揺らめく夢の悪魔
日常が壊れていく中、訳のわからない事だらけで俺の頭は混乱するのを通り越して、妙に今の状況を冷静に認識し、自分のおかれた現状をしっかりと確認できた。
そして今も、これまでと比べて比較にならない程の訳のわからない事に巻き込まれている。 はぁっと長く深く息を吐き出して、俺は机に肘をつけて頭を抱えこむ。
正直、俺にはついていけない世界だ。
「おはよう陽介。元気無いな」
いつもと変わらない様子の裕太に、俺は疲れた顔をあげて軽く手を振る。
「ああ、朝からもう訳のわからない事だらけで、どうして良いのかわからないんだ」
ため息混じりに言う俺の後ろからクスクスと笑う声がする。
俺は少し睨み付けるように後ろを見ると、ディアは笑みを浮かべて軽く肩をすくめてみせた。
教室には、登校してきた沢山の生徒がいるが、誰一人としてディアの存在に騒がない所を考えると、彼女は他の生徒逹には見えていないのだろう。
「どうしたんだ?後ろには誰もいないけど」
ディアを見ている俺の事を、不思議そうな顔をして、裕太が声をかける。
「うん。なぁ裕太。俺、本格的におかしくなったかもしんない」
再び裕太の方を向き、俺はため息をつく。
「何?また何かあったのかよ」
「例の噂の夢を見たんだよ。しかも、今朝は妹とケンカするし、交通事故を見たし、歌は聞こえるし」
ふぅっと息を吐き出し、俺は額に手を当てる。
「ここまでくると、運が悪いとか言うレベルじゃない。何かの呪いにかかってるんじゃないかとと思うよ」
俺の呟きに、裕太は困った表情を浮かべ、後ろではディアがまたクスクスと笑う。
「しかも、自分を悪魔とか言う女性に付きまとわれるし」
正確には、俺の後ろを何故かついてくるのを考えれば、取りつかれていると言う方が正しいかもしれないが。
「ちなみに、自称悪魔ってどんな女性なんだ?」
ディアについて問いかける裕太の表情は、妙に真剣で、俺は少しあきれた笑みを浮かべてみせた。
「あーと、そうだな。亜麻色の髪はストレートロングで膝くらいまであって、金と真紅の瞳を持つ、いつも微笑を浮かべている妖艶な雰囲気の美人の女性だな」
「胸は?」
俺の説明が足りなかったらしく、裕太が素早く聞いてくる。
本人が後ろにいるのに、何て事を聞いてくるんだと思うが、俺はわずかに視線を後ろに向けると、ディアは微笑を浮かべて俺が何て答えるかを待っている。
「そうだな。スタイルは良いと思うよ。 背も高いし、肌も白いし、胸はある方だと思う。しっかりと服を着ているから、良くはわからないけど」
とりあえず、聞かれた事に対する説明をすると、裕太は腕を組み、少し上を向いて想像をめぐらせている。
「ちょっと羨ましいな。そんな美人に付きまとわれるのは!」
「自称悪魔でもか?」
「スタイルの良い美人なんだろう?そんな美人に付きまとわれるなんて、俺なら嬉しく思うけどな」
何故か瞳を輝かせて、裕太が力強く拳を握りしめる。
「・・・ちょっとお前の頭の構造が羨ましいよ」
苦笑混じりに呟き、ため息をつくと、後ろでディアがクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「君の友人は面白い」
笑いながら言うディアの言葉に、俺は小さくうなずいた。
誰にも姿の見えていないディアは、授業が始まっても俺の教室から出てゆく事もなく、俺の机に軽く寄りかかるように立ち、腕を組んで教室の様子を観察していた。
最初はおとなしくしていたが、何か気になったのか。フラフラと教室の中を歩き出した。
「一応、授業中なんだが」
俺は小さな声で呟き、チラリとディアを睨むが、ディアは全く気にする様子もなく、ニコリと笑う。
一応、黒板や教師は見えるので、俺はディアを無視して授業に集中する事に決めた。
昼休みになり、俺と裕太は食堂で食事を終えて教室に戻る途中、ずっと後ろにいたディアが俺の前に立つ。
「たまにいるんだ。君の様に波長が合う人間が」
突然ディアが話し出す。
「本来なら、私の姿は人間には見えていない。だけど、君は私の姿が見えているし、こうして会話も出来るし、触れる事も出来る」
俺に対して話しかけているが、俺の方を見ていない。
見ているのは、俺の後ろの方。
「だから、忠告も出来る」
奇妙な言い方に、俺は思わず歩いていた足を止める。
「これ以上、目の前で人死にを見たく無いのなら、止めなさい」
「えっ」
思わず声を出して、ディアを見上げた瞬間。歌が聞こえてきたと同時に、俺はディアの見ている方を向く。
「何だ?」
裕太もまた、俺につられて後ろを向く。
耳にイヤホンをつけて音楽を聴いているらしい男子生徒がブツブツと何かを呟きながら、教室から廊下に出てきて窓を開けた。
開けた窓枠に足をかけている、男子生徒が身体が浮かして前のめりになり、窓から手を離す。
身体が窓から完全に落ちる直前に、俺は男子生徒の腰に手を回してつかんでいた。
両腕でしっかりと落とさない様につかむが、男子生徒の身体は完全に窓の外に出ていて、ズッシリと全体重が腕にかかる。
「何をしてるんだ!死ぬ気かよ!」
誰だか知らない奴に、怒りのこもった声をあげると、男子生徒はどこか冷たく睨み付けてくる。
「邪魔するなよ。僕は逝かなきゃいけないんだ」
怒った様に言うと、男子生徒は急に暴れだし、俺の腕を振りほどこうとする。
「誰か手伝え!」
俺の上げた声に、裕太がすぐに手を出して、暴れる男子生徒の腕をつかみ、窓の外から廊下の方へと引っ張るが予想以上に暴れて、うまくいかない。
「何やってるんだ!」
「大人しくしろって!」
男子生徒の友人らしい二人の生徒も手伝ってくれて、何とか廊下側に引き戻すと、耳からイヤホンが取れて、聴いていた音楽が流れてくる。
「げっマジかよ」
思わず裕太が声を出す。正直、俺も同じ気持ちだったので、心底嫌な顔をして男子生徒を見る。
聞こえてくるのは、まみるの歌声。
「ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!」
男子生徒は突然頭をかきむしり、立ち上がると、再び窓の方へと向かうのを、周囲の生徒逹で止める。
「邪魔するな!僕は彼女に会いに逝くんだ!」
暴れる男子生徒の友人達が身体を押さえて止めるが、大人しくなる所かさらに暴れて、イヤホンの先についているスマホがポケットから落ちる。
バキン
落ちたスマホが、踏みつけられて音をたてる。流れていた音楽は聞こえなくなり、暴れていた男子生徒はビクンっと身体が震えて、まるで糸の切れた操り人形の様にその場に倒れる。
急に静寂が訪れて、誰もが動きを止めて、倒れた男子生徒を見る。
「え、おい。どうしたんだよ?」
「何だよ。冗談はよせって!」
友人達が声をかけるが、反応はない。
ざわざわと周囲が騒ぎだす頃、教師がやって来て倒れている男子生徒に近づき様子を確かめた後、生徒逹に教室に入る様に告げる。
俺はその場から動けず、スマホを踏みつけているディアを見つめていた。
ディアは微笑を浮かべているが、瞳は静かに冷たい怒りを秘めていた。
「予想外に影響が強くなっている。彼の身体は生きたまま、魂だけを連れていかれた」
小さく舌打ちをして、踏みつけたスマホを忌々しく睨み付ける。
「魂が戻らなければ、そいつは数日で死ぬ」
腕を組み、いつもと変わらない口調で俺に告げた。
男子生徒は、意識を取り戻す事がなく、救急車で運ばれていった。
ここ最近の自分の感情を表しているかのように、空は厚い雲に覆われている。 窓から飛び降りようとしていた男子生徒は、彼女のファンであったという話を、彼の友人から後から聞いた。
昼食を食べ終えた後、彼はいつもの様に友人達と会話をしていたが、急に立ち上がり廊下に出て、あの騒ぎになったという。
何故そうなったのか。男子生徒の友人達は、訳がわからないと、首を傾げて悩んでいた。
幼なじみが死んだ時の自分と、彼らが重なった。
俺も、理由がわからずに、考えていた。
そして、彼女と出会った。
夢を司る悪魔は言った。
死んだ歌姫が元凶だと。
だが、そんな事を言った所で誰も信じはしないだろう。実際に彼女の歌声を聴いて目の前で人が死に、ディアと出会わなければ信じられるはずもない。
裕太には話したが、半信半疑といった感じではあった。だが、昨日の様に疲れているからとかは言わなかった。
ディアは気が付いた時にはいなくなっていた。聞きたい事があったのだが仕方がない。
勝手についてきたかと思うと、勝手に何処かへと行ってしまう。まるで猫の様に気まぐれだとも思った。
今日も今日とて重い気持ちで帰宅する。
「ただいま」 声をかけると、母が「お帰り」と声が返ってくる。
美奈は自分の部屋にいるらしく、声は聞こえてこない。
「夕飯もうすぐ出来るから、部屋にいる美奈に声をかけてちょうだい」
母の言葉に俺は少し苦笑を浮かべて、軽く頬をかく。
「あー、俺、今朝美奈とケンカしたんだけど」
「みたいね。だからこそ、早いうちに謝りなさい」
さらりと母に言われて、俺は小さくうなずいた。
一度、自分の部屋に荷物を置いてから、妹の部屋の前へと立つ。
すぅっと息を吸い込み、部屋の扉をノックする。
「美奈。もうすぐご飯だって」
差し障りがないと思われる言葉を選び、俺は声をかけるが返事はない。
「えーと、今朝は俺が悪かったです」
少し小声になりながら扉越しに謝るが、やはり返事がない。
どうしたものかと妹の部屋の前で立ち尽くす訳にもいかず、俺は扉のドアノブにてをかけて、軽く回してみる。
鍵はかかっておらず、俺はそっと扉を開けて中の様子を確かめ見る。
ベッドの上に扉に背を向けて座り、ヘッドフォンをつけて音楽を聴いているらしく、俺の方には気が付いていない。これでは俺の声など聞こえていないだろう。
「美奈!ご飯できるって!」
急に部屋に入ってきたと怒るかもしれないが、気が付いていない妹も悪い。そう自分に納得をさせて、少し大きな声をかけるが、やはり何の反応も無い。
俺は妹の側に寄り、様子をうかがうと、妹は瞳を閉じて、静かな呼吸をしていた。
「美奈。寝てないで起きろ。ご飯だぞ」
軽く妹の身体を揺らすと、妹の身体はぐらりと揺れてベッドの上に倒れこむ。
「・・・美奈?」
まったく起きない妹の様子に、俺は妹のつけているヘッドフォンを取ると、聞こえてきた歌声に自分の身体が強張る。
「美奈!起きろ美奈!!」
何度も身体を強く揺らし、頬を軽く叩いてみても、何の反応も示さない。
「母さん!美奈の様子がおかしい!」
俺は妹の部屋から大声を出して母を呼ぶと、母は少し面倒そうに部屋に入ってくる。
「何を騒いでいるよ。陽介」
「美奈が全然起きないんだ」
慌てる俺とは対照的に、母は落ち着いた様子で妹を見る。
「ただ寝ているだけじゃないの。全く何を慌てているんだか。
ほら美奈。ご飯よ。起きなさい」
母が声をかけて妹の身体を揺らす。
何の反応も示さない妹に、母は少し眉をしかめる。
「美奈。いい加減に起きなさい」
更に声を大きくして、身体を強く揺らすが、やはり起きない妹に母は、妹の様子がおかしい事に焦りだす。
「美奈!美奈起きて!美奈!」
母が何度も声を出し妹の名前を呼ぶ。
息はしている。身体も暖かく、確かに生きている。
だけど、妹は全く反応せず、目を覚ます気配も無い。
ただ眠っているだけ。
なのに、俺はそうではない事を知っている。
ヘッドフォンから流れ続ける歌声に、妹も誘われたのだ。
目を覚まさない妹。
このまま目を覚まさなければ、数日で死ぬ。
ディアの告げた言葉が頭に浮かび、何度も繰り返していた。
俺は、自分の部屋のベッドの上に寝転がり、息を吐き出した。
どうやっても目を覚まさない妹を心配して、母が救急車を呼んで病院へと連れて行った。
色々と調べてもらったが、やはり妹はただ眠っているだけだと言われて異常はなかった。
しかし、朝がきても妹は目を覚まさず、母は今も病院に行ったまま戻って来ておらず、俺だけが家にいた。
仕事で出張中の父には、母が心配をさせたくないという理由から、まだ連絡をしてはいない。
俺は目を閉ざし、もう一度息を吐き出した。
このまま目を覚まさなければ、数日で死ぬ。
そう告げたディアの言葉が頭によぎる。
「くそっ一体どうなっているのか、誰か説明してくれよ!」
「してやろうか説明?」
すぐ近くで聞こえた声に、俺は目を開く。
俺の寝転がる横で、ディアがいつの間にかベッドの端に腰をかけて、いつもの微笑を浮かべて俺を見ていた。
「お前っ」
「説明してやっても良いが、代わりに私の手伝いをしてもらう。どうする?」
クスクスと笑うディアを睨み付けながら、俺は起き上がる。
「手伝いって何をさせる気だ?」
「文字通り命懸けの手伝いだ。ヤると言うなら全部知りたいこと教えてやる。どうする?」
いつもと変わらない口調で笑うディア。
俺はしばらく黙りこみ、そして「わかった」とうなずき、答えた。
「 最初に気が付いたのは、誰だったかは知らない。ごく稀に他者に影響を与える存在は、いつの時にもいる。良くも悪くも。彼女もそうした存在の一人でしかなかったんだ。最初はね。
歌声で人間を惹き付ける。
ただそれだけの人間だったはずなのに、今は他者に死を運ぶ歌姫になってしまっている。
彼女がそういう存在になったのは、彼女を危険視して追い詰めた、馬鹿者共のせいだ。
もちろん、そいつらも人間では無いがね。
必要以上に危険視して彼女に近づきちょっかいを出して、結果的に彼女に普通の人間が持たない力を気づかせてしまった。他者の魂を集めて自分の世界に閉じ込める事に。
馬鹿者共は彼女を追い詰めた結果、彼女は肉体を捨てた。そして馬鹿者共が手を出す事の出来ない場所に自分の巣を造りだし、彼女は自分を思い慕う者達の魂を、自分の空間に閉じ込めた。
そうして本来なら死ぬはずの無い人間が沢山死んでいるのさ。
その元凶の馬鹿者共の同僚に私の昔ながらの友人がいてね。色々相談されていたし、下手に手を出さない方が良いとも言っておいたんだが、結局馬鹿者共は、私の忠告を聞かずに行動して、最悪の結果になったんだ。
しかも、馬鹿者共じゃ手の出せない現世と常世の間に存在する夢を司る場所に逃げられてしまった。だから夢の悪魔の私に友人が協力を頼みに来たんだよね。あいつの責任ではないのに」
淡々とした口調で説明するディアだが、俺は少し困った表情をする。
正直、現実離れすぎて良くわからない。
ので、とりあえず、自分がわかるように口に出して整理しよう。
「まず、彼女は人間だった。けど今は死んだ事により、別の存在になって、人の魂を集めている。理由わからないと以前言っていたよな。
彼女は、普通の人間であったけど、追い詰めた馬鹿者共のせいで彼女は自分自身の力に気が付いた。
追い詰めた馬鹿者共も人間じゃないと言っていたけど、何者なんだ?」
「死神」
俺の疑問にディアがさらりと答えた。
・・・死神。悪魔がいるのなら、死神がいてもおかしくないのだろう。
そう自分に無理矢理言い聞かせて納得させる。
「死神は死んだ人間の魂を導く存在。それが人間を自殺に追い込み、魂を掠め取られる存在を、自分達の手で生み出すなんて笑い話にもなりやしない」
なかなか厳しい口調で言うディアは、少し怒っているようだ。
まぁ、忠告を聞かずに行動して、最悪の結果を出して、そいつらの尻拭いをする羽目になれば怒りもするか。
「一つ質問なんだが、妹はどういう状態何だ?」
「彼女に魂を呼ばれた状態だね。放っておけば、数日で死ぬ」
「その言い方だと助ける方法があるんだな。どうすれば助ける事が出来るんだ」
ディアの言葉に俺が言うと、ディアは俺の頬に手を当てる。
「もちろんある。それこそ君に手伝ってほしい事さ」
俺の顔を真っ直ぐ見つめて、ディアは微笑を浮かべてみせる。
「幻夢の歌姫を殺すためのね」
事もなげに告げたディアの言葉に、彼女の金と真紅の瞳が妖艶に揺らめいた。