5.乾杯
──と、そうしてレスティオと感動の再会を果たしたはいいのだ。しかし、
「それで、なんで堕天使のアンタが教会にいるわけ?」
そう、今私達が立っているこの場所が、教会という、堕天使にとっては相性の悪い場所でなければ、の話だ。
「ふふふ、それについては色々と理由がございまして」
「と、言うと?」
「そうですね……、話せば少し長くなりそうです。王女であらせられる貴女様をいつまでも立たせているのも恐縮ですから、場所を移しましょうか」
「そうしてもらえると助かる。私としても聞きたい話は多いし」
どうぞ、と指し示され、目の前に聳え立つ大きな教会に足を踏み入れる。記憶の上では、私がこの国にいた200年前も、この場所には教会があったはずだ。
しかし外観も、そして屋内も、この教会はさほど古そうには感じない。せいぜい築十数年、といったところだろうか。おそらく私がいない間に改築されたのだろう。
ステンドグラスも記憶に中のものよりも大きく、綺麗になっている気がする。というか、全体的に綺麗に、また洗練されたデザインになっているせいで、私の知っている教会とはかなり印象が違う。昔はもっと……こう、草臥れたというか、言葉を選ばずに言ってしまうと、ボロい感じだったはずだ。
唯一あまり変わらないように見えるのは、祀られている女神の像だろうか。
この国で──というか、この世界で古くから信仰されている女神、レイ=カミシロの像だけは、小さなヒビやこびりついた汚れなどがそのまま残っているようだった。
逆に言えば、200年前と変わらず、ほぼそのままの状態ということで、それだけこの200年間、ここを管理してきた者たちが細やかな手入れをしてきたにだろうと察せられる。
レイ=アモウ──私にとっては敬愛すべき主であり、祖母の直属の上司である彼女の像が大切にされている、ということは素直に喜ぶべきことだった。
とはいえ、それ以外の教会にあるものはほとんどが全くの別物と言っていいほど変化している。この国が興される遥か前から存在するこの教会ですらこうなのだから、街の方はもっと変化が大きいのだろう。
実際、クルマという鉄の箱だったり、ガイトウという灯だったり、はたまたタピオカという飲み物だったりと、少し街を歩いただけで見たことも聞いたこともないものに沢山遭遇したわけだし。
──こういった小さな、しかし確かな違いが、私の知らない長い時間をありありと実感させる。理解していたつもりでも、こういう風に目に見える形でそれを示されると流石に少しだけ堪えるものがあった。
──まるで、『これがお前が見て見ぬふりをした歴史の重みだ』とでも突きつけられるようで。
「こちらです」
私を呼ぶレスティオの声にはっと我に帰る。いけないいけない。こうして物思いに耽って周りが見えなくなるのは私の悪い癖だ。
ぶんぶんと頭を振り雑念を追い払うと、私は先に奥へ進んだレスティオの後を追った。
レスティオに連れられ教会の中を進んでいくと、窓の外に楽しそうに走り回る5人の子供たちが見えた。歳のほどは7とか8とかそこらであろう彼らは、やいやいと騒ぎながらじゃれ合うように遊んでいた。
「あの子たちは?」
「え?──ああ、彼らは孤児、ですかね?」
「なんで疑問形……?レスティオはここに勤めてるんじゃないの?」
「ええ、その通りですよ。ただ、彼らの立場は少し特殊でして。そのあたりについても後でご説明しましょう」
そう言って、レスティオは廊下の突き当りにあった扉を開けた。その場所に取り付けられてから長い年月の経ったそれはギイィ、と嫌な音を立てる。レスティオは完璧なしぐさで私に中に入るよう指し示した。そうして入った部屋の中は、これまた古びた椅子と長机が置かれており、少し奥はキッチンになっていた。恐らく応接室であろうそこは、確かに歴史を感じる趣ではあるものの、きれいに掃除され、不思議と温かさを感じさせた。
レスティオはその椅子を引き、そのまま私はその椅子に座る。幾度となく繰り返されたやり取りに、こういう所は変わらないな、と思った。
いや、長命種であるレスティオにとって、200年の年月などあってないようなものかもしれないけど。
「マナお嬢様、お飲み物はいかがなされますか?──と言いましても、安物の紅茶とコーヒーしかありませんが……。申し訳ございません、お嬢様がいらっしゃると事前に存じていれば、もう少しいいものをご用意させて頂いたのですが」
そう言ってレスティオが眉をひそめる。胸に手を当てて心底申し訳なさそうに深々と頭を下げるその姿は、彼のことを良く知らない人間が見たならば、どれほど怒っていたところでついつい許してしまいそうなほどだが、私のように彼と知り合って長い人間になるとそれは間違いだとよく知っている。レスティオがこういった表情をするときは大抵、心にもないことや皮肉を言うときであり、その「心底申し訳ない」とでもいうような顔は演技でしかないのだから。
そして今回の場合、レスティオの言いたいこととは「来るなら事前に言っておけやアホ、その歳になっても報連相もできないのか」だろう。それに関しては正直全く言い逃れのできない私のミスや至りの無さが原因なので、謝ることしかできない。
「……事前に連絡しなくてごめんなさい。次からはきちんとしますってば」
「いえいえ、お嬢様を責めている訳ではないのですよ。ただ、この教会はあまり裕福なものではないですからね。お嬢様のように高貴な身分のお方をお招きするのはあまりに気が引けてしまうのですよ」
嘘こけ、私がもう国王でもなんでもないただの魔力なしだと知ってるくせに。思わずジトリとした目線を向けると、レスティオは笑みを深め、「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」と聞いてきた。なるほど、徹底的にしらばっくれるつもりらしい。私はため息を吐き、問いに答えた。
「……紅茶で」
「畏まりました」
そう言って、レスティオが一礼し、そこの台所でお茶を淹れ始める。その顔にはからかいの色がにじんでいた。取り繕っているつもりなのかもしれないけど、口元が吊り上がっているのでバレバレだ。
コーヒーか紅茶のどちらにするか聞いたのは完全に嫌がらせだろう。レスティオは私が昔から紅茶に砂糖とミルクを入れたものしか飲まないことを知っていて、私の反応を見て遊ぶために聞いているのだろうと、その表情から容易に想像がついた。
レスティオがお茶を淹れに行ってしまい、手持ち無沙汰になった私はふと窓の外に目を向けた。そこでは、先ほど走り回っていた子どもたちが今度は何やら小さな庭の隅の方に集まっているようだった。
先ほどの子どもたちだけではなく、年齢も性別もバラバラな、まだ幼児といった歳の子から、私と同年代か年上ほどまでの少年少女たちが一塊に集まり、何かを熱心に見ているようだ。私は少し身を捩り、彼らが見ているものを見てみようとした。すると、
「何か変わったものでも?」
「うわっ!?」
突然声を掛けられ、驚いて振り返る。すると、ティーセットを持ったレスティオが怪訝そうに眉根を寄せてこちらを見ていた。私は慌てて姿勢を元の状態に戻し、背筋を伸ばした。
「なんでもない。ただ……、ほら、私って身近に同年代の子どもとか居なかったでしょ?だからちょっと気になって」
と返すと、レスティオは合点がいったという様に頷いた。
「なるほど、一緒に遊びたいと」
「全然違う!」
思わず叫ぶように否定する。確かに長命種であるレスティオからすれば私と彼らの年齢にはそう違いはなく感じるのだろうけど、別に彼らに混じって遊びたいと思うほど子どもというわけではない。そもそも私はかつて、代理ではあるが一国の行先を決める国王の身だったわけで、レスティオの知る私は彼らのように遊んだりはしゃいだりする子どもではなく、相談役としての雇い主という側面が大きかったはずなので、そんな風に子どものひとりのように見られるのは少し納得がいかない。
「はぁ……。そんなことより、さっき私がした質問、ちゃんと覚えてるんでしょうね?」
「ええ、勿論ですとも。堕天使である私がなぜ、教会などというミスマッチな場所に勤めているか、ですよね」
「それから、この国の現状もね。この国が200年間でかなり変わったっていうのはこの目で見て実感したから、そこで実際に生活していたあなたの所感も込みで聞きたいの」
「かしこまりました。……もしも可能であれば、後ほどでいいので、こちらにお帰りになった理由を伺っても?」
「もちろん、それも話すつもり。お互いに情報交換といきましょう、旧交を温めるためにも、ね」
私が頷くと、レスティオも満足げに目を細め、自身のティーカップを掲げた。
「……?ああ、」
一拍遅れて私も前に置かれたティーカップを持ち上げる。
「お嬢様が成人なされていないので、ワインでないのが少し残念ですけれどね。……我々の再会に、乾杯」
「それ、もしかしてお子ちゃまだって煽ってるの?……乾杯」
チン、とカップ同士がぶつかり、軽やかな音を古い部屋に響かせた。