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<第十章>黒猫と青い鳥

 六角行成救助の命を受け、国鳥友が常世国へと入ったのは今から僅か十数分前のこと。

 離れた場所で待機しているマスコミの目に止まらないように、警察関係者を偽りヘリで直接北部の屋上へと降り立った。

 感染拡大阻止とイグマ細胞の存在隠滅。この二つの理由を満たすため、常世国はありとあらゆる道が塞がれている。

 そこで友たち五名の救助部隊は事前に提示されていたこの施設の情報を元に、廃煙ダクトを侵入経路に定めた。

 火災などが起きた場合に対する、煙を屋外へ放出するためのこの設備は、垂直に一階のガレージへと続いていた。

 降り立つ前まで友はここを使って六角を逃がせないのかと考えていたのだが、あまりのダクトの垂直さにあっさりとその思考を投げ捨てた。例えロープを使ってもこの高さを昇ることは至難の技だ。体格も大きく訓練を受けていない六角ならばなおのことだろう。

 脱出ルートを当初の予定通りブラックドメインから直通している高速エレベータに決定し、詰め所を目指して行動を開始する。現在地は常世国北部の中央付近だったため、このまま職員用通路を南下すればすぐに東西連結路へと合流出来るはずだった。

 しかしそう上手くことが進むわけも無く、歩き出してすぐに二体の鬼と遭遇し、その圧倒的な戦闘力の前に二人の隊員を失ってしまった。常世国在留の隊員が十人近い犠牲を作ってなお一体の鬼も倒せなかったことを考えると、彼らはやはり凄腕の兵士だといえたが、死んでしまったことには代わりがない。潜入してすぐに三人へと数を減らされた友たち救助部隊は、改めて現状の恐ろしさを認識し、緊張感を高めた。

 中央付近へ着いた彼らは、詰め所がある東側エリアを目指し右側へと方向を変える。無事に鬼と遭遇することもなく進んでいると、前方から何かが引きずられたような血の後を発見した。もしかしたらこの先に感染者が居るのかもと思い至った彼らは、その有無を確かめよと前衛と後衛の二人で調査を行うことにした。

 本来は前衛の男一人だけでよかったのだが、後衛の人間が一人では危ないと勝手に着いていったのだ。敵の姿を確認次第この場へ戻り罠を張ることになるのだろう。

 通路の狭さや中衛という役割の関係で一人残った友は、その場にあった瓦礫と空き缶で鳴子を組み立てるなど、感染者に備え、暇つぶしの意味もありいくつかの罠を作った。

 ある程度その作業を終えた頃、なにやら話し声や小さな足音のようなものを感知し、友は誰かがこの場へ近付いていることを知った。自分の仲間が進んだ方向とは間逆なため、それが生存者のものであると予測する。しかし、こちらの気配を感じ取ったのか、急に話し声や足音が消える。その事実に、友は相手が一般人ではないと悟り、入口付近の自動販売機や掲示板、机などを利用して咄嗟に鳴子を掛け、同時に後方へと下がりながら足でダンボールやパイプ椅子などを自分の前へ動かした。正直に言えばもっとしっかりとした罠を張りたかったのだが、そんな時間も無い。仲間が戻って来るまでの時間稼ぎとこの安易な罠を隠すために電気を消し、相手の出方を伺った。

 どうせ姿が見えても敵か見方かは分からない。話し声がしていたことから、一人でもないだろう。イミュニティーの制服を着ていようが、既に隊員に死人も出ているため簡単にその服を奪える状況にある。報告を信じるのならば隊員の多くは詰め所へ待機しているらしい。相手はテロリストか生存者の可能性が高い。上手くことが進むのなら拘束してしまおうと判断した。

 物音は一切しない。距離から考えると既にこの場所へ相手が入っている可能性は高いが、これほど静かならばまだ踏み込んでいないということだろうか。

 そう思った直後、鳴子が大きく揺れ音を奏でた。慌てて左の枠上にあった瓦礫を投げつけるが、それは命中せずに壁に当たる。

 敵を見失った友は焦りを感じたが、すぐにもうひとつの鳴子が反応した。あそこには確か予備の大きなポールが数本、ヒモで結ばれ壁に立てかけられていたはずだと瞬時に思い出し、もうひとつの小型ナイフを放つ。それは相手に当たることなく友の狙い通り、ポールを結んでいた紐を切り裂いた。突然大きな音が鳴りポールがバラける。あの数ならば一本くらいは相手に当たってくれるかもしれない。

 カキンという金属音と共に視線の先で火花が散った。一瞬だけその姿が見えたが正体は分からなかった。男なのか、女なのか、一般人なのか、テロリストなのか。どちらにしても人間であることだけは確実なようだ。様子見なのか敵の数は一人だった。

 再び鳴子がなる。パニックを起こしてまた同じ場所へ飛び込んでくれたのかもしれない。

 友は再び小型ナイフを投げつけたが、それは命中することなく壁に刺さる音がした。しまったと相手の意向に思い至る。どこから攻められるか分からないため、身を低くして襲撃に備えた。

 しばらくして右方向から人が転んだような物音が聞こえた。先ほど足で移動させたダンボールに引っ掛かってくれたのだろう。そこの上にあったはずの電灯に最後の小型ナイフを投入し、ダンボールの上へガラスの塊を落とす。しかしそれもまた回避されたようだ。信じられないような身軽さだった。

 もう相手との距離は僅かだ。左手に懐中電灯を握り、右手のナイフを視線の先へ据える。こうなれば光を利用して隙を作るしかない。どんな達人だろうと、いきなり視界を塞がれれば完全な対応をすることは敵わないはず。

 「キンッ」という音が真正面から鳴る。こちらの罠の有無を確かめたらしい。「来る」と友は直感した。

 地面から飛び上がる音が聞こえ、目の前の空気が動く。友は一歩だけ後ろにさがると懐中電灯のスイッチを入れた。雷が走ったかのように、突然眩しい光が前方を照らす。自分の目も眩んだが、相手が動揺していることは分かった。微かにその目が閉じられている。

 「もらった」と右手のナイフを突き出す。首元に添えるつもりだったが、予想外なことにそれは相手の左手によって止められた。目をつぶったままだというのにどういう手段を使ったのだろうか。驚いた瞬間、自分のナイフが巻き取られるように回される。まずいと思った時にはもう遅く、首元に冷たい金属の温もりを感じた。

 負けたことにショックを感じていると、背後から仲間の足音が聞こえた。自分がここにいると知っているからとはいえ、無用心すぎるこの感じは恐らくは後衛を務めている彼女だろう。ドジだが白兵戦の能力と生存力の高さから今回の部隊へ抜擢された年下の少女だ。

 電気が消えていることに驚いているのか、なにやらドタバタと暴れている。

「誰か知らないが止まれ。この男を斬るぞ」

 目の前の男がぞっとするような声を轟かせた。それを聞いた少女はびくっとしたように悲鳴を上げて壁にぶち当たる。偶然それが電灯のスイッチのある位置だったようで、ぱっと周囲が明るくなった。

 男と視線が合う。

 緩やかなカーブを描いたショートヘアーの黒髪。獲物を狙う猛獣のように鋭い漆黒の視線。服装は黒いレインコートと一般人のようだったが、その雰囲気は完全に強者のそれだった。全身が刃になっているかのような鋭さを感じる。

 何故か包帯塗れのその顔を見ていると、どこかで見たことがあるような不思議な錯覚がする。もしかしたら彼はイミュニティーの隊員で、自分とすれ違ったことでもあるのかもしれない。

 疑問に思った直後、彼は呟いた。

 まるで悪戯を先生に叱られた子供のような表情で。

 零点のテストを親に見つかったような表情で。

 小さく、呟くように。

 しかし、それははっきりと友の耳に届いた。

 スポンジに水が染み込むがごとく。実に自然に。

「――友――……!」






「――何?」

 いきなり見も知らない男から自分の名前を呼ばれ、友はたじろいだ。自分は確かに水憐島事件によって実力を評価されたが、別に本部直属の隊員になったわけでも、高い地位についたわけでもない。こんな見も知らないテロリストか仲間かも分からない男に、名前をしかもファーストネームを呟かれるような覚えは無かった。

 ふと視線に先に彼が握っているナイフが止まる。自分のナイフを押さえつけるように固定されている黒い刃。すぐにそれが黒柄ナイフだと理解出来た。

 黒服のナイフがオーダーメイドであることは周知の事実だ。あのナイフは黒服の一員である証明であり、そのプライドそのものだった。

 ゆえに、同じ形状、同じ形式のナイフなど存在しない。

 友はこれまでの任務で二回ほど黒服の隊員と遭遇したことはあるが、彼が握っているナイフはそのどれもと形状が異なっていた。

 で、あるからなのに、何故かそのナイフには見覚えがあった。一目で普通のナイフとは違うと分かる殺傷能力に特化した禍々しい形。ハスの実を意味するLOTUSロトスという文字が柄の隙間から覗いている。

 ――このナイフは……!?

 記憶が、思い出が、おぞましい過去の映像がフラッシュバックする。

 蛇のような腕を振るう怪物や、三本腕の化物を切り裂いた、あの黒い刃。

 そして遠ざかる小さな屋上の上で、かつて親友と認めた相手を穿ち、闇の中へと沈み込んでいった彼の最後の武器。

 一緒にいた時間は三日にも満たない。しかし、短かったからこそ、鮮明に、重々しく、その姿は焼きついていた。

「何で……お前が……」

 事件後の富山樹海はイミュニティーによって管理されている。曲直悟まなせさとりの遺体も当然回収されているはずだ。このナイフが再び人の手に渡る可能性など十二分にあった。あくまで事件当初ならば。

 黒服は死亡した隊員のナイフを全て引き取っている。

 しかもその刃はオーダーメイドであるため、回収こそされるものの、他の隊員へ支給されることは殆どありえない。

 これを堂々と所持し、しかも戦闘に利用出来る人間が存在するのならば、それは元々このナイフを所持していた人間だけということになる。

 悟は黒服の男から貰ったといっていた。ならば、この男がその当人なのだろうか。事件後の調査で、友はあのとき関与していた黒服の人間が「キツネ」と呼ばれる人物だと特定していた。

 つまり、もしこの目の前の男がそのキツネならば、イミュニティーと協力して自分たちを巻き込んだ張本人だということになる。

 激しい憎悪が湧き上がりそうになった瞬間、男の瞳が誰かと重なった。

 心臓が早鐘を打つ。

 体の隅々まで電気が走ったかのような痺れを感じる。

 ――……そうだ。このナイフを持っている可能性がある人物は、もう一人いるじゃないか。

 キツネなどよりも、もっとも可能性が高く、もっともそれを所持していて当然の人間。

 それは、あの事件で死んだとされる少年――その人。

 異常なほど早く、冷たく、恐々と思考が回転する。

 まるで自分がその事実の予測がついていたにも関わらず、理解することを、考えることをこれまで拒否していたかのように。

 簡単に。

 あっさりと。

 何の隔たりも無く。

 友の中で眼前の男の顔は、曲直悟と結びついた。

「――まさか――」

 富山樹海。 

 屋上。

 黒服。

 死者の船。

 ナグルファル。

 社会的な死人。

 曲直悟。

 見知ったナイフ。

 悪魔LV.3。

 一時間の生命。

「――悟……なのか?」

 気がつくと、友はそう呟いていた。

 瞬間、眼前の男が息を飲んだのが分かる。

 それを見て、友はこの男が悟であると知ってしまった。

 嫌でも、確信してしまった。

「……生きていたのか……?」

 安堵したように、ショックを受けたように、放心したように、複雑過ぎる溜息が口から漏れる。

 男はそっとナイフをこちらの首元から退けると、苦笑いのようなものを浮かべた。

 今更この状況では否定出来ないと思ったのだろう。既にこちらの名前を呼んでしまっているのだ。

 観念したように彼は体の力を抜いた。

「久しぶり……だな。――友」

 それは冷たくもない、恐ろしくも無い、正真正銘、三年前と同じ悟の声だった。







 とうとうバレてしまった。

 自分が生きていたことが。

 黒服に入ったことが。

 恐る恐る友の顔を見る。

 久しぶりに見た彼は、見事にイミュニティーの隊員としての威厳を纏っていた。

 三年前とは別人のように気配が鋭くなり、その表情に深みが増した。

 彼がどのような人生を送ってきたか、その顔からありありと読み取れる。

「お前、何で……!」

 突然友が胸倉を強く掴んできた。急に喉が服で締め付けられ截は思わず咳き込んだ。

「何でって……何がだよ?」

「分かっているくせに聞くな! 生きていたことは素直に嬉しいさ。だけど、何で黒服なんかに入っているんだ!? 俺は、亜紀は、本気でお前の身を心配した。彼女はその責に耐え切れず声まで失ったんだぞ!」

「……知ってるよ。向こうの方で待たせてるから」

 顎で背後の廊下を示し、截は無表情でそう言った。

 それを聞いた友は僅かに驚いたように目を大きくしたが、すぐに腕の力を強める。

「答えろ。一体どういうつもりでずっと息を潜めていた。生きていたのなら連絡の一つくらい入れることはいつでも可能だっただろ」

「らしくない質問だな。黒服に在籍するってことは前の人生を捨てることと同じだ。お前たちに連絡を入れれば、曲直悟という男の生存がイミュニティーに伝わる」

「本気で言っているのか?」

 友が奥歯を噛み締めた音が聞こえる。

 その気持ちがよく分かるからこそ、敢て截は冷静に勤めた。

「じゃあもし俺がそうしてたらどうなっていたと思うんだ? 生存が明るみになり、黒服からは除籍され、情報漏洩阻止のために俺や事実を知ったお前と亜紀も処分される。そんな結末が良かったのか。お前は家族や亜紀の身を守るために政府の飼い犬になったんだろ。俺にも守りたいものがあった。失いたくないものがあった。全部お前と同じだ。ただ所属している組織が違うだけさ」

 論理的な返答に友は言葉を詰まらせる。これほど感情的になっている友を截は初めて見た。普段は誰よりも冷静で、周りのことを把握していた彼だというのに。

 相手の生存を知っていたか、死んだと思い込んでいたかの違い。それがもろに二人の態度に差を作っていた。

「……変わったな」

 しばらくの沈黙の後に、ぼそりと友が呟いた。どうでもいいが、彼の同僚らしき少女が先ほどから困惑したような顔で、自分と友の顔を交互にきょろきょろと見ている。

「こんな世界に踏み込んで変わらない方がおかしいよ。毎日、毎日、人の死や大量の血を見る生活を送っているんだ。まともな精神じゃやっていられない」

 截としては当然の返答をしたのだが、友はいきなり声を荒げた。

「違う、そんなことを言っているんじゃない」

 まるで悲しむかのように、自分の宝物が壊された直後のように。

「昔のお前はもっと……人間味があった。今のお前はまるで――」

 言葉が吐き捨てられる。

「本当の死人みたいだ」

 周りの空気が一気に冷たくなった。二人の間に重い苦しい空気が流れる。

 友の目を見つめたまま、截は放たれた言葉にただ淡々と答えた。

「……否定はしないさ」

 それは自分が一番、分かっていることだったから。







 唐沢の指示で後方の廊下へとさがっていた亜紀は、数メートル先を覆っていた暗闇が突如払われた瞬間を目にした。

 ――明るくなった? 電気……かな?

 首をかしげていると、声量を極限まで落とした声で唐沢が囁いた。

「どうやら相手は人間だったらしいな。感染者のうなり声が聞こえないし、戦闘音も複雑過ぎる」

「人間? じゃあ、ディエス・イレってこと?」

 割り込むように千秋が声を出す。唐沢は勉強を教える先輩のような感じで答えた。

「見方かテロリストかは分からない。この状況ではお互いに相手の正体をどちらともとれる。けど、明かりがついたってことは、勝負は決したんだろう」

 立ち上がり耳を傾けるような動作をする。

 それを見て、亜紀たちも屈めていた膝を伸ばした。

「何か、もめてるみたいだけど……」

 怒鳴りあうような声を聞き、夏が心配そうに言った。大量の汗を流し唐沢に担がれている長島も、麻生も怪訝そうな顔をしている。

「私が見て来る。ちょっと待ってて」

 今の状態で一番楽に動けるのは千秋だ。彼女は軽やかな足取りで截の元へと急いだ。

 耳に届くかすかな声に聞き覚えを感じた亜紀は、その声の主が友であると直感した。千秋を追い越すように走り出す。

「あ、亜紀ちゃん!」

 叫ぶ彼女を無視して光が溢れる前方へ飛び出すと、そこには確かに友が立っていた。茶色の髪と細い目が妙に懐かしく感じられる。

 何故か彼は截の胸倉を掴んでいた。

 きっと截を敵の仲間だと勘違いしているのだろうと思い、亜紀は二人の争いを止めるため友に声をかけようとした。

 その瞬間、まだこちらに気づいていない友が截に向って何かを言う。

 亜紀はそれをはっきりと聞いた。

「そうか。曲直悟は、もう……本当に居ないんだな」

 ――え?

 突然場に出た知人の名前に我が耳を疑う。

 一体何故、どういう脈絡で今この場で彼の名前が出たのだろうか。

 截と友はお互いを敵と勘違いして戦っていたはずなのに。

 彼の名を截が知っているはずがないのに。

 何でそんなに悲しそうに、まるで目の前の人物が悟のことを知っているかのように呟くのだろうか。

 亜紀が混乱していると、気配に気がついた二人が同時にこちらを向いた。

 これまたどういうわけか、二人ともシンクロしたように、気まずそうな驚きの表情を浮かべる。

 何だか嫌な気分になったが、取り合えず自分の助けを願う声を友が聞き届けてくれたことは確かだ。極限状態のこの常世国の中で彼の存在は大きい。嬉しさから、亜紀は友の胸に飛び込んだ。

「――あ……」

 その瞬間截が間抜けそうな声を出した。きっと自分と目の前の男が知り合いだったことにでも驚いたのだろう。

 友は多少躊躇いを見せたのちに、そっと亜紀の体を離した。その顔が何故か酷く申し訳なさそうだ。

「良かった。無事だったみたいだな。亜紀ちゃん」

 友の口から安堵の息らしきものが漏れる。

 彼の実力は良く知っている。亜紀は九死に一生を得たとばかりに嬉しそうに友の顔を見上げた。言葉が出ないのだから意思疎通を行うにはそうするしかない。きっと今の二人を傍から見れば、恋人が再開の喜びを分かち合うようにでも見えるのだろうなと、何となくそんなことを思った。







 心の底から安心したように、自分の体を友へ預ける亜紀を見て、截は心臓を何者かに切りつけられたような錯覚を感じた。

 社会的に死んでいる自分が亜紀とどうなる事も、彼ら二人の間を邪魔する権利が無い事も、とっくの昔から分かっていたはずなのに。

 人間である以上、彼女が誰かに好意を持って寄り添うのは当然なことだ。それが、その相手がただ友だっただけ。

 三年前の状況を考えると、彼女が友へ好意を持つことは別におかしくはないだろう。

 悲しむ資格なんかない。

 残念がる資格なんかない。

 ショックを受ける必要などない。

 そう言い聞かせているのに、どうしても、体が冷たくなっていく感触は拭えなかった。

 これ以上二人の様子を見ることが耐えられず、不気味なほど感情の篭らない声で友に話しかける。

「……よかった。どうやらあなたはイミュニティーの増援のようですね。これでやっと僕の役目を終えられる」

「何? 言っていることがよく分からないんだが」

 急に敬語になった截を不思議がるように見ながら、友は眉に皺を寄せた。

 千秋や唐沢たちが危険はないと察知したらしく、ぞろぞろと廊下から出てくる。友の背後からも少女の横に並ぶように、細長い、メガネを掛けた男が現われた。

「僕は元々六角代表の指示を受けており、彼女たちを護衛していたのはただのついでです。こうして正規の増援部隊と合流出来たことですし、もう一緒に行動する必要はないでしょう」

「な、ちょっと待て――」

 亜紀から離れると、友は拘束するように截の左腕を掴んだ。

 截は掴まれた腕を引きながら、小声で話しだす。

「友、俺がここに着たのはイミュニティーをつぶす手がかりを掴むためだ。亜紀たちと一緒にいたらそれが敵わない。生存者の中に紛れ込もうにも、唐沢に真意を気づかれるくらいじゃ、六角にも見破られるだろう。行かせてくれ。……お前だって、心まではイミュニティーにつくしてなんかいないはずだろ?」

「でも、お前……」

「これは……俺が、俺と安形さんがずっと待っていた最大のチャンスなんだ。無駄にするわけにはいかない。頼むよ」

 友の言葉を遮り、截は声を少しだけ荒げた。

「安形? 安形って……あの安形か? あの人も生きているのか!?」

「ああ、俺と一緒に黒服に回収された。相変わらず元気に動き回っているよ」

「そうか。……良かった」

 友は本当に嬉しそうに頬を歪める。よほど自責の念に駆られていたのだろう。あのとき庄平が死んだのも、安形が傷を負ったのも、別に彼の所為ではないというのに。

 三年前と全く変わっていない友のあり方に、截は安心した。自分とは違い、彼は昔のままだ。冷静で、正義感に溢れ、常に正しい選択をする。彼ならば亜紀の身を預けても大丈夫だろう。きっと無事に常世国から出してくれるはずだ。

 改めて別れる決心を高めると、截はそっと友の手を解いた。

「何も今すぐ別行動を取るとは言いません。僕にも一応ここまで連れてきた責任がありますからね。詰め所までは護りを続けますよ」

「だが――」

 再び友が截の行動を食い止めようとすると、千秋がそれを制した。

「どうしたの友? あなたらしくもない。私たちに彼の行動を制限する理由はないわ。確かに黒服である彼の実力は貴重だし強力だけど、彼には彼の任務も役目もある。無理強いはするべきじゃないよ」

 二人が顔見知りであり、なおかつ三年前の事件を共に生き延びた仲間であるという事実を知らない彼女は、実に論理的にそう言った。

 友にしても恐らくそれは分かっているのだろうが、感情が許さないのだろう。

 何せずっと死んだと思っていた相手と、やっと再開出来たのだから。

 正直に言えば、截だってもっと友と話をしたい。亜紀を守りたい。だけど、それは無理なのだ。物理的ではなく、組織的にでもなく、ただ辛いから。

 これほど間近で二人の仲を見続けることが。

 だから截はもう、その苦しみから逃れるためには、彼らから離れるしか道がなかった。







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