処刑されそうだった悪女は、前世の記憶を思い出しバッドエンドを回避する
流血シーンあり。苦手な方は、ご注意下さい。
カロリーナは、真っ赤な髪色をして目元がきつく見るからに性格が悪そうな女だった。そんな彼女を、兵士が引ったてるようにして別室に連れていく。
カロリーナが、部屋に入るとすぐに兵士に取り囲まれた。そして、一人の兵士に体を拘束され、身動きが取れなくされた。
カロリーナは、どうすれば助かるか必死で考えを巡らせた。さっき思い出された記憶が、頭の中を駆けずり回る。真実を知ってしまった今、本来なら混乱する頭と極度の疲労で倒れる寸前だった。
だけれど自分の命がかかっている今、倒れている場合では無い。もう一度、必死に考える。どうせ死ぬなら、足掻いてやる。
カロリーナは、俯いていた顔をあげ自分に向かって剣を振りかざそうとしている兵士を睨みつけた。
「処刑しろと、罰を与えろとおっしゃるならば生かして下さい。殺して終わりでは勿体ない。生きて苦しむ方が人間は辛い」
カロリーナは、必死で叫んだ。部屋の奥でつまらなそうに、この光景を見ていた1人の騎士がコツッと足を一歩前に出す。
「ほおー、お嬢様が面白い。このまま、王子の命令に背いて家に返せと? 笑わせるな」
自分に向かって剣を振り上げる兵士を睨み上げていたカロリーナは、声のした方を見た。
驚くほど顔の整った男が、冷たい瞳でカロリーナを見ていた。自分はこの男を知っていた。この国の王の隠された子供。王が気まぐれに手を出した、メイドが産んだ子供だった。
すでに、王妃との間に息子がいた王は、メイドとの間に生まれた子供に関心を向けなかった。しかも子供を産んだメイドは、ひっそりと姿を消した。
そんな中、王宮の片隅で忘れ去られたように育てられた子供がこの男だった。名前を、アルベルト・フォン・テッドベリーと言う。
自分の剣の腕一本でのしあがり、今では王宮騎士団のトップの位置についていた。
カロリーナは、そんな男にも怯むことなく鋭い視線で睨みつけた。
「誰が、家に帰せと? 生かしなさいと言っただけ」
カロリーナは、そう言うと、拘束が緩まった隙をつき兵士の剣を抜き取った。そして徐に、自分の綺麗で真っ赤な髪を首元でぶった切る。
貴族の女性とは思えないほど、バラバラでガタガタの短い髪になってしまった。
「このドレスも宝石もいらない。なんなら顔でも体でも傷を付けてもらって構わない。そしたら、どこかに捨てて。今の自分の名前もいらない。ただの私になって、一人になったら自分で生きるか死ぬか選ぶから」
誰よりも整った顔で、誰よりも冷たい視線を送るアルベルトがフッと息を吐いた。
「面白い。侯爵家のお嬢様がそれで生きて行けるか見物だな」
そう言うか早いか、自分の帯刀していた剣を抜き、皆が気づいた時にはカロリーナの目の前に移動して剣を振りかざした。
ポタッと床に液体が垂れる音がする。その場にいた全員が音のした方に視線を送る。
視線の先には、悲鳴も何も発する事なく痛みに堪えているのかこの状況に堪えているのか、力強い目線を落とす事なく片頬にザックリと大きな傷をつけたカロリーナがそこにいた。
「悲鳴ぐらいあげるかと思ったが見事だ。良し。そこのお前、捨ててこい」
冷徹な目をしたアルベルトが、カロリーナを取り押さえている部下に向かって声をかけた。言われた兵士は、びっくりしていた。
「私でしょうか?」
「そうだ。何度も言わせるな。さっさと行け」
冷めた目を向けるアルベルトは、首を振って出口を指し示した。
「はっ」
そう言って、兵士はカロリーナを立ち上がらせ慌ただしく部屋を出て行った。
◇◇◇
先ほど頬に傷を入れられたカロリーナは、一気に思い出した記憶と精神的疲労が重なり、ふっと意識が薄くなる。
部屋を連れ出された兵士に、腕を引かれて廊下を歩いていたが足が止まり引きずられる。
もう意識を保っているのも限界だった。
「ご·····めん·····な·····さい。」
引いていた腕が突然重くなり、兵士は後ろを確認した。カロリーナが、ぐったりと意識を失っていた。
「おい! しっかりしろ!」
声を掛けてもまったく応答がない。兵士は、仕方ないとばかりにカロリーナを横抱きにし歩き出した。
目を覚ましたカロリーナは、見覚えのない天井に驚く。知らない部屋で、質素なベッドに寝かされていた。カロリーナは、体を起こして意識を失う前のことを思い出した。
自分は、ウィンチェスター侯爵家の長女で名前をカロリーナ・ヴィンチェスターと言いこの国の王太子バート・アレン・テッドベリーの婚約者だった。
すでに過去形なのは、殺されかける前に出席していた婚約パーティーで、バートから婚約破棄を言い渡されたから。
バートの隣には、勝ち誇った顔をしたピンク髪の可愛らしい令嬢が寄り添っていた。
その令嬢は、バートが主張する真実の愛を知ってしまった相手ララ・ヴォーカーだった。
男爵家の令嬢で、自分の美貌を武器に王太子を落とすことに成功した女だ。同じ年代の令嬢の中では有名な娘だった。
ララに自分の婚約者を会わせてはいけない。それが、年頃の令嬢たちが口を揃えて言う言葉だった。
そしてカロリーナは、悪女で有名な侯爵家の娘。我儘で、傲慢で自分のことが第一。地位も美貌も学力も全てが一級で、同じ年頃の令嬢たちからは恐れられ、そしてまた羨望の眼差しを向けられていた。
今ならわかる。カロリーナは、自分に酔っていたのだと。婚約破棄を告げられ、今まで自分がして来た事を暴かれて罪に問われた。そして、バートから言われた最後の言葉。
「さっさと連行して、処刑しろ。証拠はそろっている、裁判にかける必要はない」
そして自分は、もう一つの記憶を思い出す。カロリーナの前世を。前世は、実に平凡な一生を送った女だった。
真面目で、目立つことを嫌い努力の人間だった。誇れることと言ったら、密かな負けず嫌いくらいだろう。
そんな前世の自分が、傲慢で我儘なカロリーナの記憶と混ざり合う。カロリーナは、自分で言うのもおかしな話だが間違いなく悪女だった。
自分の為ならば、人を犠牲にすることなんてなんとも思わない女だった。そんなカロリーナは、可愛いだけのララ・ヴォーカーに負けたのだ。相当悔しかったのだろう。受け入れられない心が、前世の自分を呼び起こしたのかも知れない。
こんな悪女であるカロリーナが、王太子の婚約者になれたのは全てが揃っていたからだ。地位も、美貌も、淑女としての力も、国を支えていく知識も学力も。婚約者だったバート・アレン・テッドベリーは、何もかも足りない王子だった。
王の一人息子として育てられたバートは、厳しく育てられていた。だけど、能力がどうしても国を背負っていくだけのものに育たなかった。
外見だけは優れていたがそれだけの王子だった。学力も並、運動神経も並、人を動かす能力も並、それを補うためのカロリーナだった。
カロリーナは、そんなバートに興味がなかった。興味があったのは、国で一番である王妃の座。
バートに国を治める能力がなくても、自分ならできると思っていた。だからカロリーナは、バートを軽く扱っていた。
今思えば、そんなだから婚約破棄されて処刑されるような目に遭うとわかる。ララは、自分の能力に限界を感じるバードの心の闇に上手く入っていっただけ。
バートを傷つけるだけのカロリーナが、勝てるはずはないのだ。
頭の整理がついてきたカロリーナは、きっとここはさっきの兵士が連れて来てくれたのだと推測した。
死ぬのだけは嫌だったから、なんとか処刑だけは回避できたけど……。これからどうしよう? と戸惑う。
自分の中で、ララに負けた悔しさだけが強烈に胸の中に残っていた。
部屋の扉をノックする音が聞こえ、カロリーナは返事をした。
「はい」
扉を開けて中に入って来たのは、見たことのない少女だった。
「あっ、お嬢様目が覚めて良かったです。今、兄を呼んで来ます」
少女はそう言うと、扉を閉めて駆けていってしまう。きっと、カロリーナをあの部屋から連れ出した兵士の妹なのだろうと推理する。
すぐに、戻って来た少女はやはりあの時の兵士を連れて来た。
「ヴィンチェスター侯爵令嬢様、お目覚めになられて良かったです」
兵士は、安堵の声を漏らす。
「そんな畏まらないで。もう私は、侯爵令嬢でも何でもないのだから」
私は、兵士の顔を見てはっきりと告げた。
「これからどうするおつもりですか?」
兵士が心配そうに訊ねる。その表情を見たカロリーナは、この人かなりのお人好しねと思う。
騎士団長から捨ててこいって言われたのに、介抱して家に連れてきちゃうなんて……。知られたらきっと処罰ものだ。
「とりあえず、修道院にでも身を寄せるつもりよ。身一つで来た女性を、追い返すようなことはしないでしょう?」
カロリーナは、考えていたことを述べた。それが一番無難な選択肢だと思った。ヴィンチェスター侯爵家には帰れない。両親ともに、私が断罪された時に助けに割って入って来なかった。切り捨てられたのだと思った。
我儘で傲慢な娘を育てた両親だ、血は争えない。両親ともに、自分の身が一番な人達だった。
「ですが……。大丈夫ですか? 修道院は……その、お嬢様が暮らすような場所では……」
兵士は、口ごもりながら疑問を口にする。きっと、カロリーナのような生粋の貴族令嬢が暮らせる所ではないと言いたいのだろう。
自分も、カロリーナのままだったらきっと無理だと思った。でも、前世の記憶を取り戻したカロリーナなら何の問題もない。
自分のことは自分でできるし、家事も仕事も一通りのことはできる自信があった。
「問題ないわ。騎士団長にああ言ったんだもの、今までの自分は捨てないと」
兵士は、驚いた顔をしたがもうそれ以上は言うことはなかった。それからカロリーナは、その兵士の家を後にする。
傷の手当をしてくれた少女が、最後まで心配そうな顔をしていたが私は笑って別れを告げた。
◇◇◇
修道院に行く前に、着ていたドレスを売りに出して僅かばかりだがお金を手にする。継ぎはぎだらけの服を購入して、それをそのまま着て修道院に向かった。
そしてカロリーナは、宣言通りに王都の端にある修道院に身を寄せた。名前も、カロリーナではなくカナと名乗った。
そこでカロリーナは、一時の平穏を手に入れる。存外、修道院での生活が自分に合っていた。修道院にいる女性は、大抵訳ありだ。自分のことを話したくない人ばかりなので、他人のことも聞いてこない。
だからカロリーナが、巷で有名な侯爵令嬢で悪女だと知る者は誰もいなかった。
そもそも、修道院に来たばかりの頃は、髪はボサボサで短く切られたままだったし、片頬にはザックリした大きな傷があってみすぼらしい服装だったので、一目で憐憫の視線を向けられた。
かわいそうな女性として、皆から優しくされた。
だからカロリーナは、これからどうするのかゆっくりと考えることができた。このまま、訳あり女性として王都の片隅で寂しく生きていくことだってできた。
でも考えれば考える程、自分にはその生き方に耐えられそうになかった。カロリーナとしての性が、怒りに震えているから。このまま、ララに負けたまま何もしないなんて選択肢は取れそうになかった。
バートのことも、許せそうにない。自分が悪かったのは身に染みて感じるている。だけど、何も殺さなくても良かったはずだ。
バートだって、自分が足りないことはわかっていた。その部分を、カロリーナに補わせていた部分もあったのだ。
バートは、自分を甘やかしてくれるララに逃げたのだ。
自分の中のカロリーナが、国を背負って行く王としてそんな王太子を許せなかった。
きっとララでは、王妃としての役割は担えない。ララは、可愛さと男に取り入ることだけが武器で他は男爵令嬢レベルしかない。そんな女が、国を背負っていくなんて無理なのだ。
国を背負うということは、簡単なことではない。他国と渡り合う度胸と、自国のことを知っている知識、政を行う能力、人の上に立つという絶対的なカリスマ性が必要なのだ。
カロリーナには、その自信があった。
前世の記憶を取り戻した自分は、カロリーナの熾烈な性格は薄まったように思う。
本当に平凡だった前世の自分は、普通に他者を思いやる心も持っていたし、真っ当に生きていこうとする誠実さも持っていた。
だから、このままあの王太子を王にさせるのはこの国の為にならないだろうと思った。
この国を支えていく力が自分にあるのなら、やってみたいと思った。カロリーナが思い描く、この国のトップの座を自分のものにしてこの国に君臨するという目標とは違う。
目標は違うが、なりたいものは同じだからそれで許して貰おうと思う。今の自分にどこまでできるかわからないが、やってみようと拳を握った。
カロリーナは、修道院長のところに行ってここを出ていきたいことを告げた。
「行く当てのなかった私を、受け入れてくれて本当に感謝しております。ですが私は、やらなければいけないことを思い出したのです」
私は、胸の前で手を握りしめて熱の入った瞳で語り掛ける。
「行く当てはあるのですか?」
心配そうに修道院長が訊ねる。
「まずはお金を貯めようと思うので、どこか住み込みで雇って貰える場所を探します」
カロリーナは、真剣な表情で言った。
「そう。ではあなたが働けそうなところに紹介状を書くわ。ここに来る子たちは、大体があなたみたいに立ち直って外の世界に戻っていくのだけど……。あなたみたいに立ち直りが早い子は初めてよ」
そう言って、修道院長は優しく笑ってくれた。
「紹介状を書いてくれるのですか? 私、精一杯働かせて頂きます。よろしくお願いします」
カロリーナは、まさか身上も明かしていなかった自分に、仕事の紹介状を書いて貰えると思っていなかったから驚いた。
「貴方なら大丈夫だと思ったの。綺麗な手をしてたのに、どんな仕事だって嫌がらずにやっていたもの。折角綺麗だった手も、荒れてしまったわね……」
修道院長が、残念そうに呟いた。カロリーナではなく、前世を思い出した自分が、認められたようで嬉しかった。
この修道院に迷惑をかけることだけはしてはいけないと、この時に誓った。
それからカロリーナは、修道院を出て街の老夫婦が営む食堂で働き出す。カロリーナだったら絶対に無理だっただろう、小さな部屋を一部屋もらって住まわせてもらっている。
食堂で給仕や皿洗いなど雑用をして働いていた。頬の大きな傷跡は、とくに隠す事もなく素のままの自分で働いた。
優しい笑顔が素敵な女将さんには、「カナが来てから若い男性客が増えてとても助かってるわ」と言ってもらえた。
そんな風に、自分を目当てに男性が来てくれるような経験は初めてだったから何だか落ち着かない気持ちだった。
嬉しいような恥ずかしいような……。きっとカロリーナだったら、「こんな美しい私が給仕しているのだから当たり前よ」と言い切っていただろうと思うと何だか可笑しかった。
そしてカロリーナは、少しずつお金を貯めると週に何度か夜の街に出掛けるようになる。老夫婦に見つからない様にこっそりと。
食堂からできるだけ離れたエリアの酒屋でお酒を飲み、絡んできた男性たちと仲良くなってある話を吹き込んだ。
王太子の評判と、現婚約者のララについて。下町の人々にとって、王太子もその婚約者も雲の上の存在だ。
王太子が突然、婚約者を変更したことだって下町の連中にしてみたらどうでもいいことだった。
自分たちが気にしたところで、どうにかなる事柄ではないから。だからカロリーナは、王太子とララについての悪評を彼らに吹き込み、この国の未来を憂う健気な女を演出した。
内容は以下の通りだ。
カロリーナは、王宮で働くメイドだった。王宮で働いていると様々な噂を耳にする。そこで専らの噂だったのが、王太子の頼りなさと婚約者ララの性格の悪さ、そして能力の無さだった。
この国の王太子は一人息子として厳しく教育されたが、王としての器が足りず有力貴族から不安視されている。そこにきて、有能な婚約者であった侯爵令嬢を袖にして可愛いだけが取り柄の男爵令嬢を婚約者にしてしまったのだと。
しかも新たな婚約者は、使用人に対して態度が荒く気に食わないと罰を与えすぐに解雇してしまう。
カロリーナは、わざと頬の傷に手を当てて悲しそうな表情を作った。カロリーナの頬の傷は、ララの仕業だと誤解した男たちは同情してくれた。
そこに、更に話を続ける。この国には、実は隠されたもう一人の王子がいるのだと。その王子の方が能力が高い。有力貴族たちは、その方を王太子にと切望しているがなかなかうまくいってないのだと話をした。
このことは、あなたたちが特別だから教えるのよと最後に添えて。そしてカロリーナは、その男たちを酔い潰して酒場を後にする。
そんなことを、数カ月の間繰り返していた。
そしてカロリーナは、自分と懇意にしていた情報屋に王太子の後ろ盾となっている有力貴族の情報を売った。
きっと王太子のことを良く思っていない貴族の元に、その情報は届けられる。必ず反対勢力というものは、いるものなのだ。
そして忘れ去られたアルベルト王子を、担ぎ上げようとしている勢力がいるのも嘘ではなかった。
貴族とは、自分が中心にいたいという欲求を必ず持っているのだから。
ヴィンチェスター侯爵家は、絶大な影響力を持つ家だった。父親が、色々な情報を手に入れるのが得意だったから。
父親は、幼いころからカロリーナに情報こそ全てだといつも話をしていた。だからカロリーナも、何かの時の為に様々な貴族たちの弱みや情報を手に入れるようにしていた。
実際に弱みをチラつかせて、自分を優位にずっとしてきていたのだ。
◇◇◇
カロリーナが、王宮から追放されてから半年の月日が経った。街には、王太子とララの噂で持ち切りだった。
自分達の国が良くなる為には、王太子ではなく忘れ去られた王子の方が適しているのでは? とじわじわと人々の口から零されるようになった。
カロリーナが、思っているよりも早いペースで噂が広がった。食堂の老夫婦に迷惑をかける訳にはいかなかったから、策を講じるのは予定していたよりも早く切り上げた。後は、時を待つしかないと思っていた。
そして遂に、王太子とララの婚約のお披露目が行われた。午前中に市井の平民に向けて。午後は、夕方から貴族たちに向けて夜会が開催される。
国を挙げての、盛大なお祝いだった。
本来なら、平民たちもこのお祝いに乗じて沢山の屋台が街に出てお祭りムードになる。
王宮の市井が見渡せるバルコニーに王太子と婚約者が出てきて、平民たちへお披露目される。
そこでは、平民たちによるお祝いの言葉や花吹雪が舞い二人にとってとても晴れやかな舞台となる。
しかし今回のお披露目は、様相が違っていた。市井のムードは、お祭り騒ぎとは言い難くいつもの街の様子だった。
屋台が出ていることも、祝賀ムードに街が浮かれている様子もない。カロリーナは、この街の様子に笑いが止まらなかった。
ララが、あの王宮のバルコニーから姿を表したらどう思うだろうか? そんな意地悪なことばかり考えていた。
バートとララが、バルコニーへと出てくる時刻になった。王宮お抱えの楽団による演奏が、王宮前広場に鳴り響く。
そこにこの日の為に着飾った、バードとララの姿が現れた。王宮前広場に詰めかけた平民たちは、シーンと静まりかえっていた。
本来なら拍手喝采で出迎えるところなのだが……。市民たちは嫌悪の表情で、バートとララの姿を見つめた。それは、なんとも不思議な光景であった。
バートもララも、雰囲気のおかしさに気づいたようで怪訝な表情をしている。
ララにいたっては、これでもかと着飾った衣装が浮いていて、とても滑稽に見えた。ララは、恐ろしくなったのかバートの腕に縋りついていた。
カロリーナは、その光景を見ながら溜息が零れる。これくらいのことで、動揺してバートに縋りつくようでは先が知れている。
王太子も王太子妃も、其々が一人で立てる人間でなければあそこに立つ資格などないのだ。
楽団の音楽が鳴りやみ、広場は静寂に包まれる。
「私が、この国の王太子バート・アレン・テッドベリーだ。隣にいるのが、婚約者のララ・ヴォーカーだ。ゆくゆくは、この二人でこの国を担っていく。どうか皆にも祝って貰いたい!」
バートが声高に、衆人たちに向けて言葉を発した。それに対する衆人たちからの返答はない。シーンと広場が静まりかえる。
「もう一人の王子を虐げているって本当か?」
どこからともなく、声が上がった。その声を皮切りに、あちらこちらから非難の声が上がる。
「平民の母親だからって、王子に変わりはないはずだ!」
「自分よりもできるから、それが悔しかったのか!」
「そんな顔だけの女に、王妃が務まるのかよ!」
「その盛りに盛ったドレスはなんなんだよ!」
バートとララは、衆人たちの反応に驚きを隠せない。
「黙れ! 王族にそんな態度で許されると思うな!」
バートが、衆人に向かって叫びそのまま王宮内へと姿を消した。衆人たちを抑えることもできずに、逃げたのだ。
もちろん隣にいたララは、ただ震えているだけで何もできなかった。衆人たちの怒りは加速する。
「ふざけるなー!」「出てこい! ちゃんと説明して納得させろ!」「逃げるんじゃねー!」
衆人たちから罵声が止まらずに、王宮お抱えの騎士達が広場に出動してその場は何とか収めるとなった。
だが、この騒ぎを見ていたのはただの民だけではない。貴族たちの使用人たちも見ていた。すぐに、貴族たちの耳にも入ることとなる。
王太子を廃したい勢力が、この世論を利用しない訳がなかった。
その後、行われた貴族たちの夜会ではバートとララへの非難の声が上がる。多くの有力貴族から、今朝の騒動を受けて王へ嘆願がなされた。
王太子となる王子の選定を考え直して欲しいと。衆人の声を抑えられない王太子など相応しくないと言われてしまえば、王も頷かざるを得なかった。
いつもだったら、味方についてくれるはずのバートの後ろ盾である貴族たちも誰も何も言わない。
カロリーナが売った情報を掴んだ貴族たちに弱みを握られ、自分のことの方が大切な者たちは、バートの肩を持つ者は誰もいなかった。
そして、王がもう一度考え直すことを約束してその場はお開きとなる。人生で一番輝くはずだったララは、何が起こっているのか全く理解することができなかった。
部屋に戻ったララは、王太子に当たり散らす。
「これは一体何なの? 私を王太子妃にしてくれるって約束したじゃない!」
「僕だって、なぜこうなってしまったのかわからないんだ」
「わからないなら、調べるなりなんなりしなさいよ! あなた、王太子なのよ? 今まで、何をやってきたのよ!」
ララは、バートに向かってソファーにあったクッションを投げつける。バートは、クッションを難なく避ける。
「そんなこと言ったって……。何かあった時は、カロリーナに相談すれば何とかなっていたから。それが王太子妃の役目なんだよ。だから、ララが何とかしてくれよ」
バートは、情けない顔をしてララに訴えた。
「信じられない。そんな頼りない男だったなんて思わなかったわ!」
ララは、怒りが抑えられずに身近にあった物を片っ端からバートにぶつけた。
カロリーナはその晩、ベッドに入って目をつぶるとララの滑稽な顔が思い浮かんで笑いが止まらなかった。
思い通りになってしまったことで、興奮が収まらずなかなかその日は寝付くことができなかった。
◇◇◇
それから二週間が経つ。これからどうしようか? とカロリーナは考えていた。あの感じだと、間違いなくバートが王太子で有り続けるのは難しくなっているはずだ。
自分が売った情報がどこまで功を奏しているか調べる必要がある。情報を売るのは簡単だが、買うのは膨大な料金がかかる。
さて、どうしようか? と考えを巡らせていた。
そこに、食堂の女将さんが血相をかえてカロリーナの部屋に飛び込んで来た。
「カナ大変だよ! 王宮の騎士がカナを迎えにきた!」
カロリーナは、もしかしたらあちらから何らかの接触があるかも知れないとは思っていた。でも、早すぎる。
カロリーナは、急いで店の外に出た。すると王家の紋章が刻まれた大きな馬車が、待ち構えていた。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
そう私カロリーナに声を掛けてきたのは、見た事のある顔だった。あの時は、兵士の格好をしていたのに……。騎士へと昇格したようだった。
「あなたは……。迎えってどういうこと?」
カロリーナは、戸惑いを隠せない表情で聞いた。
「この度、新しく王太子として指名されましたアルベルト・フォン・テッドベリー様が王宮でお待ちです」
カロリーナは、食堂の夫婦に王宮に行ってくると告げた。必ず帰ってくるから心配してないでと添えて。
二人は、カロリーナをとても心配した顔で見送ってくれた。実の両親でさえ、娘が断罪されたと言うのに見て見ぬ振りだったのに……。
カロリーナは、馬車の中でなんとも言えない優しい気持ちに包まれて胸が一杯になっていた。カロリーナが、こんな温かな気持ちになったのはきっと初めてかもしれない。
王宮に着いて通されたのは、見知った王太子の執務室だった。バートの婚約者時代はよくここに来て、執務仕事を手伝っていた。
途中からカロリーナが主導で行っていた気もするが……。中に入って驚いた、執務机に座って仕事をしていたのはアルベルトだったから。
「アルベルト殿下、お連れしました」
私を迎えに来た騎士が、アルベルトに声を掛ける。すると、アルベルトは顔を上げてあの凍てつく様な鋭い視線でカロリーナを見た。
「本当に、お前みたいな女が市井で暮らせるなんてな。どういう心境の変化だ?」
無表情で訊ねられた。
「人間、死ぬ気になれば何でもできるってことです」
カロリーナは、適当な返答をした。前世の記憶を思い出したなんて、こんな所で言ったところで信じてもらえないだろう。
アルベルトは、カロリーナの目を逸らさずにじっと見つめた。だからカロリーナも、絶対に目を逸らさなかった。
ここで逸らしたら、嘘になると思ったから。
「なるほど。それにしても、見事だった。市井で平民として暮らしながら、あのバカ共を引きずり下ろすなんてな。さすが悪女と言うべきか?」
アルベルトは、ニヤリと笑う。
「何のことだかわからないわ」
私は、涼しい顔して嘘をつく。アルベルトが、椅子から立ち上がり私の方にゆっくりと歩いて来た。
突然のことで、流石のカロリーナも動揺するが顔には一切出さずに平静を装う。
カロリーナの目の前に立つアルベルトは、彼女の顎に手をかけて顔を上向かせた。カロリーナは、心の中で一体なに? と軽く焦っていた。
「いいな。この気の強い目が気に入った。カロリーナ、俺の隣で生きていけ」
突然、名前で呼ばれたことにドキッとしてしまった。そして言われた内容を理解する。
突然のこと過ぎて、流石のカロリーナも顔がみるみるうちに赤くなる。カロリーナは分からないが、前世の自分はこんなに美しい男性に免疫なんてない。
今のって……。え? プロポーズ? そう思っている今も、アルベルトの目をカロリーナの目をずっと捉えていた。
「とっ、突然なんですか!」
カロリーナの声が裏返ってしまう。でも目を逸らすのは悔しいから、今もまだ見つめ合ったまま。
「そんな表情もするのか。意外だな」
そう言って、アルベルトはほんの少しだけ表情を和らげる。カロリーナは、その表情に動揺が隠せない。無表情以外見たこともなかったのに……。
なんでそんな表情で自分を見るのか。黙るカロリーナを他所に、アルベルトが更に言葉を続けた。
「謝った方がいいか?」
アルベルトは、カロリーナの顎から手を離して執務机へと戻って行った。カロリーナは、アルベルトが何を言っているのか意味がわからなかった。
「何のことよ?」
アルベルトは、椅子に座ってカロリーナを見上げた。
「その頬の傷のことだ」
カロリーナは、咄嗟に頬に手を添えた。そう言えば、この傷はアルベルトに付けられたものだった。今は、もう治っているが後はくっきりと残っている。
でもカロリーナは、この傷のことはそれ程気にしていなかった。もちろん、女性なのだから顔に傷があることは残念ではある。だけど、しょうがなかったとわかっているのだ。
あの時に、アルベルトが何もすることなく自分を城から出すのはきっと無理だった。当時の王太子に処刑しろと命じられている娘を、無傷で解放したなんて知られる訳にはいかなかったはず。
カロリーナを罰したことを見せて、侯爵令嬢を処刑したも同じ状態にすることが必要だったのだ。それに、アルベルト自身もあの状態のカロリーナが、生きてもう一度王宮に上がることがあるだなんて思っていなかっただろう。
そしてカロリーナがしてきたことは、罰に値することも沢山あった。だからこれは、当然の報いでもあったのだ。
「それは別にいいわよ。それよりも、さっきのプッ、プロポーズってことでいいの?」
カロリーナは、こんなことを確認するのが恥ずかしかった。アルベルトは、もういつもの無表情に戻っていて、机の上で手を組んでいた。
「お前もわかるだろ? 王太子の妃に相応しいのはお前しかいない。気に食わなくても娶るつもりでいたが、存外気に入った」
カロリーナは、一種の賭けをしていた。もし、計画が上手く行って王太子がアルベルトに代わるのならきっと婚約者には自分を指名するだろうと。
なぜなら、王太子の婚約者になれる令嬢が他にいないのだ。これから育てればいるが……。それでは時間がかかる。
王太子妃教育も初めからやり直しになる。手っ取り早く、婚約者に選ぶならカロリーナしかいない。
「知ってると思うけど、私は悪女で有名なのよ? それでもいいの? もし私が王太子妃になってもヴィンチェスター家とは付き合うつもりもないわよ?」
カロリーナは、頭を回転させて絶対に確認しとかなければいけない事だけ訊ねる。
「それくらいの方が退屈しないだろ。それに俺は、弱い女は嫌いだ。一人で立ってもらわないと困る。ヴィンチェスター家のことは構わない。俺も、同じようなもんだ。今まで散々、俺を下に見て来た貴族に便宜を図るつもりはない」
アルベルトは、椅子に腰かけ直しはっきりと言葉にした。
「それと私、王妃になったら好き勝手やるわよ。貴族よりも市民を大切にするわ」
カロリーナは、これは絶対に言っておかなければと胸をはる。
「いいだろう。好きにしろ。話は以上だ。明日には、登城しろ」
アルベルトは、そう言うと視線を机に移し仕事に戻って言った。そんな自分勝手な行動さえも格好いい。
そう思ってしまうのが悔しくて、礼をするとすぐに執務室から退出した。
◇◇◇
カロリーナは、食堂に帰るとお世話になった老夫婦に事情を説明した。二人ともとてもびっくりしていたが、すんなり納得してくれた。普通の娘ではないだろうと薄々感じていたらしい。
まさか、悪女で有名なヴィンチェスター侯爵家の令嬢だとは思っていなかったと笑っている。
旦那さんは、噂ってのは本当に当てにならないなあーとお酒を飲んでいた。
内心カロリーナは、とても気まずかった。その噂は本当だったから。でも、訂正するとややこしいのでそのままにしておく。
そして二人に、お世話になったのにも関わらず突然出て行くことを謝罪した。頭を下げるカロリーナに二人は、戻るべきところに戻るんだから良かったと喜んでくれてた。
勝手ばかりするカロリーナを、許してくれる器の大きさに心底尊敬の念を抱く。
翌日カロリーナは、老夫婦にお別れをして下町を出て行った。ボロボロだったカロリーナを受け入れてくれた町。絶対に恩返しをしようと心に決めて王宮に上がった。
カロリーナは、王太子の婚約者としてやらなくてはいけないことはわかっていた。自分が使っていた部屋に向かうと、きれいさっぱり片付けられていてカロリーナの私物は何もなかった。
「あの女、やってくれるわね……」
カロリーナは、部屋の中を見てぽろっと言葉が零れた。それでも、自分はもう生まれ変わったようなものだと切り替える。
あの頃の物がないくらいが、丁度いいのかもしれない。また一から、積み重ねていくしかない。
カロリーナは、まず自分がいなかったこの半年間の王宮の状況を、アルベルトの部下から聞くことにした。
大体の情報を聞き終わると、カロリーナはどこから手を付けるべきか考えていた。黙ってしまったカロリーナに、アルベルトの部下が言いづらそうに話しかけてきた。
「あの……、カロリーナ様……」
カロリーナは、あっまだいたのかと忘れていたことに気づく。
「ごめんなさいね、もう結構よ。王太子様の元に戻って大丈夫だから」
カロリーナは、退出を促した。
「いえっ。そうではなくて……。その……。まずは、衣装などを手配した方がよろしいのではないかと……。それと侍女は、アルベルト様が今探していますので」
そう言われてカロリーナは、自分の装いを見る。確かに下町から着て来たワンピースのままだし、髪も自分で切り揃えただけなので令嬢とは程遠い見た目だった。
しかも右頬に、ザックリ傷跡が残ってしまっている。誰が見ても、王太子の婚約者には思えないだろう。
だけど、今のカロリーナは、自分の見た目なんて何でもいいと思っていた。新しい物を作るにしたって、優先事項を処理した後で良いと思うぐらいだった。
「やらなきゃいけないことが多すぎて、そんなことどうでもいいのだけど……。そういう訳にはいかないわよね……。最低限ってものがあるし、わかったわ。王宮の衣装部を手配して」
カロリーナは、渋々指示を出す。アルベルトの部下は、意外そうな顔でカロリーナの顔を窺っていた。
「あの……。城を出る前のカロリーナ様と変わられましたね」
カロリーナは、そんなこと言われると思っていなかったのでびっくりする。でも同時に、流石アルベルトの部下だけはあると思った。
カロリーナ相手でも遠慮がない。
「ふふふ。なかなか失礼なこと言ってくれるわね。私は、生まれ変わったの。我儘なのは変わらないけど、見えてなかったものを見るようにしただけよ」
カロリーナは、部下の失礼な物言いも笑い飛ばす。叱責でもされると思っていたのか、アルベルトの部下も面白そうな笑みを浮かべた。
その後は何も言うことなく、部屋を退出していった。
カロリーナは、そうやって次々と王宮で働く使用人や、自分に仕えてくれる貴族たちを掌握していった。
そして、勢力図がガラリと変わった王宮内をアルベルトと共にまとめ上げた。
最後の仕上げにカロリーナは、王宮の片隅にある寂れた離宮を訪れる。王宮に戻って来てから、恐らく一番最高のドレスを身に纏って。
そこには、元婚約者のバート・アレン・テッドベリーが幽閉されていた。王宮内の勢力図を書き換える程の失態をしたバートは、王の怒りを買い王太子の座を追われそれだけではなく、身の振り方が決定するまで幽閉されることになっていた。
カロリーナは、離宮の入口にある鍵穴に鍵を差し込む。扉を開けると、細い廊下が真っすぐ伸びていた。
護衛騎士を一人伴って、廊下を歩いて行く。中ほどまでいくと、鉄格子が出現し勝手に外には出られない作りになっていた。
鉄格子の鍵も開け、さらに奥に進む。すると、それ程広くはないが住むのに困ることはないだろうと思われる部屋が現れた。
簡易キッチンや、トイレやベッド必要なものは全て揃っていた。
そこに虚ろな目をしたバートと、お腹が大きい身重のララが椅子に座っていた。
「失礼するわよ」
カロリーナが声を出すと、二人は同時に自分を見た。二人とも目を見開いて驚いている。
「カロリーナか? どうしてここに?」
「なんであんたが、そんなドレスを着てここにいるのよ!」
バートは、唯々驚きの形相だった。ララは、目を吊り上げてヒステリックに叫んでいる。
「あら? 知らなかったの? 現王太子の婚約者は私なのよ?」
バートは、言葉を失くしていた。自分の間違いにとっくに気づいていたのだろう。悔しさを滲ませていた。
「なっ、なによそれ! そんなのおかしいわ。あんた処刑されたはずよね? あんたみたいな悪女が、王太子妃なんておかしいのよ!」
ララが、怒り狂った様子で捲し立てている。カロリーナは、動揺することなく平然とした顔で返答した。
「ごめんなさいね。悪女でも、最後に王太子妃に返り咲いたのは私なの。あの夜会の夜、私に勝ったと思ったでしょ? 私が兵士たちに引きずられて行くのを見て、勝ち誇った顔をしていたもの」
カロリーナは、扇子を開いてララに侮蔑の視線を向ける。あの顔は一生忘れない。処刑するように命じられたカロリーナを見て、邪悪な笑みを浮かべていた。
「なっ! なんてことを言うのよ! 私は、あなたに対して申し訳ないと思っていたけど仕方なかったのよ。私たちは愛し合ってしまったんだから」
ララが、バートを気にして言い訳を口にする。こんな状態になってもまだ、バートから嫌われたくないと思っているようだった。
ララが愛してやまないバートは、王太子では無くなってしまったのに。これから先、二人に待ち受けている未来がどんなものなのか、わかっていないようだった。その現実を知っても、ララは一緒に居続けるのかしら?
カロリーナは、バートに嫌味をぶつけた。
「バート様、良かったわね。きっとララは、あなたがどんな処遇になっても付いてきてくれるわ。あなたには、ララだけが残ったのよ。素晴らしいわね」
カロリーナは、俯いて焦燥感に苛まれているバートを見て微笑んだ。バートはゆっくりと顔を上げて、カロリーナを見た。
何がおかしいのか、笑みを浮かべている。
「カロリーナ、これで満足か? 君を選ばなかった僕の末路を見て、さぞ楽しいだろうな?」
バートは、拳を握りしめて震えていた。
「ええ。満足よ。バート様、どうしてそんな女を選んだのかしら? 別に妾くらい私、許したのに。バート様だって、私がいないと王太子が務まらないってわかってましたよね?」
扇子の隙間から、バートを見て哀れむ。
「その態度が嫌いなんだよ。お前に俺の気持ちがわかるか? いつもそうやって俺を見下しやがって。俺の傍には、愛するララがいる。どんな暮らしが待っていたって、それで充分なんだよ」
バートが、カロリーナを睨みつけている。カロリーナは、その視線から目を逸らさなかった。
このバートの怒りは尤もだと思った。記憶を思い出す前のカロリーナが、悪かったところだ。だからそのバートの怒りは、甘んじて受け止める。
「そうね。そこは、私にも非があった。それは認めるわ。でも、途中から王太子の責務から逃げて、私に頼り切っていたのも事実。お互い様よ」
カロリーナは、冷めた目つきでバートを見た。きっとお互いに悪いところがあった。
だけど、婚約者を処刑するという超えてはいけない一線を越えたのはバートだった。それを許すことなんてできない。
「ちょっと、一体何の話をしているの? こんな幽閉なんて一時のことよね? 落ち着いたら、王太子は無理でも普通の王子と同じように、爵位を賜って臣下に下るのではないの? 私は、公爵夫人になるのでしょう?」
ララが、意味がわからないと動揺している。カロリーナは呆れた。
なんて都合の良い様に解釈しているのだろう? あんな事件を起こしておいて、そんな簡単な処遇で落ち着くはずがない。
「ララ、残念ね。いいところ、北の地方にある寂れた土地の管理人くらいじゃないかしら? でも安心して。年に一度は、報告の為に登城を許してあげる。私が、いつの日か王妃として働いている姿を目の当たりにするのよ。素敵でしょ?」
カロリーナは、わざと優しくララに話して聞かせた。
「そんな馬鹿な? だって、私は王太子の婚約者になったのよ? 誰もが憧れる令嬢になれた。それが、誰も行きたがらない北の土地の管理人? ふざけないで! 私はそんなところ行きたくない! バートが一人で行けばいいじゃない!」
ララが、目を吊り上げてバートに向かって暴言を吐いた。先ほど、愛する者だと言ったばかりなのに……。
バートは、ララの言葉にショックを受けている。二人は、カロリーナがいるにも関わらず言い争いを始めてしまった。
カロリーナは、その光景を見てもう充分だと思った。後は、二人でゆっくりと話し合えばいい。時間だけは、たっぷりとあるのだから。
「では、私は失礼するわ。お元気でね」
カロリーナは、部屋を後にする。ララが自分も一緒に出ると縋って来たが、一緒について来てくれた騎士に止められた。
泣き叫びながら、鉄格子の向こう側で「私をここから出して」とヒステリックに叫んでいる。
カロリーナは、振り向くことなく離宮を後にした。
そのままカロリーナは、王宮の最上階に上った。最上階には、王都を見渡せる屋上がある。
この場所が、昔からカロリーナは好きだった。この場所に立って王都を眺めていると、この国の全てを自分の物にしているみたいだったから。
護衛に付いていた騎士にも遠慮してもらい、一人きりで城壁の手前まで歩いていった。
そこから見える風景は、変わらない活気のある王都の光景だった。空は、綺麗な青空に大きな雲が浮かんでいて世界は平和に見える。
だけど自分の心は、なんて醜いのだろうと嫌悪感が沸く。だってカロリーナは、さっきの二人のやり取りを思い出してもいい気味だとしか思わない。
かわいそうだなんてこれっぽっちも感じない。きっとあの二人には、死ぬよりも辛い毎日が待っている。
バートは、真実の愛なんてどこにもなかったことを知ってしまった。ララは、一番の貧乏くじを引いてしまった。貴族の生活とはかけ離れた貧しい暮らしが待っている。
そして二人が憎くてしょうがない女が、近い将来王妃に立つ。
半年前に殺されかけたカロリーナの精神が、嬉しさに興奮しているみたいだった。簡単になんて死んで欲しくない。これからの長い一生を、惨めで情けないものにしてやると心の中で笑っている。
そんな一生を送る二人の光景を思い浮かべたら、体がゾクゾクしてしまい変な興奮が沸き上がる。
カロリーナは、自分を自分で抱きしめる。こんな性格の悪い自分が恐ろしい。でも、これが自分なのだと受け入れるしかなかった。
せめてこんな悪女でも、領民を大切にする心だけは持ち続けようと王都を見ながら誓う。
コツコツと、誰かの足音が聞こえた。カロリーナが後ろを振り返ると、アルベルトだった。
「アルベルト殿下……。どうしてこちらに?」
カロリーナは、驚いた顔をした。
「感傷に浸ってるのか?」
アルベルトは、カロリーナの問いには答えずに逆に質問をする。
「違います。これっぽっちも、悪いだなんて思っていません。そう思う自分の悪さが、恐ろしいだけです。まだ間に合いますよ? こんな悪女でいいんですか?」
カロリーナは、引き返すなら今だとアルベルトに告げる。アルベルトが嫌だと言ったら、仕方がないと諦めるつもりだった。
二人への復讐は終わったのだから充分だと思う自分もいたのだ。
「言っただろ。一人で立てるくらいの女がいいと。俺がいなくなっても、一人で生きていけるやつなら安心だ。カロリーナ、俺の隣を歩いてこい」
アルベルトが、カロリーナに手を差し出した。行くぞと言っているみたいだった。
ここぞと言う時にだけ、名前を呼ぶのがズルい。こんな性格の悪い部分を知っても尚、カロリーナでいいと言ってもらえて純粋に嬉しい。
アルベルトはきっと、冷たくて厳しい男だと思う。でも多分、この手を取ったら好きになってしまうだろうという気がした。
アルベルトの瞳をもう一度見る。感情を表していない、冷たい瞳でカロリーナを見ている。
カロリーナは無言のままなのに、苛立ちも感じさせずただ返事を待っていた。
カロリーナも覚悟を決める。この人の隣を歩いて行こう。きっと簡単なことではない。でもきっと唯一、お互いを信頼して一緒に歩いていける。
カロリーナは、思い切ってアルベルトの手に自分の手を重ねた。
アルベルトは、カロリーナの右手を取ってそのまま手の甲に口づけた。その動作は、とても優しくて流れるように自然だった。
アルベルトは、カロリーナの手を離さずにそのまま言葉を口にする。
「覚悟を決めたなら。俺はお前を愛してやる。だからお前も俺を愛せ」
アルベルトが、妖艶な瞳でカロリーナの手にもう一度口づけを落とす。その背に広がる空は、青かったはずなのにもう陽が暮れかけていた。
赤い夕陽が白い雲を赤く染め上げている。その雲の赤が、カロリーナの頬の色と同じ色だった。
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この作品の長編版が
「前世の記憶を有する私は悪女と共にやり直す」です。