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ヘイフリック 第3話


 夜道を歩いていると、気づかないうちに涙がこみあげてきた。

 きっと、したたかにぶっつけたせいだろう。一歩一歩あるくたびに、背骨のあたりや首筋など、痛めたところが脈打つように、ズキンズキンとうずく。

 握りしめた右手の甲で、眼のふちをグイとぬぐう。

 おさえても涙が込みあげてくるのは、打撲傷の痛みのせいばかりじゃない。

 ヘイフリックと署名された手紙が届けられてから。

 行ってみよう、と決意するまでの逡巡の時間と。

 目的地の村にたどり着くまでの、さまざまな苦労すべてが。

 こんな手痛い結末しかもたらさなかったことが、どうにもやりきれなく、くやしかった。

「こんなことで、私は弱気になったりしない。へこたれたりしない。嘆いたりしない」

 そう自分に言いきかせて、元気づけてみたけれど。涙がぽろぽろとこぼれ落ちてくるのをとめられない。

 自分はどこへむかっているんだろう、と考えをめぐらしてみたが。答えがわかったとたん、私は暗やみのなかに立ちつくして、その先へと進むことができなくなった。

 そもそも、私がむかうべき場所などなかった。

 帰るべき故郷には、暖かく迎え入れてくれる、家族や血縁者たちはすでにない。

 いつかこの肉体の異常を克服して。普通の人たちと同じように自分の家族をつくって。

 かぎられた寿命になろうとも、残された貴重でかけがえのない人生を送ろう、と自分にいいきかせてきた。

 でも、その希望も失われた。

 急ぎ足でむかおうとする先になにもない、と気づいて。込みあげてきた息苦しい窒息感に耐えきれなくなると。私は、ぼう然としたまま、あたりを見回した。

 暗やみしかない。

 全世界に自分一人きりで、ほかのすべてから切り離されてしまい。

 なにもすがるものなどなく。暗やみのなかで恐怖にふるえている。

 恐ろしさのせいなのか。それとも、どうしようもない心細さのせいなのか。

 自分の両肩を抱きしめると。こまかくふるえだした身体をおさえつけて。気持ちが落ち着くまで、何度もくりかえし、自身にいいきかせる。

「大丈夫、大丈夫だ。私は一人ぼっちじゃない。目には見えないけど、いつでも神様がそばについていてくれる。だから大丈夫、大丈夫……」


 村へともどる、荒れ地にきざまれた一筋の泥道の途中に。

 黒い人影となった、見なれない連中が集まっている。

 私がやってくるのに気づいたのだろう。立ちあがった男が、声をはりあげて、暗やみのむこうからよびかけてくる。

 おおーい。おおおーいっ……。

 そこの人っ、あんたにききたいことがあるんだぁ……。

 すまないがぁ、こっちにきてくれないかぁっ……。

 もうすこし、警戒してもよかったはずだ。

 ところが、すっかり気落ちして心細くなっていたせいで。私は慎重さを欠いてしまい。なんだろう、と集まっている人影のほうへ近づいた。

 集まっていたのは、この村の、男連中だった。

 全部で十七、八人はいるだろうか。

 こちらによびかけたのは、酒場で声をかけてきた、あの遊び人の若い男だった。

 よく見れば、ほかにも。あのとき、酒場にいた顔ぶれがそろっている。

「やっぱり、あんたか。ここで待ちかまえてりゃ、もどってくるときに出くわすと踏んだんだが……。どうやら、正解だったな」

 その若い男は、私の格好を上から下までながめると。さぐるようにきいてくる。

「その格好からすると……。あんた、本当に、幽霊館に行ったのか? 館にいる吸血鬼を退治してきたのか?」

 館の床を転がり、地面に体あたりまでやらかしたせいだろう。

 いまの私の姿格好は。よく見れば外套も泥だらけで破れていて。髪の毛はくしゃくしゃ。顔は汚れて。ひどい有様だった。

 名前も知らない、その若い男の質問に。私は外套のポケットに手をつっこんで。顔をそむけて。弱々しく小声でかえす。

「そうだよ。だけど、やっつけることはできなかった。それどころか、見てのとおり、命からがら逃げてきたんだ」

 よっぽど驚いたに違いない。集まっていた男たちのあいだに、言葉にならない、どよめきが起きた。

 やっぱりいたのか……。

 親父たちが言ってたことは本当だったんだ……。

 とんでもねぇことになった。どうすんだよ、これから……。

 若い男は村人たちをふりかえると。(偉そうな身なりや態度から考えて、やっぱりこいつは、村の人々をまとめている大農家のドラ息子なんだろう)男は皆に、静まる、ように言い渡す。

 それから。さぁ、これでわかったろう、と続ける。

「こうなったからには、おれたちがやることはハッキリした。幽霊館にいる吸血鬼をやっつけるんだ。

 親父たちがやらないんなら、おれたちでやるんだ。あの化け物を滅ぼし、この村を長年縛ってきたくびきやしきたりを、おれたちの手で打ち破ろう。それも、今夜に、だ!」 

 暗やみに響くその訴えは、よびかけではなくて。命令だったに違いない。

 村人たちは賛同などしなかったが、反論もせず、ただ声もなく、一様にうつむいた。

 よく見れば、集まっている全員が、背中に大荷物をしょって、緊張にかたくこわばった顔をしている。

 手には、火をつけていない松明を棍棒のように持っている者から。

 古びた槍や、錆びた剣といった、れっきとした武器をたずさえている者もいる。

 若い男は、どうだ驚いたか、と得意そうに、私に自慢を始める。

「剣や槍を見たか? こいつはみんな、大昔に合戦で使われた武具を集めて蔵に放りこんでおいたやつだ。絶好の機会だから、ひっぱりだして持ってきた。

 親父たちはもう見たくもないらしいが、でもおれたちは違う。必要があれば、おれたちは武器をとって、デッカイことをやってやるんだっ!」

「ねぇ。武器を手にしても。だからって、勝てるわけじゃないのよ? 本当に、こんな急ごしらえの集まりで、あの吸血鬼を倒すつもりでいるの? いまから、不意打ちをかけて?」

 信じられない、といった表情で私がそうたずねると。若い男は自信たっぷりの態度で、こうかえす。

「いっとくが、これだけじゃない。ほかにもとっておきの得物を用意してあるんだぜ。

 それよりも、きいてほしい。あんたを待ってたのには、ワケがあるんだ。

 事情は知らないが、あんたもあの吸血鬼に恨みを抱いてるんだろう。

 そうでなきゃ、よそ者のあんたが、一人で幽霊館に乗り込むはずがないよな。

 でもそれはおれたちも同じだ。あんな怪物を、おれたちの村で、好き勝手にのさばらせていいはずない。

 あいつと戦ったんなら、あんたもおれたちの仲間だ。手を貸してくれ。あいつをいっしょにやっつけようぜっ!」

 とんでもないことになった。

 私は熱っぽく語りかける若い男の笑顔をながめながら。そのうしろにひかえている村人たちがむける、ひたすら切望するような顔を一通り見渡した。

 なにか企みがあるに決まってる。

 その手のウソには注意しなくちゃならない。

 ここまで旅する途中でさえ。子供だからだましやすいと、身ぐるみ剥いで殺して埋めようとした、血も涙もない盗っ人連中の手から間一髪で逃げる出来事があったのだ。

 私は関係ないと、この場から立ち去ったほうがいい。

 だけど、私は気持ちが弱っていたし、なにかにすがりつきたかった。

 仲間じゃないか、という誘い文句は、心にじぃんと染みいった。

 ムリヤリ、自分を納得させようと、私はぶつぶつとつぶやく。

「私の居場所は、ここにいるような、普通の人たちのあいだにしかないんだ。

 ……ヘイフリックみたいな、あんな途方もなく無茶苦茶な生きかたは私にはできない。どれほど長く生きたところで、あんなの絶対に無理だよ。勘弁して欲しい。

 だからといって、残りの一生を、あいつのカゲにおびやかされて生きるなんて、そんなのイヤだ……。わかった、協力するよ」

 顔をそむけたまま、私が小さくうなずくのを見て、若い男は嬉しそうにニヤッと笑ってみせた。

「よぉし、これであんたも、おれたちの仲間だ。それじゃ、いっしょに来てくれっ!」


 幽霊館までやってくると。かりだされた村人連中は。背負って運んできた大荷物を下ろして、ほどきにかかった。

 とっておきの得物とは。大量の焚き木と。

 大樽にたっぷりと用意された、見たことがない油だった。

 なんでもこれは、この村で育てているアブラナからとった収穫品で。火つきがよく。料理に使えば、ほかとは風味が違う逸品として用いられ。町まで運べば市場で高値で取り引きされている、という。

 いまは小麦の畑からくらがえしても、アブラナを増やしている。おかげで油の貯えなら村の蔵にたっぷりある。だから、こいつを使って、吸血鬼の野郎を退治してやる。

 村人たちは、若い男の指示に従い、準備にとりかかる。

 たとえ建物は石造りであっても、支柱や梁などは木で出来ている。しかも、そうとう腐食がすすんでいる。

 建物の内側の枠組みに火をつけるために。壁の穴やすきまから火が入るように。そこに、手際よく大量の焚き木をつみあげていく。

「ただ火をかけるだけなら、炎がまわるまでに。狙った相手に感づかれて、逃げられちまう。

 だけど油を使えば、ずっと早く燃えるから、まず確実にしとめられる。気がついたときには逃げ道はなくなっている。そうなれば、吸血鬼野郎も無事にはすまないさ」

 そう得意そうに豪語するのをきいて、私がこわばった表情で言葉を失う。それを見て。若い男はダメ押しをするように、こうつけくわえる。

「しかも、これだけ古くてボロボロなら。建物が崩れて。相手は、灼けた石材やら、燃える柱の下敷きになる。

 やつがどんな怪物だって、これで虫の息だ。そこでしめくくりに、おれたちが剣と槍でとどめを刺してやる」

 まるで以前にも同じようなことをやって、邪魔者を葬ったようないいかただった。

 でも私は、そんな血なまぐさい事情など知りたくもなかったので、顔をそむけていた。

 見る間に用意はととのえられていく。

 炊き木がつまれたうえに、樽からくみだされた油が、したたって底に溜まるくらい、たっぷりとまかれる。

 さらに、油を浸した布切れが幾重にもまきつけてある松明に、大事に持ってきた種火が移される。

 炎が、いっそう強く、メラメラと燃え始める。

 それを見て、私は心を決めた。

 その場にいる連中によくきこえるように、ふだんよりもグッと力をこめた声と態度で。皆に言いきかせる。

「私にやらせて。この手で決着をつけたいんだ」

 ほかの村人連中は驚いたように顔を見合わせたが、若い男は、手を叩いてよろこぶと。いいよ、やらせてやれよ、と大声で笑いながら許した。

「まったく。おっかねえ、お嬢ちゃんだね」

 火がついた松明が、私に手渡される。

 火の粉がかかって火傷しないように注意しながら、私は薪の山のはしのほうに近よると。お別れの言葉をいいながら、火をつけた。

「ヘイフリック、いつになるかわからないけど、そのうちまた、天国で会いましょうね。今度は、私が、あんたの憎まれぐちをきいてあげるわ。

 はるばる訪ねてきた私を追っぱらい、そっちはそれで満足でしょうけど。こっちはおとなしくひきさがったりしないから。せいぜい、青くなって逃げまわったらいいわ」

 本当なら、私のあやまちをお許しください、と神に懺悔しなければならなかったのに。けっきょく、くちをついてでたのは、そんなような恨みごとだった。 

 油に火がついたのだろう。ぱっ、とあかるい炎があがったのに驚いて、私はあわてて身をひいた。

 見る間に小さな火は燃えひろがり、薪の山のてっぺんまでとどくような大きな炎になる。

 さらには、油を燃料に。炎の手を、古びた館にまでのばし。火事の規模を拡大していく。

 私はさらにあとじさりして、炎が充分に燃え広がったのをたしかめて。背後にいる連中に警告しようとした。

「きいて。あいつは、灼き殺されるのを待ったりしない。必ずとびだしてくる。だから……」

 きっと、この瞬間を待っていたのだろう。

 背後に立った若い男が、つかんでいた薪で思いっきり、私の後頭部をぶん殴った。

 私は体の力が抜けて、地面に倒れ伏した。

「うっ……? なっ、なんで。どうして……?」

 意識はあった。倒れたままで髪の毛に手をやって。掌が血で赤くなったのを見て、ヒッと私は息を呑んだ。

 武器を手にした村人連中がそろそろと近づいてくると、立ちあがることもできないでいる私のまわりをとりかこむ。

 だれかが、若い男にむかって心配そうにたずねる。

「こんな小さな子供に、あんまりな、ひどい仕打ちじゃないかね?」

「ガキじゃねえよ。よく見ろ」

 若い男は膝をつくと、私の首根っ子をつかんで顔をよく見えるようにしてから、ムリヤリくちをあけさせ、上下の歯列にある鋭い牙をたしかめさせた。

 その場の全員が、ウワッと声をあげて、青ざめた顔を背けるのを見て。若い男は、したり顔でいいきかせる。

「こいつも、館に巣食ってる化け物の同類なんだ。吸血鬼さ。放っておいたら、おれたちも手痛いしっぺ返しをくらわせられる。

 ガブリとやられて化け物の仲間入りをしたくないのなら。いまのうちに息の根をとめておかなくちゃならない」

 あまりの言い草に、それ以上きいてられなくなった。

 私は、若い男の手をふりはらうと。フラつきながら、集まっているほかの村人連中を、見回す。

「わっ、私はそんな化け物なんかじゃない。絶対に、そんな真似はしないって……」

 皆の誤解を解こうと、武器をかまえている村人たちの顔にむかって、ブザマな笑顔をみせたが、男たちはなにもかえさない。

 炎の照り返しをうける、男たちの表情や、大きく見開かれた眼に、同情やあわれみはない。

 こうなったら、どんな結末になろうとも最後までやり遂げなくてはならない、という決意をそこに読みとって、私はふるえあがった。

「こんなこと、神様が許すはずがない」

「神様が、なんだって?」

 若い男は身をかがめると、恐怖に硬直している私を見下ろして。おどけた表情で、目玉をぐるりと回すと、舌をつきだしてみせる。

「わかってねぇな。神様だろうと、悪魔だろうと、いわんや吸血鬼だって。わけがわからない、やっかいな存在は、おれたちの世界には必要ない。いいか、おれたちの主人は、おれたちだ。おまえらなんか、いなくなったほうがいいのさ」

 おどけてみせながらも、力強く確信を持ってそう私にいいきかせる若い男のあざけりをきいて、私は耐えられなくなり、天をあおいだ。

 頭上を見上げた私は。だが恐怖で、血が凍りついた。

 あいつがいたからだ。黒装束の男が、燃える館の炎がまわってない天井にうずくまって。これまでの一部始終をじっと見下ろしている。

 自分でも気づかないうちに、私は、その名前を口走っていた。

「……ヘイフリック!」

 男たちはギョッとして顔色を変えると、反射的に私が凝視している夜の空を見上げた。

 彼らも、とても信じられなかったろう。燃える館を背景に。黒装束の男が、自分たちがいる方へと。空中を落ちてくるのを目のあたりにしたからだ。

 男の体は、いやにゆっくりと、時間をかけて落下してくる。

 燃えている館の炎のなかにとびこまないように軌道修正すると。ぽかんと驚いた表情でいる、武器を持った連中のまっただなかに。つまり私のそばに、その男は黒いズボンと靴をはいた二本の脚でふわりと着地した。

 銀髪の男は、ぴんと伸ばした背筋と、なんの感情もうかがえない、無表情な青白い面をめぐらす。

 大勢の敵にかこまれているというのに。ひるみもせずに。銀髪の男は、重苦しく低い声で、彼らにいいわたす。

「おまえたち、もう忘れてしまったのか?」

 武器をかまえて、自分をとりかこんでいる連中にむかって。ヘイフリックは、炎の照り返しをうけた面で、もう一度、くりかえす。

「忘れてしまったのか? おまえたちの父親の、さらに父親の代に。このあたり一帯を、暴力と恐怖で支配していた、横暴な領主がいたことを?

 荒れ地を切り拓いてつくった畑も。苦労して取り入れた作物も。助けあって働く大勢の村の仲間たちも。ぜんぶ自分の所有物だ、と考えて。奪いとるもこき使うも、生かすも殺すも、殖やすも減らすも、自分の気持ちのむくまま、好きなようにやっていた、最低の奴だ。とはいえ、こうした封建世界では、ありきたりで典型的な悪役だった。

 このあたりを旅していたおりに、おまえの父親の、さらにその父親たちから、私は頼まれた。

 この村を救い。自分たちを解放してほしい、と。

 私はよけいな慈悲の心で、その領主を倒したが。今度は、こう涙ながらに頼まれた。

 たとえ一人の暴君を倒しても、必ずほかの暴君があらわれて、きっとまた私たちを同じように苦しめる。どうかお願いだから、この館にとどまり、村と自分たちを守ってくれないか、と。

 根なし草の生活にもいいかげん飽いていたから、その申し出をうけて館で暮らすようになったが……。どうやら、本当に忘れてしまったらしいな?」

 自分に武器をむける連中の顔ぶれを見回すと、ヘイフリックは自身にいいきかせるように、そう述懐する。

 槍や剣を手にした連中は、考えてもみなかった過去の事情をきかされて、おたがいに顔を見合わせる。

 なんてぇこった。そうだったのか……。

 たしかに思い当たるところがある……。

 じゃあ、おれたちがやろうとしたことは……。

 この騒動を仕掛けた遊び人のドラ息子は、予想もしてなかった窮地に追い込まれたのを知ると、ヘイフリックの無表情を、憎々しげににらみつけた。

 手近の仲間が持っていた剣を奪いとると、それをふりあげて、だまされるな、と大声をあげて、ほかの連中を叱咤する。

「こいつは吸血鬼だ。おそろしい怪物なんだぞ。舌先三寸の言動にまどわされて、倒すのをためらえば、おれたちは必ず滅ぼされる。おれたちの村を、この手にとりもどすために、こいつをやっつけるんだ。さぁっ、戦えっ!」

 あとには退けないと悟ったほかの村人連中は、手にした槍や剣をかまえて、とりかこんだ黒装束の男との距離をじりじりとつめにかかった。

 燃えさかる館の炎の反射をうけて。私にはその一部始終が、この世のものとも思えない。美しくも恐ろしい緊張の場面として、眼に映った。

 最初に討ってでたのは、遊び人の若い男だった。

 気づかれないように、こっそりと背後にまわると。後頭部を狙い、殺気を込めて、ヘイフリックめがけて斬りかかった。

 ところが、頭のうしろに眼でもついているのか。ヘイフリックはふりかえりもせず、掌をひろげて剣の刃をつかんで受けとめると。そのまま手首をひねって、あっさりと剣を奪いとってしまった。

「こ、この化け者めっ!」

 驚きの表情でそう悪態をつく若い男の胸ぐらをつかんでひきよせると。ヘイフリックはしかし表情も変えず、低い声でいいきかせる。

「いいか、よくきけ、おれは人間だ。少なくともおれは、自分を人間の端くれだと信じている。だから、おまえの罪は許してやろう。でも償いはしてもらうぞ?」

 なにが起きたのかわからなかった。ヘイフリックが、つかんでいる男を離して、体あたりをくれたらしい。

 馬車と衝突したような、もの凄い衝撃音が響くと。若い男は、ぎゃっと悲鳴をあげて、真後に歩幅で十数歩分もはじきとばされ、ばったりと倒れた。

 それだけではない。あとに続くように、大声をあげながら討ちかかってきた村人連中の攻撃をたくみにかわすと。ヘイフリックは、のばしたその手で武器をつかんでひょいひょいと奪いとり。穂先を折り。刃を曲げて。冗談のような手際の良さで、あっというまに武器をすべて使えなくする。

 ほどなく、ヘイフリックに討ちかかった村人連中は、一人残らず、素手にされてしまい。汗ひとつかいてない、死人のような青ざめた表情でいる男と対峙することになった。

「なってないな。剣や槍を覚えたいなら、おれが教えてやってもいい。まずは剣で斬られたらどうなるか、実地で体得させてやる。さあ、かかってこい」

 感情が込められてない、そのせいでかえって不気味でおそろしい脅し文句をきかされて、集まっていた連中はついに、先を争ってその場から逃げだした。

 若い遊び人の男も、かけよった仲間たちに助け起こされると、肩を抱かれてよろよろと退散する。


 襲撃者たちの背中を見送っていたヘイフリックは、あらためて地面に這いつくばった格好で、ぽかんと驚いた表情でいる私のほうをふりかえった。

 私は、おそるおそる、たずねる。

「ど、どうして見逃してやるのよ? すぐに追っかけて、やっつけちゃえばいいじゃないっ!」

「いいか。奴らがおれとおまえを狙ったのは。おれやおまえが、自分たちとは異質の存在だからだ。

 こんなことぐらいで、いちいち相手を手にかけていたら。そのうちに、世界中を敵にまわして戦わなければならなくなる。おれはそんなのはゴメンだ。それよりもだ……」

 ヘイフリックは拾いあげた古びた剣を、ぴゅんと風斬る音がきこえるくらい力を込めて振りまわすと、私のほうに向き直る。 

 それから、さっきの襲撃者たちを相手にしたときよりも、はるかにきびしく容赦ない。ぞっとするような冷たい態度と声でいいわたす。

「おまえは、よくよく、見下げはてた奴だな。おまえらが、ガチャガチャ、ザワザワと大荷物を抱えてやってきたのはわかってたから、館のてっぺんに登って、闇にまぎれて一部始終を見物させてもらったが。

 さっき、あれほど警告したのに。おまえは、それを無視して、この場所に火を放った。どうやら、おまえは、おれが考えていた以上に、危険な性癖をしているらしい。こうなってしまったからには、しかたがない……」

 口調こそ冷たく落ち着いていたが、ヘイフリックが本気で怒っているのがわかった。

 私はへらずぐちをたたくのをやめると。まだ足もとはふらついていたが、歯を食いしばって立ちあがり、背後も見ずに逃げだした。

 まずい。今度ばかりは、本当にまずい。

 ヘイフリックは、幽霊館から私を追っぱらったときに大声でいってた。おっそろしい約束を実行しようとしている。

 二度目は、見逃すつもりはないのだろう。ヘイフリックは、ぶざまにヨタヨタと逃げる私の前へ黒いつむじ風のように先回りすると、行く手をふせいだ。

 驚いて方向転換をしようとした私は、ズルッと足を滑らせると、ギャッと悲鳴をあげてひっくりかえった。

 なりふりなど、かまってられない。眼をむいて、舌をつきだし、ひいひいと喘ぎながら、襲撃者たちが残していった、蓋があいた大樽に抱きつく。

 大樽につかまったまま、剣を下げて近づいてきた無表情のヘイフリックにむかって、私は火がついたような金切り声で訴える。

「悪かったよ。すまなかったよ。反省してるよ。もうあんな馬鹿なことはしないから、今度だけは見逃しておくれよ。お願いだからさ。ねぇっ!」

 だがヘイフリックは、泣き叫び、許しを請う私の前に立つと。錆びた刀剣を頭上にふりあげて、容赦なく、冷徹に、いいわたす。

「おれたちは、少々斬られても死ぬことはない。うまくケガさせてやる。それでも、もとの状態に回復するまで。それ相応の時間がかかる。

 もっとマシになったら、もう一度、おれに会いにこい。心配するな。また手紙を送って、所在は教えてやる。それじゃあな……」

「……!」

 ふざけんじゃあない。だれがおとなしく斬られたりするものか。こっちの意見をまともにきかずに、勝手に決着をつけられてたまるものか。

 咽喉の奥から獣じみたうなり声を絞りだすと。唇をめくりあげて牙をむきだし。両腕で抱えた大樽をかつぎあげて。満身の力をふるって、それをヘイフリックめがけて投げつけた。

 ……ひゅんっ。ばきいいぃっ!

 ヘイフリックが振り下ろした剣に斬りつけられた大樽が、破砕音とともに爆発したように空中でばらばらの板切れとなり、見事に砕け散る。

 樽につめられていた透明の液体を頭からまともに浴びて、ヘイフリックは予想外の事態に面食らった。

 出会って以来初めてみせる、驚きの表情で身を退く。

「なんだ、これは……。油かっ!」

 びっくりしたか。ざまぁみろ。

 私はブザマな演技をきりあげると。このすきにさっき落として消えかかった松明をつかんで。それに火をついているのをたしかめて、立ちあがった。

 メラメラと燃える松明を両手でつかんで、剣のようにかまえると、私は、顎からしたたる油をぬぐっているヘイフリックにいいわたす。

「それだけ大量の油を浴びたところに火がつけば、いっぺんに燃えひろがる。消してるひまなんてない。

 どんな結果になるか、教えるまでもないよね? ホントいうと、どうなるか想像したくもないけどさ。

 いいこと、生きたままステーキになりたくなければ。お願いだから、いまからあたしのいうことに従ってよね」

 ヘイフリックはあくまでも平静を保っていたが、眼を見れば、激しく憤っているのがわかった。

「これで形勢逆転したと思ってるなら、とんでもない考え違いだ。おれを灼き殺して自由を得られると思ってるなら、やってみるがいい。すぐに後悔するはめになるからな。いいか、この程度のことで……」

「もちろん、さっきまではそうするつもりだった!」

 怒りに満ちたヘイフリックの台詞を大急ぎでさえぎると、私はズキズキと痛む後頭部のケガを意識しながら、大声で続けた。

「だっ、だけどいまは考えも変わった。これからどのくらい長い時間を生きなきゃならないのか見当もつかないけど。きっとまた、さっきみたいなことは私の身にふりかかるはずだ。

 あんたはたしかに、我慢ならない。つきあいにくい。イヤな奴だ。でもあんたはこの逃げ場のない苦境を克服して、のりきるための努力を続けてきた。

 だから決めたんだ。私はあんたのそばについて、あんたの生きかたを学ぶことにする。どうすればいいのか、教えてもらう。それで、いいよね?」

 ヘイフリックは、あきれたらしかった。

 なんとか自分をいいくるめようとする私の必死の顔をながめていたが、おもむろにこう述懐する。

「だから松明をつきつけて、おれを脅すのか? せめて敬虔な国教徒らしく。こんな理不尽な立場のままじゃ、天国には行けないから、人間にもどるまでどうしても死ねない、とか。もっともらしい理屈をこねたらどうだ?」

「で、でも。だって、その……」

 ヘイフリックは必死になって、ぎゃあぎゃあ、とまくしたてる私の顔をじっと眺めていた。

 ヘイフリックは、手にしていた剣を下げると。油断なさそうに松明をつきつけている私にむかって、いいきかせる。

「まったく、あきれかえる。おまえはわかってない。自分で自分の運命に立ち向かわなければ、どうにもならないんだ。もっとも、いまのおまえにそんなことをいっても、しかたないだろうけどな」

 私はヘイフリックのうんざりとあきあきした態度を前にして。だれのせいだよ。やっぱり、いっそのこと燃やしてやろうか、という怒りにかられかけた。

 だが、すべてを台無しにするわけにはいかない。

 なんとかして信頼を得るために、「違う。そんなんじゃないんだ」と声をあげて訴える。

「私は未来を信じているんだよ。よくなるかどうか、根拠も確信もないし。だいたい、どうなるか見当もつかないけど。いまよりもずっと楽しくて、素晴らしいところになっているはずだ。きっとそうなんだ」

 追いつめられた私は、破れかぶれでそう訴える。

 怒りに耐える顔つきで私をにらみつけていたヘイフリックは、くちもとをゆがめる、皮肉な笑みでかえす。

 それから、わけのわからないことをいう。

「未来を信じるのは、たやすいことじゃない。とくに、こんな時代を生きる者にはな。どうせ口先だけだろうが、おまえのような変り者なら、あるいは時代の変化を真摯にうけとめられるかもしれないな」

 どうやら危機一髪の決裂は、なんとか回避できたらしい。

 私はホッと安堵の息をつくと、火のついた松明を下ろした。それでも油断なく、ヘイフリックをうかがい見ながら、ききかえした。

「ヘイフリック。あんたはさっき、みんなが、神様のかわりにべつの存在を信じるようになるっていったよね? 信じたわけじゃないけど、それじゃいったい、なにを信じるようになるのか、わかりやすく教えてよ」

 ヘイフリックは感情の変化がうかがえない顔で、じっと私をながめていたが、おもむろにききかえす。

「未来のことが知りたいのか? 神様を信じない連中に出くわして、これからのことが不安になったらしいな。

 知りたければ、話してやってもいい。だがそんなことをすれば、あるいは神様を裏切ることになるかもしれないぞ。それでもいいのか?」

「かまわないわよ。どうせ、そんなことになるわきゃないもの」

 私のへらずぐちに、ヘイフリックは燃える館を見ながらなにか考えているようだったが。冷静ではあるが、どこか悪意さえふくんだ顔つきで、こうきりだす。

「知りたければ教えてやる。新しい世界は、こんなところだ……」

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