第四話
「それで戦おうというのかい?」
ロドルフが呆れたように首をすくめた。
それ。つまり両手を拘束された状態で、ということだ。
「無謀だと思うのなら外してもらえるかしら。わたくしだってどうせなら思う存分、戦いたいわ」
言いながら、リリアは一歩、また一歩とロドルフとの間合いを詰めていく。
ロドルフはまだ、剣の柄に手をのばさない。
――来ないのならこちらから行くわ。
と、そこで彼が、「来い!」と、突如、声を張り上げた。
それが合図だったのだろう。リリアの背後にある扉が開き、そこから数人の男たちが現れる。
「もちろん、こちらも攻めさせてもらうよ。君を捕らえて、一緒にテシレイアに向かわなければならないからね」
リリアを取り囲む男たちは六人。
その手には鞘におさめられたままの剣が握られている。
「あまり傷はつけないように。目的はあくまで捕獲だ」
――この状況で、いけるかしら。
リリアは周囲を見回しながら、ごくりと息をのんだ。
ロドルフを入れれば七対一。武器対素手。しかも両腕が自由にならないという最悪の状況だ。
けれど、やるしかない。
覚悟を決めたリリアは、先手必勝とばかりに全力疾走。最後の一歩を大きく踏み込み、一人の男の手元を狙って回し蹴りをくらわせる。
「くっ……!」
男の手元から剣が滑り落ちる。
それをすぐさま拾って両手で握り、激しく振り回した。
「手加減はできないわ。怪我したくない者は下がりなさい……!」
鞘におさまったままの剣先が、男の首元に命中する。
男はうめき声を上げながら、床に倒れ込んだ。
――まずはひとり!
「次は!? 誰が来るの!?」
しかし実際、両手を拘束されたまま戦うことは、不可能に近かった。
男たちが同時に攻撃をしてくれば、リリアは剣を放り出して避けることで精一杯。
コート風の隊服の裾を翻しながら、無我夢中で逃げ回る。
――まずいわ……このままではテシレイアに連れて行かれてしまう!
「どうした、リリア。悪役王女と名高い君も、さすがに降参かな?」
「ばかにしないで! あれがただの悪意ある噂であることを、あなたはもちろん知っているでしょう!?」
「ああ、もちろんわかっているよ。――あれが僕の母が流した悪意ある噂だ、ということはね」
「なっ……やはりそうだったのね……!」
こうなったらもう何も驚かない。
当時、流布された噂は、シリルが悪役王女であるリリアのことを捨て、心優しいヴィオラを選んだ、というもの。
そうすることで、ブルネラはシリルとヴィオラの縁談をまとめたかったのだろう。
「ブルネラ様のおかげで――いいえ、あなたたちのおかげで、散々な目に遭うわ!」
そうしている間にも、男たちは攻め続けてくる。
眼前に迫る剣。間一髪のところで避けたが、すぐさま別の方向から攻撃された。
いよいよ窮地だ。なんとしてでもこの部屋から逃げださなければ、状況は好転しない。
リリアは最後の手段とばかりに、バルコニーに繋がるガラス扉に駆け寄った。
――ここしかないわ!
両腕で頭や顔を隠し、ガラス扉に飛び込むように突っ込んだ。
思いの外あっけなく割れるそれ。
転がるようにして外に出たリリアは、すぐさまあたりの様子をうかがう。
そしてただちに絶望した。
「そんな……」
眼下に広がるのは、切り立った崖と、夜の闇に溶け込みそうな湖。
どうやらロドルフの私邸は、崖の上に建てられているようだった。
――これは……以前、エドと一緒に見た建物だわ。
およそ半月ほど前、カイエンを竜騎士隊所属の竜医に勧誘しようと、サワバを訪れた際。
街の外れに建つ大きな城のような建物を、『どこぞの貴族のものかしら』と、エドと話していた。
それがまさか、ロドルフの私邸だったなんて。
「残念だったね、リリア」
バルコニーに出てきたのはロドルフひとりだった。
ここから逃げられるわけがないとふんでいるのだろう。その顔には余裕の笑みが浮かべられている。
「そろそろあきらめる頃合いだろう? 僕が提示した二つの選択肢、今すぐにどちらかを選んでくれないかな」
眼前に迫る彼から逃げるように後ずされば、背中がバルコニーの柵に行き当たる。
「いや……近寄らないで」
「僕は君に優しくするよ。……君が僕とともにある未来を選んでくれるのなら、誰よりも君を愛しみ、君を可愛がってあげる」
ふいにのばされた手が、リリアの頬にふれる。
そのまま額、顎、唇となでるようにされて、背筋に冷たいものが走った。
どうしてだろう。ロドルフが発する異様な雰囲気にのまれ、体術を繰り出すことができない。
なぜか怖じ気づいたように四肢ががくがくと震え、抵抗することができないのだ。
「やめて……」
悔しさで目の前が真っ赤になった。
「シリルのことなんて、すぐに忘れさせてあげるさ」
気づけばロドルフの吐息を、驚くほど近くで感じている。
なぜ? どうしてこんなことになっているの?
ぎゅっと目を瞑って顔を背ければ、まぶたの裏にシリルの顔が浮かび上がった。
艶やかな黒髪と、透き通るような白い肌と、蒼玉のように煌めく蒼い瞳。
愛おしくてしかたない彼の名を、リリアは自然とつぶやく。
「シリル、様……」
呼んだところで、どうにもならないとわかっているけれど。
「シリル様……!」
それでも呼ばずにはいられなかったのだ。
その時だった。
リリアの鼓膜に、ふいにふれる音があった。
――これは……?
それは竜が空を駆ける音。
大きな翼で風をとらえ、はばたく音に違いなかった。




