プロローグ
平凡な暮らしに飽きた田舎の若者や賞金稼ぎを生業としている怪しげな集団が、一攫千金目当てでやってくる夢と希望の大陸ゴールドウィッシュ。
この大陸にある山々からは稀にだが金が採れる事がある。その黄金を目当てに他の大陸から渡ってきた沢山の人々でアラーム城下町の酒場ブルーバードは賑わっていた。
黄金を手に入れた事を上機嫌に語る若者や、一攫千金に失敗して意気消沈している三十代の男。
俺はカウンター席に座り、一人寂しく冷えたビールを飲みながら店内を観察していた。
この大陸には希望や夢が溢れているが、それらの感情と同じ位、嫉妬や恨みのようなマイナスの感情も多く渦巻いているようだ。
俺が故郷のイクシム大陸を十四歳の時に旅立ってから七年が過ぎた。
七年間で数々の冒険を体験し、魔族討伐組合から多額の報奨金も何度か受け取っている。他人とパーティーを組んで魔族討伐に向かい、死ぬ思いをした事もあった。
そうして自分の命を削るような毎日を送りながら、他の大陸で魔族やモンスターを倒して金を稼いでいた俺は、このゴールドウィッシュ大陸に一昨日到着したばかりだ。
「お客さん」
目の前のカウンターの向こう側でグラスを布巾で拭いていた、この店のマスターと思われる男から突然話掛けられた。マスターは真っ黒の髪の毛をオールバックにしてベストを着ている。年は四十歳位だろうか。
俺は人見知りが激しく、知らない奴に話掛けられる事には慣れていなかったが、愛想よく返事をした。
「なんだ?」
俺の返事に一瞬マスターは怯んだような顔を見せたが、めげずに話し掛けてきた。
「お客さんもこの大陸へは一攫千金を夢見てやって来たんですかい?」
俺は黄金を掘り当てるためにこの大陸に来た訳ではない。モンスターの巣窟にもなっている山に入って、あるかも分らない金を掘り当てる作業は無駄以外の何物でもないと思っているからだ。
俺の目的は金を掘り当てようとする一般人のボディーガードか、山に住み着いているモンスターの退治が目当てだ。
黄金のお陰で物価の高いこの大陸では、今までの倍の早さで金を稼ぐ事が出来そうだ。
マスターからの質問に対して、知らない人間と余り関わりたくない俺は「そうだ」と一言だけ言うと、勘定をカウンターに置いて店を出た。
一年中が平均して暑いこのゴールドウィッシュ大陸でも、九月の夜の風は心地良く、酒で火照った身体には丁度良かった。
それにしても、最近前より痩せたせいか酒に滅法弱くなった気がする。前はビールの五、六杯は平気で飲めたのだが、今は中ジョッキ一杯でほろ酔い気分となってしまう。
俺は酒場を出たその足で城下町にある魔族討伐組合へ向かった。
この城下町にある魔族討伐組合は、冒険者のために二十四時間その扉を開いている。
小さな町や村にある出張所では日が落ちると同時に終了する事が多いのだが、さすが大国アラームと言ったところか。
既に夜の十時を過ぎているが、灰色のレンガで出来た三階建ての建物の周りにはまだ数人の冒険者らしき人々がいた。
魔族討伐組合とは、冒険者に対して魔族やモンスターに関する情報を提供してくれる民間の企業だ。どこかでモンスターに襲われている村があれば、その村の情報と報奨金の額を教えてくれる。荷物の運搬や人探し等、便利屋に近い依頼も数多く取り扱ったりしている。
俺は目の前の木製のドアを開け、魔族討伐組合の受付のある部屋に入った。部屋の中は、俺と同じ考えを持った報奨金目当ての冒険者達で長蛇の列が出来ている。
仕方なく列の最後尾に並び、部屋の中を観察する事にした。
入り口左には大きめの掲示板が備えつけてあり、そこには『パーティーメンバー募集』や『攻撃魔法が得意な魔法使いを探しています』などの紙が貼られている。
魔族討伐組合に千カリム支払えば、誰でも掲示板に告知を載せる事が出来るような仕組みになっている。
俺は五メートル程離れた掲示板に貼られている紙を一つ一つ眺める事にした。
ある程度冒険を重ねた盗賊であれば、五メートル以内の文章程度なら簡単に読む事が出来る。
そう。
俺は魔族討伐組合に籍を置いている盗賊だ。イクシム大陸の魔族討伐組合で盗賊として登録してから七年が経過した今では、瞬時に眼に意識を集中させて細かい文字を読む事も出来るようになった。駆け出しの盗賊では五感に意識を集中させるまでに二、三分かかったりする。
さて……。
早速不届きな文章が俺の眼に止まった。
『パーティーメンバー募集 僕は職業が戦士でレベルが三の駆け出しの冒険者です。もし一緒にパーティー組んでも良いという方はご連絡下さい。女性大歓迎です。連絡先は……』
魔族討伐組合は彼氏・彼女を探す出会いの場ではないという事を理解していないようだ。このような不純な動機で冒険者になったような輩は、毎日命を削るような生活については来れないだろう。
俺は今まで異性にうつつを抜かすような事はしていない。いつ危険に見舞われるか分らない冒険者にとって恋人という弱点を作る訳にはいかないのだ。……決してモテないからではない。
それからたっぷり一時間程待たされて、ようやく俺の順番が回ってきた。目の前にはカウンターがあり、三人の組合員が横一列に並んで冒険者の相手をしている。
俺は一番左の壁際の席が空いているのを見つけて、前の冒険者で温められた木の椅子に腰を下ろした。人の体温で暖められた椅子に座るのは生理的に嫌なのだが、ここは我慢する事にする。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
カウンターの向こうの組合員は、多くの冒険者の相手をしたためか態度が事務的になり、クマの出来た顔は無表情で冷たく見える。
上着の胸ポケットには名札がついていて亜細李亜大陸の出身と思われる名前で藤堂と書いてあった。
藤堂は俺の姿を一瞥すると、再び手元の資料に眼を落とした。
ここで働く人間は魔族討伐組合の扉と同様に、二十四時間働きっ放しなのだろうか。
「この大陸での手頃な依頼はあるかな?」
「貴方のお名前、それから現在の職業とレベルを教えて下さい」
目の前にいる二十歳位の女の組合員、藤堂は、尚も事務的な態度を取り続けている。
常に机に置いた資料を見ていて、俺と眼すら合わせようとはしない。
「名前はブレイブ。職業は盗賊でレベルは三十だ」
俺も負けずに事務的な態度で臨む事にした。シャツの内側に首から鎖で下げている身分証を藤堂の見ている資料の上に掲げる。
この身分証は特別な金属と製法で作られており、名前や職業、レベル等がプレートに刻印されている。偽造されないようにという魔族討伐組合側の配慮だ。
藤堂は俺の差し出した身分証を凝視すると今まで下に向けていた顔を上げ、俺の眼を直接見て話し掛けて来た。
「ブレイブ様程のレベルの方なら、どのような依頼でもこなせると思いますよ。何かご要望はありますか?」
どうやら俺の格好を見て駆け出しの冒険者だと思っていたらしい。
俺は黒のスーツを身につけていた。一見すると普通のビジネススーツのようにも見えるのだが、俺の装備しているダークスーツは、生地に鋼の糸が編み込まれている特注品だ。
態度が百八十度変わった藤堂に向かって俺は皮肉を込めて聞いた。
「俺のレベルに見合う、報奨金の高い依頼を紹介してくれ」
「少々お待ち下さい……」
藤堂は手元の資料をペラペラとめくり、あるページで手を止めた。その左手の薬指には銀色に光る指輪を付けている。結婚しているようだ。
「ホープキング山への金塊掘りの護衛で、レベル二十五以上の冒険者を対象とした依頼が来てます。期間は金塊が見つかるまでですが、報奨金は千万カリムです」
報奨金は大きいが『金塊が見つかるまで』という事は、報奨金は発掘した金塊で支払うつもりらしい。つまり、この依頼者は現在金も持っていない貧乏人という事だ。金塊が見つからなかったらどうするつもりなのだろう。
「他の依頼はないか?」
藤堂は再び手元の資料を調べ始めた。
「えっと、同じホープキング山への護衛の依頼ですが、こちらは目的は明かせないと言う事です。期間は目的達成までで報奨金は五百万カリムですが、前金として百万カリムも支払われます。全部で六百万カリムですね」
先程の依頼に比べると、前金もある今度の依頼は良い条件だった。目的は明かせない、というのは少し気になるが、金が貰えるならどんな事にも付き合うつもりだ。
「詳細を聞かせてくれ」
藤堂の話をまとめると、依頼主はマクルスという名前で三十一歳。この城下町で武器屋アームズを営んでいるらしい。武器屋の評判は良く売上も好調のようだ。
俺はマクルスの依頼を受けるため、明日早速、武器屋アームズに行く事にした。
夜遅くなり冒険者の少なくなった魔族討伐組合を出たのは、日が変わる寸前だった。
黄金によって栄えている城下町の通りを歩いているが、さすがに夜遅い事もあり、人通りもまばらになっていた。
俺は一昨日この城下町に到着してからは、一泊七千カリムで朝食・夕食つきの安めの宿屋『ゴージャス』に泊まっている。
宿泊料と宿屋の名前が一致しないゴージャスを目指して歩いていると、どこかで助けを求める声が聞こえてきた。
ハンカチか何かで口を抑えられているらしく声がこもっていたが、盗賊である俺の耳には、女性が「助けて」と言っている声がはっきり聞えた。場所は今歩いている通りからそれ程離れていないようだ。
しかし金にならない事はしない、をモットーにしている俺は聞かなかった事にし、そのまま進む事にした。
「た、助けて下さい!」
暗がりの続く通路の角から女性が飛び出してきた。
さっき声を聞いた時から分かっていた事だが、女性は俺の進行方向で襲われていたらしい。
目の前に倒れ込んだ女性に手を差し伸べながら、さりげなく観察すると金色の髪をした二十歳位の女性だった。
建物の隙間から入る微かな月明かりに照らされ、長い髪がきらきらと輝いている。
結局、金にならなくても助けてやるしかないわけだ。
「どうしました? お嬢さん?」
俺はとりあえず、お決まりの台詞を言って相手を安心させてやる事にした。
その時、女性が飛び出してきた暗闇から無骨な野郎三人組が現れた。男達が立っている場所は丁度建物の影になっていたため、俺の眼でも顔を確認する事は出来ない。
「兄ちゃん悪いんだが、黙ってこの場を立ち去ってもらおう」
中央に立っていたリーダー格らしき巨漢が言った。
願ったり叶ったりの俺は何も言わずにその場を立ち去ろうとした。
「てめぇ! 待ちやがれ!」
俺の目の前に、巨漢の隣にいた細身の男が立ちはだかった。その右手には短剣が握られている。
「どうした? パッシ?」
巨漢の男は、目の前で真っ赤な眼をして俺を睨んでいる細身の男に言った。どうやらパッシという名前らしい。パッシ……。どこかで聞いた名前だ。
「こいつ、ブレイブだ!」
パッシは言った。俺はレベルは高いが、まだ知名度が低いため雑誌に取り上げられた事はなかったはずだが、なぜか目の前にいるパッシと呼ばれた男は俺の事を知っているようだ。
「なんだとぉ?」
暗闇から巨漢の男が月明かりの下に出てきた。頭はスキンヘッドで眉毛もなく一見すると海に棲むタコのようだ。俺はこの巨漢を知っている。
「よぉ、久しぶりだな、タコール。元気だったか?」
「俺の名前はタカールだ! 貴様、よくも俺達の金を奪ってトンズラしやがったな!」
間髪入れずにタコールが言った。
俺は今まで数々のパーティーに加わったが、気に食わない場合はパーティー全員の所持金や高価な装備品などを世のため人のために預かる(奪った訳ではない)事にしている。
タコールのパーティーも例外ではなく、俺は奴らのやり方には嫌気が差しミッション終了と同時に、所持金とタコールの持っていたゴールドアックスを預かった。
「ブレイブ! よくも俺の大事な短剣を盗みやがったな!」
目の前の盗賊パッシがその細身の身体に似合わず甲高い声で怒鳴っている。
こいつは同じパーティーに盗賊二人もいたから目立たなかったが、いつも俺の事を眼の仇にしていた。
存在が薄かったせいか、俺はこいつの名前と顔をすっかり忘れていたようだ。
パッシの言う通り、こいつが持っていた精霊の短剣も預かったのだが、武器屋に売っても一万カリムにしかならなかった。まだまだ俺も未熟だな、と思った一瞬だった。
暗闇から三人組の最後の一人、ザムが出てきた。黒い短髪で背は俺と同じ位だが、年齢は少し上だろう。
こいつはいつも何を考えているのか理解出来なかった。
職業は武道家を名乗っていたが、背中には刀を背負っていた。こいつの刀は高価そうだったが、ザムの存在感の不気味さから預かる事はしなかった。
「借りは返させてもらうぞ」
タコールはそう言うと巨大な斧を構えた。俺が預かったものよりも高価なように見える。
俺は腰のベルトの左右に下げているホルスターから二丁の愛銃ネカー&ネマーを取り出して構えた。俺はこの銃を冒険者として出発した時から大事に使っている。
銃自体は軽い素材で出来ていてネカーが金色でネマーは銀色だ。
「おりゃあああ」
タコールは両手で斧を構えながら、俺に攻撃を仕掛けてきた。あいつの巨体が地面を踏みしめる度に島全体が揺れているような感触を受ける。
俺はタコールの鈍い動きとその斧の攻撃を身体を半分ひるがえしてかわした。すれ違い際に奴のピチピチのズボンに下がっていた銭袋を奪った。俺はタコールの後ろに回り込むと得意気に奪った銭袋を右手に掲げて揺すった。
「貴様ぁ! 性懲りもなく、またやりやがったなぁ!」
俺が得意になっていると、突然後ろから右手に下げた銭袋を盗賊のパッシが奪い返した。
「へっへっへ、タカールの銭袋は返してもらうぞ」
「そんなボロ布で良ければいくらでも返してやるよ」
俺から気づかれないように銭袋を奪ったと思って上機嫌になっているパッシに向かって言った。
俺は既にタコールから奪った銭袋から硬貨を全て取り出し、俺の愛銃であるネカー&ネマーのマガジンにセットしていた。
俺の持っている金銀の銃、ネカー&ネマーは弾丸の代わりに硬貨を打ち出せるという珍しい銃で、俺と共に危険な冒険を生き抜いてきた相棒だ。
俺はタコールに向かって銃を構えた。勿論、後ろにいるパッシにも注意を払っていたが、少し離れて観察しているザムは、敢えて相手にしない。
「ぬうう……」
タコールはまたしても顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。今のこいつの脳天に硬貨をぶっ放したら、さぞかし大量の血が噴出するだろう。いや、墨を吐くかもしれない。
「帰るぞ! パッシ! ザム!」
タコールは尚も俺を睨みつつ仲間二人に言うと、足早に立ち去ろうとした。
俺は右手のネマーを構えると、タコールの持つ斧に向かってトリガを引いた。
「ズダッ」という重たい音を立てて、ネマーから発射された硬貨が斧目掛けて飛んで行く。
俺は今回もタコールから斧を預かるつもりだった。
しかし、その硬貨が何かに弾かれ渇いた音と共に俺の足元に落ちた。
「今、金欠なんですよ。これ以上何かを奪うのは勘弁してくれませんか?」
今まで観察していただけのザムが優しい口調で言った。あいつの喋り方はいつもこうだ。これが奴の不気味さを更に強調していて俺は好きになれなかった。
その右手には背中に背負っていた刀をいつの間にか握っている。
「ん? どうした? ザム?」
隣を歩いていたタコールは何が起こったのか気づていないようだったが、俺の眼には見えた。ザムは常人には見えないような速さで背中の刀を抜き、迫り来る硬貨の弾丸をその刀で切り払ったのだ。
ザムは一体何者なんだ。ザム程の腕の持ち主が、なぜタコールをリーダーとするパーティに加わっているのか理解出来ない。
俺は暫くその場に立ち尽くしていたが、気を取り直して改めて宿屋へ向かう事にした。タコール達に襲われていた女性は、いつの間にか居なくなっていた。御礼の一つでもして欲しかったが、臨時収入があったので許してやる事にしよう。
宿屋に到着したのは深夜一時だった。チェックインを済ませ部屋に入ると、俺は手早く装備を外してベッドに横になった。