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ヘイフリック 第8話


 老いたとはいえ、ヘイフリックの怪力を考えれば、つかみあいは避けるべきだった。

 万力のような強力なあの腕につかまったら、私では、手も足もでなくなる。

 だったら、反撃などさせないように、速攻でやっつけるよりない。

 身を低くすると。獰猛な唸り声をあげながら、私は一気に間合いをつめる。そして、全身のバネを活かして跳躍すると、ヘイフリックの喉笛めがけてとびかかって、そこに食らいつこうとする。

 だが退くこともせず、ヘイフリックは両腕をひろげると、怒りの声でかえす。

「どう攻撃するつもりか、手にとるようにわかるぞっ! そのうえ、遅いっ!」

 とびかかってきた私の身体を空中でガッチリつかまえると。ヘイフリックは、そのまま、私を力まかせに足もとに叩きつけようとする。

 ところが、つかんだはずの私の身体が消滅したのをまのあたりにして、驚きに眼をまるくする。

 ……幻術だと気づいても、もう手遅れだ。とっくの昔に私はヘイフリックの背後にまわって、無防備な背中側から攻撃をしかけていた。

「よぉぉしっ。勝った!」

 背中にかけあがって、太い頚にしがみつくと。くわっと尖った牙をむきだし、首筋の肉にガブリと歯列をつきたる。

 さらには、力まかせにふりほどかれないように。両方の腕をからめて、相手の頚を絞めあげて、かんぬきをかける。

 これなら、はずせない。あとは相手が気絶するまで、喉にかけた手をゆるめなければいい。

「こざかしい戦いかたをする、ちっぽけなネズミめがっ!」

 うめき声をあげながら、ヘイフリックはうしろに手をやって。私の腕や頭をつかむと、なんとかして私をひきはなそうとする。だけど無理な体勢のせいで、それはかなわない。

 気性が荒い小型の肉食動物が、自分よりも身体の大きな獲物に襲いかかって。急所である喉笛や脊椎に噛みつき、獲物が弱るのを、そのままじっと待つやりかた。それだった。

 獲物が暴れたり、もがいたりしても、深く食い入った歯列をはずすことはできない。いくらタフで、しぶどかろうと。やがて獲物は抵抗する力を失う。最期には倒れて横腹をみせて、手脚で弱々しく空を掻くだけになる。

 ところが私が力づくでねじ伏せようとした強敵は、私が本能のままに攻撃をしかけても、ちゃんとそれを打ち払えるだけの用意をしていた。

 袖なしの胴着に縫いつけてある物入れから抜きだしたそれを、ヘイフリックが私の顔面めがけて、肩越しにつきつける。

 うわっ。やばいっ。

 大急ぎで腕をほどいて歯をはずすと、大声をあげながら、私はヘイフリックの背中を蹴って背後にとんだ。

 グリップを装着し、大型拳銃サイズまで全長を縮めた、中折れ式の暴徒鎮圧銃。

 小さな迫撃砲を思わせる、太くて不恰好な発射装置の銃口が。私に狙いをつけると、ボンッと不気味な音をたてる。

 大型弾頭が唸りをあげて、側頭部の皮膚と髪の毛をもぎとっていく。

 恐怖と衝撃に、私は気が遠くなりかかる。だけど、気絶しているヒマなんてない。すぐに反撃しないと、今度は強力なバラ弾をくらうかもしれない。

「あ、危なかった……」

「けっこう効くだろう? いまのは暴徒鎮圧用に使ってる打撃弾だ。もっとも、防弾装備を身につけた警官相手には、あまり効果はなかったけどな……」

 私はもがきながら立ちあがると、血塗れたくちもとをぬぐい、すてばちな怒りのままに、大声でタンカをきった。

「あぁ、そうかい。でも今度は私があんたに噛みついてやったからね。勝負は、これからだからなっ!」

 唸り声をあげてふたたび攻撃をしかけようとした私は、そこでヘイフリックの様子がおかしいのに気がついた。

「学ぶ時間は、八百年もあったのに。ケンカが本当に下手だな、おまえは……」

 そう捨てゼリフをはくと、ヘイフリックは苦しげな呻き声をあげると。自分の身を両腕で抱いて。立っていられずに、その場に膝をついた。

 驚いて眼をみはった私は、自分の掌や腕や衣服を見て、ぎょっとなる。ヘイフリックに組みついたときについたのだろう、大量の赤黒い血がべっとりと付着していたからだ。

 あいつ、ひどいケガをしてるんだ。

 そう気づいたとたん、争いのまっただなかなのも忘れて、私は大急ぎで彼のもとへ駆けよっていた。

 黒いシャツやズボンを身につけているせいで見分けがつかなかったが。脇腹に、銃弾でえぐられたとわかる、見るも無残な裂けた赤い肉の傷口がひらいている。

 ほかにも、腕や腿、肩口に、銃弾が貫通してできた銃傷がある。

「う、撃たれたのかよ? だれにやられたのさ?」

 私はすっかり動転してしまい、息せききってたずねる。

 ひどい苦しみだろうに。ヘイフリックはそれを顔にださないようにして。食いしばった歯列のあいだから、つぶやくようにかえす。

「ついさっき、この議事堂のなかだ。護衛役であるはずの警官たちが撃ってきた。命令をうけて、おれを暗殺するつもりだったらしい。

 致命傷は負ってない。引き金を絞るときに、殺すな、と相手に強い心的な衝撃をあたえて照準をずらせたからな。と言っても、この体たらくだが……」

 怒りとはまたべつの衝動にかられて、私は思わず大声をあげていた。

「つけなくてもいいようなカッコをつけてる場合じゃないだろ! あたしたちは、死ににくいだけで。べつに不死身じゃないんだ。撃たれりゃケガするし。ケガがひどければ、あの世行きになる。

 だいたい、あんたを暗殺して、だれか得でもするのかよ?」

「耳もとでがなるな。キズにひびく……。命令したのは議会の連中だ。事情は、八百年前と変わりゃしない。議会には、おれを倒せば、すべてまるくおさまると。そう考えてるやからが多いからな。

 やってみりゃわかるが、そうはうまくいかない。遅かれ早かれ、おれがつまずいたのと同じ問題でつまずいて、解決するいい方法がないかと、さがすことになる……」

「でもね。やっぱり間違ってるよ。あんたが議会にはたらきかける力を持っているのなら、みんなが幸福になる未来をめざすとか、なにかべつの方法を選ぶべきだよ」

「好き勝手な幻想にひたるだけなら、だれにだってできる。おまえだって、けっきょく、それが最善の選択だと信じて。おれを始末しにやってきたんだろう?」

 私は、そうじゃないさ、といいかえすぐらいはできた。

「あんたには、本当にハラが立つ! いいか、よくきけよ。私はねえ……」

 頑固な不信心者にむかって反論しようとした私のセリフは。しかし、拳銃の安全装置を解除したり。撃鉄をあげる音、よびあう男たちの声によって、さえぎられた。

 ふりかえってあたりを見回した私は、表情をひきつらせる。

 拳銃を抜いた大勢の警官たちが、おそろしい形相で。かまえた拳銃の照準を、私たちにつけていたからだ。

 さっきまで、あたりを圧倒するように荒れ狂っていた。爆撃をうけて破壊される都市の光景は、いつのまにか消え失せていた。

 警官たちは、強力な幻術から脱して、正気をとりもどすと。最初から自分たちが議事堂のなかにいたことに気づいて。各々の職務をはたすために、猛然と行動に移ったわけだ。

 私ではなく、自分にむけて、ずらりと銃口が狙いをつけているのをまのあたりにして、ヘイフリックは皮肉っぽく笑む。

 苦痛に耐えながら身を起こすと。大きく肩で息をつきながら。そこでじっとしてろ、と私へ命じる。

 ヘイフリックは、自分から標的になるように、警官や護衛役たちにむかって、大股で歩ゆみだす。

 ヘイフリックは、妙に落ち着き払った態度で、拳銃をかまえた警官たちへよびかける。

「どうした、撃たないのか? おれはおまえたちが暮らすこの国を、戦争という危機的なあやまちへと導こうとする、危険な人物だぞ?

 撃たなければ、どんなおそろしい未来を招きよせるやもしれない。見逃せば、後々まで自分の行動を悔やむことになる。それでいいのか?」

 最初は低い声で。徐々に大きく。最後は腹の底から響くような大声で。そう叱責され、警官たちは脂汗にまみれた追いつめられた表情で、銃をかまえたまま、躊躇する。

「いまどき、ガキむけのコミック雑誌でだって、やらないような真似しやがって!」

「撃たれたいんなら、そうしてやろうじゃねえかよっ!」

 警官たちは、やけくそになって、ついに射撃を開始した。

 拳銃の発射音が、続けざまに響きわたる。

 訓練された射手たちによる一斉射撃は、精密かつ強力だった。いかにヘイフリックが人間ばなれした身体能力をそなえていようとも、それから逃れる術はない。

 ヘイフリックは立て続けに拳銃弾を急所に浴びて、血しぶきを散らし、通路に敷かれた絨毯に転がって倒れた。間違いなく、そのまま絶命しているはずだった。

 ところが、悪夢は終わらない。

 警官たちは、銃弾に破壊されて血だらけの無残な姿となったヘイフリックが、得体の知れない唸り声をあげながら、なおも腕をついて立ちあがろうとするのを前にして、思わず神の名を口走った。

 ベルトの弾倉入れから予備の弾倉を抜きだし、交換すると、警官たちは、終わらない悪夢に決着をつけようと、さらに銃弾を撃ち込む。

「射撃終了……。おい、終了だ。撃つのをやめろ。なにかおかしいぞっ!」

 仲間のだれかが悲鳴のような声で訴えるのをきいて、警官たちはようやく撃つ手をとめると、どうなったのか事態をたしかめにかかった。

 議事堂の通路は、無数の弾痕だらけとなっていた。まるで、戦場か射撃場のようなありさまである。

 ところが、自分が流した血だまりのなかに倒れているはずの、ヘイフリックの遺骸が消え失せていた。

 通路に残されているのはおびただしい流血のあとだけで、撃たれた当人は忽然と姿を消していたのだ。

「……おい、だれか。このよびかけに答えられる者はいないのかっ?」

 無線の回線にわりこんできた人物とに、警官たちはようやく気づいた。

 その人物が、自分は議会の最高責任者である議長だと名乗ると、ぼう然としていた警官の一人はあわてて通話スイッチを入れて、質問に応じる。

「失礼しました、議長殿。そうとは知らず、対応が遅れてしまい……」

「いいわけはやめろ。それよりも、犯人はどうした? 逮捕したのか?」

「その、じつは……発砲せずに逮捕しようとしたのですが、犯人側の抵抗によってそうもいかなくなりまして……」

「それくらい、無線をきいてればわかる。それで、ヘイフリック氏はどうなった。それをたずねているんだが?」

 議長にむかってなんと答えたらいいのかわからず、冷汗を浮かべてくちごもっていた警官は、そのとき、血だらけの靴跡がもつれるように通路の奥へむかっているのをみつけて、顔色を変えた。

 もうダメだ、と心を決めると、ふるえる声で、真実を告白する。

「まさか、こんな結果になるとは思いもしませんでした。ここにいる全員が、ただもう無我夢中で、銃弾をありったけ撃ち込んで殺そうとしたんです。ですが、どうやったのかはわかりませんが、逃げられました。すいません。こうなったからには、相応の処分は覚悟しています……」

 弱々しく語られる警官の報告をきいて、議長は沈黙したままでいた。怒鳴りつけるかわりに、掌をかえしたような親しげなくちぶりで、そっけなくかえす。

「よくやった。君たちは、自分の職務を果たしたんだ。大いに評価され、誇りにすべきことだよ。隊長に報告したまえ。私が誉めていたと、つけくわえるようにな」

 通信が終了したあとも、警官は驚きのあまりに眼をまるくして、自分が手にしている無線機を見つめるしかなかった。


 ヘイフリックのその大きな体躯を肩にかつぎあげる。……というよりも、両腕をつかんで背負うと。伸びた両脚がうしろでズルズルとひきずられるのもかまわずに。できるかぎり、大急ぎで、その場から逃げだす。

 警官たちの心には、私がつくったヘイフリックのイメージをかさねあわせ、幻視をさせた。

 警官たちが、いくら銃弾を撃ち込んでも立ちあがってくる幻覚をやっつけようと夢中になっているあいだに。私たち二人は、騒ぎの場から、さっさと退散させてもらったわけだ。

 とはいえ、そう遠くまで行けるはずもない。

 見たところ、天井の監視カメラがモニターしている区域からはずれているらしい、通路の突きあたりまで苦労して満身創痍のヘイフリックを運ぶ。

 ちょうど、通路側からは死角となった壁面のカゲに、上半身をもたせかけて、彼をすわらせる。そこで一息つく。

 いまや議事堂は、侵入者を排除するために、臨戦態勢へと入ったのがわかった。

 通路をかける大勢の靴音や、身につけた装備ががちゃがちゃとぶつかりあう音、怒鳴りあう声がきこえる。

 見つからないように、身を低くしたまま、注意してそっとのぞいてみる。

 防弾ベストのせいで身体がふくれあがったように見える大勢の警官たちが、短機関銃を抱え、ポケットに弾薬をめいっぱいつめこみ、無線機で連絡をとりながら、通路を急いでいる。

「おまえたちは、正面出入口をかためるんだ。急げっ!」

「残りの連中は、所定の位置につけ。議事堂の出入口を、ひとつ残らず、ふさぐんだ。遅れたら、免職もんの失態だぞっ!」

 出入口を封鎖しようと躍起になっている様子から考えて、よもや私たちが議事堂のさらに奥へと入り込んで身を隠した、とは思ってないらしい。

 とはいっても、脱出路をふさがれてしまえば、発見されるのは時間の問題だ。なにか手を打たないと……。

 背後で、苦しげに呻いて、ヘイフリックが身じろぎをした。私は四つんばいのまま、そばに近づくと、声をひそめて耳もとにささやく。

「よかった、気づいたんだね。ところでさ、あんた、立って歩けるかい? それができりゃ、二人で脱出できるかもしれない。私にはまだ幻視させる力が残ってるから、私たちを警官に擬装できる。その擬装が見破られても、あんたがついてくることができれば、私が戦って切り抜けてやるさ。いいかい、この危機をのりこえられるかどうかは、あんた次第なんだ。どう、できるかよ?」

 だがかえってきたのは、よしおまえにまかせた、という力強い答えではない。私を歯噛みさせて、うつむいて悪態を口走らせるような内容のものだった。

「おれは助からない。くやしいが、これだけ銃弾をくらって深手を負ったら、すぐに動けなくなるだろう。まだ意識ははっきりしてるが、そのうち出血多量と負傷のせいで、おまえの問いかけにも答えられなくなる。おまえだけなら、なんとか切り抜けられるはずだ。おまえ一人で脱出してくれ。わかったな?」

「……そんな安っぽいメロドラマをやるために、こんな物騒な場所まで苦労してやってきたんじゃないんだけどねぇ」

 必要なら、胸ぐらをつかんで、頭ごなしに大声でののしってでも、私はヘイフリックをなんとかして立ちあがらせるつもりでいた。

 死を覚悟したのだろう、ところがヘイフリックは、強い眼の光と、くぐもった低い声で、私の気持ちなどおかまいなしに、ぼそぼそと勝手なことをいいだす。

「死期がせまってるせいだろうな。気を失ってるあいだに、ずっと昔のことを思い出してた。おまえには話してなかったが、まだ人間だった頃、おれは神父だったんだ。

 あれはいつだったか……。教会からの命令で、聖地でみつかった未発掘の遺跡の調査をしていたときだった。発掘調査をすすめるうち、厳重に隠されていた安置所に、紀元前の聖者らしい遺骸を発見した。けっきょく、その安置所は地滑りで埋まってしまい、くわしいことはわからずじまいだったが。おれだけがその遺骸を調べようと手をふれてしまった。どうやらそのとき、なにかに感染して、吸血鬼になったらしい。

 あの事件のせいで、すべてが変わっちまった。 

 吸血鬼になったことが知れると、聖職者の資格を剥脱されたうえに、教会からも追放された。おまえも知ってのとおりだ。あとは自暴自棄になってさまようしかなかった。

 こんな試練をあたえる、教会と神様をずいぶんと憎んだよ。こうなったら、教会や神様なんかにはできないことをこのオレがやってやる、と心に誓いもした。いま思いかえせば、その怒りと憎しみが、おれをささえたんだろう。

 だがその苦しみも、今日、この場所で終わる。とっくの昔に、おれは教会や宗教とは関係ない身の上になっちまったが、こうしておまえに告解する機会を得られて、ホッとしているよ……」

 ヘイフリックが低い声で語る、彼自身の境遇にまつわる話をきいているうちに、つめたいイヤな汗が全身に滲んできて、私は落ち着かなくなった。

 ことわっておくが、話の中身に衝撃をうけたわけじゃない。このたぐいのヨタ話なら、手をかえ品をかえ、いやってほどつきあわされたせいで、免疫ができてる。それよりも、疲れきったように語る、彼のその言葉の力のなさに私はおそろしくなったのだ。

「遺言のつもりだったら、きかないよ。いますぐ、やめてよね」

 そう私が忠告すると、ヘイフリックは頚をめぐらして、ようやくこちらを見て、ひどいやつだな、おまえは、と吐息のように弱々しくかえした。

「この期におよんで、心安らかに死なせてくれないのか、おまえは?」

「ああそうだ。ついでにいうと、この期におよんで、あんたを死なせるつもりもない。あれだけ勝手な真似をやっておいて。うまくいかなかったからって、すべてを押っつけていなくなっちまうつもりかよ? そんなの、許さないからな。

 責任をとって、今度は正しい方向へ事態を導いてもらうよ。戦争を回避させて、平和的な解決を実現させるんだ。それがあんたのつとめさ。わかったかい?」

 すっかり驚いたのだろう。ヘイフリックは、予想すらしてなかった返答をきかされた、といわんばかりの、不思議そうな表情で、私の怒った顔をさぐるようにながめた。

 やがて、ためらいがちにききかえす。

「なんでおまえは、それほど確信をもっていいきることができるんだ?」

 私は咽喉の奥で、うぅるるる、と言葉にならない唸り声をかみ殺すと、ヘイフリックの顔をじっと見返した。なんのために、こんなところまでやってきたと思ってるんだ。あんたに死なれちゃ、困るんだ。

「頼まれても、教えてやらないつもりだったけどね。

 ……いいか、私はあんたと別れたあとで、故郷の街へもどって、医療研究施設をたちあげたんだ。資金の出資者は私だ。研究対象となる、ある特定の病気の諸症状を改善して治療するための小さな研究グループを発足させるためさ。目的は、あんたや私を悩ませているこの未知の病気の治療方法を見つけだすことだ。

 研究グループがこの仕事にとりかかって、まだ時間は経ってない。でも研究の成果はあがってる。どうやらまだ知られていない、ウイルスと微生物の中間生物が、体内に侵入して増殖し、細胞そのものを変質させ、こうした症状をひきおこしているらしいんだ。その中間生物の機能を特定し、なにか有効な対処方法をみつけることができれば、あんたや私もこの運命から逃れられるかもしれない。まだなんの確証もないけどね……」

 ヘイフリックは壁にもたれかかったまま、なにもいわず、いい加減の極みともとられかねない、私が語る話をきいていた。

 興奮もしなければ、大げさに驚いたりもしない。説明がちゃんと伝わったんだろうか、と心配になった頃に、不意に肩をふるわせて、低い声で笑いだした。

 なんだよ、なにがおかしいのさ。人の話をマジメにうけとらなかったのかよ。

 腹立ちまぎれにそう文句をいってやろうとしたが、そこでようやく、ヘイフリックが泣いていたのがわかった。

 泣き顔を見られたくはないのだろう。うつむいたままで、その意味を噛みしめるようにつぶやく。

「なんてこった。人間にもどれるかもしれないってわけか……」

「これで死ねなくなったろ?」

 どうやら、よけいなハッパをかけてやる必要もなかったらしい。

 ヘイフリックは、床に掌をつくと、身を起こそうと苦闘を始めた。うまくいかないとわかると、壁に手をついて、呻き声をしぼりだしながら、なんとかして立ちあがろうともがく。

 苦労のすえに、ようやく自分の両脚で立ち、荒い呼吸を整えたときには、ぶしつけで、愛想のない、わがまま野郎にもどっていた。

 こちらをふりかえると、いつものそっけない調子で命令する。

「よし、それじゃ、始めるぞ。議事堂の出入口は、武装した警官たちにすべて封鎖されている。おまえの計画をきかせてもらおうか。なにかいい手があるのか?」

 胸に熱いものが込みあげてきたが、それをこらえると、精一杯の皮肉をこめて、私はヘイフリックにいいかえしてやった。

「あんたね。まず私に感謝したらどうなのさ、まったく」

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