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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第二章 月の妹
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2.お披露目

「紹介するわ、彼女が私の妹になるセーラ・ヴィレールよ」


 南側に取られた大きく透明な硝子戸――この硝子だけで一財産だ――から降り注ぐ朝陽に代わり、驚きが朝の食堂を支配した。それはすぐに、歓声と悲鳴がない交ぜになったどよめきに変化する。

 食堂には長卓が幾列も並べられ、一定の間隔で花瓶が配されていたがその花は風ではなく喧噪に揺れていた。壁画の、献身的な看護をする聖ウルスラもこんな騒ぎを耳にしたのは初めてのことだろう。


「レティシアさまが妹を……」


 誰ともなく、信じられないと呟いた。

 妹とは、上級生が特定の下級生を指導・監督して、特別に淑女として育て上げ次代の監督生や主席生徒にするというアマーリア女学院独自の風習である。

 薔薇園の秘密で一般に知られるようになり、似た制度を導入する神学校も出てきているという。


 そこまではアールも知っていたが、シャルロットの妹になるなど初耳。

 ティアナから「どういうことですか?」という視線を投げかけられるが、それはアール自身が最も知りたいところだった。


 どうしてこうなったのか。


 セーラへの変装は嫌々。練金肢の整備は滞りなく。しかし、両方とも万全。ティアナと連れだってウルスラ寮の食堂に入り、寮生が注目する中、担当の修道女に促され転入の挨拶もした。


「セーラ・ヴィレールです。田舎者ですが、よろしくお願いします」


 と細い声で、芸のない自己紹介ではあったが、落ち度はなかったはずだ。台詞を噛むこともなかったし。


 ティアナの励ましの視線が、問いつめるそれに変わったのはその直後。


 どうしてこうなったのか。

 考えるまでもない、シャルロットが乱入してきたからではないか。またしても一方的な宣告で。


「どういう……」


 アールが抗議と疑問の言葉を投げかけるよりも早く、言葉の洪水が二人を襲った。


「レティシア様、理由をお聞かせ下さい」


 怒りと驚きと悔しさを必死に押さえ込んでいるような気丈な声。指でちょっとつついただけでその思いが決壊してしまいそうだった。

 その質問は黒髪の女生徒から投げかけられたものだが、内容は皆の総意だったに違いない。言葉にならない感情がざわめきとなって、食堂を支配していた。


「今まで、誰も妹にされなかったのに」

「そうですわ。だからこそ堪え忍んでいきましたのに」

「それなのに、いきなりそんな娘を……」


 セーラなどレティシア様には相応しくない。要するにそう言っているのだが、驚くべき事に悪意の欠片もなかった。

 それに、アールとしても彼女たちの言葉は積極的に支持したいところだ。確かに昨夜、期間限定の護衛を申しつけられはしたが、妹云々などまったく別の話ではないか。


「驚かせたのは悪かったわ」


 しかし、シャルロットは動じない。長い髪をかき上げると、天の川の様に煌めき揺れる。誰もがその美しさに見ほれ、そのよく通る声を聞かずにはいられなかった。


「私が今まで妹を取らなかったのはね、あえて私がみんなを指導する必要がなかったからなのよ。既にみんな教養を身につけた乙女だったのですからね。それに、監督生と違って主席生徒(ル・メイユール)は必ずしも〝世襲〟というわけでもないのだから、妹がいなくても誰も困らないでしょう?」


 本心かどうか分からないが、この理論は反対しづらい。


「つまり、セーラさんはそうではないと……」

「ええ。この娘ったら昨夜、早速部屋を抜け出していたの」


 シャルロットがアールの隣にやってきて、そっと肩に手をやる。そして、あなたは黙っていなさいと片目をつぶった。


「まあ……」

「そしてね、礼拝所で一人〝主〟(ソル)に感謝の祈りを捧げていたのよ」

「はぁ?」


 思わず出てしまった抗議の声は、シャルロットがアールの肩をつねって中断させる。痛みよりも、シャルロットが触れているという事実を改めて思い知り、それを気にしているという感情がアールに口をつぐませた。


「なぜなら、今セーラがここにいることこそ、彼女と正義の輝かしい勝利の証なんですもの」


 シャルロットの朗々とした語りが、食堂を。引いては、この寮そのものを支配した。彼女が主席生徒であるというためもあるが、話の続きが気になって誰も言葉を挟まず息を飲むだけ。

 それは当事者のアールも同様だった。


「セーラの両親は幼くして亡くなり、代わりに叔父が後見人となっていたのだけど、彼は不正にその地位を簒奪し、彼女は下女として育てられていたの」


 なんの話だ?


 もはや驚くよりも呆然とするアールに、シャルロットは今までの苦労を慰めるような笑顔を見せた。悪魔(メフィスト・フェレス)も、こんな慈愛に満ちた表情で人を騙すに違いない。


「最近、ようやくその不正が糺され正統な地位に戻ったセーラは、領地経営を代官に任せ、領主として相応しい人間になるためこのアマーリア女学院へやってきたのよ?」

「セーラさん、そんなことが……」


 真っ先に反応したのはティアナだった。


「お辛かったんでしょうね。でも、もう、大丈夫ですわよ。わたくしが、いえ、ここにいる皆が、もう、セーラさんの家族になるのですからね」


 先ほどの生意気な新参者をどうにかしてやろうという雰囲気は消え去り、代わりにアールは同情の視線を一身に集めていた。

 自分の正体がばれるかも知れないと俯くアールだったが、その態度が少女たちの庇護欲を一層かき立てていることには気付かない。


 アールには、自分が薄幸の美少女(に見える)という視点が欠如しているのだ。


 それだけでは終わらず、今朝のお祈りの当番である修道女――偶然にもアールをここまで案内したアンジェ――までも目元を押さえていた。色々とおかしい。なんだこの三文芝居は。 


「そういう事情なのよ。グレースが不在の中、私がしっかりと面倒を見てあげないとね。このレティシア・ル・フォールが、セーラ・ヴィレールを一流の淑女にしてあげるわ」


 一方的にセーラが貶められている気もするが、その点に関してはアール自身も反対するわけにはいかなかった。


「レティシアさまを疑うようなことをし、申し訳ございませんでした」

「大丈夫よ、セーラも気にしてはいないわ」


 最初に声をあげた黒髪の女生徒が代表する形で謝罪をする。これで、騒ぎが収まっていった。

 ここまでアールの意志が反映されないと、いっそ清々しさすら感じる。よくもあんな作り話を見てきたように語れるものだ。


「それでは、食事にしましょう」


 アンジェが、ここぞとばかりに事態の収拾を計った。セーラ・ヴィレールの身の上話は別として、朝食前のお祈りをするためにいる彼女も、職務が遂行できなくて困っていたのだろう。


「セーラ、こちらへいらっしゃい」


 その流れに乗って自らの席へ戻るというよりは逃げようとしていたアールは、肩に手をやったままだったシャルロットに回り込まれてしまった。


「いえ……」


 ここで捕まってはたまらない。なにか適当な理由を付けてなんとか自由になろうとしたアールはしかし、自分が敵地(アウェー)にいることをまざまざと思い知らされた。


「お嬢様からご指示がありまして」


 まるで昨晩の再現のように、ティアナの侍女クレアがアールの食事を持って目の前にいた。相変わらず無表情で感情の動きが読めないが、仕事ぶりは精勤そのもの。

 アールに手渡したりせず、トレイをシャルロットのテーブルに置いてしまう。ちなみに、主席生徒だからか他に理由があるのか分からないが、そこは彼女専用のようだった。


「あの……」


 アールはなにも言えない。

 それを命じたティアナはと見れば、向けられた男の十人中九人が誤解をするような柔和な笑顔を浮かべ、暖かな眼差しをアールに向けていた。

 心教の慈悲と寛容の精神を体現するかのようなティアナの親切を、断ることは出来なかった。いや、そうするにはあまりにもリスクが高すぎたというべきか。


「ご一緒させて、頂き、ます……」

「ええ。良くってよ」


 なぜか、アールからお願いする形になっていた。

 窓からの陽光で程良く暖められた特等席で、白いテーブルクロスが目映く輝く。だが、ここに一人というのはいかにも寂しげだ。距離はあるので周囲から話を聞かれる心配は(注意すれば)あまりなさそうではあるが。


「〝主〟よ、本日の糧を恵まれたことに感謝いたします」

「感謝いたします」


 食事前の祈りを唱和する。

 今朝の献立は、パンケーキにポタージュとサラダ。さすがに朝からワインはなかった。


 食欲を完全に失ったアールだったが、こうなった以上このチャンスを逃す手はない。まずは、見た目と匂いから毒がないことをざっと確認。

 その後、フォークを手に取ろうとしたが、手が滑ってシャルロットのパンケーキへと飛んでいってしまう。


 ……としか、周囲には見えなかっただろう。


「申し訳ありません」


 そして、その不調法を謝りつつ、自分の物とすべて交換してしまった。


「気にしなくて良いわよ。でも、お気をつけなさい?」


 アールの意図を察したのだろう。シャルロットは泰然とアールの行為を見守った。

 その一言で、周囲の視線も沈静化する。

 ようやく食事が始まったが、自分の物になったそれをどうするか。しばしアールは逡巡する。できれば、部屋に持ち帰って細かく調べたいところだが、それは不可能。


 とりあえず匂いや少量ずつ口に入れて毒の有無を判別するしかない。そう結論づけたところで、やはりまだ食事に手を着けていないシャルロットから声がかかった。


「そういえば、セーラから承諾の言葉を聞いてなかったわね」

「断って良いのか?」


 下品にならない範囲での分解に忙しいアールがぶっきらぼうに答える。


「駄目でしょ」


 酷い話だった。


「違うわよ。小さな声なら余所まで届かないけど、言葉遣いはちゃんとなさい」


 内心思うところはあったが、彼女の言葉ももっともだ。律儀に、アールが言い直す。心配しなくとも、セーラとしては小さな声しか出せなかった。


「ここまできて断れるはずがな……ありません」


 消極的な肯定。しかし、シャルロットはそれに頷く事はなかった。


「そうそう。妹っていうのは、上級生が特定の下級生を指導・監督して、特別に淑女として育て上げ次代の監督生や主席生徒にするという――」

「存じています。薔薇園の秘密を読みましたから」

「その調子よ。だけど、読まれていたのね。恥ずかしいわ」


 その理由は分からないが、シャルロットが頬に手を当てて本当に照れていた。それが余りにも様になっていて、この強引で息もつかせないレティシア・ル・フォールが、本当にシャルロット王女なのだと改めて痛感する。


「だけど、あんな作り話はすぐにばれますよ」

「大丈夫よ、宰相(小父様)に資料をでっち上げてもらいましょう。本物の、偽物よ」


 ここまで卑小な国家権力の乱用も他にないだろう。自分の台詞がおかしかったのか、シャルロットが声を潜めて笑った。


「まあ、そこは気にしなくて良いでしょう。それにしても、また妹が出来て嬉しいわ。本当の妹は、お嫁に行ってしまって何年も会っていないのよ」


 シャルロット王女の妹。つまり、マリアンヌ女王の二人目の娘であるリゼット王女が降嫁する時には、確かマリーカたちが騒いでいたような気がするが、詳細はまったく知らなかった。


「それでは、食事にしましょうか」

「はい……」


 食べても問題ないだろう。そう結論づけたアールはシャルロットに倣って蜂蜜を適量回しかけ、パンケーキを四等分してその一片を口に運ぶ。


「セーラ」


 しかし、その手が途中で止まった。

 何事かとシャルロットを仰ぎ見る。


「駄目じゃない、口を開けちゃ」


 いじめだろうか? 訳が分からなかった。食卓の花瓶に飾られた紅薔薇はなにも答えてはくれない。

 アールの対面にいる紅玉の薔薇は、真面目な顔でお手本を見せようとしてくれているが――


「もっと小さく切り分けて、こうするのよ」


 フォークに刺さるか心配になるほど小さくパンケーキを切り分け、それを上品に口に運ぶ。口をほとんど開けていない様に見えたが、しかし、フォークから切れ端は確かに消え去っていた。


 ――とても真似できそうにない。


「…………」


 アールはぽかんと、その手品のような作法を傍観することしかできなかった。やれと、これを?


「あなたもやってご覧なさい」

「はい。シャルロ……レティシア……さま」


 間違いを慌てて訂正するアールだったが、シャルロットの瞳には非難はなく、「あなたもそんな間違いをするのね」という母親のように慈愛に満ちた色だけがあった。


「そう、人目のあるところではレティシアでね。二人きりの時には、本当の名前で呼び合いましょう」


 混乱しそうだなとアールは思ったが、彼女がそう希望するのであれば反対するほどのことでもない。そもそも、そう頻繁に二人きりになるとも思えなかった。 


「分かりました」


 返事をしてからアールは食事を再開する。

 だが、悪戦苦闘とは今のアールの事を言うに違いない。


 普段なら滅多に口に出来ない蜂蜜という甘味を味わっているにも関わらず、作法にいっぱいいっぱいで堪能することは出来ない。

 まあ、細かく切り分けて食べるという行為自体は、アールも大歓迎だったが。 


「そんなところかしらね。あと、食器の音は鳴らさないように」

「はい……」


 そんな調子で食事を終えると、シャルロットが先ほどの話を再開した。


「私の妹になるのは不服そうね」

「そういう訳ではな……ありませんが……」


 何かこのまま相手の思惑通りになるのも釈然としない。話が出来過ぎている。彼女はアールに、自分の近いところにいろと言っているも同然なのだ。

 こればさすがに女言葉では話せない。食卓の蜂蜜瓶を取る振りをしつつ、シャルロットの耳元で囁いた。


「分かっているのか? 俺はお前を殺すためここにいる」

「でも、すぐに私を殺すつもりはないんでしょう?」

「……」


 沈黙は肯定と同意。アールはそのまま席に戻る。


「私を守ってくれるつもりはあるみたいね」

「もちろんです」


 その時までは、だが。


「今はそれで良いわ」

「分かりました。お、私はレティシアさまの妹になります」

「ありがとう」


 シャルロットは満面の笑みを浮かべ、安心したかのようにほっと息を吐き胸の薔薇が揺れて光を反射した。

 予想外の反応にアールは戸惑うが、彼が何か言う前にシャルロットはスープに口をつけ自力で復活する。


「それにね、私はやっぱりあなたを乙女として磨かなくてはならないのよ」


 いつの間にか義務になっていた。


「外見は、まあ、良いとしてもね。立ち居振る舞いで正体が露見したらどうするの? それなら、私からちゃんとレクチャーを受けた方が良いでしょう」


 言っていることはまさにその通り。反論の余地もない正論だ。外見はともかくという部分以外は。


「私が何者か分かって、言って……仰っているのですか?」

「あなたが暗殺者なら、私は王女様よ?」


 シャルロットが悪戯っぽく微笑む。アールに、その笑顔へ抗する術は無いように思えた。どちらにしろ、手を出したら。いや、知られた時点で負けなのだ。


「この後は初めての講義ね。私もティアナと一緒にいてあげるから、大船に乗った気でいなさい」


 そういえば、天使と悪魔は元は同じ存在だったな。

 シャルロットの笑顔を見て、アールはそんな知識を思い出していた。

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