第四話
「これはいったいどういうことだい?」
翌朝、サワバにある警備隊の詰め所にやってきたロドルフは、珍しく険しい顔をしていた。
「科人を王都に護送するのに人手が足りない、とエドから知らせがあったから、竜騎士隊に送ってもらう形で朝早くから来たというのに、まさか犯人共が逃げたあとだなんてね」
「申し訳ないわ。取り逃がしたのはわたくしの過失よ」
リリアは悔しさに両の拳を握った。
事の顛末はこういうことだ。
昨日、竜医であるカイエンを捕らえようとして、王女であるリリアのことも手に掛けようとした男たち。
王族絡みの事件は、王族の警備を仕事としている近衛隊の管轄でもある。
そのためエドが、昨夜のうちにロドルフに念のための一報を入れていたらしい。
しかし早朝、ロドルフが到着するなり警備隊の詰め所にある牢に行ってみれば、吃驚仰天。そこにいたはずの男たち五人が、こぞって姿を消してしまっていたというわけだ。
「ごめんなさい、ロドルフ。無駄足になってしまったわね」
「いや、明日からテシレイアに滞在する予定だったからね、僕も今日、サワバに来るつもりだったんだ。君にも会えたし、ちょうどよかったよ」
気にしないで、と、ロドルフは笑う。
「ちっ……なめやがって」
リリアとロドルフとともに牢にやってきていたシリルが、忌々しげに舌打ちをした。
無理もない。シリルにしてみれば、ようやくつかんだ手がかりにほかならない。
昨日の男たちは、長らくシリルのことを脅していた犯人の手の者だった可能性が高いのだから。
「さて、問題はどうやって逃げたか、ということだけれど」
ロドルフは溜息混じりに背後を振り返った。
そこにはサワバの警備隊の長である者が立っている。
「昨夜、二時間ごとの見回りの際にはもちろん牢の中におりました。ですが早朝五時過ぎの見回りの際には姿が見当たらず……本当に申し訳ございません!」
年齢は三十半ば程度だろうか。屈強そうな体つきの隊員が、ロドルフに向けて勢いよく頭を下げた。
「いいえ、わたくしに非があるわ。捕らえたことに安堵し、その後の監視を完全に警備隊に任せてしまったから……」
今考えてみれば、甘かった。
ここは不慣れな街。警備隊の内部状況にも、リリアは精通していないのだ。
ならば誰のことも信用せず、自分たちで警護するべきだっただろう。
「逃がした者がいる、か」
ぽつりと呟いたシリルに、「残念ながら、そのようだね」と、ロドルフがうなずいた。
――そうと考えたくはない。けれどそうでなければ辻褄が合わないわ。
リリアが昨夜、最後に確認した時、牢は強固に施錠されていた。
あれを犯人たちが自らの力で内側から外す? そのようなことは不可能だ。
「さて、選択肢はいくつかあるな」
牢の鉄格子に寄りかかったロドルフは、右手の指を三本立てた。
「ひとつ、その者たちの仲間がここに忍びこんだ……これは確率的には低いかな。ひとつ、警備隊員の誰かが犯人たちに買収された。そしてもうひとつ、その者たちの仲間が最初から警備隊の中にいた」
さあ、どれだろうね。
そう言って小首をかしげるロドルフに、警備隊の長が詰め寄る。
「お待ち下さい……! それでは我が警備隊に犯人がいるとおっしゃられているようなものではありませんか!」
「可能性の話だよ。すべては調査してみなければわからない」
「ですがあんまりなおっしゃりようです!」
「ならば警備隊の潔白を証明するためにも、我が近衛隊の一部をこちらに呼び寄せよう。竜騎士隊には通常の仕事があるだろうからね」
ロドルフは、話は終わりだ、と言わんばかりに、広げた手のひらを警備隊の長の顔の前に出した。
「ロドルフ隊長、今回のことに彼女が関わっている可能性は?」
シリルが突如、問うた。
彼女。それが誰のことを指しているのか、リリアにもすぐにわかった。
ロドルフの母であるブルネラのことだ。
つまりシリルはこう考えているのだろう。
ロドルフの即位を望むブルネラがカイエンの存在を利用し、リリアとシリルの結婚を成就させないために、シリルを脅した、と。
なぜなら王家とクラウ家が縁戚関係になり、アンセルム家とクラウ家という二大勢力を味方につければ、ジョルジュの即位は揺るぎのないものになるからだ。
「ゼロとはいい切れない。――が、今回のことに関して、彼女の仕業である可能性は低いな。この国に戻ってきたばかりのカイエンの居場所を特定し、捕らえるべく数人の手練れを派遣する? 彼女一個人の力では到底無理だ。……まあ、クラウ家の助力があるとすれば話は別だけど」
「いや、うちは一切関わっていない。あの親父のことだ、いくら妹の――ブルネラ様の頼みだとて、王家に仇なすことはしませんよ」
そう。ありがたいことにクラウ家は、ブルネラの実家でありながらも、中立な立場でいてくれるのだ。
「ということは、ほかの誰かの仕業なんだろうね」
「ちっ……やつらを取り逃がしたのが痛すぎるな」
唇を噛むシリルに、「けれど」と、ロドルフが歩み寄る。
「ようやく念願叶ったようだね」
「おかげさまで」
カイエンのことを指しているのだろう。
ロドルフは感慨深げに目を細めた。
「長年、君のためにとカイエンを捜し続けてきた僕にとっても朗報だな」
「その点に関しては感謝していますよ。あなたは八方塞がりの俺に手をさしのべてくれた」
「で、カイエンさえ守り抜けば、君は自由というわけだ」
「死守します」
「僕の手が必要であれば言ってくれ。君とはその上で勝負するとしよう」
「勝負?」
とはいったい何?
リリアが目を瞬けば、シリルとロドルフは二人揃ってこちらを見た。
「あなたは本当に鈍い人だな」
「まさか僕からの求婚を忘れているわけじゃないよね?」
「あ……」
そのことか、とようやく思い至ったリリアは、ロドルフの腕をひいて、シリルから離れる。
「あの、ロドルフ、話があるの。その……あなたからの求婚に対する返事なのだけれど」
気まずさを持てあまして顔をうつむければ、上から溜息が落ちてきた。
「なんだかあまりいい話じゃなさそうだな」
「そ、それは……」
「まあ、いい。時間を作ろう。ここじゃなんだから、僕たちが王都に戻ったあとでね」
頭の上に、ロドルフの大きな手がぽんと乗る。
察しのいい彼だ。きっとおおよそのことは予測がついたのだろう。
その上でリリアの気を楽にしてくれようと、いつも同様やさしい態度で接してくれている。
「……ありがとう」
様々な意味をその言葉にこめれば、ロドルフは少しだけ悲しげに微笑んだ。
その後、調査の主権は、ロドルフに呼び寄せられた近衛隊へと移った。
そのためリリアとシリルとエドは、カイエンを伴い、王都へ帰還。
通常業務へ戻ることとなったのだ。