4.人として、その言葉は
──私ことマナ・グランツベルクは、グランツベルクの国王夫婦の長女として、この世に生を受けた。
そもそも、グランツベルクという国のルーツは、神に仕える天使たちの国であるグランツェルと、世界で唯一魔法が使える人間マナフィアが、マナフィアの王子がある事件を起こしたことをきっかけに、手を組み合って元の国家に反逆を起こした、という歴史にある。
私の名前である『マナ』も、そのマナフィアという種族名から来ているものだ。
国に伝わる古代語で、マナとは魔法、マナフィアは魔法の子という意味らしい。……そんな名前の私が魔力を持たず生まれて、魔法を一切使えないのは何かの皮肉なのだろうか。
──今でもふと考える。私がもし、魔法を使えていたのならば、私の父と母は、私や国民を捨てて、どこかへいったりはしなかったんじゃないか、と。
最初に居なくなったのは、母だった。母が旅立つ日のことは幼すぎて覚えていないのだけど、なんとなく思い出そうとすると、鼻がツンと痛くなる感覚だけは今も残っている。……それから、母がこの国に残していった結界と、それを発動させるための宝杖も。
母はグランツェルの王女であり、1柱の神だった。後から臣下のみんなに聞いたことだが、なんでも母には大きな、果たさなければならない仕事があるのだとかで、それを見送ることが自分たちの誇りなのだ、と、配下のみんなは口を揃えて言っていた。
そのときのグランツベルクには人間の……マナフィアの家臣が多かったせいか、神であり、自分たちを助けた母に心の底から心酔していたようだった。
(……でも、みんなは……、もう一度、お母様の顔を見る前に……)
人間の寿命は、神よりもはるかに短い。母を見送った彼らがもう一度、母に首を垂れるよりも早く、その大半が亡くなった。寿命で死んだもの、病気で死んだもの、──戦争で、死んだものもいた。
……そして、人間ではなく、グランツェル側の者たち。彼らも、この国からかなりの数がいなくなった。
元々彼らは天使であり、神ほどではないものの、ヒトよりは長く生きる者たちだ。それが、今、この国にはほとんど残っていない。みんな、人間がいつまで経っても終えることのできない、長い戦争に辟易してそれぞれに散っていってしまったからだ。
──そして、母がいなくなって数年後、父がこの国を去った。戦争が一旦の終わりを迎え、世界に刹那の安寧が戻った頃だった。
この時には私はもうそれなりに成長していて、戦争という存在についてや、その終わりが意味することをある程度ではあるが理解していた。
……だからこそ、戦争というのは終結後の動きが大事であることも、幼いながらも一国の王女であった身分ゆえに理解していたつもりだ。
当時、長きにわたる他国との戦争ですっかり疲弊していたグランツベルクは、早急に生活を立て直す必要があった。
もちろんそれは他国も同じで、その立て直しがいかに早いか、正確かがその先の未来を分ける。戦争の後というのは実質次の戦争への準備期間に過ぎないからだ。その期間にきちんと対策を立てなければ国を守護することは難しい。
しかし、グランツベルクがそんな重要な時期であったというのに、父はいなくなった。どこにいるかも分からない母の後を追い、グランツベルクでは200年経つというのにもかかわらず、音沙汰もないままだ。
そして、父がいなくなって、国王の後釜には当時10歳であった、国王のひとり娘である私が就くことになった。
普通に考えれば当然のことだろう。国王であった父には兄弟や親族はおらず、世襲制であるこの国では必然的に私が玉座に座るのが自然だ。
だがしかし、私には魔力がなかった。普通父母のどちらかにマナフィアがいたならば、その子は必ず魔力を持って生まれてくる。しかし父がマナフィアで、母が神であったにも関わらず、私は魔力がなく、魔法を使えない。
当然、私が玉座に座ることに対して反発する勢力が現れた。それも、かなりの数だったと記憶している。
彼らの言い分には、
「魔力がないマナフィアの子など聞いたことがない。本当にあの方の娘なのか」
とか
「マナフィアの代表でもある国のトップに魔法が使えない人間がいていい訳がない」
などの私の魔力に関するものから、
「戦争直後の慌ただしい時期だというのに、まだ政治を本格的に学んでいない子どもが指揮を執るのはどうなのか」
という、至極真っ当なものなど、とにかく私が国王になるには難しい理由が多くあった。
そもそも、私としては国王は他の人間でもいいと思っていたのだ。たとえそれがお飾りの王で、実権は他の人間が握るのだとしても、だ。
唐突に行方をくらませた先王の娘で、魔力もなく、政治に関われるだけのしっかりとした知識もまだ学びきれていないような子どもがトップに立つのは国民たちだって信頼を寄せられないし、またすぐに始まるであろう戦争で、兵士たちが忠誠を誓う相手として、私はこの上なく不十分だった。
そんなことではいつ反乱が起きるか分かったものではないし、国の不安定さを招きかねない。
それならば有能で、強力な魔法が使える、なおかつ国民の信頼の厚いものがなってくれた方がはるかに国のためになる。そもそもこの国は歴史が浅く、母は別として、父である国王の血を引いていることに歴史的な価値がさほどないこともその理由の一つだった。
──しかし、そんな幼い私の考えに反して、グランツベルクの国王の座には、私が就くことになった。
その原因は──、
「──おや、これはこれは……。随分と懐かしい顔を見た気分です。僕も老いたようで、すっかり目が悪くなってしまいましたねぇ。老眼でしょうか、まさかいち通行人である罪なき仔羊が、こんな……まるで、恥知らず、能無し、極悪非道の裏切り者の欲張り三点セットの擬人化のような愚か者に見えてしまうなんて!ああ……!僕ももうそろそろ天に召されるような歳になってしまったというわけでしょうか……。悲しすぎて涙がちょちょ切れそうです……」
──この、今まさに、私の目の前で盛大な嘘泣きを披露している男、レスティオ・アグリアーノ。
まさしく彼こそが、私を国王に仕立て上げ、宰相として右腕を勤め上げた人物であり、神に仕える者として、長い時を生きる種族、天使──から彼は堕天して、現在は堕天使として生きている。
堕天使とはいえ、寿命は天使とさほど変わらない。私の記憶にある200年前と全く変わらない姿で、彼は私の目の前に立ち塞がった。
「……久しぶりね、レスティオ。その態度も含めて、200年前から何ひとつ変わっていないようで何よりだわ。ついでにいいことを教えてあげるけど、涙がちょちょ切れる、なんて最近の若者は言わないのよ。お気をつけなすって、このクソボケ老人様?」
「ええ、お久しぶりでございます、マナ様。そちらもお変わりないようで、このレスティオ、本当に安心いたしました。──ああいえ、マナ様は昔から随分とご成長なされましたね。まるで父君であるあの責任感を戦場に置いてきたかのような愚王にそっくりになられて……、いやはや、遺伝とはかくも恐ろしいものなのですねぇ。まさか貴女までもが父君と同じようにこの国を見捨てて、ご自身は気ままに自由をお楽しみになられているとは。──あまりにそっくり過ぎて、反吐が出そうですよ」
──私とレスティオの間に、ピリリとした緊張感が落ちる。
レスティオの売り言葉に、私の買い言葉。私がグランツベルクの女王であった時代、幾度も繰り返された、私たち2人の煽り合いだ。
──この世界でいう200年前の、私がこの世界を去るまでは、の話だけど。
あの頃の私たちの問答には、ここまでの触れたものに傷を作るほどに鋭い空気感はなかった。あくまで、気安い関係によって成り立つ冗談であり、お互いの信頼あってこそのものでしかなかったはずだ。
少なくとも、あの頃のレスティオは、こんなに苦々しい顔で、私に皮肉を投げかけたりはしなかった。そういうときは決まって、私をおちょくるのがなによりも楽しいとでも言いたげな顔で笑っていて、私自身、そんな彼の様子に救われていた側面はあったのだ。
──そして、その関係を崩したのは、他でもない、私だ。
「──その件については……、悪かったと、思ってる。……本当に、ごめんなさい。謝って許してもらえるものではないと思うけど……」
「ええ、本当にその通りですよ、マナ様。──貴女までもが居なくなった後、どれだけこの僕が苦労したか、お分かりですか?まさか、1度ならず2度も、あなた方親子に戦後処理を押し付けられる事になるとは思ってもみませんでしたよ」
「……」
私はギュッと目を瞑る。正直、200経ったこの世界でもレスティオが生きているであろうことは想像がついていた。……彼が、『あの日』から逃げ出した私を、恨んでいるであろうことも、だ。
私の父がいなくなったあのときから、レスティオがどれだけ苦労をしたか、私はそれが分からないほど愚かではない……、つもりだ。まだ幼かった私を国王として君臨できるよう育て上げ、その傍らで宰相として、戦争で深い傷を負った国を復興させるために奔走している姿はいつだって忙しそうに私の目には映っていた。いや、実際に目が回るほど忙しかったはずだ。それでも、私を煽ることだけはほとんど毎日欠かすことはなかったわけだけど。
だからこそ、彼が200年間も失踪しておいて、のこのこと帰ってきた私をどれだけ手酷く罵ろうと、私はそれを甘んじて受け入れよう、と思っていたのだ。私にはそうするだけの責任があった。それを果たさずにいなくなったのだから、レスティオからの糾弾はあって当然のものだろう、と。
──そう、思っていたのに。
頭上から、レスティオが大きく息を吸う音が聞こえる。たっぷり十数秒かけて吸い込まれた息は、その数倍の時間をかけて吐き出され、周囲には静寂が訪れる。
目を瞑ったままなせいでレスティオの表情は見えない。おそらく先ほどと同様に、怒りと呆れ、それから侮蔑を含んだ目でこちらを見ているのだろう。
彼がこの後何をするつもりなのかはさっぱりわからないが、こっぴどく怒られることは確かだろう。
──いや、それだけで済めば御の字の部類だ。私がしたことを思えば、本気で罵られても文句は言えない。……小さい頃に木から落ちてヘマをしたときのように、チョップが飛んで来てもおかしくない。
(出来れば、痛くないといいかな)
そう考え、ぐっと痛みに耐えるように身を固くした、その瞬間。
「本当に、無事で良かったです。──お帰りなさいませ、マナ様」
ポン、と頭に何かが置かれる感覚。恐る恐る目を開けてみると、レスティオの私より大きな手がそっと頭に乗っかっていた。
「怒ら、ないの?」
「怒っていますよ、勝手に居なくなったことは、ですが」
「じゃっ、じゃあ、どうして、」
「だって、貴女は無事に帰ってきたじゃないですか。それに、あの時はそうするのが1番良かったんでしょう?恐らく僕も同じ立場だったら同じことをしていたと思いますし」
そう言ってレスティオは肩を竦める。昔の彼と同じ、独特な癖のあるその仕草が、私には何故か物凄く懐かしく感じた。
そして、レスティオは私の頭から手を離した。さっきまであった温もりが離れていくのに少しだけ寂しさを感じる。
お互い何も言えず押し黙り、本日2度目の何とも言えない空気が辺りに漂う。
その居心地の悪さに私が口を開こうとすると、突然レスティオが頭を下げた。
「……すみません、先程は取り乱しました。少し機嫌が悪かったもので、せっかくの再会なのに、八つ当たりしてしまいました」
「ううん、私こそ、つい前みたいに言い返しちゃったし……」
「ええ、そうですね。あれは良くなかったと思います」
「爆速で煽りに来るわね!?さっきの謝罪は何だったの!?」
ふふ、とどちらからともなく笑みが漏れる。1度溢れ出したそれは止まらず、周囲に私とレスティオの笑い声が響いた。
ひとしきり笑い、苦しくなった息をお互い整える。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか、少なくとも戦争中は間違っても笑っていられる状況では無かったし、それからの数年間もとても笑う気にはなれなかった。
今、この国の中には敵国の兵はいない。国境にある外壁には大砲は置かれていないし、私もレスティオも武器を持っていない。
──平和になったのだ。戦争は終わり、この国には安寧がもたらされた。それは私たちが1番欲するものだった。
──目から溢れる涙は、きっと、笑いすぎたせいだ。そのはずだ。
「ところで、僕はまだ、マナ様から肝心のお言葉を聞けていないのですが」
「……えっ?──あっ」
そうだ、1番大事なこと。人間として、最もきちんとしておかないといけないこと。それは──
「ただいま戻りました、レスティオ」
「──ええ、改めて、お帰りなさいませ、マナ・グランツベルク様」