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<第十五章>急転する事態①



 非常出入口と書かれた扉をくぐると、螺旋階段があった。白い手すりと金属製の足場がかなり急な角度で下に向かって伸びている。

 ――お嬢さんをつれてここを降りるのは結構重労働だな。

 自らの背中に寝ている夏を省みて唐沢は大きな息を吐いた。

 一段一段降りるごとに寒さが増した。まだ秋だというのにかすかに息が白く染まる。

 ところどころ截の手を借りてなんとか降りきったころには、唐沢の頬には無数の汗が張り付いていた。

 そのまま古いコンクリートに囲まれた通路を進むこと数分。二人の耳に水音が聞こえてくる。

「ルートは完全に把握しているんですか? 地下水道はめったに職員が訪れる場所じゃない。ちゃんと研究施設への入り口を見つけられるんでしょうね」

「大丈夫だ。この地下水道は研究所の上に常世国という、擬態施設が作られる前からあった場所。本来はこここそが正式な研究所への入り口だった。もっとも利用されたのは最初の数年だけだがな。……俺は研究所の主任になる前まではいち職員として通っていてね。何度もここを歩いていた。迷うわけがないさ」

「でも――あなたは戦闘員としての経験もお持ちのはずだ。どうやって職員と戦闘員との仕事の両立を?」

 截はふらつき、寄りかかるように壁に手をついた。

「簡単なことだ。俺はスパイ対策の一環として研究所に送られていたんだよ。当時は今よりもセキュリティーが甘くてな。簡単にスパイも入り込むことが出来た。戦闘能力を持ち、かつ医学分野にも精通している人間として、俺を含め多くの隊員が配属されたんだ。所謂、警備員兼、職員ってところか。……本当は一年程度で任務は終わりだったんだがな。俺はそっち方面の才能があったらしくてね。そのまま研究員として昇格してここに残り、いつの間にか主任にまでなってしまったんだ」

「昇格……黒服では絶対にありえないことですね」

 截はそれ以上なにも聞かず、前を向いた。傭兵のような役割を持つ黒服メンバーは、あらゆる分野における知識を広く浅く学んでいる。必要とあれば、すぐにでも自分に近い技術も手に入れるだろう。だが、所詮彼らはどこまでいっても借り物の兵士。役目が終われば黒服へとかえる。彼らが任務先の仕事場へ帰化するなどありえない話だった。

 話題に起こされたかのように、懐かしい記憶が唐沢の頭に蘇る。

 ――そうだ。あのときここに残るなんて言わなければ、俺は今頃……

 何故自分は常世国に残ったのだろうか。無意識のうちに口から出た言葉。気がつけばここに残ると言っていた。

 もしかしたら、自分は生と死にあふれた現場から離れたかったのかもしれない。今思えばあのとき、ここの残留職員として認定されたとき、自分は確実に喜んでいた。死の恐れのない研究員という肩書きに満足していた。

 そう、ほんの数ヶ月前、彼女の助けを求める声を聞くまでは――

「唐沢さん」

 截がこちらを向き前を指差した。

 つられてそちらを見ると、横幅五メートルほどの大きな地下水道が自分たちが歩いてきた通路と交差するように、真一文に広がっていた。

「どっちに行けばいいんです?」

「左だ。右は常世国の西側へ戻ってしまう。左に進むと行き止まりがある。確か、その付近に研究所への入り口があったはず」

「……急ぎましょう」

 截はうなずくと足を速めた。







 流れの無い腐った水を横に進み続ける。臭いがかなりきつかったが、鬼の口臭よりはいくらかましだ。しばらくすると唐沢の説明通り奥のほうに行き止まりが見えた。コケの生えた汚い壁が小さく瞳に写る。

 ――あと少しだ。

 僅かな距離まで迫った研究所への入り口を前に截は拳を握り締めた。

 あそこを抜けた先に、進んだ先に、自分が捜し求めていた答えがある。超感覚者計画の実態とその作られた理由が、きっとわかるはずだ。

 一歩一歩進むたびに体中の傷が軋みをあげたが、痛みを感じれるということはまだ命に別状があるわけではない。もっと重い怪我など何度も経験している。

 腕も動く、足も動く、首も回る、声も出る。なら、何も問題など無い。

 先ほど急遽しばった傷口。そこからうっすらと血がにじみ出ていたが、截はまったく気にせず体を動かし続けた。

 もう行き止まりまで数メートル。あと少しで研究所へ入れる。

 だがそこで、不意に斜め前から声が聞こえた。


「忍び込ませていた同士から連絡が入りました。六角行成は無事に研究所内へ進入成功したもようです」

 ――っ誰だ!? 

 截はとっさに壁に張り付き、息を潜めた。数メートル送れて歩いていた唐沢も足を止める。

 行き止まりとなった場所。その横にある部屋一個分ほどの窪んだ空間に、二人の人間が立っていた。

 強い癖毛を肩まで垂らした、背の高い目つきの悪い男と、小太りの達磨のような体格をした、二十台後半か三十台前半の背の低い男。

 小さいほうは知らないが、あの背の高い男には見覚えがある。いや、無いほうがおかしいだろう。全国に指名手配され、イミュニティー最大の脅威だといわれているディエス・イレの代表。紀行園をアジトに国家転覆を狙い、今回の事件を起こした全ての現況。つい数時間前にも自分自身の目で見た人物――東郷大儀。

「ならばそろそろ頃合か。六角が下へ到達したという情報はイミュニティーの本部にも伝わっているはず。今騒ぎを起こしても、しばらくの間は奴らも対処が出来ない。……よし、ティュフォンを動かす。この常世国の壁に穴を開けるぞ」

 達磨体型の小男のセリフに頷き、東郷が目の前の分厚い扉の前に手を伸ばす。そこには小さなキーボードのようなものがあり、それによってセキュリティーを確保しているらしかった。

 東郷は懐から携帯電話ほどの機器を取り出すと、そのコードの先を扉に括り付けてある機械へと繋いだ。数回ボタンを押すとその機械の上側にあるランプが点滅し、カチッという音が扉から聞こえる。ロックが解除された証拠だ。

「ティフォンが感染者たちを外に放出するまで六角をこの常世国の中に留まらせる。予定通り、絶対に殺すなよ」

 自分たちの仕事を確認するように一度振り返ると、東郷はそのまま扉の反対側へと踏み出そうとした。

 たった今耳に入った言葉が截の頭の中で駆け巡る。

 ――テュフォン? 放出? 何を言っている……?

 やり過ごすべきか、ここで東郷を捉えるべきか。どちらの判断を下すのが正しいのか、截は迷った。

 こちらには意識を失っている夏がいるし、自分も唐沢もそれなりのダメージを負っている。今東郷たちに挑めば勝てるかどうかはわからない。

 だが――

 昨日の夜に目の前で起きた惨状を思い出す。突然出現した感染者。瞬く間に広まったバイオハザード。

 あの男たちをここで見逃すことがいかに危険であるか、つちかわれた勘が警報を鳴らしていた。

「……唐沢さん。夏さんを下に。奴らはまだこっちに気づいていない。一瞬で制圧しましょう」

「大丈夫か? 相手はあの東郷だぞ」

 東郷大儀は長年イミュニティーの探索を逃れ続け、かつ先日の黒服による総攻撃を生き延びたほどの猛者だ。唐沢のその心配はもっともだった。

「ここで逃せば次にいつ会えるかわからない。感染者がいない今のうちにけりをつけるべきです。勿論、リスクも大きいですけどね」

 どっち道脱出するためには彼らとの戦闘はさけては通れない。東郷は六角行成を殺したいはずなのだから。

「……仕方が無い。ここまで一緒に行動したついでだ。付き合ってやるか」

 半ばあきらめたように唐沢がそう言った。夏を下ろし、手の関節にある気泡をポキポキと鳴らす。

「三秒数えたら出ます。僕が東郷を。あなたはあっちの小さい男を」

 截は両手にナイフを握ると、腰を屈め前傾姿勢をとった。

「一、二、――三!」

 





 バッっという風を切る音と共に、截と唐沢が二人の背後に飛び出した。気配に気づき、東郷と小男が振り返る。

「っち――!?」

 唐沢の突き出したナイフを片手で逸らし、小男が舌打ちした。まともに相対すればそれなりの実力を持っていそうな人間だったが、不意打ちにはどうしようもない。完全にその動きを予想していた唐沢に足を絡められ、転倒し背を奪われた。

 一方東郷は何の抵抗もすることなく素直に截のナイフを己の首元へと許した。襲撃した二人を見て、楽しそうに笑みを浮かべている。

「東郷大儀だな。武器を捨てて伏せろ」

 相手の表情に不信感を抱きながらも、截は威嚇するような声でそう命令した。下水道の中にその凛々しい声が木霊する。

 こちらの顔をじっくりと眺め、東郷は口を開いた。

「黒服の人間のようだな。六角の手の者か? わざわざ俺たちを捕まえるために奴と別行動しているとは、随分と主人の安全を度外視しているんだな」

「伏せろと言っているんだ。聞こえないのか?」

 截がちょっとでも手を引けば頚動脈を切り裂かれるというのに、まったく恐怖することなく東郷は笑みを浮かべ続けた。

「……お前、紀行園にいた男だな。やはり見覚えがある」

「なに?」

 紀行園では東郷になど遭遇していない。もし彼があの場にいれば、大西園長の暴走を放っておくわけがないはずだ。截は意味がわからず目を細めた。

「わからないか。まあ、無理も無い。あのとき俺は半ば意識を失っていたからな。だが――」

 ゆっくりと東郷の右手があがる。截はとっさに黒柄ナイフを彼の首に押し付けた。少しだけ血が漏れる。しかし平然と、東郷は腕を上げきった。

「これで思い出すだろう」

 ドンッ! という衝撃が截を襲った。いきなり天と地が反転する。何を考えるまもなく、目の前に汚れた水面が映り、一瞬にして全身を冷たい液体が覆った。

「截!」

 唐沢の注意が反れる。小男はその隙を逃さず、彼のナイフを素手で掴み取り寝技を仕掛けるようにその位置を逆転させた。

「くそっ――……!?」

 下水道の中から水に濡れた顔をあげると、截の目に信じられない光景が飛び込んだ。

 先ほどまで普通の人間だと思っていたはずの東郷の片腕が、赤く染まり肥大化している。まるで紀行園で散々自分たちを苦しめた「赤鬼」のように。

「その腕……まさか!」

 截は歯をかみ締めながら東郷を睨んだ。

 殴られた腹部の痛みなど気にする暇も無く、自分の判断が間違っていたと気がつく。

 東郷大儀は、赤鬼だ。

 あのどんな傷も瞬時に直し、悪魔を一撃で粉砕する最強の化け物。

 今になってようやく「感覚」が反応した。恐ろしいほどの寒気が体中にまとわりつき、相手の脅威の度合いを知らせる。

 どんな場面でも冷静さを維持していた截の精神が、初めて揺らいだ。

「どんな役目を受けてここに進入していたのかは知らないが、黒服の青年――諦めろ。もうこちらはつめに入った。六角は、イミュニティーは俺たちの反撃を止めることは出来ない」

「反撃? バイオハザードを起こし関係ない人間を皆殺しにする。これのどこが反撃だ……! お前のやっていることはただの無差別殺人だ。こんなことをしても、イミュニティーは痛くも痒くも無いぞ」

 小男に押さえつけられたまま、唐沢が地面にくっつきそうな唇を大きく振るわせた。

 思い出したように唐沢のほうを向きながら、東郷はほくそ笑む。

「わかっていないな。唐沢信久からさわのぶひさ。ここから、この六角が多額の資金を積み込み成立している常世国から、彼の在留中に無数の異形の化け物があふれ出たら、一体どうなると思う? マスコミは? 世間は? 誰もが『何か』がここで研究されていたと気づくだろう」

 事前に主任としての唐沢の顔を記憶していたのか、東郷は赤い腕を上に掲げ、自慢するように声を張り上げた。

「バイオハザードを起こし、それによりイグマ細胞の存在を世界中に教えることが、お前の目的なのか?」

 すねまで水に使ったまま、截が瞳孔の小さくなった冷たい瞳で東郷を捉える。話しながらも相手の隙を探すように、その体は緊張感で満ちていた。一度赤鬼に事実上敗北をしている身なのだ。少しも油断は出来ない。

「そうだ。普通にテロを起こすだけでは意味が無い。イミュニティーの力は強大だ。奴らの力ならその事実を簡単に隠蔽することが出来る。情報業界、政界各研究所まで、その根は深い。絶対に収拾をつけることの出来ない凶悪な感染者、『鬼』がこの常世国からあふれ出ることで、初めてその鎖を断ち切ることが出来るのだ」

「――お前の言っていることは希望にすぎない。どうやってあの感染者たちを外に放出する? 確かに外にさえ出れば、奴らは包囲網を抜け切り足止めを受けているマスコミのところまで到達できるだろう。だが、もし外に出せてもそのときはイミュニティーだってなりふり構わず銃を使うし、そもそもここは強化シャッターで覆われている陸の孤島なんだぞ」

「上はな」

 こちらの言葉を百も承知だと言わんばかりに、東郷はすぐに答えた。

「強化シャッターや防衛加工がされているのは、研究所内と常世国内だけだ。この下水道にそんなものなど存在しない」

「なっ――……?」

 確かについっさっき、唐沢はこここそが本来の研究所へのルートだと言っていた。それが本当ならば、ここはイグマ細胞に関する施設の外に当たる場所。防護加工やその備えをする必要も意味もなかった場所である。

 ――まさか、本当に? けど、確かに赤鬼の力なら……

 あの巨大な怪物の脅威がどれほど危険であるか、思い出すまでもない。紀行園はほぼ彼一人で壊滅したようなものなのだ。ここで暴れられば百パーセントの確立で自分も唐沢も夏も死ぬだろう。実証経験があるからこそ、それはためらい無く認識できた。

 截が自分と戦闘したことがあると知っている東郷は、その考えを読んだのか、言葉を続けた。

「ふふ、心配するな。俺にはまだやることが残っている。下水道と外を繋げ、常世国の中の感染者たちを出しても、お前の言った通り優先問題の関係で銃を使われれば、鬼たちだろうが負ける可能性もある。だから――」

 東郷は截に背を向け、先ほど開けた扉へと近づいた。歩きながらゆっくりとその腕を元の形に戻す。

「BLACK・DOMAINブラック ドメインの感染体たちも解放するのさ」

「なに……!?」

「そのためのスパイであり、そのためのPCウイルスであり、そのための『テュフォン』だ」

 途端、地響きが起きた。もう長い間流れていないはずの下水道の水が、大きく波打ち始める。

 截は自分の足元が動いたような気がした。

 ――随分浅いと思っていたけど、まさかこれは……――

 超感覚が危険を知らせる。舌打ちし、截は斜めに盛り上がった足元を蹴り東郷たちから見て左斜め前へと跳躍した。

 まるで水で出来た山があるかのように錯覚させられるような、そんな大きな波が目の前で立ち上る。




「截――!」

 唐沢が叫んだが既に遅く、截は暴れ狂う波に飲まれ、濁流とともに吹き飛び、姿を消した。

「この化け物が俺の変わりに穴を開けてくれる。俺たちがやることは、その間に六角の脱出を阻止することと、ブラックドメイン、G.Eの開放を行う二つの仕事のみ。もはや、勝ちは確実だ」

 東郷は扉のノブを掴み、投げ捨てるように後方へと一気に引いた。

 それを見た小男も唐沢の上から退き、扉へと向かう。

「ま、待て!」

 あわてて立ち上がり小男に掴みかかろうとしたのだが、今度は簡単に腕を逸らされ、腹部に強い蹴りを受けた。

「がほっつ――……!?」

「いいんですか、お兄さん。あの黒服の青年、死んじゃいますよ? ま、私には何の関係もないですけどね」

 ばっははと、小男が下品に笑った。

 ――くそっ!

 この東郷の計画を知っている人間は自分と截の二人だけだ。単身じゃとても東郷たちに勝てるとは思えないし、それに六角に知らせている時間もない。今ここでこのテュフォンとかいう化け物を倒さなければ、確実に間に合わずに外との壁を破壊される。常世国だけではなく、この町全ての住民に危険が及ぶことになる。

 全ての黒幕を前にして、自分の研究の集大成である彼女の命を無駄に仕掛けた相手を前にして、それでも何も出来ない悔しさに唐沢は地面を叩いた。

「急いだほうがいいですよ。テュフォンが壁を破壊するまでの所要時間は、約五分に設定しています。その間にあれを殺せなければ……イミュニティーと外の人間はお終いだ。わかりました? わっかたらウジウジしてねえでさっさといけよボケが」

 急変したように眉間に皺をよせ、そう言うと、小男は東郷のあとを追って扉の奥へと消えた。同時に、再び扉にもロックが掛けられる。

 もう自分の出来ることは、道はひとつしかない。

 波打つ水面を一瞬だけ、睨むと、唐沢は唇をかみ締めながらその中へと飛び込んだ。







何か最近、どんどん截が人間離れしてしまっている気がします。

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