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運命の足跡  作者:
2/4

運むずかたいへ命の足跡

これは母が、歩んできた過酷な人生の真実を

描いた物語です。

なぜ自分を犠牲にしてまで人のために生きたのか。


ある暑い夏の朝に電話のベル鳴る

東京に住む姉からでした母の訃報を伝えてきた。

自分の親の死を、まるで他人ごとのように言ってくる、

私の住む所から、車で15分位だったので

急いで実家に向かいました、

そこには白い布が掛けられた母が、

そっと顔を覗くと、死にたい死にたいと言っていた母が、

そこには居なかった、穏やかに眠る母を見たとき

やっと苦しみから解放されたんだな。

そう思いながら、少しホッとした自分がいた。

なぜか涙が出なかった。


北海道はサロマ湖の側で長女として生まれた。

男の子三人だった両親は望んでいた待望の女の子

でとても喜んだ、、春に生まれたので春枝と名付けた。

間もなくして、また女の子が生まれたが

産声をあげず死んでしまった、悲しんでいると。

また女の子が生まれた、その女の子も直ぐに

息を引き取りました、

納得のいかない両親はよく当たると言われる

預言者に相談すると、かえってきた言葉が

長女の性を変えなければ、また同じ事が

起こりますよ、それを聞いた親は、悩んでいたが。

母の旧姓に変えることにしました。

すると亡くなった妹を含め11人に恵まれた。

長女として生まれた春枝に、大きな責任と

亡き妹の命の重荷を背負って行くとに。

まだ幼かった春枝は学校で苛めを受ける。

町の人達からは冷たい目で見られ

あげく母からは疎ましく思われていた。

それでも怯む事なく素直に成長した。

そして大人としてのしるしがやってきた。

母に相談すると、とんでもない言葉がかえってきた。

自分も経験してきたはずなのに、

淫らな行為をしたと攻めたのです。

心が裂けそうに悩んでいた時、近所の

おじさんから、樺太に一緒に行かないか。

樺太で野菜を育てたいんだよ

この町から出たかった春枝は喜んで返事をした。

すると姉を慕っていた弟が僕も着いていくと

言ったので、一緒に故郷を後にした。

船に乗り樺太に向かった、間もなく樺太に着き

降りようとしたとき乗船してきたうちの一人から

あんたは一生幸せになれないね

そう言ってすれ違って行った。

気にもせずに樺太の地に降り、野菜作りを手伝いながら。

売店で働く事にした、樺太には各地から大勢の人達が

出稼ぎに来ている、内地では戦争が起きているとき

樺太には平和な暮らしと、綺麗に整備された町並み

しばらくして、弟に召集令状が届き、戦地に向かった

一人になった春枝は無事に帰る事を祈りながら

2~3年が過ぎた、売店で一緒に働いていた

お節介おばさんから、お見合いの話が有りました。

相手は炭鉱で働く出稼ぎ労働者でした

何回か会っているうちに、一緒になる

事に決めた、やがて女の子が生まれ、

幸せな生活を送っていた。

日本は戦争に負け終戦を向かえた。

これからは日本に平和が訪れると

喜んでいた時に、条約を破りソ連軍が突入してきた。

幸せだった時間がアッとゆう間に崩れて行った

春枝家族は急いで衣服をまとめ

走り出そうとしていた最後の船に

やっと乗せてもらうことが

できた、人を沢山乗せたため重すぎたので

余計な荷物を海に捨てました。

荒波に耐えながら北海道にたどり着いた。

すると、夫が九州の炭鉱で働くと言い出した。

焼け野はらの日本を横断するなんて

まして幼子を抱えて、容易なことではなかったはず、

九州に着くと、宿舎に通され、夫は仕事に出た

春枝は子守りをし夫の帰宅を待った。

平穏な日が訪れホッとしていた時に女性問題が浮上した。

そんな最中、炭鉱で事故が有りましたと

連絡が有った、どんな状態なのか、心配していると

落石に巻き込まれ

旦那さんは亡くなりました。悲しんでいる隙など

なかった、北海道に帰る事にした。

幼子を抱えてまた厳しい旅をする事になる

故郷に帰ると戦地に行った弟が帰っていた

悲しみと疲れで、喜ぶ、元気もなく

そんなとき、一通の電報が届いた。

それは亡き夫の母親からだった、

息子の遺品が何もないから。孫の顔を見せて欲しい

それを読んだ春枝は親の心境を思い

亡き夫の故郷へ向かう事にした、すると心配した

父親が私も着いていくと言ってくれた。

心ぼそかった春枝は嬉しかった

列車に揺られ、バスに乗、砂利道を歩き、

山を越え、やっとたどり着いた、そこは茅葺き屋根の

家、目の前に、大柄な女性が仁王立ちしてしていた。

亡き夫の母でした、小柄な春枝は、体がすくんだ

挨拶する間もなく、いきなり義母から「孫を置いて行け

それが嫌ならおまえも残れ」と言ってきた、

唖然としていた春枝に、優しい父は黙って

千円を握らせ「何時で帰って来いよ」そう言って、 

涙を流しながら、帰って行った、悲しげな

後ろ姿を見送りながら、それが一生の別れになりました。

崖を削って作った小さな敷地の裏が崖になっていて

前も崖で50メートルほど下には家が建っていた。

義母が、最初に嫁いだ所が、下の家でした。

そこには三人の男の子と夫が居ました、

その子どもの一人が春枝の亡き夫でした。

上の家には新婚夫婦がいた、よりによって義母が

新婚夫婦の旦那に思いを寄せ、嫁さんを追い出して。

居座った。下に残された夫は屈辱に耐えきれず

井戸に身を投げ、死んでしまったのです。

二人の子供を置いて、上の家で結婚した。

下の家が本家となり上の家が分家となった。

そこで四人の子供を産んだ

やがて子供が成長しそれぞれの道を歩む

長男は戦地で命を落とし、次男は東京で事業を

立ち上げた、三男は生まれつき体が弱く

力仕事が困難だったので、次男の所へ働きに

行っていた、末娘は目が不自由でほとんど見えません

義母は春枝に体の弱い三男と一緒になれと言って

春枝の意見も聞かず、結婚させた。

そして姉、私、長男、次男を産みました。

義母がお婆さんに、春枝が母になった

義母はお産をしたばかりの春枝に翌日から仕事をさせた

ぼろぼろになった春枝の体は、内臓が飛び出し、まるで

男性のようになってしまった

右も左もわからない母を、

言葉の鞭を使い、まるで奴隷のように扱った

「俺らのころはな朝飯前に一仕事したもんだ」

そう言って朝早くから夜遅くまで、働かせた。

寝不足と疲れで、しょっちゅう、怪我をしていました。

田畑がある場所はとても辺鄙な所にあり

獣道を登り下った先に田畑がある。

私がまだハイハイしていた頃、目の不自由な

おばさんが、子守りをしてくれた、

火が点っていた囲炉裏の側に私を置いたまま

玄関に向かった、誰か来たようです。

そんなとき、囲炉裏に落ちて火傷を負った。

痛みに耐えられない私は、泣きじゃくり

おばさんが戸惑っていると、来ていた客が急いで母を呼びに

行ってくれました、心配して、帰ってきた母は。

直ぐに病院に連れて行ってくれた、

病院まで3時間ほどかかる、泣き止まない赤ちゃんを

連れて行くには大変だったと思った。

そして泣き止まない私をおんぶして野良仕事に出た。

やがて追い出した嫁が隣町で高齢出産をし、

男の子を産みましたが、母親は直ぐに

死んでしまった、その子供を誰が引き取るかで

揉めていると、周りの人達が、お婆さんの

せいだからお婆さんが引き取るべきだ。

そう言われたお婆さんは、しぶしぶ引き取る事にした。

その子もまた障害を抱えていて耳が不自由で、

話せなかった、そんな子を気の毒に思い

母は自分の子供として育てる事にした。

私達も兄と呼びました

しかし言葉が通じない兄と会話をすることは大変。

適当な手話でコミュニケーションをとっていた。

樺太生まれの姉とは二つ違いの兄でした。

母も障害者二人と意地悪なお婆さんを抱えて、

苦労して行くのです。

私達の学校は、山を越えた所にあって

山の、登り口に石油が出ていた、いつもガタンガタンと

音をたてていましたが、私が十歳の頃には

音がしなくなりました。村の真ん中を小川が

流れて合流した川がある、よく釣りをしていた。

川の側に田んぼがある、畦道を歩いていると

田んぼに、虹のように光ってる油が浮いてた。

そして山の中腹にトンネルが

有り、そのトンネルは途中で終わっていた、

村の人達が近道をするために掘ったのですが

諦めたんだそうです。そこは野菜の貯蔵庫に

なっていた、とても涼しくて、

私達は暑い時に学校帰りに涼んで居た。

村の人達は石油で潤っていました、そのお金で

賭け事をして、楽しんでいたそうです、

賭け事に弱かった我が家は貧しくなったと言っていました。

冬は山から吹き下ろす雪で3メートル以上積もります、冬になると炭焼きが始まる。

炭焼き小屋は山の中腹にあり、兄と母は、炭俵を

背負い、暗くなって心配した私は懐中電灯をもち

迎えに行くと、目の前に雪の中を滑り落ちて来た。

学校に通う道を村の人達がかんじきを履き

一時間位前に出て道を付けてくれる、でも

沢山降っていると、アッとゆう間に付けた道が

無くなります。

久しぶりに父が帰ってきた、近所のおじさん達が

囲炉裏を囲み、お酒を交わしていた。

その日は、たいして飲めないお酒が

進んだ。そしてトイレに立った、

トイレが有るのは玄関の横にあり、とても寒い。

なかなか戻って来ないので母が次男に「見てきて」

すると「倒れているよ」びっくりして

みんなで床へ運びました。三日間、目を開けたまま

話す事なく死んでしまった。

母をかばってくれた夫はもう居ません。

これからは、お婆さんがますます

辛く当たってくるでしょう。

家の横に小さな小屋が有りましたそこには、

ニワトリと豚が居て、

家の隣に連なって牛を飼っていた、家の仲から

餌を与えられた、

やがて12才になった兄にお婆さんが牛の手綱を

握らせ、仕事をしてこいと言った、初めての兄は

戸惑っていたが、なかなかゆう事を聞かない牛を

殴ったり蹴ったりした、牛も、腹を立てたのか

角で突いたり蹴ってきた、それでも兄は一生懸命

頑張って仕事をこなしてきた。

母も角でつかれて怪我を負った。

その牛やニワトリ、豚は何時の間にか居なくなっていた。

母は、樺太生まれの姉に義理の父に甘える事を

許さなかった、

姉が学校に行く時に麻の束を背負おわせ学校の近くまで

運こばせた、獣道をカニのように歩き、


そして近所の人に頼まれ

重い荷物を運んだ時、負けず嫌いの姉は

他の男の子より、沢山の荷物を背負って運んだ。

と言っていた、勉強が好きだった姉は、

学校で真ん中の成績だった

お婆さんが「学校に行く暇があったら家の手伝いをしろ」

そうして、年に半分しか学校に行けなかった。

姉を教えた先生は勉強がよくできたと褒めていた。

家の事情をよく知っていたからです。

そして中学を卒業して東京に働きに出た。

やがて結婚をして今東京に住んでいる。

兄が小さいとき、村の真ん中を流れている小川で

あんた達のオムツを洗っていたんだよと

誇らしげに話をしていた。

稲刈りじきになると、山の先にある田んぼに行き

稲を刈り、それを背負い、いちばん下の田んぼから

上の道まで運ぶも、畦道が滑り、雑草に捕まりながら

運んだ、木と木を繋いだ、はざは14段ある。

兄と母は梯子に登り、子供達が稲を投げるも

時々届かず落ちて来た。

そして残った稲は家に運び、この頃には。

耕運機に変わっていた、道も広くなって

便利になっていて、耕運機と、子供は背中にかつぎ

家まで運んだ、途中に山を削って作った腰掛けが

あり、疲れるとそこに、休みながら帰りました。

この辺鄙な村を次々と町に出て行った。

そして、姉と私は東京に出稼ぎに出た。

のこった家は6件でした。

ある日役場に勤めている本家のおじさんから

夢のような話が有りました、隣町に整備された

5件が住める宅地が売りだされているとの話があった。

残っていた家は6件でした。300坪で50万円、

村の人達が相談して、我が家も仲間に入れてもらう事に

なった、しかし我が家には、そんな大金はありません。

母は東京に住む姉に相談した、すると姉から

「こんないい話し2度とないよ」そう言って

旦那の理解をもらい、出してくれた。

しかしこれからが大変です、

農協でローンを組み、たいしてお金にならない

山奥の材木を売り、山の田んぼも売って

親戚の大工にお願いし、工事が始まった。

そして、新居が完成した、さすがの意地悪お婆さんも

喜んでいた、やがてお婆さんも年をとり。

床に伏すようになった、母は一生懸命に看病していた。

新居に来て、一年程でお婆さんは亡くなった。

亡くなる前にお婆さんから「辛く当たって悪かった

許してくれ」そう言って息をひきとったそうです。

それを聞いた母が「辛かった心の痛みがスッと消えて行った」

と言った、年子の姉と「あれだけ辛い思いをしたのに

そんな簡単に許せる訳ないよね」私達なら無理だよ。

苛めから解放された母は、これからは平和が訪れる

そう思っていたが、神様は意地悪をする。

やがて長男が結婚をして家に入ったが、一年程で

出て行きました、それかしばらくして、次男が結婚して

家を次いだ、そして孫が二人生まれ。

母も喜んでいた、嫁は車で10分位の所で勤めに

出ていた、孫は母が全て見ていました、学校の行事や

参観日、そして病気になっても面倒を見ていた。

嫁は感謝するどころか、気にいらなけば、顔に出して怒る、 

ある日兄に仕事をしてほしいと話があった。

知っている人だったので喜んで返事をした。

屈託のない兄は誰からも愛されていた。

いつも嬉しそうにして出掛けて行きました。

初めて貰った給料をニコニコしながら母に差し出した

すると、いきなり母が「嫁にやれいや」と怒鳴った。

本当は褒めてあげたかったけど、自分も辛かったのです、

嫁の言葉の暴力で、母を脅してくる。

母は怖くて、怯えていた。

時々娘と一緒に母に会いに行くと、母が孫にお小遣いを

くれた。この日は「ごめんね、お金がないから

お小遣いをあげられないよ」「どうしたの」と聞くと

「嫁に取られた」何で、すると嫁が「あんた達に

「金がかかるんだよ」と言ってきたので怖くなって

通帳を渡した、すると急に優しくなった。

それも2~3日たつと、元に戻ります、それの

繰り返しで、全て取り上げられた、その一枚が、

母が居なくなっても兄が困らないようにと

障害年金から毎月二万円づつ貯めていた。

それも嫁に取られてしまった。

同じ屋根の下に居るのに、面倒も見てもらえず

母は誰にも看取られず、たった一人で死んでしまった。

足元に頭があったそうです、苦しんだのかな。

葬式は弟夫婦が仕切っていた、冠婚葬祭の会場で行われた

住職さんを囲み席が並べてあった、

住職さんの隣に姉の席になっていた、しかし50年も故郷を

離れていた姉は、ほとんど田舎の事は知りません。

話が合わないから、夫に変わって欲しいと

言ってきたので、変わった、夫はよく兄のところに

遊びに行っていたので、よく知っていた。

住職さんと話が弾み笑いが響いていた。私も話をして

話が弾んだ、嫁が睨んでいたが、これは母を

送る席だから気にしないでいた。

兄の方から嫁の声がした「あまり酒を飲むないや

金がねがすけ」何も知らない兄はうつ向いていた。

すると弟の声がした「いいねかや飲ましてやれいや」

へえ~まだ思いやりがあったんだ。

焼香には沢山の方々が来てくれました、私が

知らない女性の方々も、母は、知らない所で皆さんに

幸せを上げてたんだね、誇りに思いました。

私達は近かったのでタクシーで帰ることにした。

他の方は送迎バスで帰りました、見送りながら、

手を振ると、嫁が睨みつけて行った。

翌日、遺品分けをするために実家へ行き、

いちばん上の引き出しを開けるとビニール袋に入った

解約済みの通帳が六枚位入っていた。姉に言わず。

そっとタンスを締め、帰ってきた。

しばらくして兄が歩く事が困難になり夫と

一緒に病院へ行った、すると先生から、「もう治らないね。

骨がぼろぼろだ」

施設に入り入院する事になった。素直な兄は誰からも愛され小さい頃から大人と一緒に将棋を打っていたので

病院で流行っていた将棋を嬉しそうに打っていた。

看護婦さんがびっくりしていました、障害の兄が

まさか将棋が出来るなんて、そして病院で息を引き取った

少しは楽しい日々を過ごせたことが幸せだったね

本家のおじさん二人だけが長生きをした。

おじさんは母親のことを、あいつはあばずれだと

言って居た

お婆さんが措かした罪を身内が抱えて行った、

子供や孫のわたしを選んで罰を与え。

幼い頃、村で二人の人が自ら命を落としました。

この村は呪われていたのかも知れません。

   











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