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<第十二章>屋内の森



 旧下水道に降りる道はいくつかあったが、時間や場所の関係から截たちは野園フロアを通過することにした。

 屋内庭園とでも言うのだろう。小学校の校庭並みの広さがあるここは屋内にもかかわらず無数の木や草が並び、深い森の中に居るかのように錯覚させられる。天井には晴れ渡る空の絵が描かれ、それが一層場の雰囲気を盛り上げていた。

「うわぁ……何だか不思議な場所ね」

 こういう部屋を目にするのは初めてなのか、夏がキョロキョロとツインテールの髪を左右に揺らす。休憩したことで多少元気を取り戻したようだ。

「唐沢さん。やっぱり奥に何体か鬼がいますね。どこか隠れられるような場所はないですか」

「右端の方に掃除用具を仕舞うための物置がある。あそこなら分かりやすいし、それなりに頑丈だ。窓がないからちょっと怖いかもしれないが、俺たちと一緒に居るよりはマシさ」

 すぐに夏を隠すためだと理解した唐沢は、冷静に答えた。

「……夏さん。これから俺と唐沢さんは鬼と戦わなければならない。一人でじっとしていられる?」

 窓も何もない場所で自分たちの帰りを待つのはかなりの恐怖を伴うはずだ。まだ女子高生である彼女ならばその度合いも自分よりは遥かに大きいと予測できる。幾分の申し訳なさを覚えた截は、確かめるように聞いてみた。

「大丈夫。どっちみち私は逃げ惑うしかないし、隠れられるのなら喜んで隠れます。二人が命を賭けて戦うんだから、それくらい耐えなきゃ」

 あなたを信じているとでもいうように、夏がじっとこちらの目を見る。

 そこまで信頼を置かれるとなんだか本気で頑張らなければいけないような気になり、截はプレッシャーを感じた。

 常世国へ着た当初こそ、亜紀を守るためならどんな犠牲を払ってもいいと考えていた截だったが、その彼女が安全地点へ到達した今ならやはり人間として他人に対する同情の念が浮かぶ。いつの間にか自然に夏を守らなければという考えが生まれていた。

 それはもしかしたら亜紀が消えた喪失感を埋めるためだったのかもしれない。

 かつて同じように自分が守ろうとした少女と夏の顔が重なり、截は真剣な表情を浮かべた。

「少しの辛抱だ。君は俺たちが必ず脱出させるから。もう少しだけ我慢してくれ」

 誰かを守るために戦うのはいつ以来だろうか。紀行園ではほとんど朝奈の自己行動に任せ、夢遊町ではキツネを倒すことしか頭になかった。何となく、懐かしい感じがする。この擬似的な森の影響かも知れない。あのときの、三年前の景色に似ているから。

 ――今度こそ、守りきる。

 今の自分には『力』が、『知識』がある。親友を失ったときのことを思い出し、截はナイフを握る腕に力を込めた。








  木の影から顔を覗かせると、二体の髑髏鬼が目に入った。感覚で知った感染者の数は三体だったから、きっとどこかにもう一体隠れているはずだ。

「ち、よりによって髑髏鬼の方か。厄介だな」

 普通の鬼ならば唐沢でも頑張れば何とかなる。だが、進化した髑髏鬼となると話は別だ。あの怪物は恐らく悪魔の第三形態を凌駕する筋力と、猿並みの知能を備えている可能性がある。唐沢のその呟きは絶望に満ちていた。

「……待ってください。何か、様子が変ですよ」

 感じる危機の大きさが変化していく。截がじっと目を凝らしていると、二体の鬼は順に形態を変え始めた。

 ――さらに進化するのか? ――……いや、この感じは――

 膨らんだ赤い筋肉が、硬質化し露出した骨が、内部へ、内部へと収まっていく。明らかに進化とは逆の反応だ。

「鬼に戻っている? どういうことだ」

 感染者がその細胞変質を退化させるなど聞いたことがない。截は頭をかしげた。

同じようにじっと観察を続けていた唐沢が何かに気づいたように、声を漏らす。

「あれはまさか……欠乏症か?」

「欠乏症?」

「栄養失調のことだ。もしかしたら、髑髏鬼という強力な戦闘能力を維持するには莫大なエネルギーを消費するのかもしれない。食事によって手に入れていた栄養が無くなったことで元の姿に戻ったんじゃないか。普通の感染者である悪魔が持つ特性、細胞侵食による自滅を克服しようとして生じた『性能』の一部なのか、代謝に似た機能を加えることでディエス・イレは長期的な感染維持を可能にしたんだろう」

 まくし立てるように言われたためよく分からなかったが、こちらにとって優位な状況であることだけは理解出来た。

 どうやらあの鬼と呼ばれる生物兵器は一定間隔で人間を襲い続けていなければ、髑髏鬼という凶悪な力を維持出来ないらしい。この場にエサになるような一般人が居ない以上、これは奴らを倒すための絶好の機会だと言えた。

 木の表面に頬を擦り付けるようにしながら、截は視線を唐沢へと移動させる。

「危険度を減らしてくれるなら僕たちにとってはラッキーだ。最後の一体の状態は分かりませんが、あそこに居る二体なら孤立させれば倒しようがある。さっさと終わらせましょう」

 囁き足を前に出す。呼応するように危機の感覚が大きくなった。





 ***





「大丈夫か?」

 肩を叩かれたので後ろを見ると、友が心配そうにこちらを見ていた。待機室には他に人影がなく、今は二人っきりだ。

 頷くと、友は僅かに微笑を見せた。

「亜紀ちゃん。出発の時間だ。もうみんな向こうに集まっている。行こう」

 どうやらぼうっとしている間に置いて行かれたらしい。他に人が居ないのはその所為だろう。慌てて立ち上がろうとすると、目の前に手が差し伸ばされた。勿論友のものだ。

 それを掴みお尻をソファーから離す。力強く引かれ腰を上げると、何やら複雑そうな表情を浮かべた友と目があった。

 ――そんなに状況が悪いのかな?

 これまでのことと彼の立場から脱出の危険性について考える。あの赤い鬼は確かに怖いが、友ならばそれ程の苦労を伴わず倒すことも可能なはずだ。ならば、彼のこの表情の原因は一体なんなのだろうか。思い当たることといえば、一つだけだった。

 イミュニティー代表、六角行成。

 自分たちをこんな悪夢のような世界へ巻き込んだ組織の最高権力者。長い間恨んでいたその相手を、あろうことか自らの手で守らなければならないこととなった彼の心情は想像するに難しくない。

 慰めようと彼の肩に手を伸ばしかけたとき、突然予想外の言葉が放たれた。

「亜紀ちゃん。君は大切な人が死んだままでいるのと、変わってしまった姿を見るのとどっちが辛いと思う?」

 状況に合わない謎のセリフを吐いた友の顔は真剣そのものだった。どう返答したらいいか困っていると、彼は小さな溜息を吐いて体の向きを反転させた。

「……すまない。今の言葉は忘れてくれ」

 どこか寂しそうにそう言う。

 返答しようにも言葉を発することの出来ない亜紀には、その問いに答える術はなかったのだが、何故か本能的に、彼が自分の返答を恐れている。答えの予測がついているからこそ、それを聞かなかったことにしたように見えた。

 自分にとってその答えに値する該当者は、一人しか思い至らない。

 家族はまだこの国の中で生きているし、友人も健全と一般的な生活を謳歌している。大切だと思い、かつ既にこの世に居ない人間は彼のみ。

 そう、命の恩人であり、かつて自分を守るために犠牲になった青年。曲直悟だ。

  ――もし彼が生きていたら?

 心臓を強い電流が駆け巡る。きっと自分は間違いなく会いたいと願うだろう。例え、彼がどんなに変わってしまっていても。

 三年間の付き合いで多少なりとも友に引かれ始めていた亜紀だったが、そのことを考えるとすぐに彼に対する気持ちは消えてしまう。それほど悟の存在は、記憶は大きなものとなっていた。

 記憶の中を逆流したところ不意に截の顔が浮かんだ。何故かその顔は悟と重なりこちらを悲しそうに見つめる。

 亜紀がいきなり思い浮かんだ截をどう解釈しようか考えた瞬間、友の声が意識を現実に引き戻した。

「亜紀ちゃん?」

 不思議そうにこちらの顔を見ている。

 何でもないというように微笑むと、亜紀は友を追い越し部屋から出た。

 僅かに浮かんだ疑問を自分で否定する。

 何を馬鹿な、截が悟のはずは無いのだからと。それは空想に対する呆れというよりは、恐怖にも似た感情だったのかもしれない。





「よし、これで全員だな」

 剥げ頭に太った体格。何処にでもいる普通のおじさんそのものである六角行成が、詰め所の出口の前で満足そうに呟いた。

 この出口は先ほど亜紀たちが降りて着たものとは反対の場所に位置し、職員たちが職務をまっとうするための管理区画へと繋がっている。

 亜紀たち生存者四名と増援部隊三名を加え、合計二十七名にもなった大所帯がそこに居た。

「生存者と六角代表は先方部隊と後方部隊の間に居てください。前からも後ろからも、我々が命を賭けてお守りいたします」

 友が古矢と呼んでいた男が丁寧に言う。亜紀は彼が黒服から声を掛けられる程の実力者だと聞いていた。細い体に似合わず、ありとあらゆる戦闘技術を習得した「万能人間」だと。

 当然六角もそれは知っているらしい。笑顔で頷き、声を張り上げた。

「さあ、扉を開けろ。降りようじゃないか。この地獄を引き起こした細胞の起源であり、僕たちの権力を作り出した財宝の宝庫へ」

 扉の両側に陣取っていた二人の隊員がそれぞれノブを握り、鍵を解除すると同時に静かに両面扉を開く。

 冷たい空気が激流のように部屋の中へ入り込み、亜紀はぶるっと身を震わせた。






 ***

 

 

 


 截が飛び出すと、すぐに鬼は反応した。自分としては完全に気配を消せていたはずだったが、鋭いものだと感心する。

 両手に持った二つのナイフをはすに構え、鬼の腕が伸びるのに合わせ、その懐へ左足を差し入れた。

 ――中に入った。俺の勝ちだ!

 左のナイフで斜め上に置かれた鬼の腕を押さえ、右のナイフを心臓目掛けて突き出す。しかし、その刃は相手の皮と肉を切り裂くだけで終わった。鬼が腰を回し、身をよじる様にナイフを逸らしたのだ。

 截は軽く舌打ちすると、突き出したナイフの勢いのまま、今度は左右の手の役割を逆転させ、左のナイフを振り下ろした。まるで鬼の腕の中で舞を踊っているかのように見える。

「ザァァアアァァアッ!」

 胸を大きく横なぎに裂かれ、鬼は悲鳴を上げて後方へ飛びのいた。

 あまり大きな声で叫ばれれば別の鬼が来てしまう。截は息を止めたまま前に強く足を踏み出そうとしたが、鬼が反撃してきたため、仕方が無く横に転がった。

 距離に余裕が生まれたことを知った鬼は殺気を振り撒きながら前屈みになる。不意打ちで忍び込まれたからこそ押されていたものの、ここまで離れればその身体機能の差は明らかだ。どうやって截を甚振いたぶろうか考えているかのように、鬼は舌なめずりをした。

 木の幹に背を預けている獲物に向って低く、水平に飛ぶ。

 起き上がった截は、避ける間もなくナイフで相手の双手を防ぐしかなかった。

 鉄と腐乱臭が混じった不快極まる臭いが鼻をつく。徐々に自分の顔の横へと押されていくナイフに意識を集中させていると、鬼の口内が偶然目に入った。何か白くて細いものが歯に引っ掛かっている。血に塗れたそれは、指だった。自分の前に殺された哀れな犠牲者のものなのだろう。

 腕がさらに押され、鬼の歯が首筋に添えられる。截が息を呑んだ瞬間、突然その鬼の口から鋼色の刃が突き出た。どばっと赤黒い血が截の横の幹にかかる。

 何がなんだか分からないといった表情を浮かべている鬼を嘲げりの目で見つめると、截は何の躊躇いもなくその心臓に黒い柄の刃を差し込んだ。声にならない声を漏らし、鬼の体が大きく震える。

「まずは一匹」

 そう截が呟くと同時に、鬼は崩れ落ちた。

 小さな黒い血の池が足元へと広まっていく。

「危なかったな」

 鬼の後頭部から自身のナイフを引き抜き、唐沢が唇の端を上げた。

 事実であるため、特に文句も言わず截は立ち上がる。

「もう少し早く来てもらえると嬉しいんですが」

「何言ってんだ。分かっているだろ。これほどの相手となると、確実に殺すには獲物を襲う瞬間しかない。今のはベスト オブ ベストのタイミングだ」

 何故か少しだけ楽しそうに言いながら、唐沢はナイフの血をハンカチで拭った。

「……――あと二体です。さっさと始末しましょう」

「何か反応してくれないと辛いな」

 截が無表情で己の言葉を無視したため、唐沢は少しだけ寂しそうに眉を寄せた。







 ガタガタと物置の壁が揺れ、夏はビクッと体を震わせた。しばしの沈黙のあとに、その原因がただの風だと分かり安心する。この屋内庭園は完璧に外の環境を再現するために、天井のあちらこちらに送風機が設置され、絶えずランダムな空気の塊を放っているのだ。倉庫に入る前に確認したその巨大な扇風機を思い出し、紛らわしいと強い怒りを覚えた。

 ここからでは外の様子が全く分からない。

 截と唐沢が死んでいるのかも、生きているのかも、鬼を殺せたのかも、鬼が近くに居るのかも、何も、何一つ分からない。

 この地獄のお尋ねに、人間の本質を明らかにする生と死の本能の確認に、一般人である夏は心の底から参っていた。

 バイオハザードに慣れている截や唐沢は気づけなかったが、こんな状況の中狭い場所にたった一人で置き去りにされる人間の恐怖は半端ではない。むしろ、外に居るよりもその度合いは大きい。

 自分が狂ってしまうんじゃないかと不安になりながら、夏は耳を押さえて隅っこに体を縮こまらせた。

 カチ、カチっと、倉庫内に転がっていた時計の音がなる。

 何時間にも感じられるような数分が過ぎた頃、とうとう夏の精神は悲鳴を上げ始めた。

 ――怖い……怖いよ! あいつら何してんのよ。まだ化物たちを退治出来ていないの? それとも殺されたの……?

 押さえようとしても、押さえようとしても、体の震えは大きくなるばかり。目は忙しなく動き回り、歯はがちがちと鳴った。

 ――もう嫌だ。誰か助けて……! 私をここから出して……!

 叫びたいという衝動が湧き上がる。

 叫べば楽になるという得体の知れない考えが思考を惑わせる。

 荒い息を吐き必死にその衝動を抑えつつ、夏はもう限界が近いことを知った。

 あの強い截が、鬼や化物を平然と倒せる截が、傍に居ないと不安でしょうがない。彼の姿が見えないとまるで地獄に叩き落されたかのような心地がする。

 ――あんた強いんでしょ? こんな状況に慣れてんでしょ? 私を守るんでしょ? だったら今すぐに来てよ!

 思考が悲鳴じみたものへと変わっていく。既に、感情のダムが決壊する直前だった。

「早く来て、戻って来てよ……お願いもう駄目。やだ、やだ、怖いよ……!」

 気がつかないうちに心の声が口から漏れ出す。それはもはや小声ですらなく、段々と大きな響きへ変わって行った。

「助けて、助けて、助けて、怖い怖い怖い怖い――もうやだぁあ……!」







 截たちが二匹目の鬼と戦闘しいている最中、最後の一体――まだ「髑髏鬼」としての形態を辛うじて維持していた個体は、何処からか獲物の泣き叫ぶ可愛らしい声を聞き取った。

 それは最初こそ微かなものだったが、時が経つごとに大きくなり、すぐにはっきりと聞き取れるものになる。

 強化された鼻を鳴らし、耳を逆立てる。音源の方向にあわせて目を移動し、ひとつの物体を捕らえた。

 硬い塊だ。

 倉庫と呼ばれる物体なのだが、今の彼にはその名を理解出来ない。ただ分かる事と言えば、あの中に自分の大好きな、細胞が、意識が、本能が望んでいるご馳走が存在しているという事実だけだ。

 この強い体を維持していられる時間は短くなっている。先ほどから同属の悲鳴らしきものを聞き取っていた彼は、迷わずその固い物体を目指すことにした。

 飢えを満たすために。

 強くあり続けるために。

 欲望を成就させるために。

 そして何より、この空間に潜んでいる外敵を排除するために。







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