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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第二章 月の妹
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1.暗殺者(アール)の起源

 アールの記憶は戦禍と共に始まる。


 この時代における傭兵とはつまり、軍隊に所属する山賊を意味していた。そして、軍隊というのは僅かな騎士階級とその従者を除いて、大部分が傭兵から構成されている。


 将軍に最も必要な資質は、指揮能力でも戦場における武勇でもなく、兵を集めそれを維持するための集金能力にあった。


 十年近く前。アールの故郷であるグアーブルの街は、ソルレアン王国軍に何ヶ月にも渡って包囲されていた。侵入してきたヴァルダー帝国軍に降伏し、その根拠地となっていたからだ。


 といっても、ずっと戦争行為が行われていたのではない。

 思慮深き名将として知られるリッツ侯爵は、無血開城を目指してずっと包囲するに止めていた。ソルレアン本軍に足止めされたヴァルダー帝国軍は援軍を送ることも出来ず、グアーブルの降伏は時間の問題であった……のだが、ついに我慢しきれなくなった配下の将軍の一人が独断で攻撃を始めてしまった。


 言うなれば、わざと狼を餓えさせていたようなもの。我慢に我慢を重ねた軍隊はその凶暴性と残虐性をいかんなく発揮し、街がひとつ地図から消滅した。


 それは確かに不幸ではあったが、アールはそれで誰かを呪ったりはしなかった。

 生き残った彼にはもっと重要な使命――後に出会った義妹のミュリエルを守り、生き抜かねばならない――があったのだから。


 今でも時折、アールが夢に見る光景がある。


 いつものように戦場で金目の物を漁っていると、運が悪いことに傭兵と遭遇してしまった。森の中で狼に出会うよりも性質が悪い。狼はただ食らうだけだが、人は人を慰み者にする。

 アールとミュリエルは脱兎のごとく逃げ出したが、さらに運が悪いことにミュリエルがその男に捕まってしまったのだ。


 当然、アールは傭兵に立ち向かい――これまた当然太刀打ちできるはずもなく、まず右腕を斬り落とされた。アールの血と二人の悲鳴が迸り、痛いのか熱いのか腕があるのか動けるのかすべてが分からなくなる。


 だが、男に勝ったのはアールだった。


 気を失わなかったのを意地とするならば、この結果はなんと言うべきなのか。

 気づけば、男はアールに右腕を口腔に突き立てられ、窒息死をしていた。無我夢中でなにがなんだか分からなかったが、アールは勝った。殺した。


 しかし、それで終わりではなかった。


 荒い息を吐き、痛みではなく血が上りすぎて倒れてしまいそうなアールと怯えるミュリエルの前に、男の仲間がやってきたのだ。それも数人ではない、部隊が丸々。


 どうあっても、見逃してくれるはずがない。

 絶望と死が彼らの上に帳を下ろす。


 その時、風が吹いた。


 アールたちの背後から吹いた風は、人の形をした死そのものだった。それでいて、アールたちの絶望と死の帳を打ち払う烈風でもあった。


 仲間の死体を見ていきり立つ前衛を殺し。

 事態を把握して動き始めた主力を解体し。

 理由も分からぬままの後衛を無慈悲に切り刻む。


 古い亡骸の上に、新しい死体が積み重なっていく。


 朦朧とした意識の中で、アールはその光景をずっと瞳に焼き付けていた。圧倒的で一方的で破壊的な虐殺劇を。


 力が欲しい。ミュリエルを守るため、生きるため、負けないために、この力が欲しい。

 それは確かに事実だ。


 だが、それよりもアールの心を占めていたのは、自分も彼のように力を振るってみたいという、単純で根源的な欲望だった。


 憧れ。

 自分もあんな風になりたいという想い。

 人の形をした死――ゲオルクに拾われ、彼の子となるのはその直後のことである。





「はぁはぁはぁ……」


 頭が痛む。意識がはっきりしない。吐き気は必死に堪えた。


 アールが生身の左腕で右の練金肢を押さえる。そこには確かに義腕が存在していたが、彼が押さえているのは遙か昔に失った右腕だった。


 あまりにも意味がない感傷。

 それでも、アールはここが何処か見失ってはいなかった。アマーリア女学院ウルスラ寮。セーラ・ヴィレールの居室だ。自分の部屋だとは、まだ思えない。


 シャルロットから一方的な宣告を受けた後、アールは香炉とデレクとの戦闘の痕跡を隠蔽し、この自室へと戻っていた。


 数日寝ずに働けるぐらいの訓練はしているが、雷鳴草の副作用で動けなくなる前に休むのも仕事の内。昔の夢を見て、充分な休息を得られなかったのは自分の責任だ。少なくとも、アールはそう考える。


 鎧戸を開くまでもなく、今が明け方であることは分かっていた。正確に時を刻むアールの体内時計が、三時間ほどの睡眠時間であったと告げている。

 寝過ぎるよりはずっと良いはずだ。なにせ、セーラ・ヴィレールとしての身支度には時間がいくらあっても足りないぐらいなのだから。


 のろのろとベッドから起き上がり、備え付けの洗面台へと移動する。


 そうしながら、寝間着にしていた貫頭衣を脱ぎ捨てベッドに放り投げる。淑女らしからぬ行為だが、誰もいないのだから許してもらおう。


 そこでアールは、はたと気付いた。

 そもそも俺は淑女なんかじゃない。


 なんとなく引き返せなくなるような悪い予感を抱きながらも、現実として着替えを止めるわけにもいかなかった。酷い現実だ。いや、酷いからこそ現実なのか。


 汲み置きの水を使って顔を洗い、タオルで拭きながら化粧台へ向かう。本当は制服を着てからすべきなのかも知れないが、コルセットを身につけた状態でやる気にはなれなかった。


 まず、髪を丁寧に梳る。今までは手で簡単に整えるだけだったが、マリーカらの厳命が下りしっかりと櫛を入れることとなった。前髪は目にかからないようにしろとも言われていたが、このヴェールが無くては心許なすぎたし、日の光は闇に慣れたアールの瞳には苦痛だった。


 だが、これは、まあ、良いのだ。


 次によく分からない液体を顔に塗って満遍なく延ばし、これまた正体不明の粉を頬の辺りを中心にはたいていく。

 他にも色々使うように言われていたが、自主的に省略。これ以上、化粧品の匂いに耐えられそうにない。


 最後に、唇に薄く紅を塗るが、アールにとってはこれが辛かった。確かに唇は鮮やかになるが、変な味がする。酷い違和感だ。手で拭い去りたい。

 鏡の中のセーラも微妙な顔つきをしていた。


 アールには自分の女装姿をまじまじ見る趣味はないので、最低限のチェックだけして化粧台から離れる。

 細く折れてしまいそうな裸身に、セーラ・ヴィレールとしての装飾を施さなくてはならない。


 革製の半ズボンを履き、その窮屈さに眉をしかめる。しかし、締め付けるほど自分が男であると露見する可能性が低くなるように思えて止めようとは思わなかった。


 次にセドリック特製のコルセットを身につけねばならないのだが、これが最大の苦行だった。

 軽い革で出来たコルセットは、胸の部分が緩やかな曲線を描いていた。慎ましやかなと言っても良いだろう。

 アールにない部分を補うための物だが、はいそうですかと受け入れるわけにもいかない。簡単な防具となるようにも作られており、デレクの針をこれで受けきったとしてもだ。


 はっきり言って、この大陸で最大の錬金術の無駄遣いだ。

 とはいえ、嫌々ながらもちゃんと身につけるのがアールの真面目というか融通の利かないところだろう。

 コルセットを逆向きにしてからぎゅっと紐を引っ張って仮結び。そのまま半回転させて正しい位置にセットし、さらに紐を引いた。

 普通は誰かにやってもらうものだが、色々な意味でアールにそんな選択肢はない。


 ここまでくれば、山は越えたも同然。


 昨夜動く前に吊してブラッシングもしておいた制服のローブを身に纏う。膝下丈の裾は、なぜか服を着る前よりも心許なかった。

 そんな気持ちを押し殺しつつローブと同じ濃紺のベストを合わせ、さらに上着としてボレロを羽織る。


 手首にナイフ・シースを巻き、得物を格納して準備完了。もちろん、上着の裾に武器を隠しておくのも忘れていない。


 最後に鏡の前でくるりと一周回って全身をチェックし――それがあまりにも自然過ぎる動作だったため、その場にひざまずいてしまうほど落ち込んでしまった。


 男のやることではない。これなら、雷鳴草の副作用に苦しんで変な夢を見た方がまし。いや、この状況が悪夢だ。


 しかし、アールはまだ知らない。

 本当の受難はこれから始まるという事実を。

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