<第十六章>急転する事態②
「ふむ、やっぱり大分壊されているな。……これは全部再建するのに一体いくらの資金と時間がかかることやら」
研究所内、実験体格納庫。そこに足を踏み入れた六角は、自分の記憶と目の前の光景との違いに深いため息を漏らした。
「中央のポッドが開いています。あれは確か唐沢主任が研究を行っていた再生細胞増殖生物の水槽……代表、気をつけたほうがいいのでは?」
吹き抜けとなっているこの場所からは、どこからでも全階層全ての様子を目視することができる。最下層にある扉の吹き飛んだ水槽を見て、秘書の榊が不安がった。
「ん? ああ、それは心配ない。あれの末路は既に夢で見ている。僕たちのもとへ来ることはないさ。それよりも危惧することは別にある」
背後に控える友、雫、亜紀その他の隊員たちを視認し、六角は残念そうに目を下げた。
「僕たちがブラックドメインから脱出することはディエス・イレ側にも予想がついているはず。それにもかかわらず、これまでに何の妨害もないのはおかしい。まるで誘導されているかのようだ。もしかしたら、奴らは僕をG.Eへと追い込みたいのかもしれない」
「G.Eへ? 何故です?」
理由を推測することが出来なかったのだろう。榊が恐々とした表情で詰め寄った。
「あそこにはディエス・イレすら知らない未知の原生生物がウヨウヨしているからね。それを手に入れることが出来れば、生物兵器を作る上で飛躍的な技術向上に繋がる。暗殺などせずにわざわざこんな事件を起こしたのも、普段は厳重極まりない封印を施してあるG.Eへ進入するためだったと考えれば、納得がいかないか?」
秘書の女性が息を呑んだ。もし六角の言葉が本当ならば、彼女たちが逃走することによって、東郷たちに閉鎖中であるG.Eへの道を切り開くことになってしまう。それはイミュニティーのとってあまりに大きな損失だった。
「でも、現状ではそこ以外に脱出手段がありません。どうする気です?」
話を聞いていた友が背後から尋ねる。六角はすぐに答えた。
「――……奴らがどんな脱出手段を講じているかは知らないが、今常世国の周囲は無数の隊員で囲まれている。僕たちが脱出し次第、高速エレベータを閉鎖すればいい。あの大質量昇降機は内側からの感染体によるどんな攻撃にも耐えられるように設計されている。例えダイナマイトやC4爆弾を利用しても、すぐには壊れない。そもそも簡単に大破出来るのならディエス・イレもそこから進入しているはずだしな。もともと人が踏み込むようには考えられていない場所だ。閉じ込められれば、ものの数分でテロリストたちもあの世へ旅立つさ」
――そう、G.Eはそれほど危険な場所。護衛が居るとはいえ、本来は自分たちが高速エレベータにたどり着けるかどうかすら怪しい危険区域。「感覚」を持たない東郷など、閉じ込められればひとたまりもないだろう。それに――
別に今更東郷たちにG.Eの情報をいくら与えようと、『自分』には何の問題もない。そのころには全てが終わっている。
密かに進行している計画を思い、六角はあっけらかんとした調子で言った。
「――ところで、この大人数で移動し続けるのはちょっと効率が悪いな。感染者に攻撃されても回避する隙間がない。いくらか分散して行動しないか」
「……そうですね。人が集まればその分気配も大きくなる。最終的にブラックドメインへの隔離扉で合流するのがいいかもしれない。数人程度のまとまりを作り、あとはそれぞれ別のルートで移動しましょう」
こちらの意図をすぐに理解し、友が周囲の人間に指示を出し始めた。さすが救出部隊に選ばれただけあり、使えると六角は感心する。
――頼むぞ。国鳥友。君には最後まで僕を守ってもらう必要がある。無事に屋上まで出ることさえ出来れば、こちらの思惑は達成できるんだ。
ディエス・イレの襲撃というまったく予期していなかった事態だったが、自分の目的を達成するためにはかえってこの状況のほうが都合がいい。いくつもの思惑を腹にかかえ、六角構成は静かに動き回る面々を傍観した。
截は超感覚によりあの怪物の攻撃を避けていた。波に押されはしても、溺れたり怪我をするようなことはないはずだ。
「截、どこだ!」
肩まで浸かった水を掻き分け、唐沢は声を荒げた。
背後では盛り上がった水面が蠢き、徐々に何かの姿が浮き彫りになってきている。全体像はわからないが、相当な大きさであることは明らかだ。完全に動き出せば自分の力では絶対に止めることは出来ない。必ず截の協力がいると、唐沢は再び叫んだ。
「截! 返事しろ」
すると、目の前の水が飛び跳ね、黒い塊が水面に表出する。タイミングよく截が顔を出したのだった。
「よし、無事か。すぐに通路に上がるぞ。水の中じゃ不利すぎる」
截は軽く咳き込みながら答えた。
「東郷たちは――?」
「G.Eを解放しに行った。そっちも早く何とかする必要はあるが、まずはあれを止めるのが先だ。外の連中がうまく放出した感染者たちを倒せるかなんて、五分五分なんだ。もしあれが壁を粉砕すれば最悪この町、浄泉橋中の人間が殺され感染する。バイオハザードどころかパンデミックになっちまうぞ!」
町ひとつが感染者で溢れかえるなどしゃれにならない。しかも、今回の場合は夢遊町で起きた事件とは違い、根源の感染体を殺してもその拡大は止まらないのだ。何としても止める必要がある。
「――唐沢さん、下がれ!」
截が前を見て唐沢の腕を引っ張った。水中であるため大して位置は変わらなかったが、その影響で体の向きが変わる。
二人の前にテュフォンと呼ばれた怪物の全身が表出した。
まず目に入ったのは三つ葉のクローバのような頭。その尖った部分それぞれに大きな丸い目玉が光っている。
水を掻き分け浮かび上がった体は巨大な芋のようだった。背中のど真ん中にぱっくりと割れた大きな口があり、全身を覆いつくすように短く太い触手が生えている。そしてその二本の脚部はスキー板のごとく長く伸び、それぞれがひとつの指、爪のような形をしていた。
瞬く間に、唐沢は相手の移動手段を理解する。
「急げっ――!」
あれは高速移動用の体。「特攻」するために調整された生物。水中どころか、陸上においても逃げるのは容易ではない。このままではその進行を食い止めるどころか何も出来ずに自分たちが殺される。
言わずとも感覚で理解していたのか、截もすぐに通路へ向かって泳ぎだした。激しい水飛沫が飛び散る。
「ブボォォォォォォォォォォォォオオオウウウウー!」
汽笛のような轟音が怪物から発射される。同時に強烈な空気の塊が二人の体を押した。
「早く、このままだと死ぬぞ!」
截が通路の縁に手を突き、膝を立てる。次に唐沢が腕をそこに伸ばしたとき、怪物は全身の触手を下水道中の側面に張り巡らし、パチンコ鉄砲のゴムを引くようにその体を後方へと下げた。
――来る!
間に合わない。唐沢は全身の毛を総毛立たせ、恐怖から目を見開いた。
六角行成と別ルートでブラックドメインを目指すことになった隊員たちは、約十五人にも上った。
これはほぼ常世国付きの隊員全員であり、六角行成の元には救助部隊の面々と一部の生存者だけが残った。
地位の高い者が安全を優先されるのは当然のこととはいえ、隊員の中にはそれを不満に思う者も居る。警備主任の中崎一もその一人だった。
ガラス張りの部屋が並ぶ通路を歩きながら、自然とため息が漏れる。
「畜生……比較的安全だっていうから、俺はここの隊員に志望したんだ。それがまさか、こんな羽目になるとはな」
自分はもう随分と現場を経験した。仲間の死に目も何度も何度も見た。そろそろ現場を離れようと思って見つけた最高に条件のいい職場だったはずなのに、何でこうなるのだろうか。己の運のなさを心から嘆いた。
「鬼に遭遇したら俺たちは終わりだぜ。あの救助部隊のように優秀な人間なんかじゃないんだ。この面子だってみんなだらけきった隊員ばかりだし、ったく、六角代表は俺たちに死ねって言ってんのかね」
「しょうがないですよ。大勢で行動していたら本当に危険なんですから。それに、研究所の中は地上や上の職員施設より感染者の数が少ない。まだマシだと思っていたほうが気が楽ですよ」
「お前は真面目だね~よくそんな風に考えられるわ」
微笑む女性隊員をちらりと一瞥し、中崎は額の汗を拭った。鬼と遭遇したときに勝ち目がないことは、六角行成の所為ではない。実力の無い自分たちが悪い。それは当然わかっている。しかし気持ちとして、一人の人間として、やはりどうしても愚痴を言ってしまうのだった。
ゴホゴホと女性隊員が咳き込む。風邪を引いているのか、結構辛そうだ。
「大丈夫か?」
「ええ、ちょっと疲れたみたいですね。ずっと働きっぱなしですから。実は、もう二日も寝ていないんですよ」
口元に手を当てたまま、女性隊員は困ったように笑った。
「何でだ? お前昨日は非番だったじゃないか」
「こんな仕事ですから……なかなか彼氏と会えなくて、つい夜通し遊んでしまって」
「……ああ、なるほど。俺も経験があるよ。あのころの妻はかわいかったからな。今じゃ家に帰っても『あら、居たの?』って感じだが。でも、寝ないのはよくないぞ。この仕事は一瞬一瞬の判断が大切だ。もしものときに頭が働かないなんてしゃれにならないからな」
「――……はい、気をつけます」
女性は再び咳き込んだあとにそう言った。
「中崎さん。あれを見てください」
二人の後ろを歩いていた若い隊員が前を指差す。中崎が指された場所に目を向けると、通路奥の角、ここからは死角になって見えない位置に、動く影があった。
――感染者か?
「二人とも静かに。逃げる用意をしとけ。もし鬼なら俺たちの実力じゃ絶対に勝てねえ」
当然二人ともそのことは分かっていた。中崎が声をかけると同時にそれぞれ身を引くする。
影は徐々に大きくなり、ついにその主が角から姿を見せた。
相手の正体に三人は驚く。
「千原じゃねえか! どうした!?」
この常世国で働いている職員の一人、中崎もよく知っている仲間である千原が、全身を傷だらけにして立っていた。
「その傷、鬼にやられたのか? ついっさっきまで元気に行動してたのに……」
千原も三人と同様に生存者組の中におり、自分たちと同様にバラけてブラックドメインを目指しているはずだった。もしやこの先に鬼が居るのかと思い、中崎は彼を問い詰めた。
「……ぁ……中崎さん。それが……」
かなり小さな細い声で千原がつぶやく。相当出血していたらしく、既に虫の息だった。
彼の姿を見て女性隊員が息を呑む。ショックが体調に影響したのか、先ほどよりも激しく咳き込んだ。そんな彼女の姿を見て、何故か千原が目を見開く。
「や、やっぱりこっちにも……中崎さん、早く……逃げて…下さい」
「何? どういうことだ?」
「俺たちの中に、あいつが…あの男が……」
千原の口から大量の血が漏れる。思わず中崎は目を逸らした。
「あの男? 誰です」
若い隊員が厳しい表情で千原に質問した。しかし、既に遅かったようだ。千原はそっれっきり動かなくなり、がっくりと中崎の腕の中で息を引き取った。
「……死んだ」
中崎は歯軋りし、目を伏せた。
「……よくわからないけど、ここから離れたほうがよさそうだ。中崎さん。別の道を行きましょう。何だか嫌な予感がする」
「そうだな。よし、二人ともとりあえず分散地点まで戻るぞ。他の班が移動した場所を通ることになるが、これだけ時間が経っていれば問題はないだろ」
そっと千原を下に下ろし、歩き出そうとする。若い隊員はすぐに続いたが、女性隊員は某立ちしたまま、まったく動かなかった。
「どうした? 行くぞ」
中崎が不審に思い彼女の肩に手を置く。すると――
突然女性が猛烈な力で彼の腕を掴んだ。
「なっ、痛てぇっ!? ちょっ、お前なにを――」
相手の行動の意味が分からず女性の顔を見上げる。すると、中崎の目に想像だにしない光景が写りこんだ。
「あっ……ぁぁああああ……ああああああああっ……!」
口から泡を吐き、パクパクと動かしながらこちらを見上げる女性の顔は、猛烈な苦しみに耐えるかのように歪んでいた。
その肌には徐々に血管が浮き上がり、赤く、赤く、染まっていく。
「中崎さん!」
若い隊員が女性の腕を蹴り飛ばし中崎を開放した。直後、大きな悲鳴をあげ女性が転げまわる。
「何だ!? 何なんだ!」
今さっきまで会話をしていた相手が、元気に行動していた人間が、何故突然こんな豹変したのだ。中崎にはさっぱり理解できない。鬼と接触したわけでもあるまいし、十秒感染する要因もなにもないはずだ。
「彼女はもう駄目です! 逃げましょう」
しかし中崎は動けない。フリーズしてしまったかのように口を開け変化を続ける彼女の姿をただ見つめた。
若い隊員は諦めたのか、それ以上声をかけずに走り出す。だが、数秒もせずに彼が向かった先から悲鳴が聞こえた。
「な、なん――ぎゃぁぁぁああああっ!?」
「ぁああぁぁぁあ……ぁぁあああああ……」
女性の声が濁る。それはついに鬼とまったく同じものとなった。
「ザァァァアア……ァァァア……!」
「藤井……?」
名を呼ぶが、返ってくるのは豪雨のような唸り声だけだ。次の瞬間、中崎の視界は白く並んだ歯と、真っ赤な舌に多い尽くされた。
突如研究所のあちらこちらで悲鳴があがり始めた。距離がそう離れていないからか、壁越しでもはっきりと聞こえる。
その事実に、友は何かよくないことが起こったのだと確信した。
――鬼か? それにしても――多いぞ!?
無言のまま片手を後ろに下げ、みなに止まるように伝える。
「六角代表、少し待ってください。他の班の隊員の状況確認を行います」
のほほんとしていたイミュニティー代表の男に声をかけ、雫が携帯電話を取り出した。
彼女の動作を亜紀と千秋、そして秘書の榊が心配そうに見つめる。
この六角を保護する最重要脱出班のメンバーは総勢六名。友、雫、六角行成、亜紀、千秋、榊といった面子だ。班を決める当初、多くの隊員は六角行成と救出部隊だけが行動を共にし、残りの生存者たちは全て一般隊員が誘導するだろうと思っていた。だが、どういうわけか六角が戦闘能力の低い女性たちは、一番安全な自分と一緒に行動したほうがいいと言い出したため、今の面子となった。彼いわく超感覚を持っているからこその判断らしいが、友にはなんだか裏があるようにしか思えなかった。守るべき対象を増やすことで、自分に対する意識の集中を減らしたい。そんな思惑を感じる。
配管が無数に伸びている廊下の真っ只中、雫の声だけが周囲に響いた。
「――駄目です。同ルートを先に進んでいる古矢班以外、どこからも応答がありません後方に居たはずの班からも連絡が途絶えました。通信機器に細工をされているのか、出れるような状況にないのか、とにかく何らかの妨害にあったことは確実なようです」
「後方の班に連絡が取れないということは、同じことが僕たちにも起こりえるということだ。どうする? 国鳥隊長」
六角が奇妙なほど落ち着いた態度で意見を求めた。
「……詰め所の監視カメラから得た情報により、私たちは一番安全なルートを進んでいました。ここより危険とはいえ、それは他の班も同じはず。古矢班を除くその全てに何かがあったということは、隊員の中にスパイがいたか、何らかの手段で監視カメラの映像を敵に把握されている可能性がある。とりあえずこの先の安全は古矢班のおかげで確証が取れています。まずは彼らと合流しましょう。違うルートを選択するにしても、どこかに避難するにしても、それからです」
「そうだな。ここで論議ていればそれだけその何かに遭遇しやすくなる。こちらが向かう間に古矢たちも安全地帯を確保する余裕があるはずだ。今はとにかく早くこの場を離れるべきだろう。では国鳥くん、先導をお願いするよ」
普通組織の代表といえば、政治や交渉手腕に長けているだけで現場の判断基準や思考パターンには疎い人間が多い。だが六角行成はまるで本物の隊員のごとく簡単に答えを出した。幹部候補生として、エリートとしてのし上がってきた彼がここまで冷静な判断を下せるという事実に驚きつつも、友は命令の通りすぐに先頭へ出た。
正直に言えば雫には後衛として自分の背後に居て欲しかったが、それを行うと背後から感染者に急襲された場合の対処がおろそかになってしまうため、生存者たちを二人で挟むように進むことにした。
何かがふにおちない。何か奇妙な感がする。
肌寒いものを感じ、友は小さく肩を震わせた。
――……截、お前のほうは大丈夫なんだろうな。
地上で別れた旧友の身を案じる。多数の仲間がいるイミュニティーですらこの有様なのだ。自分や亜紀とは違い、彼は完全なる外敵要因。不法侵入者。もし六角に危険視されれば、その息の根はすぐに止められる。
イミュニティー、ディエス・イレ、そして数多の感染者。自分以外の全てが敵であるこの地獄の中で、彼は無事に脱出することが叶うのだろうか。何だか三年前のデジャヴゥを見ているようで、不安な気持ちがずっと心を捕らえて離さなかった。
「ここは、随分と陰惨な場所ですね。古矢さん」
常世国付きの若い隊員。浦部はその場所の持つ雰囲気に耐え切ることが出来ず、青白い顔を古矢へと向けた。薄暗い部屋の左右には無数の檻が並び、腐った死体やまだ原型を留めている人間が無数に転がっている。
「実験体用の材料格納庫だからな。幽閉された材料たちの怨念でも溜まっているんだろう。君がそういう霊的なものを信じるかどうかは知らないが」
「材料って、つまり何らかの理由で実験対象になった『人間』たちのことですよね。ディエス・イレの捕虜とか、死刑囚だとか。……古矢さんは怖くないんですか?」
まるで人を人と思っていないような古矢に対し、浦部は思わずそう尋ねた。
「何故怖がる。感染者はみな動く半死体だぞ。常日頃から見慣れているだろ」
「か、感染者と人間の死体とじゃ、ぜんぜん違いますよ! あっちは化け物、こっちは仏様じゃないですか」
「君の基準はよくわからないな。襲い掛かってこないぶん死体のほうがマシだと俺は思うのだが」
「……もういいです。あなたにまともな返答を求めた僕が馬鹿でした」
がっくりと肩を落とし、浦部はうな垂れた。
――やっと無言じゃなくなってくれたと思えば……駄目だこの人、根本的に俺たちと考え方が違う。何かイミュニティーの中でも数少ない黒服クラスの隊員っていう話だし……きっとそんな倫理観なんかとっくの昔に吹き飛ぶほどたくさんの実践経験をしてるんだろうな。
自分は新人も新人、ペーペーも良いところ。古谷との温度差の原因にそんな理由を作り、浦部は何とか納得した。
「見ろ」
立ち止まった古谷が前を指差す。浦部がそこを見ると、左の端にある檻の中に動く影があった。こちらの気配を察知してか、激しく牢を掴み暴れ始める。
「お、鬼!?」
「生きている材料も居たんだろう。腕に激しく噛まれたあとがある。そこから十秒感染したんだ」
「はぁ~、危なかったですね。確かこの先は下の階に下りるための階段がある。もしこの檻の鍵が開いていれば面倒なことになってましたよ」
浦部は額の汗をじっくりと袖で拭った。
「ここは円柱をくり抜いたような構造だから、別に下階へ移動するための階段はその一本だけではないが、まあ迂回することによって時間を食うことは確かだな。他の階段が塞がっていない保障はない。先ほど真田雫から受けた不穏な連絡のこともある。とりあえず六角代表がたどり着くまでここを確保しよう」
仲間の大多数と連絡が取れない。その事実は二人に大きな衝撃を与えていた。古矢の言葉に頷くと、浦部は通路の先、階段の方向を調べようとした。
「あ、ちょっと待て。念のためその鬼がいる牢の鍵を確かめてくれないか。もしかしたら損傷しているかもしれない」
「あっ、はい。わかりました」
指示された通り牢へ近づく。するとだんだんと周囲の空気がむわっとした湿気を帯び始めた。どうやらこの牢の中から発生しているものらしい。不快な臭いを感じたので鼻を押さえながら目を凝らすと、奥にいくつもの肉塊が転がっているのが確認できた。
――同室の『材料』か。この男が鬼になったことで、食われたんだな。かわいそうに。
形だけの追悼を捧げる。しばらくして目を開けた浦部は、視線を牢の扉中央、鬼を閉じ込める要である鍵へと向けた。
「……う~ん、大丈夫そうですね。ところどころ引っかき傷みたいなのはありますけど、これなら鬼が外へ出るようなことはなさそうです」
「そうか」
かなり近い場所から古矢の声が聞こえた。どうやらいつの間にか真後ろに立っていたようだ。気色悪いので離れようとしたとき――
「なら、やはり外に鬼を作るしかないな」
「え?」
ドンッ、と。浦部は背を強く押された。