夢の始まり
初めての小説です。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。
暗い空からしとしとと雨が降る。
開いた傘に小さな雫があたり、小さな音を奏でているのを耳にして、俺は小さく息を吐き出した。
気持ちは落ち込み、心が重いのは、降る雨のせいだけではなかった。
再び息を吐き出して、俺はわずかに瞳を細める。
頭に浮かび上がるのは先程までいた場所の風景。まるで現実感を受けない光景を目の前にしても、実感が一切わかなかった。
幼なじみの葬式なんて、本当に今でも全てが夢なのではないかと考えてしまう。
幼なじみと最後に会ったのは、彼が亡くなったその日。
いつもと変わらず「また明日!」と別れを告げる言葉を口にして手を降る姿が、俺の見た彼の生きている最後の姿となっていた。
いつもと変わらず続く毎日は、その日を最後に終わりを告げたのだ。
何度めかの息を吐き出し俺は雨の降る空を見上げた。家へと帰る道。歩きなれた帰路の途中にある川にかかる橋のたもとには誰かが供えた花束が置かれているのが視界に入り、自然と足を止めて花束を見つめる。
水深はわずか10センチ程度しかない小さな川の中で、幼なじみはうつ伏せになり倒れていた。外傷はなく、事故とも自殺とも解らない状態で溺死していた。
何か悩み事があっての自殺なのか。それともただの事故なのか。
俺には全く解らないし、悩んでいたのなら気付かなかった自分に対して腹が立つ。
幼なじみが亡くなった橋を渡ろうとした時、人がいる事に気が付いた。
雨の降る中、傘もささずに橋の欄干に手をかけて立つのは、膝まであるのではないかと思うほどの長い髪。白いシャツに黒のベストにロングスカート。腰のベルトに付いた丸い金具飾りには白く長い布がスカートの上に飾りとして巻いている女性が視界にはいった。
こんな所で傘もささずに何をしているのかと考えて見ていると、女性は欄干に足をかけて身を乗り出した。
俺は驚くよりも先に体が動いた。
手に持っていた傘を放り出し、俺は女性の腰に手を回して女性の身体を自分のいる側へと引っぱり倒れる。
「あんた!何をしているんだ!」
思わず大声をあげる自分に対して、女性はひどく不思議そうに首をかしげて俺の顔を見上げた。
金色と真紅の瞳は何処か不思議に揺めき、見る者を冷たく見据えて魂さえも捕らえる妖しい輝きを放っている。
「何が?」
微笑を浮かべる女性の肌は白く、雨に濡れて透けるシャツは妖艶さをかもし出し、嫌味のない赤色の唇から流れる声は耳に届くと、奇妙な高揚感に身体が熱くなる。
「いや、あの、橋から身をのりだして、落ちたら危ないと思いまして」
何故か女性に対して照れるというか、恥ずかしいという感情が生まれてしまい、言葉が上手く出てこなかった。
変わらぬ微笑を浮かべている女性は、クスクスと静かに笑い切れ長の瞳を細める。
「別に落ちた所で問題はないでしょう。雨が降っているとはいえ、こんな浅い川」
「死ぬんだ!それでも人は簡単に!」
大声で言う俺の言葉に、女性は微笑を浮かべたまま「ふぅん」と呟き橋のたもとの花束へと視線を向ける。
「なるほど。坊やの知り合いがここで死んだのか」
感情のこもらぬ声で告げて、女性の俺を見る瞳には何処か興味津々といった様子が伺える。
「だから私を助けようとしてくれたのね。勘違いだとしも、そこは感謝をするべきかしらね」
面白そうに笑う女性の言葉に俺は瞳を丸くして、首をかしげてみせると、女性はクスクスと笑いながら、長い髪をかきあげて自分の耳を見せた。
真紅の雫の形をした耳飾りが、右の耳には揺れていたが、左耳には何もついていなかった。
・・・片方しかない耳飾り。
俺は立ち上がり、少し身をのりだして川の中を見る。
ゆらゆらと流れる川の水はいつもよりも多いが、暗い水底には何か赤い光がチラチラと光っているものが見えた。
クスクスと笑う女性の声を背中に聞きながら、俺は顔を真っ赤にさせて、女性の方を向く。
「早とちりしてスミマセンでした」
「いいえ、私を助けようとした行動に対して、怒ったりはしないわ。ありがとう」
大人な女性の対応に俺ただ顔を赤くして頭を下げた。
俺は放り出した傘を取りにゆく。
弱いながらも雨は降り続き、女性はまだ橋の上から川の底のイヤリングを見つめていた。
「大事な物なんですか?」
俺の問いかけに女性は変わらぬ微笑を浮かべ「別に」と答えた。
「ただのオモチャよ。特に大事とか大切とかいう代物ではないわ。だから坊やが気にする必要は一切ない」
「だけど、ずっと見ているから大切なんじゃ」
「見ているのはイヤリングじゃない。いえ、坊やは気にする必要はない。私との出会いもただの夢」
奇妙な言い方をする女性に不思議な感覚を覚えながらも、俺は手に持つ傘を女性へと差し出した。
「どうぞ。弱くなったとはいえ、まだ雨が降っています。俺の家はすぐ近くなので、使って下さい」
女性の手に傘を持たせて、俺は頭を下げて雨の中へと走りだした。
先程までの重く暗い気持ちは、不思議なほどに消えていた。
何処かから聞いた事のある歌が聞こえる。
誰であったかいまいち思い出せないが、幼なじみが好きだったのは良く覚えている。
沢山の人の気配と、興奮した声に俺は閉じていた瞳を開いた。
開いた瞳に映る興奮して声をあげる人影達は、全員同じ方向を見て、大きく手を降り叫んでいる。
薄いながらも広い空間は、大きな音が鳴り響き、耳がおかしくなりそうなほどの大音響の中、中央にある舞台の上にはスポットライトを受けて歌を唄う人物の姿が見えた。
「コンサート会場!?」
思わず声を出して、俺は辺りを見回して見る。何で自分がコンサート会場なんかにいるのか。奇妙に思いながら興奮する人の中に見知った人物を見つけて、驚きに顔を強張らせた。
死んだ幼なじみが、いる。
俺は彼へと近づこうとした時、誰かが後ろから俺の顔へと手を回す。
「どうやら、私に関わったせいで彼女の夢の世界に繋がってしまったようね」
耳元でかけられた声に、背筋どころか魂までもゾワリっと冷たく反応する。
「戻りなさい。ここは坊やの来る場所ではない」
そう言うか速いか。俺は強い力で後ろへと引き倒される。
足元に感じていた地面は無く、真っ暗な闇の中へと自分の身体が落ち沈んでゆくのを、薄くなる意識の中で理解していた。
ドンっと身体が大きく揺れる。ドクドクと心臓は速く動き流れる血の音が耳に聞こえる。はっはっと呼吸は荒く、全身から汗を流しながら俺は目を見開いて、見慣れた自分の部屋の天井を見つめていた。
「今のは、夢。だよな」
自分自身に確認するかのように呟き、身体を起こす。
まだ整わない呼吸に対して、大きくゆっくりと息を吐き出した。
随分と奇妙な夢を見たモノだ。
死んだ幼なじみが、コンサート会場にいて、熱狂しながら他のファン達と歌を聞いて、声をあげている。
生前あいつが好きだった歌手の歌なのは覚えている。ただ、少し、笑えない。
寝間着から学校の制服に着替えて部屋を出ると、隣の妹の部屋から音楽が流れてくる。
目覚ましの代わりに流している音楽は、夢の中で流れていたモノと同じだった。
「おい、美奈。起きて音楽を止めろ」
妹の部屋の扉を叩きながら言うと、音楽の音はすぐに小さくなり、妹が顔を出す。
「何よお兄ちゃん。人が好きな歌にひたっている時に、邪魔してさ」
長い髪を左右に結んだ妹の美奈は、すでに着替えをすませていたらしく、不機嫌そうに顔をふくらませて俺を睨み付けた。
「だったら早く部屋から出て朝食を食べろよな。お前の部屋からもれた音のせいで変な夢を見ただろうが」
ふぅと息を吐き出しながらも、俺は少し眉をしかめる。
「そういえば、この歌を唄っているのって、確か」
「まみるちゃん!まだデビューしてから一年たたないのに、ものすごい人気だったんだよ!」
瞳を輝かせて力説する妹とは対照的に、俺は瞳を細めて少し言葉を止める。
「でも、自殺、したんだよな」
確か3ヶ月前だったと思う。人気絶頂の中、何故自殺をしたのか。本当に自殺だったのか。テレビのワイドショーをしばらく騒がせていたが、今では彼女の名前は出てこない。
「違うよ!まみるちゃんはそんな事してないもん!」
妹は頬をさらにふくらませて、そっぽを向く。
「まみるちゃん、かわいそうなんだよ!変なうわさも流れてるしさ!」
「噂?どんな噂なんだ?」
俺の問いかけに妹は何も答えずに、俺の横を通り抜けて居間へと歩いてゆく姿を見送った。
いつもと変わらない日常が、過ぎてゆく。
ただ幼なじみがいないだけ。
彼の机には花が飾られている。
俺達は日常と呼ばれる世界を造るほんの、小さな欠片の一つでしかないのかもしれない。
そんな事を考えながら、俺はスマホで調べものをしていた。
「いよーう。陽介君、なにしてるのかなぁ」
「やぁ裕太。ちょっと調べものだよ」
クラスメイトの裕太が明るく答えをかけてくる。
亡くなった幼なじみと裕太と俺の三人とはうまがあい、よく遊びにいったり勉強したりしていた。
今はもう、二人になってしまったが。
「調べものって、何を?」
「まみるの噂。と、これかな?」
おそらく目的の噂と思われる画面を見つけて、内容を読む。
〜まみるの噂〜
まみるの亡くなった事件は、自殺ではない。
彼女を恐れた何者かによって襲われたのだ。
実際に彼女が何者かに追われている姿を見た目撃者がいる。
だが、彼女は殺されたのでもなく、自殺したのでもない。
追ってから逃れるために、彼女は高いビルから飛び降りたのだ。
彼女は追っ手から逃れた。
わずらわし肉体を捨て、彼女は誰の手にも届かない場所へと逃げる事に成功したのだ。
そう。まみるは死んだのではない。
彼女は今も生きているのだ。
けして終わることのないコンサート会場で彼女は今も歌を唄い続けているのだ。
そのコンサート会場に行く事が出来るのは、彼女に認められ招かれた者だけである。
永遠に終る事のないまみるのコンサート。
まみるを心から愛し、心から信じる者だけが彼女のコンサートへと行けるのだ。
彼女のコンサートへと行けるのは、ほんのささいな時間だけ。
夢を見るわずかな時間だけが、彼女のコンサートへと行けるのだ。
しかし、気を付けて欲しい。
まみるのコンサートへと招かれた者には、死が付きまとう。
偶然か必然か。
事故か自殺か。
彼女のコンサートへと招かれた者達は、そう遠くない日々の中で、突然の死を迎えるのだ。
不思議な事に、亡くなった人々はまみるの歌が聞こえると言って死んでいったという。
嘘か本当かは解らない。
だが実際に死者が出ているのも真実である。
まみるの歌には気を付けて欲しい。
彼女の歌が何処から聞こえてきたら、それは貴方か近くの誰かが死ぬ合図かもしれないのだ。
ただの戯れ言だと思わないでほしい。
これを書いている自分自身と友人にあった本当の出来事なのだ。
自分の友人が亡くなる直前に言った事を書いているのだから。
願わくは、これ以上、まみるの犠牲者が出ない事を願います。
〜終わり〜
噂の内容を読み終えて、俺はわずかに青ざめて言葉が出てこなかった。
夢。コンサート会場。亡くなった幼なじみの姿。
今朝の見ていた夢の内容。そのままじゃないか。
「うっわぁ。かなり内容が恐い噂だなぁ」
一緒に見ていた裕太が本気で嫌そうな顔をしながら自分自身を抱きしめて、身震いをする。
「ああ。恐いな。本当に。ただの噂、だよな?」
誰にともなく呟きながらも、続けて調べてみる。
まみるの犠牲者。
そう検索をかけると、驚くほど多くの内容が出てきて、その内容は、噂に書かれいたものと変わらなかった。
学校からの帰り道。
いつも通学に使う駅のホームで、俺は裕太と話しながら電車が来るのを待っていた。
少し前までは三人だったが、今は二人。
俺はふと空を見上げて苦笑する。
日常は、変わらずこうして進んでゆくのだろう。
少し雲が厚く、雨が降りそうだな。
そんな事を考えている俺の耳に、音楽が聞こえてくる。
それは今朝、妹の部屋から聞こえてきた歌であり、夢の中で聞いた歌。
背筋が冷たくなり、俺の顔から一瞬にして血の気が引いた。
ドクドクと心臓の鼓動が速くなり、息苦しい。
「どうしたんだ、陽介。急に顔色が悪くなったけど」
「歌、聞こえないか?」
心配そうに声をかけてくる裕太に、俺が問いかけると、裕太は心底嫌そうなに顔をしかめる。
「歌って、学校で調べていたヤツか?
やめろよ!冗談だとしても、そういう笑えないぞ」
裕太の言葉に、聞こえいるのが自分だけだとわかり、さらに身体が震えだす。
俺の尋常ではない様子に、裕太は顔をしかめて俺の肩に手を置いて顔をのぞきこむ。
「マジで聞こえているのか?」
声は小さく、半信半疑といった様子だが、心配そうな表情を浮かべて問いかける裕太に、俺は無言でうなずくと、裕太の顔色がさっと青ざめる。
「うおおぅい。マジで恐いんだけど!」
「俺の方が恐いよ!何でいきなりそんなモノが聞こえてくるのか、わからないんだからな!」
真っ青な顔のまま言う俺の視界に、反対側の駅のホームに立つ人物がぼんやりと空を見上げたているのが見えた。
何があるわけではないのだが、奇妙な感じがして目が離せないでいると、裕太も俺の見ている人物に気が付いた。
何処か、心ここにあらずといった様子の、同じ学校の制服を着る男子生徒は、ホームに電車が入って来る事を知らせるアナウンスが聞こえてくると、何故かふらりとホームの方へと足を前にだし、歩く。
「うわっ!危ない!」
「もうすぐ電車が入って来るぞ!下がれ!」
反対側のホームから叫び声をあげる俺達の声が聞こえていないのか。男子生徒はホームへと更に近いてゆく。
普通ではない様子の男子生徒に気が付いた周囲の人達者達もざわめきだす中、俺の耳に届く歌が大きくなってゆく。
駅を通過するはずの電車がホームへと入って来た時、けたたましい音をあげて危険が近づくのを知らせる汽笛を鳴らす電車へと、男子生徒は吸い込まれるようにホームへ飛び込んだ。
速い速度で入って来る鉄の塊である電車に飛び込んだ男子生徒の身体は、俺達の目の前で、嫌な音たてると、ソレが何であったかわからない肉の欠片が飛び散り辺りに散乱した。
ギギギィっという音をたてながら、通過するはずだった電車が止まり、周囲には奇妙ほどの静けさが支配する。
一瞬、何が起きたらのかわからない俺達の目の前には、真紅の血花とピンク色をした肉の欠片。そして、目の前に落ちて散乱している物体が、かつては人間であった事を証明するかのように、わずかに腕が原型をとどめて線路に転がっている。
これは現実ではなく、本当はベッドで眠り悪夢を見ているのではないか。
なんて事を考える俺の耳に誰かの悲鳴が届き、俺と裕太はホームに背を向けて、少しでも事故現場から離れるように歩きだした。
「嘘だろう。目の前で見ちまったじゃないか」
「ああ。冗談じゃない。当分、肉が喰えなくなりそうだ」
「後、夢にも出てきそうだよな」
「悪夢だ。間違いなく見る」
裕太とそんなに話しをしながら歩く自分の耳に、いつの間にか歌は聞こえなくなっていた。
・・・まさか。
ゾワリっと背筋が冷たくなるのを感じて、俺は生つばを飲み込んだ。
ただの噂、なんかじゃなくて、本当の事なのか。
俺の耳に聞こえていた歌は、目の前のアイツが聞いていた歌で、理由はわからないが俺にも聞こえていた。
まみるのコンサート。
まみるを心から愛し信じる者が行ける、夢の世界。
正直、俺はまみるの事なんか、良くわからない。
だけど、俺は夢に見た。
まみるのコンサートを。
そして、死んだ幼なじみを。
ゾゾゾっと魂さえも凍る感覚に支配されながら、理由を必死に考え続けた時、誰かが俺をまみるのコンサートから逃がしてくれたような事を思いだして、強く胸元を握りしめた。