人生最後の『夢』
ある時、俺は、やくざっぽい連中に取り囲まれていた。
相手は、殴り掛かかって来る。
普段では想像も出来ない自分がそこに居た。
「えぃ!、やぁー」とばかりに、回し蹴りに足を振り抜いた。
………。
しかし、その振り抜いた足の相手は、無情にも、布団の横の箪笥だった。
「痛って!」
そう、度胸もない俺が蹴ったのは、布団の傍にあった、ただの箪笥だった。
ただの夢であって、その痛みに目が覚めた。
皆さんもこんな経験、あったでしょう?
例えば、
夢の中で「階段を踏み外しそうになった時、思わず、足を突っ張った」
そう、会社での昼休みのほんの束の間、自分のデスクでちょっぴりの仮眠・夢。
「ピクッ」っと、そしてその瞬間周りを見渡し、ちょっと恥ずかしいな、などとも。
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私は学生時代、運動部に所属していたせいもあったのか?、
中学の2年生の頃? 俗に言う『金縛り?』なるものにあった。
意識はあるのに、体は動かせない!!、最初の頃は恐怖だった。
「早く起きなくちゃ、このまま死んじゃうかもしれない!」
まるで幻聴の様に聴こえるキィーン、キィーン、ガンガンとする音が自分の周りを廻っている。
どこでもいいから、指先でも、足先でも、首を振ってでもその金縛りから逃れようとした。
確か? 足先かな? それが辛うじて出来、足先が動き金縛りからは逃れた。
それからもそんな『金縛り?』体験は続いた。でも、なんとなく自分でもそんな体験に飽きてきていた。自分なりに、部活で使いきったこの身体。身体は眠いに決まってる、それに対して、頭は疲れ切っていない。
(勉強に熱心でなかったから?、いいや、そんな事はない。程々に? ではあったであろうが……)
頭だけは眠く無いのに、身体が就いていけないんだろうな~ と思えるようになった。
以後、私は、『金縛り?』をむしろ楽しむようになった。
金縛りに遭っても、やっぱり次の日の朝は来る。
金縛り? に怯えるより、
「まっ、明日は来るさ。ここで起きてしまうより少しでも寝とこう!!」と、金縛りの最中でも平穏を務め楽しんでいた?。
(ネット等で、『金縛り』の項目を検索した事はないが、むしろ、検索などしたくも無く、本当の金縛りという定義も解っていない。これからも検索しないであろう……、その方が幸せなのかもと)
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脳はレム睡眠、ノンレム睡眠等で区分けされている様であるが、
眠りが浅くなった時に夢をみるそうである。
だからきっと一晩中に何度も夢は観ているのだろう、ただ目覚めるとその記憶は無い。
なかなか寝付けない時、ある夢を観る。そしてそんな時、夢の途中で、
「これは、夢だ!」と半回転もしていないであろう脳に対して気付き、悪い夢ならちょっと起きようかな?、いい夢なら続きも夢たいし、また寝ようと思いグーグーと。
朝、目覚まし時計の音がする。
その音が、大好きだった女の子との遊園地でのジェットコースターの出発音とかぶる。ハット起きると
「あっ、そうだ今日は会社休みじゃん、今のジェットコースターの出発音はこいつか?」…… ただ、目覚まし時計をOFFしていなかっただけの事である。目覚まし時計をOFFし、続きを……。と思ってもその子はもう出てこない。会社が休みだったという安心感で二度寝をしてしまう。
私は、寝ている時の夢などに精通している訳では無いが、過去にこんな事をテレビ? 書き物? で聞いた事がある。
「寝ている時、急に何かのきっかけで夢の途中で目覚める、そのきっかけで直前の夢の事を幽かに覚えている。しかし覚えていた夢も直ぐに現実の社会に飲み込まれる。その夢を観ていた時間は、一秒も無いであろう、おそらく一瞬である」と、
でも目覚めてみれば、そんな一瞬の時かもしれないが、ストーリーもあり、もっと、夢ていたかった……。などとも。
と思ってみても、また眠りが深くなれば次に目覚めた時には、記憶にも無い物になってしまうと。
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もし、我々が見ている夢が、ただの一瞬のものなら……。
マンション等からの投身自殺をする人、電車に飛び込む人、リストカット……、等々。死を迎える直前に、
「今まで生きて来た人生、嫌いだった人、そして大好きだった人、いろんな思い出がフラッシュバックして来ているのだろうか?」
でも、もうそれは目覚める事の無い時、だからこそ、一瞬では無く、全てを思い起こせる瞬間(時)なのかもしれない。
よく聞く話であるが、黄泉の世界の直前まで行った人の生還話である。
「川の向こうの綺麗なお花畑で、かあさんが手を振って私を呼んでいるんだよ」
「蓮の花が咲いていて、すごく奇麗だったよ……。でも、良かった戻って来られて……」
等々。
でわ、
外国人? なら蓮の花などを『黄泉の国』への、そんな大切な時に観るのか?
そんな筈は無いだろう。
例えば、霊能力者が過去人を呼び出し、現代の日本語など全く知らない故人であってもその人は、現代の標準語で話す?……。
呼び出した相手が外国人でも、流暢な日本語で話す?……
まっ、その過去人は、
「ずっと現世の人達を見守っているからなんでも解る」と言われれば、そうかもしれない。否定する根拠も無いし、そんな気も起らないが……。
ただ、昔から言われている『49日』には、何か意味があるのかな~(いい意味で)、そしてそれは、現世ではたった一瞬の夢を、49日間も観続ける事が出来るって事なのかなと思っている。
(ある意味、死後の世界に対しての儚い夢? であるのだが)
現世での楽しかった事、苦しかった事、好きだった人が今どうしてるのかな?、全てが、その49日間で観える?、
いや? 本当は、人生など49日間で充分に凝縮される事なのかもしれない。
この投稿は、今考えている作品の前振りの話です。
数ヵ月? 後になってしまうでしょうが、ちょっとしたプチ小説?(1時間位のボリュームかな)
恐らく、その作品は、一匹のセミと『人類の愚かさ』模様を描く作品に成るのかな? と思っています、本話のイメージとは全く異なると思いますが……、
まだ、題名も決まっていません。(まだ書いている途中……なので)
本投稿の次話では、『49日』をダークでは無く、本稿の本来の話、『自分の来世はセミ? になる』を希望した事に触れたいと思っています。