第四章 転機
森を降り始めたのは、それから一時間程経ってからの事だった。燃え広がってしまった炎を秋留が魔法で消火していたからだ。秋留の魔力もほとんど底をついていたようで、だいぶ息が荒くなっていた。
辺りは徐々に明るくなって来ている。
後手に回る訳にはいかない、という秋留の言葉で俺達は急ぎ足で山を降りていた。アラーム城からは真っ赤に燃えるホープキング山が見えていたはずだ。それを見たガルが何を企むのか分からない。
しかし。
麓の町まで戻るまでに時間がかかり過ぎる。俺たちが乗ってきた馬車はロフティ達が乗っていっただろうし。
俺達は各々に考えながら駆け足で山を降りると反対側から馬車がやってくるのが見えた。俺は両手を広げて馬車を止めると、御者に向かって言った。
「急いでいるんだ! 馬車でアラーム城下町まで行ってくれないか?」
目の前の目深に帽子を被った御者が荷台に向かって叫んだ。
「だんなぁ、怪しい三人組が城下町まで運んでくれってよぉ!」
暫くの沈黙。どうやら馬車の主は荷台で寝ていたようだ。やがて、モゾモゾと人が動く音が聞こえた。
「う、う〜ん? なんだ?」
荷台から響く低い声。どこかで聞いた事のある生理的に受けつけない気持ち悪い声。その声の主が荷台から飛び降りた時に、大地が揺れたような感覚がした。
「タコールかよ……」
俺は露骨に嫌な顔をしながら、目の前の赤い奴に向かって言った。
「て、てめぇはブレイブ!」
タコールは右手に斧を構え、左手で俺を指差しながら叫んだ。口からは唾の飛沫が飛んでくる。
「何? ブレイブ、知り合い?」
少し遅れて走ってきた秋留が言った。すぐ横で話掛けられて、少しドキッとしてしまう。
「ま、まあな……」
俺は曖昧に返事をして目の前のタコールを見た。タコールは秋留の事を見つめたまま赤い顔を更に赤くして硬直している。
ははぁ〜ん、さては、こいつ。
「こいつ知り合いなんだけどさ、秋留からも馬車を貸してくれるようにお願いしてくれよ?」
タコールは中々良い馬車を借りていたようで、アラーム城は既に目の前に見えている。
秋留からの申し入れにタコールはあっさりと馬車を貸してくれた。
城に向かう途中に御者から聞いた話によると、タコールは傷ついた仲間の治療費を払うために、金鉱を探そうとしていたらしい。何でも、右足に受けた傷が特に酷いらしく腕の良い魔法医を雇うのに金がいるらしい……。
仕事が一通り片づいたらパッシの所に行って、金を少し置いてこよう。
それにしてもザムの姿が無かったが……。あまり考えられないが別行動で金の工面でもしているのだろうか。
「ここで降ろしてください」
広い城下町の大通りを走り終わって、城の桟橋の前で御者に向かって秋留が言った。俺達は装備を整えると荷台から降りた。装備を整えると言っても、秋留もカリューも俺も、ゴールドドラゴンとの戦いで大分消耗しているため心細い。しかし店で買い物している時間など無い。
城に来る途中の荷馬車の中で、秋留に簡単な回復はしてもらった。全快とまではいかなかったが、贅沢も言ってられない。秋留は回復魔法は得意ではないという事だった。
ちなみに息切れしていた秋留は木の実のようなアイテムで魔力を回復していたようだ。今ではすっかり元気を取り戻している。
「門番がいないな……無用心な」
カリューが呟いたのが聞こえた。確かに城の前まで来たというのに城門も開けっ放しで門番も一人いない。
俺は辺りの気配に耳を傾けると、目の前にそびえる巨大な城の上の方で戦いの気配を感じた。
「城の上の方で何かが始まっているみたいだぞ!」
「謁見の間かな? 急いだ方が良さそうだね!」
そう言うと、秋留は呪文を唱え始めた。空を飛ぶような呪文だろうか。
「岩山の巨人ジャイアントロックよ!」
そう、秋留が唱えたのはゴールドドラゴンとの戦いで何度か聞いた事のある呪文。俺はとっさにネカーとネマーを両手に構えて、これから起こるであろう惨事に備えた。隣のカリューは何が起こるのか分かってないらしくて、その場でボケ〜っと突っ立っている。
「ジャイアント・アーム!」
秋留の叫び声と共に、石畳が盛り上がってきた。
軽い衝撃と共に勢い良く変わる回りの景色。俺は今、鳥になっている。そして、見る見る内に近づいてくる城の窓。
俺はネカーとネマーを構え、目の前の窓ガラスに向かって硬貨を放った。
窓枠ごとガラスが砕けて俺の身体はその隙間から城内へと転げ込む。しかし、視界の端ではカリューが壁に叩きつけられたのが確認出来た。運の悪い奴だ。
「ごめ〜ん! カリュー! ブレイブ! 私は階段上っていくから、それまで何とかしといて!」
俺がぶち割った窓の外から秋留の叫び声が聞こえた。それと同時に窓の横の壁に張りついて、必死にもがこうとするカリューのうめき声。どうやら、咄嗟に壁に剣を突き立てて、転落するのを防いだらしい。
俺は秋留の声とカリューの悪戦苦闘するうめき声を背中に受けながら、辺りを観察した。
至る所に負傷した騎士達が転がっている。中には既に事切れている者もいるようだ。
戦いの音を頼りに城の中を進んでいく。
走りながら負傷した騎士達を観察してみると、ほとんどの奴が一発で戦闘不能にさせらているのが分かった。これがガルの力なのだろうか? それとも……。
赤い絨毯が敷かれた廊下の角を曲がると左手奥には大きく開け放たれた扉があった。どうやらあの部屋が戦闘が行われている謁見の間らしい。
「お、お前は……」
謁見の間への入り口近くで倒れていた身体の小さな騎士が俺の顔を見上げた。ボロボロの身体を必死に起こそうとしている。手足が変な方向を向いているのに無理をする奴だ。
どこかで見たことがある奴だが、どこだったろう。
俺は「任せろ」と眼で合図すると入り口の脇にインスペクターを降ろして謁見の間に走りこんだ。この中での戦いではインスペクターを守れる自信が無かったからだ。何が起きようともガルの悪事は記録に残す必要がある。
謁見の間に突入して目線を上げると、王と思われる男を守るように構えるロフティとアフィンが見えた。その身体は傷だらけとなっている。一方、俺の雇い主であるマクルスは王の隣で倒れていた。死んでないでくれ! まだ前金しか貰っていないんだから。
ロフティとアフィンに対峙するのは俺も見覚えのある男、ザム……。そのザムは俺の方も確認せずに言った。
「遅かったですね、ブレイブさん。ドラゴンは強かったですか?」
なぜザムがドラゴンの事を知っているのだろうか。黒幕はガルのはず。そのガルは……。俺は何者かの気配を後ろに感じ、慌てて前転して左手のネカーを後ろに構えた。
身長はマクルスと同じ位だろうか。両手には立派な剣を装備している。ガリアスの持っていたキング・オブ・ジェミニとは違うようだ。ガルの持つ剣には禍々しい感じを受ける。
「お主、ブレイブと申すのか。マクルスが雇った最後の冒険者、という訳だな?」
軍事参謀長ガル……。真っ黒の髪は突風を浴びたように真上に伸び、顔全体が同じく黒い鬚に覆われている。髪と鬚の間から不気味に見える目が異様に恐怖を感じさせた。
俺の背中に一筋の汗が流れた。身体が全くと言って良いほどに動かない。蛇に睨まれた蛙とは正にこの事だろう。
「やれやれ。どいつもこいつも触れなければ良い事に触れるからこうなるのだ」
ガルの拳が俺のみぞおちを叩いた。息が止まるが全く動くことが出来ない。バルバロスから発せられた怒気とは違う異質のものに身体を縛られている感じ……。
「こうなってしまえば最早、証人を全員消して、ワシが次期アラーム国王となるしかないなぁ。のお? ラディズよ……」
問われたラディズは情けない声を出して玉座に縮こまっている。
その時、俺の後ろから邪悪な気配が感じられた。
「ソウル・ハーデン!」
後方から響いたアフィンの声と同時に、俺の脇を白い影が通り抜けた。ゆ、幽霊か?
その白い影がガルに纏わりついた。その瞬間に身体が自由になった俺はガルと間合いを取るために後方に飛ぶ。
しかし、再び真後ろに感じられる別の殺気! 次はザムか!
「キンッ」という金属音に反応して後ろを振り向くと、そこではロフティとザムが剣を交えていた。ロフティは険しい顔でザムを睨んでいるが、そのザムは俺の方を向いたままだ。
「ロフティさん、貴方、しつこいですね」
尚も俺の方を向いたまま涼しい顔でザムは言った。
「お前の相手は俺だ! 貴様だけは許せん!」
傷だらけのロフティは一度剣を引くと、ザムに向かって突きを繰り出す。その攻撃を最小限の動きでかわして、右手に持つ紫色の刀の柄をロフティの背中に打ちつけた。ロフティは俺の隣までそのまま前のめりに転がった。
「大丈夫か?」
俺は目の前にいるザムと、後方で構えているガルに注意を払いながら言った。ロフティは肩で息をしながら立ち上がった。ザムの顔を凝視しながら無言で頷く。
「しつこいと言えば……」
ザムが俺の顔を睨みつけた。
「ブレイブさんも結構しつこいですよね」
俺は息を整えて隙を伺う。ザムは特に構えも取っていないが隙が見当たらない。
「ガルさんから邪魔者を消して欲しいと言われて、まずはブレイブさんにパッシさんを差し向けたんですが……」
やはりカリューと一緒の時に襲ってきたパッシはザムに操られていたのか!
俺は怒りに身を任せてネカーとネマーのトリガを引いたが、ザムに両銃を蹴られ、硬貨はあらぬ方向へと飛んでいって石壁を叩いた。
「何も知らずに死んでいく親友ブレイブさんの為に色々教えてあげているんですけど……」
足を振り上げた状態のままザムが不敵に笑う。
どこか足が変な角度で振り上げられているのは気のせいだろうか。
俺は両銃を構えなおしてザムに問う。
「ガルに雇われたのか?」
ふふ、とザムが笑った。
「私の悪評は一部では有名みたいですから……ね? ロフティさん」
「うおおおおお!」
ロフティが怒りに任せてザムに飛び掛る。
それを闘牛士の如くヒラリと交わすとロフティの背中を紫の刀で切り裂いた。
「ちっ!」
俺はザムの攻撃の終わりを狙って再び両銃のトリガを引いた。
「おっと」
ザムがおどけた掛け声と共に硬貨を避ける。有り得ない方向に腰やら首を曲げて……!
「また邪魔者が増えそうだな」
俺がザムの奇怪な姿に唖然としている時間を破るようにガルが言った。その言葉の通り謁見の間に飛び込んできたのは、鼻から血を流しているカリューだ。
「ザムよ、早くこいつらを始末してくれんか? でないと、いつまで経っても王の首を取る事が出来んよ」
立派な椅子で小さく震えている王に向かってガルが歩きながら言った。その動きに合わせて床を蹴ったカリューが、ガルの正面に回り込む。
「邪魔だ、小僧」
ガルの低い声により、カリューの身体が硬直するのが見て取れた。硬直したカリューの脇を何事も無かったかのようにガルは通り抜ける。
眼だ。
ガルのあの恐怖を植えつける眼が身体を動かなくさせているんだ。恐怖で足がすくむとかそういう現象に近いのかもしれない。ゴールドドラゴンが恐れていたのはあの眼だったのか。
城の廊下で多数の騎士達が無抵抗に戦闘不能にさせられていた理由が分かった気がする。あの眼で睨まれたら普通の奴なら動けなくなってしまうのだろう。
この絶望的な状況を破るようにガル目掛けて飛び込んだのは一匹の犬だった。アフィンのお供のダニーか!
「先程、ザムが粉々に砕いた筈だが……。ゾンビという物はしつこいのぉ」
そう言うとガルは目の前に迫っていたダニーに向かって両手の剣を振り回した。
「アンチ・ソウル!」
王の前で依然と構えていたアフィンが叫ぶ。その声と共にダニーの身体が灰と化す。
「何?」
ガルは驚きの声を上げた。斬る事の出来ない灰目掛けて剣が通り抜ける。そして再びアフィンが叫んだ。
「リンク・ソウル!」
ガルの目の前でダニーが再び実体化した。この間合いでは防ぎ用が無い!
しかし、いつの間に来たのかザムが紫色の刀でダニーの身体を真横に切り裂いた。再びダニーの身体は灰と化す。
「さすがに四対二はキツクないですか?」
ガルの隣に立ちながらザムが言った。
「せっかくお前を雇ってやったんだから、早く何とかしてくれ」
「そうですねぇ……。では、ちょっと本気を出して、人数を減らさせてもらいましょうか」
ザムは言うと同時に右手に持った刀を床に突き立てた。
「!」
身体が動かない! 先程ガルに睨まれた時の様な、恐怖で身体が動かせないというレベルではない。何か内側から身体をロックされたような不快感……。
「紫雲縛」
ザムが両手をボキボキ言わせながら呟く。必死に身体を動かそうとしても、指一本動かす事が出来ない。
「この技は己の力を辺り一面の地面に這わせる事によって、相手の骨を制御する技……」
と言いながらアフィンの前までやって来て、腹をえぐるように殴った。アフィンから小さく声が漏れる。顎の骨も制御されているらしく声を出す事もほとんど出来ない。
「さすがに少し疲れましたが……。これで邪魔者には消えてもらいましょうか」
立て続けにアフィンの腹や顔面を殴りつけるザム。最早アフィンの意識は無くなっているが、それでもお構いなしだ。
「貴方はネクロマンサーという職業のせいか、やたらと恐怖には強いようなので苦戦しましたよ」
アフィンの隣まで悠然と歩くガルは、ザムの技にかかっていないようだ。
「そいつはその辺で良いだろう。最早虫の息だ」
ザムは次にロフティへ近づいた。
「この紫雲縛はその威力の大きさのせいか、あまり長い時間は持たないもので……」
ザムは肘でロフティのみぞおちを打った。と同時にそのまま顔面に裏拳を叩き込む。
「では、ワシはそこの厄介そうな剣士を狙おうか」
ガルは両手に剣を構えながらカリューの方へと向かった。俺は厄介な相手ではないと思われているのが、嬉しいような悲しいような。
「それが良いでしょう……」
ザムは不気味に笑いながら俺の方を見た。その間もロフティへの攻撃は止まない。既にロフティの意識も途絶えているようだ。
カリューの目の前にやって来たガルは両手の剣を頭上に掲げて、勢い良く振り下ろした。
「アースクラック!」
その時、秋留の声が響いた。と同時に広めの謁見の間の地面に縦に亀裂が走る。
「ぬう! しまっ……」
ザムが叫び終わる前に、謁見の間を縦に裂いた亀裂が小さな爆発を起こした。床に突き立てていた刀は、小さな爆発で謁見の間の隅にあった柱に突き刺さる。
俺は身体が軽くなったのを確認すると、素早くネカーとネマーのトリガを引いて体勢を崩したザムを狙った。腕の一本や二本は吹き飛ばす覚悟で。
しかしその攻撃を前転でかわし、勢いでザムが俺の目の前に近づく。だが俺の手の動きを馬鹿にしてはいけない。俺は素早く目の前のザム目掛けて引き金を引いた。
「ぬお!」
驚きの声と共にザムが左方に飛んだ。ザムの左肩と左足を硬貨が傷つけた。やべ、危うく殺すところだった。
「こ、殺す気ですか? ブレイブさん……」
傷ついた左肩を押さえながらザムが立ち上がった。
一方、同じく身体が自由になったカリューは、ガルの攻撃を寸前のところでかわして今はガルと一対一で対峙している。
「何とか間に合ったみたいだね」
謁見の間の入り口に姿を現した秋留。随分久しぶりに見たような気がする。
「間に合ってないぞ!」
ガルとの剣戟の合間に叫ぶカリュー。確かにロフティとアフィンとマクルスは床に倒れて痙攣している。玉座の近くで座ったままの王様も、恐怖のあまりか白眼を剥いて泡を吹いていた。
カリューに指摘されて辺りを見回した秋留は、恥ずかしそうに一番重症そうなアフィンの元へと駆け寄った。
「何者か知りませんが、邪魔はしないで下さいよ」
俺の目の前にいたザムが踵を返して秋留の方へと突進しようとする。
秋留の危険を察した俺は、両手に持ったネカーとネマーを逆手に持ち、ザムの後頭部を強打した。
その場に突っ伏すザム。頭を抱えてのたうち回っている。
「あ、ありがとう、ブレイブ」
秋留は俺の行動に感動したのか、嬉しそうな足取りでアフィンの元へと向かった。苦笑いをしているように見えたのは気のせいだろう。
その時、空気を裂く音が聞こえた俺は急いでその場を飛び退った。だが攻撃を避け切れずに左手に衝撃を受け、握っていたネカーが落ちた。乾いた音を立てて床を転がり遠くの柱にぶつかって止まる。
「やはり、勝負をつけなくてはいけないようですね、ブレイブさん……」
今の攻撃はザムが起き上がりざまに放った回し蹴りだったようだ。
後頭部を押さえながら目の前に立ち上がるザム。その顔は憎悪に歪んでいる。
「平気で仲間のアイテムを盗み、隙があれば敵が後ろを見せていても攻撃を仕掛ける……。私はそういうブレイブさんの性格……、嫌いではなかったんですけどねぇ」
両手をダランッと下げながらザムが言う。ザムに喰らった左手が痺れていて動かない。俺は右手のネマーを構え直した。
「やられてみて、初めて気づきましたよ……。こんなに嫌なものだったとは……」
「ぐぅっ」
何のモーションもなく繰り出された正拳突きを俺は右肩に喰らった。右手が痺れ危うく残った銃も落としそうになる。
格闘術などほとんど出来ない俺は、両手の回復を待つためザムとの距離を開けようとした。しかしそれを予測してか、一瞬で距離を詰めてくるザム。
またしても何のモーションもなく繰り出される左の拳。
その攻撃を右頭部に受け、俺の身体が一メートル程宙を浮いた。目から火花が出る痛みに俺はその場に片膝をついた。頭がグラグラして立つ事すら出来そうにない。
「さっきのお返しですよ」
位置が低くなった頭目掛けてザムの足が飛んでくる。変な角度で!
俺は素早く右足首に装備していた短剣を右手に持ち、その攻撃を迎撃する。
しかし、人間の構造上有り得ない角度で再び足の角度が変わり、俺の後頭部へとカカト落としを食らわしてきた。
目の前が一瞬暗くなる。俺は必死に意識を繋ぎ止め、ザム目掛けて突進した。倒れ掛かったと言ってもいいかもしれない。
もつれて倒れるザム。しかし、またしても予想も出来ない軌道でザムの右足が俺の顔面を捉えた。
再び低い体勢で少し距離が開いた。一瞬で右手にネマーを構えなおし、ザム目掛けてトリガを引く。その攻撃はザムを外れて後方へ……。
「どこを狙って……」
ネマーから発射された硬貨は後方の柱に命中し、辺りに破片を撒き散らした。ザムが眼を細めた一瞬を狙って、俺は素早く右手で先程の短剣を投げつけた。
「ぬぅっ」
ザムの左太腿に短剣が突き刺さる。しかし、右手も少し痺れていたせいか、あまり深くは突き刺さらなかったようだ。
「お前……、骨を操る事が出来るんだろう?」
俺はザムに向かって言った。ザムは何も答えない。
「モーションのない攻撃。有り得ない角度からの蹴り……」
そう、つまり……。
「自分の骨すら操って、攻撃してきている訳だ」
生物の関節、構造に囚われない攻撃。
盗賊という職業には観察力、洞察力などが必要となってくる。罠が仕掛けられた宝箱やトラップのある通路などを観察し起こり得る事態を予測する力が必要なのだ。
それは無機質な物に対する話だけではない。
動く対象、魔族やモンスター、敵となる相手が次に何をしてくるのかを瞬間の動きで判断する。
戦士や武道家の様に、攻撃が繰り出されてから避けるだけの素早さは体捌きの能力はほとんど無い。あくまでも予測して避けるのだ。
「さすが盗賊の観察力……といったところですかね」
ザムは自分の太腿に突き刺さった短剣を引き抜くと、秋留に向かって投げつけた。なんて事を!
俺は右手に持ったネマーのトリガを引いた。発射された硬貨の方が投げつけた短剣より速いはずだ。
秋留の二メートル程手前で短剣と硬貨とがぶつかり合い、短剣の軌道を変えた。
短剣が勢い良く刺さったのは玉座。王が再び気絶したようだが、秋留が無事なら気にしない。
「そして、その射撃の腕。さすがですよね」
と言ったと同時に指をパチンッとならした。
閃光を発し謁見の間の端に置いてあった木箱が破裂する。中からは真っ赤な棒らしきものが何本か出てきて、フヨフヨとザムの元へと集まった。
「話は変わりますが、タカールさんを知りませんか?」
突然の事に「知らん」とだけ言い放つと、警戒のため、右手のネマーをしっかりと握りなおした。痺れていた左手も今では何とか回復している。
「こういう大舞台の時にはタカールさんのを使う予定だったのですが……」
そう言うと、ザムは真横で浮いている赤い棒を優しく撫でつける。赤い棒……。いや、色は赤いが、あれは骨……。パーツの大きさから言うと、人間の……。
「仕方なく同時に精製していたパッシさんので我慢しましたよ」
「お、お前……」
あいつがタコール、パッシと行動を共にしていた理由が分かった。
あいつにとって奴ら二人は仲間でも何でも無かったんだ。ただのアイテム……装備品……。
震える声でザムを睨みつける。
ザム目掛けてネマーをぶっ放す。最早手足を狙うような甘い考えはない。こいつは、人間として生かしておいてはいけない奴だ。
しかしザムの目の前に展開された赤い骨が、俺が放った硬貨をことごとく弾き飛ばした。
「ふむ、予備として精製していましたが、強度は十分そうですね」
何かに引きつけられる様に赤い骨がザムの身体に纏わりつく。骨はザムを守る真っ赤な鎧となった。
頭蓋骨は何枚にも分かれ、ザムの頭部を怪しく守っている。腕の骨は腕に、足の骨は足を守る鎧となっているようだ。
「パッシさんの骨格が小さい分、重くもないし、動きやすいですね。これならブレイブさんとも十分互角に戦えそうですよ」
俺とザムは同時に地を蹴った。ザムは俺の方へ、俺はザムから遠ざかる様に後方へと飛ぶ。
ネマーを構えようとしたが、ザムは攻撃されるのを警戒してか、左右に動きながら近づいてくる。ザムの次の動きを予想しようとしても、その予測出来ない関節の動きに惑わされて、攻撃出来ない。
「追いつきましたよ」
ザムの右拳が眼前へと迫る。その拳は赤い骨で強化されている。
俺は咄嗟に左手で攻撃を防いだ。俺の左腕から鈍い音がして激痛が走る。
「いい音が聞こえましたよ、ブレイブさん!」
左腕が動かなくなった。同時に左手に握っていたアイテムを地面に落とす。俺は瞬時に眼を瞑った。
俺の瞼を通しても感じる真っ白い閃光。俺が左手に持っていたアイテム『発光珠』の力だ。少しの衝撃でも砕け、辺り一面を光の海と化す。
普通に地面に投げつけたなら、ザムも警戒して防御態勢を取っていたかもしれない。しかしザムの攻撃により落としたアイテム、となれば話は別だろう。
「ぐあああああ!」
ザムの叫び声が聞こえる。俺はゆっくりと瞼を開いた。目の前には、両目を抑えその場に立ち尽くしているザムがいる。
更に向こう側には同じく眼を押さえて立ち止まるガルとカリュー。俺の予想が正しいなら、ガルに対して恐怖を感じるのはその眼のせいだろう。これでカリューは互角以上に戦えるはず。
一方の秋留には俺の考えが分かったのか、真っ白のマントで顔を隠している。気絶している面々の事は気にする必要もない。
俺の構えるネマーの銃口の目の前にザムの顔がある。俺は憎悪に負けそうになる気持ちを必死に押さえながら、ザムの纏う鎧の隙間を狙ってネマーを連射した。
「があああああ!」
ネマーの放った硬貨は、ザムの左足首を吹き飛ばし、膝の皿を砕き、肘の関節を破壊した。勿論、五肢全てを吹き飛ばす事も出来たが、俺は照準をずらした。その場に倒れこむザム。
俺は念のため、止めの肘打ちをザムの腹へと打ち込んだ。ザムの小さなうめき声が聞こえた。顔も二・三発殴ってやりたかったが、遠くから睨んでいる秋留の視線を感じて止めた。
目線を上げると、カリューもガルに止めを刺そうとしているところだった。ガルの二刀流を風の様にかわし、後ろに回りこんだ。そして剣の柄の部分でガルの後頭部を強打する。最早、ほとんど眼の見えないガルは成す術も無く、その場に倒れ込んだ。
暫しの沈黙。
「終わったな」
「終わったな、じゃねぇ!」
俺の台詞に対して、すかさずツッコミを入れるカリュー。
「お前のせいで、眼が見えなくなったじゃないか!」
眼を擦りながら怒鳴るカリュー。こいつ、視力が全然ない状態でガルの攻撃を避け止めを刺したのか。やはり敵にはしたくない相手だ。
「とりあえず、誰か回復魔法の使える人を探してきて! アフィンもロフティもマクルスも私の回復呪文じゃ追いつかない程の傷を負っているの!」
秋留の衝撃発言に俺とカリューは傷ついた身体を引きずりながら謁見の間を飛び出した。
血で汚れ大きく床の裂けた謁見室を離れ、今はアラーム国王ラディズの寝室に招かれていた。俺が日頃泊まっている宿屋とは比べ物にならない程豪華で広々とした部屋だ。
部屋の中央にはドカンと置かれた天蓋つきのベッドがある。
ラディズ王はそのベッドに横になり俺達の方を眺めている。なぜか俺に向ける視線だけ険しい気がするのは気のせいだろう。
ベッドの隣には立派な法衣に身を包んだ司祭らしき人物と、部屋の隅には衛兵らしき男もいる。さすが一国の王ともなると警備も厳重だ。
ちなみに、アフィン、ロフティ、マクルスは、城にある治療室に運ばれて今は手厚い看護を受けている。城の至る所で倒れていた騎士達も同じ部屋で治療を受けているはずだ。
「助かったぞ、秋留。そして、カリューにブレイブ。二人にも感謝せんとな……」
弱々しい声で言うラディズ。
「いえ、ラディズ王が無事で何よりです」
お決まりの台詞で秋留が言う。
秋留に言われた事が嬉しかったらしく、ラディズの顔が少しほころんだ。こいつ、秋留を狙っているんじゃないだろうか。少しでも危険な動きをしようものなら、頭を吹き飛ばしてやる。
暫くニヤニヤしていたラディズだったが、何かを思い出したらしく、突然震え出した。
「以前城に仕えていたマクルスが謁見の間に飛び込んできた時には、何事かと思ったが……」
悲しい顔になったラディズが続ける。
「黒幕だと思われるガルを呼び出してみれば、この有様だ。情けない事に途中で気まで失ってしまった」
横目で秋留が睨んでいるのを俺は気づいたが、気にせず俺はラディズに話し掛けた。
「ガルとザムはどうなりました?」
「ふむ。ガルは地下の魔力牢に閉じ込めてある」
魔力牢。ある程度大きな町や城には大抵あるものなのだが、読んで字の如く。魔法の力で人や魔族を捕らえるために作られた牢屋だ。
ガルが相手に恐怖を与える眼以外に、何があるのか分からないための処置だろう。
「ザムという冒険者についても、一応魔力牢に閉じ込めてある。傷が酷い様だったので、治療をした後にな」
これでザムの悪事が認められ、ロフティの両親も浮かばれる事だろう。
これで全てが終わったのか。後はマクルスから金を受け取るだけで終わりだ。マクルスには早く回復してもらわなくては。
俺はこの場にいる他の二人の冒険者を横目で確認した。
短かったが秋留と一緒のパーティーは楽しかった。カリューも悪くはない。何より強いから俺が楽出来る。
今まで特定のパーティーを組もうとは考えた事は無かった。何度か見知らぬ冒険者と依頼のために一時的にパーティーを組み、今後も一緒にパーティーを組まないか、と誘われた事もある。
しかし、俺はその度に断ってきた。
別れが恐くなるからだ。モンスターや魔族を相手に戦う冒険者には常に危険が伴う。時にはパーティーのメンバーが殺されてしまう事もある。実際に一時的に組んだ仲間を失った事もあった。
それでも秋留となら一緒にパーティーを組んでも良いと思った。いや、一緒にパーティーを組みたい。秋留が危険な時には俺が盾になれば良い。
そう言えばあのドラゴンとの戦闘でも秋留を助けたな。ザムの攻撃からも……。
思えば同じパーティーの仲間を助けた事はあまり無かった。こんな事は初めてだ。
俺が一人、秋留をぼ〜っと眺めながら考え事をしていると寝室の扉がノックされた。
入って来たのは謁見の間の横で手足を変な方向に曲げて倒れていた騎士だった。まだ生きていたのか。
「失礼します、陛下……。この度は私どもの不手際であります。申し訳ございません。そして、父の事も……」
小さな騎士は頭を下げながら言った。
「気にする事はないぞ、ガリアス」
ガリアス! あいつは騎士団長のガリアスだったのか。どこかで見たことがある顔だとは思ったんだが……。
ラディズはガリアスの心中を察したかのように、優しい声で答えた。
「ガルも、そのうち反省してくれる事と思うぞ」
続けてラディズは言った。
しかしガリアスは分かっているはずだ。王に逆らった者がどんな処罰を受けるのかを。
「そうだ、丁度良いところに来た。この者達を客室に案内して貰えんか?」
「はい、陛下……」
ガリアスはそう言うと、俺達三人を連れて王のいる寝室を後にした。
「ありがとうございました」
ガリアスが突然言ったのは、暫く無言で城の長い廊下を歩いた後だった。
ガリアスは俺達の方に振り返り、片膝を床についてる。ホビットの小さい身体が余計に小さく見える。
「そ、そんな、気にしないで下さい。私は王に頼まれた仕事をしただけですから」
秋留は慌てて言った。
「私も何度か父には忠告したんです。父が何か良くない事をしているのは知っていました」
ガリアスは答える。俺がアラーム騎士団の砦に忍び込んだ時にも、ガリアスは同じ様な事を言っていた。
「父上は立派な剣の使い手だったぞ」
カリューの言葉にガリアスは無言で頷くと、俺達に顔を見られないようにしながら再び廊下を曲がって階段を上り始めた。
どこまでも続く長い廊下。その所々にある扉の前には、それぞれ衛兵やら冒険者らしき者が立っている。扉の中には他国の重要人物等が泊まっているのだろうか。
「ここから三部屋分が、貴殿達の部屋になります。城内が落ち着き疲れが癒えるまではここでのんびりして下さい」
そう言うとガリアスは深々と礼をして、廊下を戻って行った。
残された俺達三人は、それぞれの顔を見合わせた。と言っても、俺は秋留の顔しか見ていないが。
昨日から徹夜という事もあり、秋留の顔には疲れが見える。それは俺にも言えるようで、秋留が俺の顔を見て苦笑いをした。
「とりあえずいつ何が起きるか分からない。ラディズ王の好意に甘えて、今は休ませてもらうか」
カリューの提案に俺と秋留は頷くと、それぞれ別の部屋に向かって歩き出した。
俺は真ん中の部屋に向かって歩き出す。秋留の隣の部屋が俺の部屋として用意されていることが少し嬉しかった。
木製の扉を開けると、俺が泊まっている宿屋の二倍はありそうな部屋が広がっていた。壁には綺麗な風景画が飾ってあり、心を落ち着かせてくれる。
窓際にある大き目のベッドの上には、宿屋に置きっぱなしにしておいた俺の荷物が置いてあった。盗まれないように宿屋の部屋に色々小細工をしておいたのだが、取りに行った人は大丈夫だっただろうか。
俺はドラゴンに切り裂かれた上着を脱ぎ捨てると、荷物の中から新しい赤のYシャツを取り出した。このシャツには、敵の魔力を弱める力もある。ついでにズボンも取り替えてから一通り部屋中に罠を張り巡らして、俺は廊下へと出た。ネカーとネマーは分かり難い場所に致命傷を与えられるような罠と共に隠した。
「どうかなさいましたか?」
廊下で見張りをしていた兵士に呼び止められた。兜を目深に被っているせいか顔を確認する事が出来ない。
「風呂に入りたいんだが」
昨日からの戦闘続きのせいか、身体のあちこちが汚れている。綺麗好きな俺は毎日風呂に入らないと気がすまない。野宿の時などは仕方なく我慢しているが。
俺は兵士に連れられて城の地下へとやって来た。目の前に大きめの通路が見える。
「この先を左に行った方が男湯となっております」
兵士に礼を言うと、俺はつきあたりを左に曲がって目の前の扉を開けた。中から温かい湯気が出て来る。
少しでも早く身体を洗い流したい俺は即行で服を近くのカゴに放り込むと、風呂場へと入った。
「よお! ブレイブじゃないか」
脱衣所で服を脱いでいた段階で風呂場に誰かいるのは分かっていたのだが、またしてもカリューとは。
俺は逃げられない事を覚悟し、カリューの隣に腰を下ろして無言で髪を洗い始めた。
「なかなか大変だったよな」
確かに大変だった。まさか、この世に秋留の様な天使が舞い降りているとは。俺は秋留の事を考えながら髪の毛を洗い流し、身体を洗った。その間カリューの声は全く聞こえてはこなかった。
身体を洗い終え、熱めの湯船に浸かった。身体の芯から疲れが取れるようだ。
カリューは俺に話し掛ける事を諦めたのか、少し離れた所で風呂に浸かっている。
俺は十分程浸かった後そそくさと風呂場を出ると、城の中の自室に向かって歩き出した。後ろからカリューの俺を呼ぶ声が聞こえたが、俺はそのまま歩き続けた。
俺は何度か道を間違えながらようやく自分の部屋に着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。
久しぶりの休息に俺は一瞬で眠りについた。
再び眼が覚めたのは夕方だった。身体がまだ少しダルイが腹が減った。俺はネカーとネマーを装備して一通り準備を整えると、廊下へと出た。夕食に秋留を誘おうと思ったが、部屋の中からは気配を感じられない。どうやら秋留も外に出掛けているようだ。
風呂に案内してくれた時と同じ兵士に夕食を取ってくる事を伝えると、俺は城を出て街を散策し始めた。
城前の大通りには夕食の材料を買出しに来ている女性で賑わっている。露店も数多く出ていて、色々な所から美味そうな匂いが漂ってきた。
俺は大通りを少し進んだ所で売られていた魚肉バーガーを食べながら、高橋診療所目指して歩いていた。パッシは死んでしまったのだろう。どんなに腕の良い魔法医や医者が居ようとも、骨を抜かれた人間を治療する事など不可能なはずだ。
案の定、パッシの寝かされていたベッドには、何事も無かったかのように白い清潔なシートが被せてある。しかし俺の盗賊の鼻は嗅ぎ取っていた。この部屋全体に残る真新しい血の臭いを。
「パッシさんのお連れの方ですか?」
突然話し掛けてきたのは、この診療所の院長高橋だった。髪の毛を六対四位の割合で分け、度の厚い眼鏡をかけている。
「パッシさんはアラーム共同墓地の方に埋葬させて頂きました。あまりに酷い状態だったもので……」
そう言いながら高橋は深く一礼をすると、部屋の奥へと消えていった。
全く面識のない相手ではない、と思った俺は高橋医師に教えられた墓地へと行く事にした。
辺りは若干暗くなって来ていた。夜の墓場というのは不気味なものだ。俺は墓場の管理局で松明を借りると、教えられたパッシの墓目指して歩き始めた。地面は若干湿っていて歩き心地はあまり良くない。
管理局を出た時から気づいていたのだが、遠くに小さな松明の明かりが見えている。教えられたパッシの墓はその明かりの近くのはずなのだが。
そして近づくごとにその明かりの正体がはっきりとした。
「ブレイブじゃないか……」
松明の明かりに照らされたタコールの顔は暗い。長年パーティを組んできた仲間の死をまだ受け止め切れていないのだろう。俺が今まで特定のパーティを組んだ事がないのは、こういう時に気持ちの整理がつかない事が理由だ。
俺は無言でパッシの墓を見つめた。盾程の大きさの石に、名前と日付が入れられている。
タコールにはどういう風に接したら良いのかも分からなかった。また、いつもみたいに銭袋をくすねてトンズラするか。
俺が銭袋を取ろうとした瞬間、突然タコールが話し掛けてきた。
「ザム……なんだろ?」
タコールの予想外の台詞に俺は唖然としてしまった。パーティの仲間にパーティの仲間を殺される。その気持ちは俺には分からないが、相当こたえているはずだ。
「なぜそれを?」
俺はタコールの顔を見ずに答えた。
「ザムは戦闘で時々モンスターや魔族の骨を操っていたんだ。パッシの身体からは骨が無くなっていた」
タコールの身体から信じられないような闘気を感じた。いつもは隙だらけで間抜けな奴なのに、今はタコールを警戒せずにはいられない。
「ありがとうな、ブレイブ。パッシの敵を討ってくれて……」
タコールは言ったが、俺は別にパッシの敵を討ったつもりはない。あくまで依頼の範囲内での話だ。しかし俺はそれを口には出さずに黙って墓を見続けた。
「でも、俺はこの手で殺してやりたかった。パッシを……、俺の弟を殺したザムを!」
そう言うと、タコールは右手に持っていたアックスで宙を薙ぎ払った。と同時に辺りの空気が揺れる。
まさか、タコールとパッシが兄弟だとは知らなかった。なんて不幸な奴なんだ。
俺は哀れみの眼でタコールの方に顔を上げた。タコールの眼からは大粒の涙が流れていた。
翌日、俺は荷物をまとめて、宿屋ゴージャスに舞い戻ってきた。やはり、このこぢんまりとした部屋が落ち着く。部屋に荷物を置くと、そのままマクルスの武器屋へ行くため宿屋を出た。
「いやぁ、大変だったな」
どこかで聞いたような台詞をマクルスは突然吐いた。マクルスの小さな武器屋の中に、アフィンとロフティもいる。どうやら三人共無事なようだ。
今は武器屋の扉に休憩中の看板を掲げいてるため、店内には俺達しかいない。
「早速だが、報酬を渡そう」
そう言うとマクルスは机の下から銭袋を取り出して、俺とロフティに渡した。この重さが堪らない。
「娘は城下町の宿屋で休ませているが、明日には田舎に返す予定だ」
マクルスは言った。そう言えば、マクルスの娘はどういう人物だったのだろう? まさか、マクルスそっくりではないだろうか?
俺が恐怖の想像をしていると、ロフティも話し始めた。
「結局、俺たちは犯罪者という事にはならなかったんだよな?」
「ほっほう、そうだな。まぁ、英雄には少し遠かったかもしれんがな」
俺たちは笑った。アフィンは杖を掲げた銅像のポーズをして笑いを更に誘う。
思えばこのパーティーもそれなりに良かったな。
「そもそも……」
咳払いをしてマクルスが喋り出した。
「治安維持協会の後押しがあったんだよ、あんたらにお願いした依頼には……」
「え?」
俺とロフティは同時に声を挙げた。アフィンは銅像のポーズをしたまま動かない。
「のお? 治安維持協会員のアフィン殿?」
「ええええええ!」
再び俺とロフティは同時に叫んだ。アフィンは銅像のポーズをしたままこちらを振り向いて笑っている。そういえばさっきマクルスから報奨金を受け取って無かったな。依頼を受けた時は俺たちに怪しまれないようにワザと金を受け取っていたのか。
冒険者と違って治安維持協会は金で依頼されて動くような組織ではないのだ。
「マクルスさんが相談しに来たんだよ、治安維持協会に」
アフィンが言った。
そうか。それでインスペクターなんていう取り扱いの難しいものがあったのか。
「それなら先にいってくれれば良かったのに」
当然の如くロフティが言う。
「治安維持協会の方でもまだ確信は無かったんだよ。それに僕が治安維持協会員なんて言ったら、ロフティもブレイブも何だか落ち着かなかったでしょ?」
確かに治安維持協会員と一緒だと考えたら色々と緊張してしまいそうだ。何しろ悪いことは出来ないからなぁ。
「人間の生贄を捧げていたという証拠はばっちりだし、それにね……」
アフィンがロフティの方を振り向いた。
「ザムが骨を操るのも見たし、邪悪な言動も記録に残せたらから……」
ロフティがアフィンの台詞で何かを思い出したかのように険しい顔をする。
「ごめんね、ロフティ」
「!」
ロフティが驚いて反論する。
「何でアフィンが謝るんだよ! アフィンは何も悪いことはしてないじゃないか!」
ロフティがアフィンの肩を黒い髪が大きく揺れる程に力強くがっしりと掴む。
「悪いのはザムだ! 今回のインスペクターの記録で奴が裁かれるなら……」
ロフティが俺たちに背を向けた。肩が震えているのは泣いているからだろう。
「これでやっと……天国の親父達も浮かばれる……!」
俺たちは暖かい眼でロフティの背中を見つめ続けた。
両親か。
俺の両親は今も故郷の町で仲良く暮らしているだろうか。わがままな妹は周りの住人に迷惑をかけていないだろうか。
「さて!」
ロフティが俺たちの方へと再び振り向いた。若干眼が充血しているようだが気付かないフリをするのが友情というものだろう。
「もう少しブレイブやアフィン、マクルスさんと世間話もしたいところだけど……」
そう言うとアフィンは壁の時計を見た。
「そろそろ出発しないと港町ブーゲンに出発する長距離馬車に乗れなくなる」
港町ブーゲンとはここから馬車で四日程の距離にあるゴールドウィッシュ大陸の中でも一、二を争う大きな港町だ。俺は別の港町からこの大陸に来たため、ブーゲンには行った事がない。
「この金を少しでも早く兄弟たちに持っていってやりたいんだ」
「そっかぁ、寂しくなるねぇ〜」
アフィンが相変わらずの間の抜けた返事をする。
ロフティには五人の兄弟がいるはずだ。その兄弟のために危険な冒険者という職業についているのだろう。あいつが栄養失調で倒れたのは、田舎で暮らす兄弟のために自分の食費も削っているせいなのか。
「ちゃんと飯を食えよ」
「ああ……」
俺は武器屋を出ようとするロフティに向かって言った。
ロフティは軽く笑うと、無言で武器屋を出て行った。
「アフィンは治安維持協会に戻るのか?」
「そうだよ。この辺りで一番大きな支部のある港町ブーゲンに一刻も早く行って報告して来ないとぉ……」
俺の問いかけに答えていたアフィンの言葉が止まる。
「じゃ、僕も急いで行こうかなぁ! 今ならロフティと同じ馬車で行けそうだぁ」
アフィンは、う〜んっと伸びをすると、武器屋の扉の前まで歩いた。あまり急いでる感じは相変わらずしない。
「また、どこかで会うかもしれないねぇ。その時はよろしくねぇ!」
最後まで気の抜けた喋り方でアフィンも武器屋を出て行った。治安維持協会員に会うというのもあまり縁起の良い話でもない。犯罪者としては会いたくないものだ。
「待ってよぉ〜ロフティ〜僕も行くよぉぉぉ」
ドアの外でアフィンが叫んでいるのが聞こえる。
そして。
今や武器屋の中には俺とマクルスの二人しかいない。
「ブレイブ、世話になったな。お前はこれからどうするんだ?」
「俺はもう少しこの大陸にいるよ、まだまだ稼げそうだしな」
俺は右手に握った銭袋の重さを確かめながら適当に答えた。今の俺の眼は硬貨の形になっているに違いない。
俺も武器屋の扉を開けると、宿屋に向かって歩き始めた。太陽が眩しく照りつけてくる。
今日は高そうな店でも見つけて美味いものでも食おう、と心に誓った。