀へ向き直った。

「ふう――……今のは危なかった。まったく、戦闘員顔負けの行動力だな。亜紀ちゃん」

 お礼を言うように頭を軽く撫でてくる。亜紀は僅かに微笑むことで、それに答えた。

 


 不意打ちだったとはいえ、危うく死に掛けた。やはり鬼の戦闘能力はかなりのものだ。友は改めてその脅威を実感し、額の汗を拭った。

 役立たずだったと一人落ち込んでいる千秋の横を抜け、鬼の死体へ目を向ける。

 この怪物が、悪魔同様の十秒感染というシステムを受け継いだこの『病原菌』が常世国の外にでれば、これまでに類を見ないほどの大災害になることだろう。そうなればいくらイミュニティーといえども事態を収拾させることは難しいかもしれない。いや、収拾させられるならばまだいい。事件発生当初多くの在住隊員が抗イグマ剤を使用したにも関わらず、どういうわけか奴らは生命活動を停止しなかった。イグマ細胞を持つ生物には本来ありえない事態だ。これはつまり、鬼を殺すには物理的な殺傷行動を行う以外に方法はないということを示している。

これほどの戦闘能力を持つ生き物に対して一般人がまともな対処を行えるとは到底考えられない。最悪な結末を想像すれば、誰も感染爆発を止めることが出来なくなるという危険すらあった。

「……急ごう。六角代表の身を守らなければ」

 截の出現、抗イグマ剤の効かない敵、古矢の疾走。何かが自分の知らないところで起きている気がする。

 ――妙な事態になる前にここを離れなければ。

 背後の少女の身を案じ、友は急かすようにそう言った。



 階段を降りて研究所外回りの廊下を少し進んだ先。そこでようやく六角構成は足を止めた。

 激しく息を継ぎながら両膝に手のひらを当てる。

鬼の追ってきている気配は無い。イミュニティーの隊員たちが上手く対処してくれたようだ。

 『正夢』という超感覚により、自分の命や将来的なその付近の出来事をランダムで察知することの出来る六角だったが、その力は万能ではない。直接的に命に係わり合いのない事態は夢で見ることが出来ないという弱点もあった。今の状況はまさにそれだろうと推測する。

「くそっ、いきなりだったんで思わず逃げてしまった……。僕としたことが……」

 普段実験体を容器の外から目にすることは幾度と無くあるが、ああして自分の命を狙われるような状況は生まれて初めてだった。反射的に逃亡という選択をしてしまったが、すぐに友たちの下へ戻るべきだと後悔した。

 息が落ち着いてきたところで回れ右をしようとしたそのとき、前方から足音が聞こえた。最初は鬼かと思い身構えたが、音の調子からするにどうやら普通の人間のようだ。身構え視線を向けていると、その主が姿を見せた。

「――君は――……古矢ふるやくんだったかな?」

 坊主頭から僅かだけ伸びたような短髪に、機械にも似た無愛想な目。そのやせ細った顔を見て、六角は自分を救助しに来たメンバーの一人だと思い至った。

「何故こんなところに居る。上の実験体格納庫は君たちが確保している手はずではなかったのか? どういうつもりだ」

 六角が言うと、古谷は淡々とした調子で答えた。

「申し訳ございません、六角代表。同僚の浦部がヘマを致しまして、鬼に感染してしまいました。私はすぐに彼を始末しようと試みたのですが、別の鬼が物音を聞きつけてやってきたため、止む終えなく一時的な逃亡を図りました。私の姿が見えないことで友なら状況を把握してくれると判断し、鬼たちをどうにかするので精一杯だったということもあり、連絡は入れませんでした」

「君が勝手な真似をしたことで僕どころかチーム全員の命を危険に晒したのだぞ。……戦闘員ではない僕が勝手な意見をぶつけるべきではないと思うが、もっとよく考えて行動してくれ」

「はい、申し訳ございません」

 実に形式的に謝罪の態度を取る古矢。六角も立場上そう注意しただけなので、それ以上この話題を引き伸ばすつもりもなく、過剰な非難はしなかった。

「まあ、謝罪なら無事にこの施設から脱出できたあと、じっくりとして貰おう。すぐに国鳥くんたちの元へ戻るぞ。君が居るならば彼らも心強いはずだ」

「了解しました。すぐに彼らと合流しましょう」

 古矢は重々しげに頷くと、六角の横を抜け階段のほうへ進もうとしたが、壁から道の先を覗き舌打ちした。

「――代表。駄目です。私たちの気配を察知したのか、鬼が階段の前に移動してきています。

「何? 本当か」

 六角は確認するため身を乗り出そうとしたが、古矢に止められた。

「危険です。ここは上の実験体格納庫に近い。万が一あの鬼に見つかれば友たちが対処している固体と合わせて同時に二体の鬼を相手にしなければなりません。そうなればあなたを守りきれない。一旦安全な場所まで連れて行くので、そこで待機していて下さい。その間に私が彼らと合流し、付近の鬼を一掃します」

「だが安全な場所などどこにある? そこら中鬼だらけだろ?」

「鬼から逃げている間にいい場所を発見致しました。この先にある資料室です。なに、すぐそこなので心配しないで下さい。鬼を倒したら直ちに戻ります」

 自信たっぷりに言う古矢。六角は彼の様々な任務達成の記録を思い出し、取りあえず納得することにした。

「……分かった。ではすぐに向かおう。どっちの方向かね」

「ええ、こっちです。私の後ろにしっかり付いてきてください」

 そう言って歩き出す古矢。六角は彼の真後ろに追従しようとしたが、ふと先ほど彼の放った言葉を思い出した。

 古矢は友たちが対処している鬼と言った。それはつまり、彼らが現在戦闘中であることを知っているということ。古矢の行動を叱責したものの、自分は一言も友たちの現状について話してはいない。それに、何故守るべき最優先対象である自分が、たった一人でこんな場所をうろついているというのに何の疑問も抱かないのだろうか。質問のひとつや二つあってもいいはずだ。

 六角は現状を経験から推測したのか? と一瞬思ったが、すぐにそれを否定した。明らかに古矢の態度はおかしい。

 六角はこっそりと後ろにさがると、思いっきって先ほど古矢が覗いていた壁から廊下に視線を走らせた。すると予想通り、そこに鬼の姿は無かった。

 ――やはりデマか。

 六角が自分の考えに確信を得たと同時、冷たい何かが首筋に触れた。

 古矢の低い声が廊下全体に鳴り響く。

「――黙って付いてくればいいものを」

 ナイフを突きつけられているにも関わらず、六角は冷静な態度で質問した。

「……どういうつもりかね、古矢くん。ディエス・イレに大金でも詰まれたか?」

「――東郷大儀と協力関係にあることは事実だが、俺は別に奴らの仲間になった覚えは無い。誤解しないで頂こうか」

 心外だとでも言うように古矢は答えた。

「では君の目的は何だ? 復讐か?」

 自慢出来ることではないが、こんな仕事をしている以上、人の恨みは山のように買っている。この男もその一人なのかと六角は考察した。

「テロへの加担でも、そんな陳腐な理由でもない。俺はいつも通り任務に当たっているだけだ。イミュニティーとしてのな」

「イミュニティーとしてだと?」

 六角はゆっくりと古矢のほうを向いた。

「あなたが大きな権力を振るっているため誤解されがちだが、イミュニティーとはイグマ細胞を管理するためだけの組織ではない。それはあくまで大きな部門のひとつだ。非確認生物対策機関、国家に対する危険な生命体を極秘に認識し対処する。それがイミュニティー(免疫)の本来の役目。――あなたは気づかれないとでも思っていたのか、自身の行動を」

「……何の話かな?」

 六角はうそぶいて見せた。

「先のディエス・イレ本部壊滅事件。それに水憐島での黒服の介入。ここ最近のあなたは本部の意向にない独自の動きを見せている。上の連中は当然それを危険視し、念入りな調査を行った。その結果、あなたは自身の資財や直下の人員を使い、極秘に黒服の総師と何らかの密約を交わしているという証拠を得た。本部は直ちにあなたの拘束を考えたが、まともな手段で身柄を捕らえれば黒服やあなたの傘下にある人間たちがどのような行動を起こすか分からない。そこで今回のテロを利用し、あなたを事故死したことにしてその身柄を得ることにしたというわけだ」

「その結果がディエス・イレとの連携だと? 本末転倒ではないか。……地下へ降りるなりにあちらこちらから悲鳴があがったのは君の所為だな? ……何をした」

「詰め所内に居る間を利用し、隊員数名へ鬼の細胞を摂取させた。どこにあなたの部下が居るかわからなかったからな。こちらにとって都合のいい動きが出来るようにそうさせて貰った」

 実に冷静な口調で話す古矢。任務のためとはいえ、同じイミュニティーの人間を何人も死へ導いた後とは到底思えない表情だった。それほど冷酷に淡々と任務をこなせる人間だからこそ、こうして彼は自分を誘拐するための人員として選ばれたのだろう。まともなイミュニティーの隊員がこんな任務をこなすことなど到底出来るとは思えない。

「あなたは『国家の免疫(イミュニティー』に危険物として認定された。これがどういうことかわかるな?」

「ふん、僕はこれまでこの国のために様々な努力をしてきた。その結果が裏切りの汚名か。酷いものだ。何を質問しようとも、この僕から黒服の情報など出んぞ」

「それは後で聞けば分かることだ」

 古矢はナイフを押し当てたまま六角を自分の前方へ移動させた。

「いくら東郷大儀の憎悪の対象があなたやイグマ部門だとはいえ、奴らが俺を裏切らないとは限らない。さっさと下へ降りるとしよう。友たちもそろそろ鬼(浦部)をどうにかしている頃だ」

 背中を押すように古矢が歩き出す。六角は感覚こそ持つものの、戦闘員としての訓練など一切受けてはいない。政治的な手腕や財の運用が上手かったからこそ、上部へのし上がりイグマ部門の代表へとなれた人間だった。

 ここで下手に抵抗しても意味は無い。この状況を夢で見ることは無かった。つまり、自分の命に関わることではないはず。とりあえず、現状では素直に従おうと考えた。

 その、直後だった。

 高い金属音が鳴る。

 はっとして振り返ると、古矢が何者かの攻撃をナイフで防いだところだった。

「っち――!」

 煩わしそうに舌を鳴らし、古矢が腕力で相手を遠ざける。それによって六角は対象の顔を視認することが出来た。

 黒いショートヘアーにくりくりとした大きな目。一見華奢に見えるが、多くの任務をこなして来た熟練戦闘員の一人。古矢に近い実績と経験を持つイミュニティーの勇士、真田雫さなだしずくだ。

 彼女はクルクルとナイフを回し身構えると、敵を見るような視線を古矢へ向けた。

「ふむ……ひと気は無かったはずだが……どこから聞いていた」

 怪訝そうに古谷が首を傾げる。

「東郷大儀と協力関係にあるってとこらへんからですね。中々面白い話でした。もっと注意深く確認したほうがいいですよ。例えばロッカーの裏とか」

「――つまり、ほぼ全てというわけか」

 イグマ部門の代表である六角を救助するという建前上、下手な人間を送ることは出来ない。古矢やその上部の人間は難色を示したはずだろうが、外聞を考えて雫や友という実力者を送り込むしかなかったのだろう。自身と同等の実力を持つ雫の登場に対し、古矢の表情があからさまに不機嫌なものとなった。

「組織内のゴタゴタに入っていくつもりなんて無いですけど、そこの人を無事に助け出すのが私の仕事ですので、取り返させてもらいます。あなたは他の隊員たちのかたきでもあるみたいですしね」

 鬼の細胞を注入し、混乱を図った古矢の行動が許せないのだろう。雫は歯を噛み締めるようにそう言った。

 イミュニティー上部の誰による指示かはわからないが、その決定は極秘事項のはず。つまり、自分の誘拐という事実を知っている人間は全て消さなければならないということだ。六角は古矢の目に殺意が篭るのを感じた。

 ピリピリとした空気が張り詰める。

 両者とも基本的な斜構えの体勢を取り、お互いの動きを注意深く観察した。

 自分の身の上がこの戦いで決まるかもしれないというのに、六角は興味深そうに二人を見つめた。

イミュニティーきっての好カードであるという理由もあったが、とある事情から自分の身が最終的には絶対安全だと確信していたからだ。じりじりと距離をつめる二人に目を向け、顎に手を置いた。



 先に動いたのは雫だった。

 柔らかい体を活かし滑り込むように右足を古矢の足元へ差し込むと、左足を引き付ける力で右手のナイフを前へ持ち出した。前衛を勤めているならではこそのスピーディーな動きだ。

 回避は間に合わないと悟ったのか、古矢は逆に前方へ体を押し出し、雫の突きの勢いを消した。お互いの体が衝突し、重なったナイフからは火花が散る。

「ふぐっ!?」

 筋力の差により弾かれる雫。その機を逃さんと古矢が追撃を試みたが、既に体勢を立て直していた雫はさらに低く身を屈ませた。古矢の視界から少女の姿が一時的に消失する。

 低空戦闘。それが雫の得意とする戦い方。己の小さな体を活かし、相手がもっとも狙い難い下方からの攻撃を行うというスタイルだ。

 水面蹴りの要領で足を引っ掛け、古矢のバランスを崩す。倒れこそしなかったものの、よろけるように彼は壁際へと片腕をついた。

 ――いける。

 雫はそう確信した。

 相手の攻撃をかわすことになれている自分とは違い、後衛を務めている古矢は力ずくで獲物を仕留めるのがその役目。いわば、絶対に仕留められる状況で相手に攻撃することが仕事だ。一対一での戦闘なら勝てる自信があった。

せわしない娘だ……!」

 背中を壁に当てることで己の体重を支えた古谷の口が、わずらわしそうに歪む。

 それを勝機と捉え、雫は一気に前に踏み込んだ。

 低位置からの息もつかせない連撃。自分のもっとも得意とする動作で止めを刺すつもりだった。その初動として引きのないノーモーションの一撃を古矢のふところ目掛けて滑り込ませる。

 だがその途端、古矢はナイフをこちらの顔目掛けて投げつけ、背筋の力で飛び出した。

 相手が武器を手放すとは思ってもいなかった雫は虚をつかれ、反射的に動きを止めてしまう。古矢のナイフを弾いた瞬間、腹部に強い衝撃を感じた。

「んっ――!?」

 口から体液がこぼれ、苦悶の表情を作る。

 古矢は雫の体から膝を抜きもう片方の足でこちらの片足を叩き付けた。

 何とか転びこそしなかったものの、強い痛みが太ももの上を駆け巡る。雫は自重に任せて後方へと逃げたが、完全に相手の間合いから逃れるより早く、喉下を鷲づかみにされ壁に叩きつけられた。

「俺は今こそ後衛というポジションについているが、やろうと思えば前衛も中衛も問題なく行える。甘く見ないことだ」

 空中で自身のナイフをキャッチし、古矢は自慢する様でもなくそう言い切った。

 左手で古矢の腕を押さえながら、雫はキッと彼を睨みつけた。今のはイミュニティーのセオリーには無い動き。どことなくディエス・イレに近い戦術を感じる。

「大した、自信ですね。黒服にでも入る気なんですか?」

「まさか。俺は社会的な身分を捨てるつもりなど無い。まあ、上部が設立した特殊部隊などになら喜んで在籍するかもしれないがな」

 六角が立場を追われた後の世界を想像するかのように、古矢は微妙な笑みを浮かべた。

「さて、時間も無いことだしそろそろ終わらせて貰うぞ。悪く思うな」

 逆手に握り締めたナイフを雫の胸の中心に添える。僅かに刺さった切っ先の痛みを感じ、雫は口を真一文字に結んだ。

「むっ!?」

 何かに気がついたかのように、古矢の表情が曇る。彼が腕を放したコンマ数秒後、それがあった位置を小型のナイフが通過した。

「っち、意外と早かったな!」

 大きく雫から離れつつ、警戒態勢をとる古矢。すぐに雫は何が起きたのか悟った。

「友先輩……!」

 安心と信頼を込めてその名を口に出す。

 鬼にやられたのか左腕の服が引きちぎれていたが、たいした傷などは受けていないようだった。

 雫の前までゆっくりと移動した後、友は怪訝そうな顔で古矢を見た。

「古矢、一体何をしている? どういうつもりだ」

「任務をこなしているだけだと言っておこうか」

  さらに一歩後ろへ下がりつつ、古谷はそう言った。

「任務だと?」

「国鳥、どんな組織だって完全な一枚岩になることなどない。地位というものがある以上、必ず勢力争いが存在する。当然、その数だけ策謀も仕事もな」

「何の話だ」

 友は問い詰めようとしたが、古矢がそれ以上何かを話すことは無かった。

 多勢に無勢で不利と判断したのか、くるりと反転する。

「待て! 古矢っ」

 掴みかかろうとした友の前に、古矢が親指ほどの小さな筒を投げた。刹那、それが発光し、大量の煙を周囲に撒き散らした。

 ――瞬間発煙筒!?

 イミュニティーによって開発されている携帯用装備のひとつ。喉に侵入してくる気体を咳として吐き出しながら、雫はそれを理解した。

 内臓している成分の分量からか、瞬間発煙筒の効果時間は短い。だが、煙が晴れた頃には既に古矢の姿は無かった。






 急いで六角らがいる場所から離れつつ、古矢は携帯を取り出した。連絡先は勿論、東郷大儀だ。

 僅かな待機音の末、すぐにそれは繋がった。

「東郷か。少々面倒なことになった。イミュニティーの勢力を分散し、六角の身柄を押さえようとしたが失敗した」

 電話の向こうで東郷が唸るのが分かった。

「――否定はしない。だが、隊員の半数以上を死亡させることには成功した。これで六角が常世国を脱出するにはさらに慎重にならざる終えないはずだ。まだ再接近の機会はある」

 角を曲がろうとしたところで先に鬼が見えたので、そのまま壁に張り付き声を落とした。

「心配するな。奴らがどう外の連中に報告しようとも、その上が俺の依頼者だ。最終的に六角の身柄を得て事実を知っている人間を始末すれば、後はどうとでもなる。――……ああ、そうだな。とりあえず一旦合流するとしよう。――では」

 電話を切り、古矢は携帯をふところにしまった。

 再び壁から目を覗かせると、先ほどの鬼の姿は消えている。今なら移動できそうだ。古谷は音を立てないように静かに歩き出した。

 東郷大儀の目的は六角にファーストブラックドメイン、G.Cを開けさせること。そしてその中に充満しているイグマ細胞と自分たちが生み出した鬼を使い、常世国の外へ感染者を拡散させ、六角構成とイミュニティーイグマ部門を完膚無きまでに弾圧することだ。自分の目的は六角構成を安全かつ隠密に誘拐し、黒服に関する情報を彼から引き出すこと。利害の一致から協力関係を結ぶに到った。

 きっかけはあのディエス・イレ壊滅事件。

 ディエス・イレの本部が何者かに襲撃されるという情報を得たイミュニティーの上部は、それに黒服と六角構成が関係していると推測を立てた。彼らの目的が何なのかはわからないが、放っておけば自分たちにとって害になるのは目に見えている。そこで、古矢という信頼の置ける部下を利用し、ディエス・イレ壊滅直後に潜伏していた東郷に接触を図った。

 東郷大儀の計画を知った上部はそれを利用し、六角と黒服の陰謀を解明、もしくは阻止しようと考えたのだ。

 常世国へディエス・イレのスパイを上手く侵入させ、その構造、システムの穴など、上部が知っている全ての知識を彼らに与えた。つまり、ディエス・イレとイミュニティー有力者の一部の人間が共同で起こしたのが、今回のこのテロというわけだ。

 東郷がもっとも恨んでいる存在はイグマ部門と六角構成だが、イミュニティーという存在そのものにもある程度の憎悪があることは否めないはず。主要な人間が全て研究所内へ降りた今、こちらから与えられる恩恵はもうほとんど無い。東郷たちがどのような行動にでるかも分からない以上、その動向には注意しておく必要がある。

 実は上部からは可能ならば東郷を殺せとも言われている。今後の対策を練るという名目もあったが、その隙、東郷の弱点を発見するためにも、古矢は今一度彼らと合流するべきだと考えていた。


 

 

「なるほど、そういうわけか……」

 雫から話を聞いた友は、神妙な顔で頷いた。

「ということは、古矢は六角代表以外、つまりこのことを知っている俺たちを全滅させる気なんだろう。ただでさえ鬼という危険な生き物が溢れている状況なのに、面倒な事態になったな」

「代表……」

 六角の秘書、さかきが心配そうに彼の顔を見つめる。六角は安心させるように長い黒髪の掛かるその肩を叩いた。

「大丈夫だ、榊くん。いくら訓練を積んでいようと、所詮彼だって人間だ。こっちには歴戦の戦闘員が二人も居る。それに鬼がうじゃうじゃ存在しているこの場所で、そうそう彼だって思うようには動けんよ」

「……はい」

 両手を胸の前で重ね、榊は頭を下げた。

「これからどうするの?」

 かなり疲れた様子で千秋が質問する。僅かに考えを巡らせたのち、友は答えた。

「どっち道俺たちのやることはこっから脱出する以外にない。隊員が減ったことで奴らはこちらの移動速度が遅くなると考えているはずだ。それを逆手に取り、なるべく早くG.Cを目指そう。代表も言っていたが、奴らだって普通の人間だ。鬼を避けて移動しなければならないはず。先に脱出してしまえば、何も出来はしない」

「でも、脱出してからはどうするのよ? 相手はイミュニティーの上部なんでしょ、いずれ証拠隠滅のために殺されるかもしれないわ」

「上部の人間が全て古矢側なら、こんな手段をとらずとも他に方法があったはずだ。この手段では今のイミュニティーにとってもリスクが大きすぎる。恐らく、あいつに指示を出している人間は六角を失脚させ、イグマ部門を潰したい立場にいる人間だ。組織内で公に動こうとすれば大きな抵抗にあうのは目に見えている。だからイミュニティーに何のかかわりもない東郷を利用した。脱出さえすれば自分の関与を疑われることを恐れて、迂闊に手は出してこないんじゃないか」

「楽観的な推測でしかないわ」

 納得がいかなそうに千秋は頬を膨らませた。

「ここでどうこう言ってもしかたないだろ。まずは脱出するのが先決だ。後のことは……それから考えればいい。――さあ、まずはさっさとG.Cへ進入しよう。こうしている間にもまた古矢が何かを画策しているかわからない」

 友はそこで話を切り上げた。全員の前に出て亜紀のほうへ目を向ける。

 ――そう、こんなところで彼女を殺されるわけにはいかない。

 三年前の事件で唯一守りきれた人間。自分がイミュニティーに在籍しているで理由あり、闘う目的。彼女の身を守るためにこれまで自分は過酷な任務に耐えてきた。

何としても無事に脱出させる。そう改めて覚悟を決めた。





 研究所地下二階、内回りの廊下。

 遠くのほうに大きな両面扉が見える。目を凝らせば、そこに超感覚者実験室と書いてあるのが分かった。

 夏を唐沢に背負ってもらい、再び研究所内へ進入した截は、すぐに備え付けられている地図を確認した。自分がこの常世国を訪れたそもそもの理由、それは六角と黒服の繋がりの証拠を掴むため、そして、超感覚者バシン計画の実態を把握するためだ。高橋志郎から得たデータによれば、超感覚者計画はここ常世国で研究されていた。

 長年悩んでいた謎が、自分のルーツが、全てここに隠されている。

 截は口の中に溜まった唾液を一気に飲み干すと、両手のナイフを左右に振った。

 実験室の扉までの道のりには三体の鬼と、二体の髑髏鬼が居る。唐沢の話ではここ以外にあの部屋へ侵入する手立ては無い。ならば、命を賭けて突き抜けるしかないだろう。

「――行きます」 

 腰を屈ませ足に力を溜める。背後に控えている唐沢の顔にも緊張の色が走った。

 ――あそこに、全ての答えがある。

 覚悟は出来ている。迷い無く、截は前へ踏み出した。







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