善意のつもりだったんだけどなー……
勇者と魔王の壮絶な戦いに幕が下りたのは今から五年程前の話だ。
勇者が魔王を打ち倒し、世界に平和が訪れた、で済めば良かったのだが魔王と勇者は相打ち。完全に平和になったとは言えなかった。
何せ魔王軍の残党は残っている。
勇者が魔王に完全勝利してくれていればそういった残党を退治するのも勇者に任せる事ができたかもしれないけれど、しかし相打ちとなっては残された者たちがどうにかするしかない。
まぁ、魔王という一番でっかいヤマをどうにかしてくれてるんだから文句を言える立場ではないのだが。
とはいえ、残党となってしまった魔王軍側も、魔王がやられたなら次の魔王には自分がなってやる! といった野望を持っている者もいるので平和な世界にはまだまだ程遠かった。
魔王と勇者が相打ちした、という事実を広めたのは、その戦いの中でかろうじて生き残っていた戦士である。
彼は魔王の居城にて、魔物の軍勢相手に一人で立ち向かい囮となり、そうして勇者たちを先に行かせるという完全捨て駒ポジションを選んだのだが、何の因果か生き残ってしまったのであった。
治癒力を高め回復を早める魔法の装飾品を身につけていた事が良かったのか、圧倒的な数の暴力であった魔物の軍勢相手にそれでもどうにか倒し切って、あ、これ死んだな、と力尽きたつもりがその間にじわじわと回復していたらしく生き残ったというのが真相だ。
自力で立ち上がれるまでに回復した戦士がまだ肉盾くらいにはなれるだろうと勇者たちの後を追いかけるようにしてみれば、戦士同様他の場所でも仲間たちが勇者を魔王の元へ行かせるために一人残っては魔王の側近だとかと戦っていたらしく、途中で仲間の死体と敵の死体が倒れているのを見た。
戦士と同じ魔法の装飾品を装備していたはずの仲間たちは、しかし既に事切れていて復活する気配もない。
戦士が助かったのは彼の生命力がずば抜けていたからであった。
そしてどうにか魔王のいるだろう所まで戦士が辿り着いたまさにその時、魔王と勇者は相打ちし倒れたのである。仲間が生きている可能性を信じてそちらであれこれ確認したりしていなければ、間に合ったかもしれない。しかし明らかに死んでるならともかく、微妙に死体が綺麗な死に方をしていたせいで生きている可能性を捨てきれなかったのである。
ともあれ、こうして魔王が倒された事も勇者が死んでしまった事も証人がいるため嘘だなんて言えるはずもなく。
ちなみに唯一生き残った戦士も後遺症が酷くて今後の戦いなどには参加できそうになかった。
生きてはいるけどもう武器を手に戦うとしても、今までのようには無理だと医者にも言われてしまったくらいだ。
とりあえず戦士は今、故郷の村に戻りそこでたまに村を襲う魔物を追い払ったり、村の人に武器の扱い方や戦い方を教えている。
新たな魔王になろうという野望に満ちた魔族もいるけれど、同時に魔王がいなくなったんならもう戦う必要なくね? という戦争反対派も現れるようになった。
一応上が戦うっていうから戦ってたけど、その上がいなくなったら戦う必要ないよね、という穏健というか事なかれ主義の魔族はそれなりにいたのである。
故に魔族サイドは現在新たな魔王となって戦いを継続したい派閥と、戦争とかもういいじゃんという派閥に分かれている。
対する人間たちもこのまま魔族を根絶やしにしてしまえという過激な者や、これ以上戦えば今度はこちらが敗北するかもしれないと思ってどうにか和平に持ち込めないかと考える者、実に様々であった。
戦いを継続したい者も、戦争をもうやめたい者も、人も魔族もそこは変わらず一定数存在していたのである。
これで勇者が生きていたなら根絶やし派の勢いが強まったかもしれないが、人間側も今現在防衛するならともかく攻め込んで相手を倒すまでの戦力は持ち合わせていなかった。
完全な和平に持ち込んではいないから辺境と言われるような僻地ではまだまだ小競り合いがあるけれど、大きな争いは起こしようがない。そんな、薄氷の上に成り立つような平和が訪れたのである。
そんなピリピリとした空気が漂うような世界をあてもなくふらふらと彷徨う若者がいた。
彼の名はレイモンド。
魔族の青年である。
魔族と一言で言っても見た目は様々。角や牙、羽だとかがあるタイプもいれば、人間とそこまで変わらない見た目の者もいた。
レイモンドは角も羽もあるタイプであったけれど、いかにも魔族ですよという風貌で人間たちの集落に行けば大変な事になるというのはわかっていたのでそこらへんを上手く隠して人間のふりをしている。
彼は魔王軍の中でも大体中堅くらいのところに所属していたので、勇者たちとの死闘に駆り出される事はなかった。どちらかといえば人間たちの町や村を制圧したりする方に回っていたのだ。
制圧した後は他の土地へ応援要請されて各地を飛び回っていたので、レイモンドが直接勇者たちと戦う事は何とも幸運な事になかったのであった。もし戦っていたら今頃彼の命はない。
魔族としての姿はいくつかの人里で目撃されているけれど、人の姿となったレイモンドは魔族の時の見た目とかなり異なっている。なので、そう簡単に気付かれる事もないだろう。
レイモンドは別に率先して人を殺す事に愉しみを見出しているだとかでもなく、ただ上からの指示だったからやっていただけで、魔王が倒された今、自分が上に登り詰めてやるぞ、といった野心はこれっぽっちもなかった。どちらかと言うと彼は各地を飛び回る事そのものは楽しかったけれど、破壊や殺戮といった行為は苦手であった。仕事だったからやっていただけで。
魔王が倒されたので、今までの褒賞とかは一部貰い損ねている状態だったが、それでも各地を飛び回っていた時に金になりそうな物をいくつか見つけていたので別にそれも困っていない。
まぁ、人間たちの領土だとかそこら辺を考えなければ、金になる物はいくらでもどうにでもなるものだ。
あまり派手にやりすぎたら目をつけられるだろうけれど、そうでなければ自分がやったとバレる気もしない。
上からの指示で各地を飛び回り、周囲をのんびり見て回る余裕もなかったレイモンドはこうして今、薄っぺらくも平和になった世界各地をのんびり旅に出ているところであった。
人間たちの町や村を制圧して時として焼き払ったりもしていたレイモンドだが、主要都市といった守りに対して重要な所へは駆り出されなかった。そちらはもっと精鋭の、魔王軍の中でもとりわけエリートと呼ばれる連中の部下たちが功を競うように襲っていたからだ。そこに指示もされていない一兵卒も同然な奴が紛れたら、自分の出世の邪魔をしに来たと思われて人間諸共殺されていたっておかしくはなかった。
わぁ、怖い怖い。そんな物騒なところにわざわざ自分から足を運ぼうなんて、思うわけないよね。
そいつら押しのけてでも出世してやる、という野心があったならともかく、レイモンドは別にそういった野心だとか野望は持ち合わせていなかった。
なのでまぁ、表面上平和になったというのもあって、レイモンドは今まで訪れる事がなかった人間たちの主要都市へ足を運んだのである。
完全に観光気分。物見遊山。観光地ではなさそうなのでお土産は多分期待できないけれど、あまり期待しすぎるのもよろしくない。
とりあえず、そこそこ美味しいご飯とふかふかの寝床を用意してある宿があれば、今のところレイモンドは文句を言うつもりがなかった。
とはいえ。
魔王と勇者の戦いが終わったばかりだ。
戦後処理だって完全に終わったわけではない。滅んだ町や村は片付ける人間がいないからそのままになってるなんて所はそれなりにあったし、がっしりと守りを固めていた重要な都市部は壊滅こそしていないが、それでも平和な時と比べてしまうと賑わい度合は微妙なところ。
王都は様々な物資が運ばれていた事もあって、飢え死にするような民はいなかったようだが旅行気分で来たレイモンドからすれば、わかっちゃいたけど期待外れだったかなぁ……といったところであった。
復興したらまた来ればいいか。
なんてのんきに考える。
人間と比べれば魔族の寿命は遥かに長い。生きてさえいれば機会は何度だってあると思う事でレイモンドは今回の王都に対するガッカリ感をどうにか打ち消した。
折角の王都だし、という事でレイモンドは一通り王都を見た後、しれっと貴族の振りをして貴族たちの夜会などにも参加してみた。
本来こういった場には招待状がないと入れなかったりするのだが、そこら辺は魔族お得意の魔法でちょちょいのちょいである。認識をずらす魔法はレイモンドだけではない、大抵の魔族にとっては必須科目みたいな部分があった。
そうしてワインなどを飲みながら、時にこちらに頬を紅潮させて見てくるご令嬢をダンスに誘ったりなどして、レイモンドはそれなりに夜会を楽しんだ。
名前やどこの家の人間か、なんていうのも魔法による認識阻害の効果でいい感じにぼかす事ができる。
だからこそ、余程ヘマをしない限りは普通にしていれば問題はなかった。
さてそんな中、突然大きな声が響き渡る。
「――貴方とは婚約破棄ですわっ!」
甲高い声は思った以上に響いたし、しかもその発言をした人物が思った以上に身分の高い人物だったからかダンスのために奏でていた音楽は思わずといったように止まってしまった。
そのせいで余計に水を打ったような静けさが耳に痛い。
だがしかし、先の発言をした人物はそんな事お構いなしに言葉を紡ぐ。
曰く、魔王が倒されたとはいえ平和になったとは到底言い難い。
それ故に、貴方と結婚したとして国を上手く立て直せるとはとてもじゃないが思えない。
平和な時代であれば貴方は良き王になれたでしょう。しかし今はそうではない。今必要な王の資質を貴方は持ち合わせていない――などなど。
「あの方は……」
誰だ。とレイモンドは思ったが、流石にその疑問を直に口から出すわけにもいかない。
いや、発言から何となくわからないでもないのだ。
けれども、もしそうだとして。
この場でその発言はどうだろう、とも思うのだ。
婚約破棄を突きつけられた男は、ただ静かに女を見据えていた。
顔を青ざめさせたりだとか、激昂したりだとか、そういった感情の揺れはない。
もしかしたらこうなる事を想定していたのかもしれないな……とレイモンドは思った。
「マリアンヌ王女……まさかこのような日にそんな事を言うなんて……」
レイモンドの呟きは、別に誰かに聞かせようと思って声に出したわけではない。
うっかり誰だ、なんて率直な疑問を口にしかけたので急遽聞かれても不自然に思われたり不敬だと言われる事のないような事を口に出しただけだ。
とはいえ、レイモンドがダンスに誘ったつい先刻まで壁の花をしていたご令嬢には流石に聞こえていた。まぁ当然である。そこまで密着しているわけではないけれど、それでも独り言が聞こえるくらいの距離なのだから。
薄々わかっていたが、やはり身分がかなり高い人物だったらしい。
王女ときた。
十代後半くらいだろうか。人間の、それも貴族で身分が高い人物の結婚は割と早い段階でされるとレイモンドは聞いた事がある。魔族は寿命が馬鹿みたいに長いので結婚するにしても、早いところはあっという間だが、遅いところは何百年もしてからようやく……なんてところもある。
今しがた婚約破棄を宣言したので、もしかしたら近々結婚する予定だったのだろうな、とはわかる。
魔王という脅威が消えて、最大のヤバい存在はなくなった。完全に平和とは言えないが、まぁ新たな門出を祝うにはいい感じだろう。
もしかしたら、もし魔王を勇者が倒して生きて帰っていたならば。
あの王女は勇者と結婚していた可能性もある。
とはいえ、今しがた婚約破棄を宣言したので本来の相手は勿論あの男性だろうというのはわかる。
勇者が帰っていたならば、婚約破棄ではなく白紙解消されてしれっと勇者があの王女の夫になっていた可能性はあった。
マリアンヌ王女とやらをレイモンドは周囲から視線をじろじろと向けている、と思われないよう気を付けて注視した。
太陽の光をいっぱいに浴びて揺れる黄金の穂のような髪。
空をぎゅっと閉じ込めたような大きな瞳。
豊穣の女神を彷彿とさせるような色合い。
それだけではない。
ドレスが更にそう見せているのかもしれないが、一見すると華奢に見える体型はしかし出るべき部分は主張して、引っ込むべき部分は引っ込んでいるのがよくわかる。
清楚に見えるがしかし同時に妖艶さもそこにはあった。そんな彼女の事をどう表現すればいいのだろうか。
ともあれ、理想の女性とはこういうものだ、というのを体現したかのような美貌の女。
それが、マリアンヌであった。
その美貌ゆえ、だろうか。
幼い頃から彼女は蝶よ花よと育てられてきた。
レイモンドとダンスをしていた令嬢は囁くように言う。
王妃様なんかマリアンヌ様を溺愛しすぎて、彼女の事を天使だと豪語するほどなんですよ。
そう言われてもレイモンドからすれば「ふぅん」としか言いようがないのだが。
しかしこのような場で婚約破棄を宣言した非常識な女は、しかし非難される様子はなかった。
むしろ周囲の言葉は、国の事を考えての英断だとか、よくぞ決断しただとか、最初に宣言した時の訝し気な眼差しを向けていた者たちでさえ彼女を褒め称えているのだ。
本来ならば、こんな場面で非常識な事をしでかした相手こそがひそひそと言われそうなのに、婚約破棄を突きつけられた令息に対してまぁ彼じゃねぇ……みたいな反応であるのもおかしな話だ。
王女の伴侶となるべくして選ばれた相手がロクデナシであるか、と問われれば、そんなはずはないだろう。
それなりにじっくりと選ばれたはずだ。適当にこいつでいいや、なんて感じで選ぶはずもない。何より大事にされてきた王女の結婚相手だというのならなおの事。
本来ならば非常識極まりない王女のやらかしは、しかし何故か周囲で好意的にみられている。
王妃だけではなく、周囲もまるで彼女を天使どころか女神のように敬い扱っているように見えた。
人間には気付かれていないのかもしれないけれど。
レイモンドは魔族であるがゆえに気付いてしまった。
王女は呪われている。
その呪いが、どうしようもなく周囲に被害をもたらすものであるならばこんな事にはなっていないけれど、王女の呪いはどちらかといえば魅了に近しいものだ。
完全な魅了ではない。もっとあからさまなくらい魅了の力があるのなら、人間の中でもそれなりに力を持った魔法使いあたりが気付いたかもしれないが、呪いの力はそこまであからさまではないために、こうして王女が結婚するまであとちょっと、という時になっても誰も気づいていないのだろう。
呪った相手まではわからないが、不幸になれと思われて呪われたというよりは、厄介な祝福が空回った結果そうなった、というのが近いかもしれない。
レイモンドも別に専門家じゃないので、見ただけで詳細がハッキリわかる程ではないのでなんとなくそうかな? という感じでしかわからないが。
でもまぁ、多分妖精とかそこら辺の祝福が捻じ曲がった結果なんじゃないかな、とは思った。
人前に滅多に姿を見せないけれど、妖精はあれでああ見えて人間の事はそこまで嫌っていなかったはずだ。
ただ、人間の価値観と妖精の感覚はそれなりに離れているのもあって、妖精の良かれと思って、が大抵人間にとってとんでもない事になるってだけで。
多分、王女が生まれた時にでも、妖精が近くにいたんだろうなぁ、とレイモンドは思う。
そうして生まれたばかりの赤ん坊にこの子が幸せになりますように、みたいな願いを口にした王か王妃かは知らないが、まぁ誰かしらの願いを聞いて叶えてあげようとでも思ったのかもしれない。
結果として、そこまで強くもない魅了の力を得てしまった。
魅了だけならともかく、多分事態が彼女にとって好ましい展開になるよう作用しているのかもしれない。
だからこそ、王女はああも堂々としているのだろう。
本来ならこんな場所での婚約破棄、自分は常識を知らない恥知らずですと宣言するようなものなのに。
両親は一体何をしてるんだろうと思ったが、そもそも魔王との戦いが終わったばかりだ。それなりに国のトップも忙しいのだろう。だからこそ、娘にある程度の権限を与えて任せていたのかもしれない。
任せた結果がこれ、となると乾いた笑いしかレイモンドは出せそうにないが。
最初は眉を顰めていたご令嬢も、今では「王女様、よくぞご決断を……」なんて言っている。
うわぁ、盲目的に信仰されてるとかじゃないけど、周囲が何しても味方になってくれる、みたいな状況となればそりゃ王女だってああなるよな……としかレイモンドには思えない。
適当に言葉を交わして令嬢とはそこで離れた。
魔族である自分にはあの王女の呪いの力は効果がない。いや、もっと弱かったらもしかしたら引っかかってたかもしれないけれど、しかしレイモンドに効果がないなら大半の魔族にも効果はなさそうだ。良かった、と内心安堵する。
もしあの力がもっと強かったなら。そしてそれをあの王女が正しく理解していたならば。
魔族との戦いの先頭に立って、魔族側を手中に収めていた可能性すら存在していた。
良かった、そこまで強い力じゃなくて。
レイモンドがそう思うのは当然の事であった。
とはいえ、レイモンドより力の弱い魔族には効果を発揮してしまうかもしれないので、近々各地の同胞たちに連絡だけはしておかないといけないかもしれないな……とも考える。
一番いいのはここで王女を始末する事だが、流石にこの場でやらかすのはまずい。
そうなればこの場にいる人間すべてが敵対しかねない。
武装しているのは警備している兵たちくらいとはいえ、人の数がそれなりに多いし取り逃してしまえばレイモンドの姿だとかは下手人として瞬く間に広まって人の姿でも魔族の姿でも各地をのんびり放浪する、なんて事はできなくなってしまう。
流石にそれは個人的に大問題だった。
どうしたものかな、なんて思いながらも、周囲では王女の事を天使だの女神だの言ってちやほやしている声を聞き流――せなかった。
あっ、そっか。
その方法があった。
周囲の賛美。その言葉にこそ解決策があった。
周囲がちやほやしているのに、レイモンドはそこまで賛美していなかったからかどうやら王女に目をつけられたらしい。
いや、多分ちやほやしてないだけが理由ではないだろう。
人の姿をしているレイモンドの容姿は、人の感覚からするとかなりの美形であったがゆえに。
だからこそ、ダンスなんてあまり……といった感じで壁の花をしていた令嬢だって頬を染めてレイモンドの誘いに乗ったくらいだ。
先ほど婚約破棄を宣言した王女は、しかし新たな伴侶をまだ見つけていなかったのか、婚約破棄を宣言した時点で近くに新たなお相手らしき人物などはいなかった。
だからこそ、それもあってレイモンドに声をかけてきたのかもしれない。
王女の目から見ても、人間姿のレイモンドは好印象だったのだろう。
どこの家の者かと尋ねられたが、レイモンドは貴族の振りをして夜会に潜り込んだだけの魔族である。人間の身分など持っているはずもない。
だがしかし、レイモンドは適当な身分を口にした。
前に滅ぼしたところの貴族の家だとか、そこら辺の遠縁とかならまぁいけるだろ。そんな軽いノリで。
一応認識をぼかす術も使っているので、後から冷静に考えたらおかしいぞ……? と思われるような事でも今すぐ変だな? と思われる事もない。だからこそ、この場を乗り切ってしまえば後はどうとでもなってしまう。
適当に口にした家の名は、王女にとって問題のないところだったらしくレイモンドが適当に話している内容にも王女は勝手に盛り上がっていた。
見目もよく、会話も弾む。共にいて苦にならない。
王女の目はいい相手を見つけた、とばかりであった。
見定めるような目を向けてくる王女に、レイモンドは内心で引きながらも笑みを浮かべたまま。
周囲の人目が気になるから、と少しばかり人のいないバルコニーへ移動すれば、王女もすんなりとついて来た。
そこで適当な会話をして、王女の事を軽く褒め称え――まぁ本心ではないのだが――後は適当に魔法を使って王女の周囲にキラキラとした小さな光を飛ばしてみせたりして、貴方の輝きがどうのこうのだとか、ちょっと夢見がちな乙女なら引っかかってくれそうな演出をしてみれば王女は貴方魔法も使えるのね、とわかりやすくはしゃいで見せた。
人間にとって魔法は使える者と使えない者とに分かれている。使える者は生まれ育ち関係なく出現する。王だとか貴族だから使えるというものではないのだ。だからこそ使える者はそれなりに畏怖され、また重宝もされる。
魔法を使える相手、というのをどういう風に捉えたかはわからない。けれども、ステータスの一種としてそれもまた良しと王女の中では思ったのだろう。
レイモンドにさりげなく――全然さりげなくなかったけれど――婚約者がいるかを問いかけ、いないと答えれば王女の表情はパァッと輝いた。
あ、これ狙われてるな。
いくらなんでもそれくらいは気付く。
仮に、王女の伴侶となって一国の王の立場につけたとしよう。
……考えただけで面倒くさい。
国一つ牛耳って裏から操って魔族に有利な……なんて考えてもみたけれど、生憎レイモンドはそこまでするつもりがない。
魔王が生きていて、上からの命令でそうしろというならしたけれど、今魔族の上は次に誰がトップになるかで揉めている。
そこで下手に国一つ手中に、なんて知られてみろ。とても面倒な事に自分から巻き込まれにいくのがわかりきったものではないか。
それならむしろこの国そのものを崩壊させた方が余程手っ取り早いまである。
だからこそ。
レイモンドはにこりと本心が読めないような笑みを浮かべて言うのだ。
「確かに魔法が使えますが……ですが王女様、貴方も使えるはずでしょう」
――と。
生まれてこの方魔法なんて使った事のない王女は、その言葉に耳を疑った。
そして、ある意味選ばれた者だけが使える力が自分に備わっていると言われ、内心どころかわかりやすく高揚したのだ。
王族という身分。
得ようと思ったところで簡単に得られるものではない美貌。
周囲が羨む存在であるというのはわかっていたが、しかし魔法を使えるだとかの選ばれた者、と言うほどのものではない事くらい理解していた。
しかし、ここに更に魔法の力を使う事ができるとなれば……?
自分は絶対的な存在になれるのではないかしら。
欲しい物はなんだって手に入れてきた。けれども、魔法の力はどうにもならない。使えない者は何をどうしたって使えないのだ。
だからこそ、王女は密かに魔法を使う事ができる者たちにコンプレックスを抱いていた。
自分より身分が低く、大して美しくもないくせに、しかし選ばれし者のみが扱える力を手にしている。それが王女には我慢ならなかった。
魔法が使える部下もいないわけではなかったけれど、その力だって魔王を倒しに行った勇者の仲間たちと比べれば比べるのが烏滸がましく思えるレベル。
強くて美しくて自分の隣に並んでも劣らず遜色のない存在――王女が求めていたのはそういった人物であった。
魔法に関して目の前の青年が勇者の仲間たちと同じくらいか、と言われればそれはわからないけれど、しかし見た目は申し分なし。共にいて話も弾む。更に、彼は自分にも魔法が使えるだけの力があると言うではないか。
王女はどうしたら使えるのかしら、と戸惑ったように問いかけた。
実際戸惑いはある。あるけれども、同時に自分はやはり選ばれた存在なのだという気持ちが強くなっていて、その質問だってどこか焦っているというのを隠しきれなかった。
早く早くとせがむ子供のようだ、と内心で思いながらもしかし王女はその気持ちを抑えきれなかった。
だからこそ、目の前の美貌の青年が微笑んだのを見て――
――この日、王女の姿は忽然と消えた。
夜会の最中、誰も足取りをつかめないまま忽然と、それこそ本当に存在していたのかと疑問に思われる程に王女の足取りは掴めなかった。
婚約破棄をされた令息が何か、恨んで王女に仕掛けたのではないか、という疑いの目も向いたけれど、しかし令息は婚約破棄された後王女の近くにはいなかった。近づくそぶりも見せていない。
多くの目があったからこそ、令息は何もしていないと証明されていた。
レイモンドの存在は、元々魔術で存在をぼかすようにしていたのもあって、いたような気がする……くらいにぼんやりとしたものになっていて、ほぼ誰の記憶にも残っていなかった。どこかの家の方と話をしたというくらいの記憶は有れど、その内容だって特別重要なものではない。軽い世間話くらいの認識しか残されていなかった。
突如姿を消した王女に、半狂乱になったのは溺愛していた王妃だ。
王妃以外の者たちもそれなりに王女が消えたという事に対して様々な反応をしていたけれど、最愛の娘を天使と呼び重たいくらいの愛情を与えていた王妃には負ける。
戦後の処理もあるとはいえ、同時に王女の捜索もしなければならなくなって王都は忙しさを増したものの、王女の手掛かりは何一つとして存在しなかったのである。
もしかして、人買いに売られてしまったのでは、だとか賊に攫われて、はたまた誰かと駆け落ちでもしたのでは……? なんて噂がそれこそ大量に広まったけれど、そのどれもが信憑性に欠けるものばかり。
いつまでたっても見つかる様子のない事実に、王妃はとうとう心を病んでしまった。
寝込む原因になったのは、天使だったからあるべき場所へ帰ってしまったのでは、なんていう言葉であった。
王妃とて別に真実王女を天使だと思っていたわけではない。比喩だ。
自分が産んだ娘なのだから、王女が人間であるのは言うまでもない。けれどもあまりの愛らしさに天使のようだと思ってからは、常々そう言っていたのもまた事実。
天使のような娘。
成長してもなおその認識は変わる事がなかったのである。
忽然と姿を消したのは、きっと天使だから。
天界とやらに帰ってしまったのではないか。
そんな風に噂をされるようになったのは、探しても一向に見つかる気配がなかったこともあるからだろう。
恐らくは、もう生きてはいないのではないか……そんな考えがちらほらと出るようになったのも王妃は知っていた。けれども人知れずどこかもわからぬ場所で死んでいるだなんて、認められるはずもない。死体が出てきたならともかく、それすら発見されていないのだ。
けれど、王女が市井に紛れ生活できるか、となればそれは難しいだろうと王妃も理解してはいるのだ。
であれば、今頃はやはりもう……と暗い思考になるのも何度もあった。
死んでしまったけれど、それを認めるには証拠が足りない。
だから、せめてもの慰めに天使だったから天国へ帰ってしまったのだ、なんて言葉でどうにか折り合いをつけようとしている者たちの言葉を、責められるはずもない。
けれども認めたくなかった王妃には、その言葉さえ重くのしかかるもので。
いっそ自分も死んだら天国で娘に会えるのかしら……? なんて思うようになっていたのである。
王女がいなくなって数か月。
心を病んだ王妃と、それなりに心を痛めてはいるがまだマシだった王とは異なりそれ以外の者たちは今更のように王女の異常さに気付いていた。
今までは王女の力でどれだけおかしなことであってもそうと認識できなかった事が、今更になっておかしいと気づかれるようになってきただけではあるが、陰では王女の事を人心を惑わす魔女であったのではないか、なんて言う者たちも出るようになっていた。
面と向かって言えば王妃がどんな手段に出るかわかったものではないけれど、今まで王女がやらかしてきた数々のエピソードは今にして思えば非常識なものが大半で。
だからこそ、余計に市井だけではなく、社交界でも王女の事は触れてはいけないタブーとなりつつあった。
ただ、それでも王女の捜索は続けられている。王妃の願いというのもそうだが、もし魔女であったなら、下手な場所へ行かれてしまうとこの国にとって良くない事になってしまうのでは……? という懸念もあったからだ。
思い返すと限りなく非常識なエピソードばかりの王女の事を真に心配しているのは、今となっては王妃だけとなってしまっていた。
「――レイモンド、だな?」
割と確信をもって問いかけられた声に、レイモンドは特に警戒するでもなく声のした方へ首を向けた。
各地を転々として、今いるのは湖の近くの小さな町だ。自然が美しいところで、のんびりと過ごすにはとても良い環境だとも言える。
そこのレストランでシェフお勧めの魚料理に舌鼓を打っていたところであった。
「そうだけどそっちは……」
一見すると冒険者風の見た目をした中性的な人物は、目つきこそ険しいがそこに敵意だとかは存在しない。仮に敵意があったならレイモンドだってこうやってのんびり席についたまま聞き返したりはしていなかっただろう。
「マトモに話をしたことはないが、まぁ、かつての同僚と言えばわかるか?」
「お? おー、もしかして」
「最近は情勢も落ち着いてきたからな、こうしてこちらに足を運ぶ余裕もできた」
人間の姿になっているのをレイモンドは初めて見たが、目の前の性別不詳の人物もまた魔族である。
同僚で、あまりマトモに話をしたことがない、と言われて思い浮かぶのは一人だけだ。
「レンか。全然わからなかった」
話をしたことは確かにほとんどないけれど、それでも同じ任務についた事もかつてはある。
名を呼ばれた事で、レンは満足そうに頷いて「ここいいか?」と椅子を引いた。
レイモンドは食事の途中だったが、まぁ知り合いと同席する事に否やはない。
わざわざこうやって話をしに来たという事は、何かあったんだろうなとわかっているので食事を再開しつつレンの言葉を待った。
「それでお前、何やらかしたんだ」
メニューを見ながら問いかけられたその言葉は、完全にやらかした事を前提にされていた。とても遺憾の意。
「何って、別に何もしてないよ。最近は情勢も落ち着いてきてるし、何かをする必要がない」
人間社会ではどうだか知らないが、魔族側はそれなりに落ち着いてきているのだ。
まぁ、トップが決まってある程度の方針が固まったというのもある。現在の魔族たちは、率先して人間を滅ぼしたりはしないけれど、売られた喧嘩は買うといったものだった。
いくつかの人間の国では一応和平交渉もしているらしく、そういったところでは魔族たちも普通に活動するようになっている。魔族憎しで戦う意思を見せている国に関しては、こちらも戦うならやるか……といった乗り気じゃないけどそれなりにやる気はあるのが現状。
「いやでも、メリルから聞いたぞ。お前ちょっと前に天界にいったんだろ?」
「……ん、あ、あー、あれかぁ」
天界? と何を言われたのかわかりませんね、みたいな顔をしていたレイモンドだが、少し前の記憶を思い返してみて確かにそうだったなと頷く。
天界に確かに天使たちはいる。なんだったらその更に上の神界まで行けば神様もいるけれど、流石にそこに行くとなると天使たちの厳しい入国審査があるのでレイモンドは神界まで行った事はない。けれども、別に魔族だから天界にいってはいけないという掟はないのだ。
揉め事さえ起こさなければ観光するには案外天界は良いところだ。ちなみにレイモンドは天界の喫茶店で出されたシナモンロールとカフェオレがお気に入りである。
別段魔族と天使たちは争っているわけでもない、という事実を人間たちだけが知らない。
なお天界はあまり人間界に干渉しない事になっているので、人間界で魔族たちが暴れようとも別に……といったところである。大昔に一部の人間たちが天界、というか天使とか神に対してとても失礼な事をした結果、あいつらとは関わらんとこ……となってしまったが故だった。
個人での干渉は自己責任。
「お前何したの。何か、違法祝福がどうとか聞いたんだけど」
レンの口から出たメリルというのは、レンの友人の天使である。生憎レイモンドは天界に親しい友人は特にいないので、メリルと名前を出されてもパッと顔が出てこないがまぁ、多分前に天界にいった時にちょっと関わったかしたのだろう。
「別に何かしたってわけじゃないけど。前にちょっと潜り込んだ国の王女様が、何か周囲からやたら天使天使言われててさ」
「ほう」
「でも実際人格とか性格? いうほど天使か? ってなっちゃって」
「ほほう」
「大体地上界で天使が好き勝手するのってアウトじゃん? 天界的に。
堕天使かもしれないなと思って天界に連れてっただけだよ」
「建前はわかった。本音は」
「妖精の祝福で微量な魅了能力があったっぽいから、力の弱い同胞がコロッと引っかかったらヤだなぁって思って天使なら天界に帰れさせただけ」
「最初からそう言え」
「天使がいつまでも地上にいちゃまずいからね。まぁあれは人間だけど」
「……そういう事か。いや、話はわかった」
レンは納得がいったと頷いて、とりあえずメニューに視線をおろした。
「お勧めはこれって言ってたよ」
「お前が食べてるやつか、じゃあそれにするかな」
あっさりと決めて、レンは店員に声をかけた。
「それで、メリルから聞いたって言ってたけど」
「おう」
食事もある程度終わってそろそろ頃合いかな、と思った時点でレイモンドはレンに声をかけた。
ちなみにとっくに食べ終えていたレイモンドは一応デザートを頼んでいる。
「どういう話が出回ったん?」
「なに、お前が自称天使を引き渡しにきたってだけだ。ただ、天界ってそれなりに行くとなると手続きあるだろ」
「あぁ、あるねぇ」
誰でも気軽に行ける場所ではないのだけれど、天界は外からの来訪をやや拒みがちなので行く時はそれなりに手続きが必要になる。とはいえ、神界に行くのと比べればまだマシだ。慣れてしまえば天界へ行く時の手続きはそこまで苦でもない。
レイモンドとしては天界の喫茶店のシナモンロールは面倒な手続きをしてでも食べる価値があると思っているので、余計に苦に思っていないだけだ。何の楽しみも見いだせなければ天界なんてわざわざ足を運ぶような所でもない、と言い切っていただろう。
「とりあえず、お前が連れてったっていう人間の天使。あれ、何か妖精に違法な祝福を与えられてたらしくてな。人間だからいつまでも天界に置いておくわけにもいかないが、しかしその祝福のせいで人間界に戻したら余計な混乱を招く恐れがあるとされて、処刑されたらしいんだわ」
「へぇ、まぁそうなるかなって思ってた」
本来妖精の祝福は正しくされているならば何も問題はないのだが、やりすぎた場合余計な混乱を招く恐れがある。だからこそ、人間たちは知らないだろうが天界や魔界では妖精の祝福にもある程度の決まりごとがあるというのをレイモンドは常識として把握していた。
もしあの王女にかけられた妖精の祝福が違法なものでないのなら、天界に連れられていってもそのうち何事もなく帰る事ができていただろう。
けれど、どうやらそうではなかったらしい。
違法な祝福の場合、効果の強弱如何に関わらず祝福された相手は処分される。通常の正しい祝福の場合子々孫々にまで効果が続くという事は滅多にないが、違法な場合は高確率で子孫にも影響するのだ。同じタイプの祝福であればまだ対処もしやすいが、突然変異で周囲ですらわけのわからない効果が出る、なんて事がむしろ高確率で起こる。
周囲に被害が出ないタイプの祝福ならともかく、そうでなければ大惨事にもなりかねない。
魔族や天使たちならそこまで被害は出ないだろうけれど、それでも力の弱い個体が無事でいられるかどうかは謎だ。
処分の内容は人による。
祝福を引っぺがせるような状態なら引き剥がして元いた場所に帰す事も可能だが、引き離せないような状態だともう本当に始末するしかない。本人が持つ能力だとかであるならば封印処置も可能だが、祝福は本人が本来持つものではないため、もしその人物に祝福を与えた妖精や、それに近しい性質の妖精がいた場合、祝福で得た能力を封印しても再度祝福をしなおす、なんていう事が有り得るためだ。
封印した場合は祝福は本人に残ったままだが、一度引っぺがせば妖精からすると以前祝福を与えた人間に似てるなー、で済むため祝福の二度付けだとかはほぼ起きない……らしい。まぁ、何事にも例外はあるが、引き剥がせるならそうした方がいいのは確かである。
違法な祝福をされてしまった人物は不幸ではあるが、もうどうしようもない。
これで王女がまだ人としてマトモであったなら、助かる道も残されていた可能性はある。
だがしかし、あの王女は物事は全て自分の思う通りになると思って成長してしまった。今からその思い込みを正して清廉潔白な人物として生きていけと言われたところで難しいだろう。
「とりあえず、あの王女様の母親はひどく王女の事を心配していたから、貴方の娘は本当の意味で天使になりました、と知らせておくべきだろうか?」
「おいおい……なんでトドメ刺そうとしてるんだ。お前その王妃に何かされたのか?」
「? いや。別に何も」
「えっ、なのにトドメ刺そうとしてんの?」
「いや、行方不明になった娘が生きてるか死んでるかだけでもハッキリさせたい、って思う親心に応えようかと」
「メリルから大体の話は聞いてたけどな、それやったら間違いなくその王妃も自害するぞ。やめとけやめとけ」
「えっ、つまり天国で一緒になろうねって事?」
「ちげぇよバカ」
突然の罵倒にレイモンドとしては納得がいかない様子ではあるものの、しかしまぁ、レンの口からメリルにも万が一の事としてそうなった場合止めてやれって言われてるんだと言われてしまえば、レイモンドとしても黙るほかない。
ちなみに違法な祝福をした妖精に関しては、天界の管轄なので近いうちにやらかした該当者は発見され次第厳罰に処されるだろう。
「とりあえず……あの国の王女がいなくなった事で多少やりやすくはなった、ってんだから、まぁ、近いうちお前の所に何かしらの褒賞届くんじゃないか?」
「えっ? そうなの?」
「無自覚だもんなお前」
レンはあからさまに顔をくしゃっと歪めてみせた。
人間たちの中に潜り込んで色々と引っ掻き回してこちらの有利に事を運ぼうなんて考えていなかったのは、態度を見ても一目瞭然だ。
単純に力の弱い同胞が引っかかったら困るから、でやらかしただけとわかってはいる。
ただ、まぁ。
もし本当にその王女様が実は天使として生まれて人の中に紛れていた可能性も、きっとほんの少しでも考えていたからこそ。
こいつわざわざ天界に連れてったんだろうなぁ……とレンは思うわけだ。たまになんでか生まれる場所を間違えるうっかりものの天使はそれなりにいるので。
もし本当に天使だったら、人間の頃の記憶は消されるけれど。
それでも生きてはいけていた。
実際は違法祝福の被害者だったわけだが。
被害者。
そう考えると王女も哀れだなと思うけれど、しかし今までの王女の事もメリルから聞かされていたのであまり可哀そうとも思えなかった。
「とりあえずさぁ、お前の善意って誰に向けてのものなわけ?」
「え?」
「いやいい何でもない。今のは忘れてくれ」
誰に向けての善意であれ。
なんだか真相を聞いたら後悔しそうな予感がしたので、レンは今しがた口にした言葉を思い切りなかった事にした。
知らないままの方がいい、と直感が告げていたので。