第2話 初めてのゼミ活動
「さてと……じゃあ、行ってみようかな」
数日後、バイト先に授業の都合で日程が変わるから、と申請していたシフト調整がようやく完了したため、誘われていたゼミにこれから参加しに行くつもりをしていた。
前回受け取った日程のプリントをもう一度確認して、ゼミが開講される教室へ向かう。
「(やっぱり、あの“力を貸して”は気になるしね)」
普通のゼミ勧誘なら、正直ここまでの興味は沸かなかったと思う。
内容自体は面白そうだし、自分達が主体で活動出来るというのも性に合ってるとは思う。
だからと言って、途中から……しかも、バイトとか他の予定を調整してまで参加しようと思ったのは、新田さんの切実な表情が頭から離れなかったからだ。
「(最初は、ゼミ単位が足りないから……とかなのかなとも思ったけど……)」
森島先生の話を聞く限りだと、参加するだけでも単位は貰えるらしかった。
なら、レポートを見て、ゼミ課題に協力して欲しかった……とかではない気がするし。
「(あぁ~もう! 考えてもわかんないや!)」
髪をクシャクシャと掻きむしり、頭の中でグルグルしていた考えを放り出す。
何でもかんでも深く考え過ぎてしまうのは悪い癖だ。
今は、参加する事に決めたゼミの活動に精一杯取り組もう。
気持ちを落ち着け、さっき乱してしまった髪を手櫛で軽く整えた後、目の前の扉をノックする。
先日来た時と同じ、手作りの札が付けられた教室。
その中から聞こえた「どうぞ」の声を合図に、扉を開ける。
「失礼します」
「おっ? カナエちゃん! やっほ~」
教室の中も、先日と変わらない風景。
違うのは、最初に声をかけて来たのが、新田さんではなく西崎さんだったと言う事くらいだ。
「こんにちは。……えっと、今日からよろしくお願いします」
「えぇ、よろしくお願いしますね。 席は……新田さんの隣にしましょうか」
そう言って、イスを用意してくれる森島先生。
隣り合って座っていた、新田さんと伊坂さんも、イスを入れるために少しずつ端に詰めてくれる。
「ありがとう。 よろしくお願いしますね」
「うん! よろしくね、鞠片さん」
新田さんの笑顔に迎えられるようにしながら、席に着く。
それを確認した森島先生が、ホワイトボード前に移動し、ゆっくりと話し始めた。
「さてと、では新しい仲間を加えた第1回目の題材を決めていきましょうか。 何か希望はありますか?」
先生の問い掛けに、みんなが無言で考え込む……が、その沈黙は、一人が手を挙げた事ですぐに破られる。
「どうぞ、新田さん」
「あの……前にやりかけて止めちゃった、“神隠し”はどうかなって思うんですが」
新田さんの口から“神隠し”の言葉が出た瞬間、正面に座っていた東川さんの表情が一瞬だけ強張った感じがしたけど……。
「ふむ……神隠しですか。いいと思いますよ。 皆さんもかまいませんか? あ、初参加の鞠片さんは、他に希望はありますか?」
「え? あ、いえ……このゼミの雰囲気などもまだ掴めていないので、お任せします」
「では、決まりですかね」
私の返答を聞き、他のメンバーの顔を一通り眺めて、反対者がいないことを確認すると、先生はホワイトボードに“考察対象 神隠し”と記入した。
「では、今回はどの“神隠し”を題材にしましょうか」
「あ、その……今回は、日本各地の神隠し全般を題材にできないかな?って思ったんですが」
「各地の?」
新田さんの言葉に森島先生は首を傾げる。
各地の神隠しを考察……と言うことはつまり――
「――地方地方の神隠しについて深く考えるんじゃなくて、“神隠し”その物について考えてみよう……って事ですか?」
「さっすが鞠片さん! 神隠しの伝承はいろんな地域にあるし、前回も、それを全部考察するのは大変だから、って事で題材に挙げるのを断念したから、“神隠し”その物にスポットを当てれば、“神隠し”自体を少しは解明できるんじゃないかなって」
「たしかに、神隠しは地域によっていろんな形がある。結末も様々だし、新田の意見は最もだろうな」
新田さんと東川さんの話に、みんなは「なるほど」と頷く。
「ならさ、せっかくだし、カナエちゃんのレポートみたいに霊的視点と科学的視点……だっけ? あれでやってみない?」
「ふむ、いいかもしれませんね。新しいメンバーになったわけですし、今までにないやり方でやってみましょうか。 先に霊的視点の考察、その後続けて科学的視点の考察、と言う風に進めましょう。 では早速、いつもの様に3~40分程度を目安に各々の考えを纏めてください」
森島先生の言葉を合図に、私の、初めてのゼミ活動が始まった。
「……以上の事から、神隠しの多くに関わる妖怪の中でも、特に天狗に関しては、無差別に神隠しを行う訳ではなく、学ぶ意欲があるにも関わらず、環境や立場から充分な教育を受けられない子供達に、知識や技術を与えるために連れ去って行くのではないか、と推測できます」
【日本の神話・伝説】と書かれた分厚い本を片手に、伊坂さんが神隠しについての自分なりの考察を発表する。
今日の考察対象を、今日決めたにも関わらず、ゼミの内容はとても深く、濃いと感じた。
流れとしてはこうだ。
森島先生による開始の言葉を聞いた直後、みんなはそれぞれに神隠しについての情報収集を開始する。
情報収集の方法も、ゼミを行っている教室の本棚に収められた資料を使ったり、携帯電話やノートパソコンで検索したりなど、実に様々。
教室にある資料も、古い文献のような物から、よく見ると漫画まで、実に多くの書物が置かれていた。
それらを駆使して、およそ30分程度でそれぞれ自分達なりの考えを纏めていく。
そして、みんなの考えがある程度纏まったところで発表……となる訳なのだが――
「その、天狗が学習の機会を与えるために連れ去ると言うものだが、多くの場合、消えた子供達が戻るのは数ヶ月から数年程度らしい」
「あ、それなんだけどさ。 消えてた期間の割に、すげー膨大な知識とか技術を身に付けて来て、姿は消えた頃のままってのも結構多いらしいじゃん? だから多分、天狗とかが普段暮らしてる世界と、俺達がいる世界って、時間の感覚? ――みたいなものから違うんじゃないかと思うんだよね」
このゼミでは、それぞれの発表を聞き終えての質疑応答等ではなく、誰かの発表の中で気になる部分などがあれば、発表を遮ってどんどん発言していく。
そして、それぞれの意見や考えをぶつけ合いながら、最終的に全員の意見を1つの結論として統括していくのだ。
「えっと、つまり天狗は、私達がいる世界とは時間の概念等から異なる世界の住人で、神隠しを行う理由は、勉強したくてもできない子供達に、学ぶ機会を与えるため……って言うのが一応の結論になるのかな?」
「そうですね、新田さんの纏めでいいのではないでしょうか。あまりおどろおどろしい結論よりも夢や希望があっていいですし」
そう言うと、先生はホワイトボードに、新田さんの発言を大まかに書き込んで行く。
30分程でそれぞれが纏めた意見を、次の30分程で一つに合わせる。
みんなが、それぞれの意見を受け入れ、そこに自分の考えも練り込んでいく。
わずか一時間足らずの間に、情報収集、考察、発言、討論、結論……そのすべてをこなしていた。
元々先生が趣味でしていた。
部活動のような感じ。
――等の話から、もっと緩い感じで、雑談しながら‥‥と言うイメージだったけど。
どうやら認識を改める必要があるらしい。
「鞠片さん、あんまり発言とかは出来てなかったけど、初参加の感想は?」
「……なんか、すごいなって……ついて行くのがやっとって感じでしたし」
私の感想を聞いて、みんなは「あぁ……」と苦笑する。
「まぁ最初の内は、戸惑うだろうな」
「たしかに……うちのゼミ、ちょっと変わってるもんね。でも、きっとすぐ慣れるよ」
「そうそう、なんたってこの俺が慣れたんだからさ。 カナエちゃんならすぐだよ」
そう言ってみんなが口々に励ましてくれる。
もっとも、伊坂さんだけは、まるで品定めでもするかのような険しい目で、じっとこちらを見ているだけだったが……今は気にしないことにする。
「ありがとうございます。頑張ります」
「さて、それではこのまま科学的視点での考察を始めていきましょうか。 あぁ、その前に――」
そう言葉を切って、森島先生が私の方へ視線を向ける。
「私達はこれまで、この段階で考察を終えていたので、科学的視点で考察するにあたっての注意や、やり方があれば教えてもらえますか?」
「注意……ですか?」
「カナエちゃんが、レポート書いた時に気を付けた事、って感じじゃない?」
先生の質問に対し、疑問符を浮かべた私を見て、フォローを入れてくれた西崎さんは、最後に「たぶんね」と付け加えた。
「あぁ……それなら――えっと、心霊的な要素を全て取り除いたり、人為的な要素に置き換えて考えます」
「ふむ……それで行くと、さっきの天狗も、実は人間だった――と言う事になるのか」
私の言葉を聞いて、東川さんが呟いた、直後。
「でも……それだと……神隠しって――」
口を開いた新田さんは、遠慮がち――と言うより、まるで何かに怯えるように途切れ途切れに話し出す。
「神隠って、拉致事件……って事?」
新田さんの口から出た“拉致”と言う単語。
それを聞いた途端、東川さんは表情を強ばらせ、伊坂さんはビクンと肩を震わせた。
「でもさ、それだと、さっきの“いなくなったままの姿で”が説明できなくない?」
そんな二人の様子を知ってか知らずか、今度は西崎さんがいつもと変わらない口調で問い掛けてくる。
「あ、それは、年齢に関しての明確な記述が見当たらない事から“いなくなったままの格好で”……つまり、服などに目立った汚れやほつれもなく――と言う意味にも取れると思います」
「なるほどねぇ、じゃあ知識の部分は?」
「えっと……服などに特に乱れもなく、知識を身につける……そして、そう言った記述のある文書が江戸時代中期の頃に集中してる事から、寺子屋のような場所で学習をしていたのではないかと想像できます」
次々質問を投げ掛けてくる西崎さんだったが、つっかえながらも返答を返す私に「おお〜」と感嘆の声を上げた。
「さっすがカナエちゃん。 さっき俺らの考察聞きながら、黙々と調べ物してると思ったら、本命はこっちだった?」
「本命……と言うか、前半は皆さんのスピードに圧倒されちゃって、ついて行くのがやっとだったので、後半は頑張ろうと思って」
それを聞いた西崎さんは、「意外と負けず嫌いなんだね~」と目を丸くする。
「……とりあえず、これで科学的視点の考察も終了になるのかしら?」
「そう、だな。これ以上は考察する内容も――」
「……いいえ。まだですね」
未だ顔色が優れない伊坂さんと東川さんが、考察終了を提案しようとした言葉を遮るかのように、低く冷たい声が響く。
ハッとして皆が声のした方を見ると、ホワイトボードの脇でイスに腰掛けた森島先生が、じっとこちらを見ていた。
その表情には、いつもの温和な様子はなく、細められた両眼は、まるで怒りや憎しみでも溢れているかのような暗い光を湛えている。
「も、森島……先生?」
怯えた様子で声をかける新田さん。
しかし先生は、まるでそんな声は聞こえていない、とでも言うように、ゆっくりと私の方へ視線を移し、口を開く。
「鞠片さんは、今の考察だけでは納得できてないのでは?……どうぞ、続けてください」
「……えっ?」
その言葉に、皆の視線が私へと集まった。
確かに、神隠しは拉致だけとは限らないし、もう一つ、科学的視点から見たからこそ、考察できる内容もある。
でも……それはこの場に必要なのだろうか?
“神隠し”と“拉致”
この二つの単語に過剰に反応した伊坂さんと東川さん。
そして、いつからか態度が急変した森島先生。
それらの要因は、このまま終わった方がいい……そう言っているようにも思えるが、どうやら先生は見逃してくれないようだ。
冷たく光る双眸は「早くしろ」と急かすように私をじっと見つめている。
だから。
「……わかりました」
目を閉じて考えを纏めた私は、ゆっくりと目を開け、続きを語り始めた。