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不器用な二人、一夏の思い出。

作者: 有瀬川辰巳

 うだるように暑い、雲ひとつ無い晴天。コンクリート舗装のされた通学路。夏休みだというのに、僕は高校へと歩いている。


「……セミはうるさいし、蚊はいるし。プールにも入れないんじゃ、夏のいい所なんて、何かあるかな?」


 思わずそんなひとりごとがもれる……ああ、冷房の効いた家でゆっくりしていたい。氷を入れたジュースとか、よく冷えた物を飲みたい。

 水筒は持ってきているけれど、その中に氷はなく、入っている麦茶は次第にぬるくなる。家で飲むのと比べれば量も少ないし。

 本当に、今年の夏だからこそ、という良さはない。でも、僕は高校に、正確には図書室へと足を運んでいく。

 そこにいる、一人の図書委員の姿を思い浮かべながら。

 ただひたすら歩くこと十分。ようやく学校に着く。帽子をかぶってきてよかった、道中で扇ぐのに使ったら、頭が熱くて仕方なかったもんな。


「…………」


 校内に入り、外と比べればぬるい空気の廊下を歩いて、図書室にたどり着く。

 けれど、すぐに戸に手をかけられない。それは、緊張からだ。

 緊張をほぐすために、ひとつ深呼吸をする……その程度でほぐれたら、誰も苦労はしないのだけれど。とにかく、思い込みでもいいから、楽になれ!

 ……よし。何もよくないけれど、よし。ここで立ち続けたところで、暑い中を歩いてきたのに、目的を果たすことなく帰る、なんてそれこそバカげたことになってしまう。意を決して、引き戸に手をかけ、開ける。


「こんにちは……って、なんだ、あんたか。猫かぶって損した」


 柔らかな物腰、優しげな笑顔の彼女に、思わず息を飲む。けれど、直後の丁寧さのかけらも無い雑な対応に、安心感を覚える。


「何さ、その言い方……しかし、毎日暑くて嫌になるよ。明日は僕が当番だから、また暑い中歩いてくるとなると、想像しただけで嫌になる。お互い大変だよね」


 よかった、雑な態度をとってくれて。そうでなければ、僕はただの一言も喋れなかっただろうから。これなら、ここは僕にとっての天国たりえる。


「明日雨の予報じゃなかった? ま、最近はゲリラ豪雨なんてのもあるわけだから、毎日油断は出来ないけど……親に車だしてもらった方がよくない?」

「うわ、本当に? どうせ本借りに来る生徒なんて居ないだろうに……サボったら委員会活動の評価に響くかなぁ……最悪だよ、もう」

「ねー。冷房効いた部屋で本の貸し出し、返却の担当すればいいかと思ってたのに、先生がうっさくて本の並びとか、その辺まで気にしないといけないし、運ぶと重いし……色白筋肉女にでもなったらどうしてくれんだ、って感じ」


 雑談をしながら、僕は図書室内のイスに座り、机の上に持ってきた課題を並べる。


「あんた、課題やりにわざわざ来たわけ!? パソコンもスマホも持ってんじゃん。それで調べりゃいいのに」

「まあ、便利だけど嘘情報もあるからさ。それを参考にするとまずいし、嘘を見抜くのに時間かけるの面倒だし」


 ……いや、今日持ってきた課題に、本で調べたい科目のものなんてひとつもないけれど。ただ単に、彼女の顔が見たくてここまで来ただけなんだけど……。

 課題を解くのに必要なものを一通り並べ終わったところで、彼女がイスを持ってこちらに歩いて来ているのに気づく。


「な、なにさ」


 思わずどもる僕に、彼女は意地悪げな笑みを浮かべてみせる。


「あんた以外来なくてヒマだし、バカじゃわかんない所もあるだろうから、教えてあげるってわけ。毎回順位一ケタ系女子なめんなよ、万年三ケタ君?」

「赤点はとったことないんだから、別にいいでしょ」

「ハイハイ、強がってないでさっさとやりな。自分で調べてまでやるってだけで、小学生の頃、最終日にお願い、写させて~なんて泣きついてきた頃よりは評価してあげてるんだからさ」


 向かい合って座った途端、彼女は僕がここに来る必要がなかった、ということに気づく。

 そして、大きなため息をひとつ。


「……あのさぁ。そういう事してくるから、あたしたち、付き合ってるなんて噂流されるんじゃない?」


 マズイ、バレた。


「そっちにだって問題はあるでしょ!? 本当に僕をただの友達くらいにしか思ってないなら、そのシュシュ、新しいのにすればいいじゃん! もうボロボロなのに未だに使い続けて……いつのだと思ってるのさ」

「しょ、しょうがないじゃん……あんたにもらったとかはどうでもいいけど、このデザイン気に入ってるのに、もう売ってないんだから……」


 そう言って、長い髪をたばねたシュシュをいじる彼女。これは、ドキドキしている時の癖だ。長い付き合いだから、何となくわかる。

 僕からの贈り物を大事にしているから、彼女も僕のことを好きなのかもしれない、とは何度も思った。だから……確かめるために、勇気を振り絞る。


「いっそ、噂、本当のことにしてみる?」


 そう言って、少し時間をあける。この言い方なら、冗談に決まってるでしょ、とか、なんて言ったらどうする? とか、ごまかしができるし。ただ、どうしようもなく心臓がやかましい。外から聞こえるセミの鳴き声が、気にならないくらいに。

 けれど、言い訳を考えていた時間は、無駄になった。


「いや、まあ……嫌じゃないって言うか、うん……あんたとなら? まあ? 満更でもな……じゃなくて、特に不満はないけど? 浮気とかする度胸もなさそうだし? 気心知れてるから、悪いやつじゃない、ってのも、知ってるし……」


 シュシュをいじりながら言う彼女は、耳まで赤く、セミと心臓の音でかき消されてしまいそうなほど小声になっていく。けれど、その顔はずっと待っていた嬉しい事がやっとおきてくれた、というように、にやけている。

 ああ、なんだ──同じ、気持ちだったんだ。


「でも! ムードくらい考えて欲しかったかなー! 言い争いの後に、あんな言い方、赤点どころかゼロ点だから!」

「じゃあ、大学卒業して、働き出したら夜景のキレイなレストランとかで、ちゃんと伝えなおすから。それまで一緒にいてくれる?」


 思わず言い返した言葉だけど、あまりの恥ずかしさに僕の顔まで熱くなる。

 何さ、一緒にいてくれる? って。恥ずかしい……!


「……なら、及第点あげてもいいかな。使い古された、ってレベルだけど、それってそれだけいいものだってことだろうし……」


 シュシュをいじるだけでは足りなくなったらしく、もう髪から外して、両手でもみくちゃにしている彼女を見て、嬉しさと、安心感がこみ上げる。


「それと、もうひとつ言いたいこと……っていうか、お願いなんだけど」

「……まだ、なんかあんの?」

「その……噂を本当にするんなら、対面より、隣に座って欲しいなぁ、って」


 ジト目の彼女を見て、思わず片手で目元を覆う。

 けれど、イスを動かす音と、ペンを握った手にかかるサラサラの髪で、僕のお願いを聞いてくれたのだとわかる。


「……あたしが教えてあげるんだから、留年も、浪人も許さない。あと、別に……社会人になってからでなくて、いいから。バイトにも、励んだら、いいんじゃない?」


 正直、彼女の香りで課題に集中できそうもなかったけれど。

 特別な彼女になってくれた彼女の指導の元、僕はペンを動かす。


「あたしも……明日くらい、図書室で課題やろうかな……」


 その言葉に、つい笑みがこぼれる。こんな時間が、ずっと続けばいい。そんなことを思いながら、幸せを噛みしめるのだった。

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