第六試合 9.島の闇
模擬戦は、リングスの訓練兵が十名弱の退場者を出しながらも、倍近くの選抜兵にペイント弾をくらわせ、見事に六十分間の防衛線死守を達成するという結果になった。
教練で叩き込んだ歩兵としての基本行動が練習どおりに実践されていたことに、美紗は教官の一人として安堵していた。
F班においては、市原大輝が体調不良を患い、松浦譲二もそれに巻き込まれる形でリタイアしてしまったものの、後の三人は時間切れまでフィールドに残ることができた。
沖山敦に至っては、撃つ機会が比較的少なかったにもかかわらず、援護射撃が一回命中という活躍だった。彼の射撃技術は天賦の才と言ってよい類のもので、普段の気弱さからは結びつかないストロングポイントだ。
突然の頭痛を発症した大輝は、叶恵の付き添いで研究棟へ運ばれた。おそらく、強化の初期段階に入ったのだと思われる。
考えているよりも、彼の“卒業”は近いのかもしれない。優秀な一人の少年の前途と、残される者――親友だと公言している譲二――のことを斟酌すると、美紗は胸に棘が刺さったような気分になった。
「園田少尉。ご苦労だったわね」
数歩前を歩くダリア・ヘンダーソン中尉が首だけを振り向かせ、労ってくる。
「待機させていたはずのキャスリーン・ベネット二等兵の暴走はすまなかったわね。あの少年には申し訳ないことをしたわ。怪我の程度は?」
「何日かはベッドで安静にしていなければならないでしょうが、頭部などに別状はないようです」
「あら。あれだけ痛めつけられたというのに、大したものだわ。チート兵の攻撃を凌ぐほどの頑健さは、あなたの指導のたまものかしら?」
チート兵という呼称に、美紗はモニターで目の当たりにした一人の少女兵の変貌を思い出して、身震いする。
「あれが……魔改造兵なのですね。彼女の特殊能力は、反射神経の類でしょうか」
「あながち外れてないわね。野性的な勘、といったところかしら。チート兵の神髄は筋力増強だけじゃないわ。真価は、あのように特殊能力こそにある。レベル1から発現する、まさに文字どおりの異能よ」
異能――。これほどふさわしい言葉が他にあるだろうか。あの少女兵の膂力と反応速度は、まさしく化け物か悪鬼の類だった。
「チート兵の異能は千差万別よ。皆があれのように接近戦に特化した能力というわけではないわ。俊足や、五感のどれかが秀でているという兵もいる」
ダリアの説明に美紗は思い詰める。松浦達、リングスの特殊格闘兵は果たしてあれと渡り合えるようになるのか、と。
今はまだ、彼らが投入されるのを想像するのが難しかった。……受け入れがたいというべきか。つくづく諦めが悪いものだ、と自嘲する。
美紗が押し黙っている内に結構な距離を歩いていたようで、気がつけば、模擬戦を終えた訓練兵や選抜兵の集合指定場所に着いていた。中尉は既に、研究施設のスタッフらと立ち話をしている。
そして、その近く、屋外に設置されている洗面台の蛇口で土に汚れた手や顔を洗っていた宮前健吾を見つけることができた。美紗は方向を変え、健吾を労る。
「おう、宮前。よくがんばったじゃないか。良い個人戦果だったぞ」
しかし、返ってきたのは「あ、はい……」という空返事だった。
そもそも、健吾は美紗をまったく見ていなかった。視線はずっとダリア達の方へ注がれている。
「宮前?」
その眼光は美紗が知っている宮前健吾のものではなかった。何かが背筋で粟立つ。
健吾は戦闘服の袖で顔や手の水気を雑に拭き取った。それから、美紗の脇を通り過ぎて、ダリアのもとへと歩み寄る。
研究員の一人が気づいたので、ダリアも振り返る。
健吾は敬礼をした。
「ダリア・ヘンダーソン中尉。リングス基地付け格闘訓練兵、F班所属。宮前健吾です」
美紗は驚愕した。彼の口から発せられたのは流暢な合衆国言語だったからだ。
「あなたが宮前? 先の模擬戦では結構な活躍だったと聞いているわよ。さすがね」
ダリアが相好を崩す。彼女はさほど日鶴語が堪能ではないため、当然、合衆国言語で。
「ありがとうございます」
「園田少尉。あなたの担当訓練生の一人でしょ? 鼻が高いわね」
そう振られ、健吾に意識を向けていた美紗は虚をつかれて、慌ててしまう。「は、はい」
敬礼したままちらっと見てきた健吾と目が合う。瞳の奥や口端に、いつもの軽薄な感じが少しだけ戻ってきていた。そのにやけた表情は美紗のよく見知っているもののはずなのに、先ほどの外国語が鮮烈だったせいか、奇妙に懐かしい感じがした。
「お、驚いたぞ、宮前。いつの間に合衆国言語会話ができるようになったんだ? 発音もほぼ完璧じゃないか」
美紗は動揺を隠しながら健吾の隣へ行き、日鶴語でささやいた。
「それで、こんなおばさんにもしかして何か用?」
ジョークめいた口調で健吾に尋ねるダリア。訓練兵からすると年齢差的にはそうなのかもしれないが、彼女の容姿を見れば謙遜と捉えられるだろう。
「新兵訓練についてかなりの発言力を持っているという中尉に、お願いがあります」
「おい、宮前……」
何のつもりだ、いささか無礼ではないかと不安になって、美紗は健吾を諫めようとする。だが。
「あら。そんなことはないんだけど、何かしら」
予想に反して中尉が気分を害することなく返したため、美紗は黙らざるをえなかった。
ここまでならばまだ、模擬戦後の昼下がりにおける、上官と訓練生のフレンドリーな雑談風景にも見えていたことだろう。しかし、健吾の次の言葉で、雰囲気は一変する。
「……〈ボンバイエ・モード〉についてです」
美紗は反射的に直立不動の姿勢を解いて、健吾の方に首を回していた。ダリアも思わず腕組みをやめる。
「俺への人工ウィルスの投与量をもっと増やしてください。お願いします」
健吾は頭を下げていた。歯を食いしばったその顔は険しく、悲壮感に満ちていた。彼がなぜそんな表情をしなければならないのか、美紗には不可解だった。
研究員も含めその場にいる全員が、時が止まったかのように凍りついていた。
「……何てことだわ。あれの存在を知っているの」
健吾がそれらの単語を続けて発したことで、聞き間違いか空耳や幻聴の類という線は完全に否定されている。彼は、知っているのだ。この島の闇を。どうやって?
ダリアが目配せをしてくる。美紗はそれに気づいていながらも、健吾を凝視していた。
「少尉、これはどういうこと? 誰が彼に教えたの?」
「宮前ェ!」
美紗は弾かれるようにして健吾の胸ぐらをつかみ、引き起こしていた。健吾の冷めた表情とぶつかる。
それが更に、美紗の激情の火に油を注いだ。
「きさま……、どこでそれを知った? 誰から聞いたんだ?」
「……検査か何かで研究棟へ連れられたときに、白衣の人達が内輪でところかまわず口にしていましたよ。それに、教官らも時々、職員室や廊下とかで話し込んでいるじゃないですか」
「だとしても、それらは全て合衆国言語の上、要所には隠語を使っている。きさまらには絶対理解できないはずだ」
健吾がさも可笑しそうに口の端をつり上げた。
「何回も聞いてれば、会話の前後から察したり、大体の見当をつけたりすることはできますよ」
「少尉、何を話している? 日鶴語でしかも早口だとわからないわ」
中尉がそう言ってきたが、美紗はわざと聞こえないふりをする。胸ぐらをつかんでいる両手に力を込めた。
「……難解な専門用語までもわかるとはな。語学の成績が芳しくないというのは虚偽だったのか」
「まあ、半分はわざとだけど、もう半分はマジです。実際の会話と、文法に重きを置く座学の違いというか」
「実際の会話だと?」
「俺、実は合衆国人種の祖父を持つクォーターで、しかも帰国子女なんすよ。だから合衆国言語をペラ回せるし、研究員らの会話も難なく聞きとれるってわけです」
何だと……? と美紗は呻いた。だとすると、今まで、合衆国言語での会話は全部こいつには筒抜けだったということになる。
苛立った様子のダリアが近くにいた絹内蘭子を呼びよせている。通訳をさせるつもりなのだろうということが見てとれた。あまり時間はない。
「この金髪も、実は地毛なんです」
美紗はそういえばと思い出す。入隊時の健吾は、脱色していたという髪の毛を黒く染めてきていたらしい。
それが、いつしか色落ちしてしまい、くすんだ茶色の髪を覗かせている。かといって基地内に髪染め剤等はなく、注意しつつもやむをえず放っておいた。
髪が伸びれば自然に元の色へ戻っていくだろうと皆、考えていたのだ。ある程度まで黒髪が伸びたら、茶色の部分をばっさり切ればいいと。
だが、今もこいつは茶髪のままじゃないか、と美紗ははっとする。なぜ、もっと早くに気づけなかった?
むしろ、根元の色が以前よりも明るくなっていて、逆に毛先の方が一回黒く染めた名残で暗い。誰かが、健吾の頭はカラメルソースの乗ったプリンみたいだと言っていたが、その表現が実は微妙に間違っていたことに今更ながら気づく。
プリンのような色というのは普通、頭頂部が地毛で黒くなっている金髪のことを指す。健吾はその逆だった。
視界の端で、ダリアの隣に来ていた蘭子が今まさに口を開こうとしているのが見えた。
「まだ通訳はしないでください!」
美紗はつい声を荒げてしまった。蘭子は勿論、ダリアも健吾も驚いている。
「……後少しだけ、待ってください。お願いします」
蘭子が少し困ったような表情を浮かべる。美紗は再度、眼前の少年を睨みつけた。
「……宮前。この際、おまえの素性はいい。これは何のつもりだ?」
「言ったじゃないですか。ボンバイエ・モードの人工ウィルスの増量を希望します」
「ふざけるな」
「俺は本気です」
「あれは致死率も何パーセントかある劇薬なんだぞ! 前期生の何人かは死に至っているか廃人になっているんだ! わかっているのか。そんなものの投与量を増やしてほしいなどと……」
美紗は思わず怒鳴っていた。駄目だ、とても平常ではいられない。
「どうしてだ、宮前。私にはおまえがまったくわからない。何で、わざわざ自ら危険を冒すような真似なんか」
「……なら、逆に問いますけど。俺が強化兵として大成できずにノーマルのまま実戦に投入されたとして、魔改造兵に殺されずにこの戦争を最後まで生き抜ける見込みってどのくらいですか? さっき言ってたパーセンテージよりも上ですか? そんなわけないですよね。俺達は捨て駒のように消耗されるんでしょう。だったら、ここで賭けに出て力を得た方がまだ確率的にいい。違いますか?」
そんなことを考えていたのか、と美紗は気圧された。分岐してそう遠くない未来へ伸びていくそれぞれの道を、天秤にかけて……。
健吾は俯いて、唸るようにひとりごちる。
「俺は、両親と姉を奪ったあいつらを殺してやるまでは、絶対に途中でくたばっちまうわけにはいかねーんだよ……!」
両拳が強く握り締められて震えていた。不退転の覚悟がそこにはあった。
美紗はやっと健吾の真意を理解する。そうだったのか、と(これがおまえの隠してきた本性なのか……!)。
「F班の仲間はいいのか。松浦や市原、沖山、東条も。ここで離ればなれになったらもう、二度と会えないかもしれないんだぞ。新しくできた大切なものを零すな」
しかし、健吾は一瞬だけ黙りこくった後に言い放つ。
「あんなヤツら、友達だと思ったことはねーよ。仲良しごっこには辟易しているんだ。さっさと縁を切ってしまいたいですね」
美紗は目を閉じた。胸が潰れる思いだった。
おそらく本心ではないだろう。しかし、決意と覚悟が口にさせている。
彼はわかっているのだろうか。過去に囚われている者が、現在を邪魔だと切り捨てようとしている。捨てたものも過去になるというのに。
なおも美紗は続けようとしたが、「園田美紗少尉」というダリア中尉の厳かな声によって、説得は遮られた。
「まったく、あなたは……。教官たる立場の者が、私情で訓練生の成長を妨げるというのは言語道断だわ」
怒気を孕んだダリアの後ろで、蘭子が小さく頭を下げるのが見えた。それで、美紗は何もかも悟る。
「彼らを過少評価するのはいいかげんにやめなさい。まだ少年とはいえ、彼らも立派な一人の格闘兵なのよ」
ダリアは健吾に向き直り、感心したふうに「今日を生き抜くために明日を捨てる、か……」と呟いた。
「ボンバイエ・モードの副作用を承知の上で希望するというのなら、話は早いわ。望みを叶えてあげる。ついてきなさい」
手招きされた健吾が足を踏み出す。美紗にはなぜか、その動作や風景がスローモーションに見えていた。
これは何かの冗談か。もしくはたちの悪い夢。
「宮ま……」
「園田美紗少尉。私の独断であなたを新兵訓練の教官から外す。しばらくはデスクワークでもしてなさい」
上官の突きつけた冷酷な宣告に、美紗は足下の地面がひどく揺れてとても立っていられないような感覚に襲われる。あちら側へ歩いていくまでただの一度も振り返らなかった健吾の態度にも愕然とした。
(自分はいったい、あいつの何を知っていたというのか。宮前だけではない。他の子もそうだ)
リングスの格闘訓練兵に哀れみや憐憫の感情を抱いていたのは驕りによるものからではない、と言い切れるのか。
愛国心、復讐、名誉回復、食い扶持の確保、身売り、逃避……理由はどうあれ、彼らは確かに闘争を求めている。本能が闘いの場を欲しているのだ。
研究員に促されて研究棟と思しき方角へと連れていかれる健吾を美紗は見つめようとするが、熱に浮かされたように、どうしても焦点が定まらない。
愛しいものがいつまでも変わらないことを願うのは、愚かなことなのだろうか。
少年はいつの日か少年ではなくなる。遅かれ早かれ。それは誰にも止めることのできない世界の摂理だ。
ただ、こんな形での巣立ちは違うはずだった。
もしもこの世に神というものが存在するなら、美紗は尋ねたかった。あなたはどのような意図があって私をこの島へ導いたのですか、と。




