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第一部 三 二人のドライブ

 由が「この前の天体観測のサークルの遠足、ついていく?」と聞いてきたとき、私は「行く」と即答していた。

 馬場くんに、小川くんのことを「女に興味ない」と聞いて、多分少し傷ついていた。とても勝手に「運命の人」でいてほしいと期待していた。私を出口のない初恋のループから連れ出してほしかった。でも小川くんは私に興味もないし、縁も何もない人だった。

 トヤマサトシと名乗った、優しくて頭も悪くなさそうな人にもう一度会ってみたかった。大学生なら恋に積極的かもしれない。私がどうしようもなく恋に落ちてしまうような、グイグイ引っ張ってくれる人だったらいい。

 バカだと言われてもいい。恋愛がしたい。幼馴染の彼を忘れたい。それにもう私も十六歳だ。彼氏がほしい。だから私は「行く」と答えた。

「よかった、ソノミー、原田先生に二人で行くって言っておくよー」

 由、ホントに積極的で活動的な子。私は由といることで、世界が広くなっていっているかなあ? 自分だけでこの世界に暮らしていたら、私は、なめくじみたいにうじうじぐずぐずしているだろう。

 大学のサークルの「遠足」は、車に分乗しての山中湖ドライブだそうだ。このサークルの人は二人に一人くらいの割合で車を持っているという話で、「やっぱり大学生は違う」と思った。でも原田先生が言うには、このサークルは車を持っている率が高いのだとか。電車の走っていない深夜に、星空を見たくて出かけたりする人が多いから。

 前回星を見た郊外のセカンドキャンパスでなく、今回は都心のキャンパスの駐車場に集合した。外山さんは車でやってきた。車を止めて、運転席から降りてくる大学生の外山さんを、すごく大人だと感じた。だいたいの人数が揃ったらくじ引きで車のメンバー割りを決める。私は、天体観測のときに「派手だなあ」と思った女性の車に決まった。外山さんの車じゃなくて残念だった。

 小ぶりで綺麗なピンク色をした可愛い車の助手席にはもう一人の女性、後部座席に私。助手席の人は「サナエ」と呼ばれ、運転席の派手な人は「ルナ」と呼ばれていた。ルナって、あだ名? 本名?

 最初、車の中ではサナエさんとルナさんがずっとしゃべっていて、私はぼうっと景色を見ているだけだった。でもサナエさんが気を遣って声をかけてくれた。

「なんで大学のサークルなんか来ることにしたの?」

 私がどう答えようか迷っていたら、ルナさんがふっと鼻で笑って代わりに言った。

「――男目当て」

 いえ違います、と今は言えなかった。前回の天体観測の時に聞いてほしかった。そうしたら「絶対違います」って答えられたのに。

「いえ、あの……」

 違うと言いたかったが違わない。外山さんに会いに来た。由のせいにして逃げたいけれど、それは友達がいがない。

「ルナ、この子困ってるよ。意地悪言わないの」

「えー、だって、この子はどう見ても天体観測に興味ないもん。もう一人の子は望遠鏡のこと聞いて回ってたのに」

 そうか、と私は思った。由はそういうところも如才ないんだ。このサークルに来たら、何をすれば嫌われないかをわかっている。天体か天体観測に興味がありそうな態度をしてみせることも大事だった。由の場合は「女友達を作る」という目的もあったけれど。

「あの、……もう一人来てる、由って子の付き添いのつもりだったんで、星も観測も興味がなくてすみません……」

 そう、「つもりだった」。ウソじゃないけどもう過去形。恋愛の可能性がある場所に、わずかでもいいからいたい。そして前に進みたい。恋がしたい。なぜか無性に。

「もう一人の子は熱心だね、星が好きっていうより大学のサークルっていう存在に興味があるみたいだけど、ちょっと変わってるよね」

 しばらく由のことを三人でしゃべっていた。由は先生の車の後部座席に乗っている。原田先生は由のお父さんの親友だったんですと、そのくらいは話しても構わないだろう。もちろん由のお父さんが亡くなっていることは言わないけど。

 車は高速道路をすごいスピードでどんどん進んで、怖いくらいだった。私は十六歳、ルナさんとサナエさんは二十歳。四歳しか違わないお姉さんが百キロにほど近いスピードで車を走らせる。サークルの男性の一人が、車の自慢とばかりに、ただでさえ速い周囲の車をすごい勢いで追い抜いていく。一体何キロ出ているんだろう。

「あいつ、スピード狂だから」

 そう言ってお姉さん二人は苦笑したが、全然笑うところじゃない。ああいう、調子に乗った若い人の車が大きな事故を起こすのだろう。

 大学生って、違うな……と思った。大学の施設に皆で泊まったり、こうして集団で車を出したり、そもそも車を自分で持っていたり。

「ねえ、……名前、何だっけ」

 急にルナさんに聞かれて、私は慌てて名乗った。

「園田実花です」

「そう。……園田さん」

 高速道路の出口に向けて、ルナさんがウインカーを出した。

「高校生は、高校生のところにいたほうがいいよ。大学のサークルに入るのは、大学生になってからでいいんじゃない。やっぱり、高校生はまだまだ子供だから」

 そのルナさんの言葉は、決してイジメや嫌みには聞こえなかった。でも、その正しい意味もわからなかった。確かに大学のサークルだから高校生は場違いだろうけど……と、そのくらいにしか考えなかった。

「園田さんは、ウチの大学受けるの?」

 サナエさんが明るい声で横から口を挟んできた。ルナさんはそのまま前を見ていた。しばらく私とサナエさんでしゃべっていると、集合地点で手を振るサークルの人の姿が見えた。そこにたどり着く前に、ルナさんはさりげなく、でも強い口調で言った。

「くれぐれも、食われないようにね」

 恥ずかしいことに、私はそのとき、「食われる」というのがどういう意味かわからなかった。何と答えたらいいのかわからなかった。でも幸いルナさんがハンドルを握って前を向いていたので、返事をしなくてもいいことにした。

 山中湖畔では、みんなでソフトクリームを食べたりボートに乗ったりした。いろんな人に声をかけていく由とは対照的に、私は気後れして後ろから黙って周囲の様子を見ていた。すると、外山さんが声をかけてきて、ボート乗り場に連れていって、一緒に乗ってくれた。外山さんはボートを漕ぐのがとても上手かった。

 他の人も数人、ボートで湖に出てきた。由はサナエさんとコンビを組んで、自分でオールを手にして漕いで乗っていた。いかにも体重が軽そうな由は、ボートが片側だけ沈まないようにと、女子の中でも小柄なサナエさんとコンビになったらしかった。女性をボートに乗せてオールを操る由は男らしくてかっこよかった。

 遠足は平和に進行し、私も遅まきながらいろんな人と話をすることができた。外山さんはちょこちょこ私を気にかけてくれて、やっぱり優しい人だと思った。気になったのは、私が外山さんとしゃべっていると、時々ルナさんがちらちらっと視線を送ってくること。もしかしたらルナさんは外山さんのことを好きなんだろうか。だとしたら気が重い。

 帰りの車割りはくじ引きではなかった。外山さんは私に「乗ってく?」と言った。私は慌てて遠慮した。でもなんとなく周囲は組み合わせが決まっていて、私と由は外山さんの車か先生の車に乗る雰囲気になっていた。

「あの、由と一緒に先生の車に乗りますから……」

 そう言ってなんとなく先生のほうに寄っていって、それで車割りが決定したことになり、全員が車に乗り込んだ。一人になってしまった外山さんは、しばらく乗り込まずにこちらを見ていた。

「――ソノミー、あっち……行ったほうがいいんじゃない?」

 先生の車のドアを開けながら由は言った。

「え、でも」

「なんか外山さんだけ一人っきりとか、可哀想だし」

 確かに、私たちを乗せるのかどうかとやっていたせいで他の人はさっさと他の車に行ってしまった。私と由が二人とも先生の車に乗ったら外山さんは一人だけで帰ることになる。いわゆる「ぼっち」というやつだ。ちょっと切ない。

「外山さん、ソノミーのこと待ってるよ」

 恐る恐る振り返ると、外山さんはまだ車に乗らずに私たちのほうを見ていた。そして私の思い上がりでないのなら、私を見ていた。

 先生はもう運転席にいて、私と由が乗り込むのを待っている。由は、私と並んで座るつもりで後部座席のドアを開けていたが、バタンと閉めて、助手席のドアを開け直した。

「はい、行ってらっしゃい」

 由が助手席に乗り込んでしまったので、私は「じゃあ……仕方ない」とばかりに外山さんのところへ向かった。先生と由が何かを話している気配があり、先生の車は発進した。

「気をつけてね、後で無事帰った報告の電話をちょうだい」

 先生は窓の隙間から私に声をかけ、駐車場を出ていった。

「あの、……すみません」

 私はとりあえず外山さんにお辞儀をした。どうしたらいいかわからなかった。お父さんの車に乗るのは慣れていても、それほど馴染みのない人、それも若い男性の車に乗るお作法はよくわからない。

 外山さんはぐるっと回ってきて、助手席のドアを開けた。

「どうぞ。土足禁止とか、そんな無粋なことは言わないから気楽に乗って」

 恐る恐る中に入って、外山さんにドアを閉めてもらう。なんとかシートベルトを探し出して装着する。シートベルトのカチッという音と同時に、外山さんが乗り込んでくる振動を感じた。

「あのう、土足禁止ってなんですか」

 私はいきなり問いかけた。土足禁止という言葉の意味じたいはわかる。でも、車に乗り降りするのは必ず外でなんだから、土足禁止と言われても困る。なんだろう。

「――そうか、あんまり人の車に乗ることって、ないのか。クルマ好きな奴とかは、クルマの中に砂とか土とか入るのを嫌がって、靴はトレーとか袋に入れて乗れっていうことがあるから。今どき、趣味でクルマ持ってる人は少ないからあまり見なくなったけど、一応クルマ大事にしてる奴に対しては、気にしてやったほうがいいみたい」

 そうなんだ。大人の世界だ。「趣味が車」って、高校生ではありえないし。お父さんも車は移動手段としか思ってないし。

 ボートに乗ったときと同じように、外山さんはスムーズに車を発進させ、乗り心地良く軽快に運転していく。

「音楽かける?」

「お任せします、よくわからないから……」

「じゃあ、ラジオにしようか」

 私は、この時、人生で初めてラジオを聴いた。ラジオは、「災害の時には使えるのかもしれないけど……」くらいのものに思っていた。お父さんは車でラジオをかけないし。

 いろいろ感心するとともに、気分は少々萎れてきた。「わあ、すごい」と思うたびに、比較する対象がお父さんだ。自分の周囲に、「男性」がお父さんしかいないのを思い知る。幼馴染の彼がどんな趣味とか、ラジオを聴くかどうか、車に興味があるか、そういうことを一つも知らない。

 そうか、私、あの人のこと何も知らないんだ……と、突然理解してしまった。一つも知らないのに、子供の頃に仲良しだったからというだけで恋愛したがっていた。家でどんなことをして過ごしているのか、音楽はどんなのを聴くのか……何も知らない。小川くんがプロ野球が好きで巨人のことを言われたらすごく嬉しそうだったとか、私と同じ漫画を好きとか、そういうささやかなことすら、幼馴染の彼については一つも知らない。外山さんは車を持っていて、車は「土足禁止」ではなくて、ラジオを聴きながら運転することもあって、サークルでは天体観測をしていて、ボートを漕ぐのも車を運転するのも多分上手い。そういうものが何もない。

 この時の急に開眼したような気持ちは、どう説明したらいいだろう。自分は次元の違うところにいたんだと、その場所に恋愛はなかったと、初めて腑に落ちた。子供だった。バカだった。

「前の天体観測の時は高校一年生だったけど、今は二年だよね」

「はい、今、十六です」

「そうかあ、花の盛りだね……って、こういう言い方はオヤジくさいか」

「いえ、でも、大学の女性のほうがすごく綺麗で、オシャレのしかたもよく知ってて、キラキラしてます」

「そう? ウチのサークルの女ども見て言ってるんだったら、大学では地味なほうだよ」

「ええー? 高校の友達に比べたら、皆さん、すごく綺麗にしてて……大学生ってすごいなって思いますけど」

「飾り方は覚えるかもしれないけど、男のあしらい方とかも覚えてスレちゃってるから、俺はやっぱり高校生の頃くらいの素直で純粋な女の子のほうが安心できるな」

 妙に訴えかけるようなその言い方に、私はドキッとした。周囲の大学生の女性たちより私みたいな子のほうがいいって言いたいんだろうか。大学の中に彼女とか、好きな人とかはいないんだろうか。サークルで見ていた限り、彼女がいるような話は出ていなかった。ルナさんの様子は気になったし、二人に何かあるのかないのか、わからないけれど……少なくとも、ボートには、外山さんは私を誘いに来てくれた。

「園田さん、またサークルに遊びに来る?」

「はい」

 即答していた。この助手席は居心地がいい。自然に会話も続く。ここにいるのが嬉しい。幼馴染にこだわる気持ちはもう卒業できると思う。私は子供だった。恋愛の意味を間違えていた。そこには何もなかったとやっと気がついた。

「よかった。キミがいると楽しい」

 外山さんはさりげなく言ったけれど、その響きはいくらか重かった。私はしばらく呆然として、それから答えないのはおかしいから取り繕って答えた。

「ありがとうございます。私も楽しいです」

 もしかして。――その日それから他愛もない話をしながら外山さんに家の近くまで車で送ってもらった。その間じゅうずっと、私の心の中ではそうつぶやいていた。もしかして。……もしかして、ここから恋は始まるんだろうか。新しい私の初恋が。幼馴染に執着していた幼児の心でなく、本当に恋愛としての私の初恋が。

 家に近い大通りで車を降りて、小道を入って家にたどり着き、玄関を開ける前に深呼吸をした。私の周囲を新しい空気が包んでいる。何かが始まったような、不思議な空気が。

 帰宅したのは二十時ちょっと前。両親に声をかけて、それから原田先生にちゃんと帰宅したことを電話で伝えて、それからベッドに飛び込んでずっとぼうっとしていた。母が階下から「ごはんは」と聞いてきたけれど、「いらない」と答えた。本当は夕飯を食べていなかったけど、胸がいっぱいで。

 もしかして。もしかして。心の中に果てしなく広がる「もしかして」の洪水。いつもの自分のベッドにいるのに、お花畑にいるみたい。ドキドキして、フワフワして……不思議な高揚感。何度も意味不明のため息をつく。

 ちょっとだけ気が散った。なんとなく小川くんのことを思い出した。可愛い目の優しい笑顔。――でも、彼では足りなかった。それがきっと運命。小川くんじゃなかった。大好きな人は、最初が幼馴染の彼で、そして次は……外山さんにバトンタッチ。小川くんも素敵だけど、恋にはたどり着けなかった。

 次はいつ外山さんに会えるだろう。連絡先を聞けばよかった。でも、聞いたら迷惑だったかもしれない。大丈夫、きっと待っていてくれる。原田先生に、由と私をもっと呼んでもらおう。由に協力してもらおう。

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