2.ティアナ・リーフェンシュタール
「そういえばこれがまだでしたわね」
向けられた者のみならず見る者まで思わず相好を崩してしまう様な笑顔を浮かべ、先を行くティアナが振り返った。門をくぐった直後だったが、侍女のクレアは主人の意を受けて車椅子をゆっくりと旋回させる。
「ど、どうしたんですか?」
単語レベルの会話なら徐々に慣れてきたアールが、びっくりしたような演技をしつつ問うた。まあ、半分は演技ではないが。
「ようこそ、アマーリア女学院へ。わたくしたちは、あなたの入学を歓迎します」
そう言って、ティアナが右手をセーラへと差し伸べる。なにをされているのか気付いたアールが生身の左手を伸ばそうとしたが、それでは手を取れない。
錬金肢であるという事実を知られるリスクはあるが、ここで変な躊躇をして怪しまれるよりは良い。
何テンポか遅れて握ったティアナの手は繊細で、アールの錬金肢ならずとも触れれば壊れてしまうそう。にもかかわらず、柔らかくミュリエルやマリーカとはまったく異なる感触だった。
「ふふ。これ、わたくしもやっていただいたんですよ。伝統のようなものですわね」
「薔薇園の秘密でも」
「劇をご覧になったのね? なら、わたくしセーラさまをびっくりさせる秘密を存じていましてよ」
今はそれを明かす気は無いようだ。素晴らしい悪戯を思いついたといった様子で、進路を戻す。アールも、それ以上の詮索はせずについて行った。
それからほんの数歩。
門を抜け、陽光がアールの網膜を灼いた。
白い光越しに見えるアマーリア女学院はそこかしこに花が咲き誇り、汚れを知らぬ乙女たちが粛々と過ごしている一種の異次元だった――というようなことは無かったが、事前に思い描いていた程度には、やはり異世界だった。
門から延びる石畳の道をまっすぐ行くと学舎に行き当たる。三階建てで丸みを帯びたデザインの、傍らに時計塔を配した白亜の城。百人をやや越える程度という学生数からするとかなり余裕がありそうに思えた。
また、学舎の奥には細長い塔も見える。薔薇園の秘密が事実に即しているとしたら、あれが図書館塔だろう。
「すごい……」
話に聞くと見るとは大違い。現実の存在感に圧倒されそうになる。
学舎の前庭には計画的に緑が配置された庭園になっていた。生徒たちの憩いの場となるテラスがいくつか設けられており、実際そこで談笑する者も見受けられる。
清貧を旨とする修道院の戒律からすると随分開放的だが、上流階級の子女が集っているのだ。息苦しいほど厳格というわけでもないのだろう。
本当にこんな所なのか……。
その光景に、見せ物でやってきた象を見たときのような変な感心をしてしまう。ここで一ヶ月も過ごせとは、やはり相当な無茶だ。
「あれが学舎ですわ。わたくしたちは本館と呼んでいますけど」
「あそこで講義が?」
本館か。その名を心に刻み、失礼にならない程度に質問をかぶせる。
「ええ。今はまだ講義時間中ですから、本館の案内は明日にしましょう。今日は、その他の施設をご案内しますわ」
「講義中でしたか」
「気になさらないで。ちょうど空き時間でしたし、お隣になる方をお迎えしたかったのですから」
侍女のクレアの様子も見たが、特に反論を持っている感じはしなかった。おそらく、事実なのだろう。アールの任務からすると、本館よりも外の施設の方がよほど重要だ。ここは大人しく従った方が良い。
「感謝します、リーフェンシュタールさま」
とりあえず姓で呼んでおけば問題ない。事前情報通りに呼びかけたのだが、ティアナはなぜか見る見る不機嫌になってしまった。その頬を膨らませ拗ねたような表情も可愛らしいのだが、アールにはそんな感受性は備わっていない。
そういえば、ティアナと呼べと言われていた。
女装しているというこの状況では些細なミスも致命傷になりかねない。背中を冷たい汗が流れ落ちていく。
「わたくしお父様もお母様も慕っていますけれど、家名の響きはあまり好きではありませんの」
「はぁ……」
言われた意味とそれが嘘だと分からないほど愚鈍ではない。しかし、気付いたまま実行して良いものか疑問が残った。それが正解だからといって、綱渡りの最中に軽業を決める必要があるのかどうか。
「ですから、セーラさま」
「わ、分かりました……」
その呼びかけが決定打となった。自分でもなにをこんなに緊張しているのか分からなかったが、覚悟を決めて唇を開く。
「……ティアナさま」
「もう」
なにが足りなかったんだ! 向こうに完全に合わせた呼び方じゃないか!
分からない。
これはもう、自分が男だとばれるとかそういう問題じゃない。いや、ばれないのは問題だがそれは脇に置いておく。
こうなると、性別とか身分とかそんなことよりも人としてまったくかみ合っていないのが問題としか思えない。神と預言者の言葉を記した心書の解釈に侃々諤々の議論をしている様なものだ。
「さま付けなんてよそよそしいではありませんか」
そっちはどうなんだとか、そもそも会ったばかりだろうとか色々思うところはあったが、アールは素直に従うことにした。クレアのこちらを探るような視線が厭わしかったというのもある。
「お言葉に甘えます、ティアナ……さん」
「ええ、どういたしましてセーラさん。それでは次にどこへ参りましょうか」
やられた。
鮮やかな展開に言葉がない。これが上流階級の洗礼か……。
慄然とするアールをしり目に、ティアナは上機嫌だった。
「寮は……まだ早いわね。いきなり案内が終わってしまうわ」
「お嬢様、聖堂などいかがでしょう」
「そうね。それは良い考えだわ」
アールは左右を見渡すが、そんな建物は見あたらなかった。正門から三叉に分かれる道の正面は本館。左右は寮と思しきいくつかの建物につながっているだけ。
「こちらですわ」
道を右に折れ、前庭の中に造られた道を進んでいく。ようやく周りを観察する余裕を取り戻したアールが、視線を素早く動かした。
この空間でもっとも怪しい存在は二重の意味で彼だが、シャルロット王女を狙う暗殺者がどこに紛れているかも知れない。今のうちに目星をつけておくのは重要だった。
しかし、天気は良いが講義時間中ということもあり、外に人影はまばらだ。庭には確かに死角があるが、そこに何かが隠れている気配もない。
いるのは遠巻きにこちらを見ては、すぐに自分たちの会話に戻る女生徒たちのみだった。
「あちこちそんなにご覧になって、面白いものでもあって?」
「演劇の世界に迷い込んだようで」
「愉快なことを仰せになるのね」
なにがそんなに面白いのか、ティアナは見る人を幸せな気分にさせる笑みを遠慮なく振りまいた。
そのせいというわけではないが、アールはあまり露骨に見ない様自らを戒めた。
理由は、ティアナではなく侍女のクレア。そちらからセーラを警戒する気配を感じ取ったのだ。彼女には介助人というだけでなく、護衛役としての側面もあるかも知れない。
以降は大人しく、大股にならないよう意識しながら、車椅子のティアナと共に敷地を巡っていった。無意識だと、つい忙しげに足が動いてしまう。慣れないローブで、下半身が心許ないのだ。
その点、ゆっくりにならざるを得ない車椅子に合わせるというのは練習として好都合だった。歩く度にローブの裾がばたばたして、とても優雅とは言い難かったが。
「まだ制服には慣れませんの?」
「ええ……」
三階建ての寮を素通りしつつ、アールはセーラとして答える。
「実家では、もっと動きやすい格好でいたので」
「まあ。わたくし、この服を初めて着たときはとても機能的で感心しましたのに、これよりもっと?」
「田舎ですから」
この台詞は実に便利だ。使いすぎない程度に使っていこう。
普段から無口なアールにとってセーラとしての会話は苦痛でしかないが、今のところはまず無難にこなせているようだ。たまに、本当に自分で喋っているのか疑問に駆られる台詞も出てくるが。
それにしても、本当にアールが男だとは気付かれていないようだった。
胸は疑われないように特製のコルセットで多少補正をして、下半身はレダーホーゼというとある地域の革製半ズボンを身につけて対策をしている。
何度も見たが、外見的には問題ないように思えた。心底嫌だが。
それでも、一皮むけばそれで終わり。それなのに、誰も確認しようとはしない。おかしい。この世界は間違っている。
そんな苦悩をよそに寮や本館の右脇の道を抜け、正門と線対照の位置にある聖堂へと到着していた。
「こちらが聖堂ですわ」
「これが……」
尖塔を供えた礼拝堂で目を引くところは、上部に取り付けられたステンドグラス程度のもの。全生徒が入れるのだからかなりの規模のはずだ。にもかかわらず思ったよりもこじんまりした印象を受けるのは、今まで目にしてきた修道院に本館。それから寮の建物が豪華だったからだろうか。
「月に一度、全生徒が集まってのミサがあるんですのよ」
「外から司教……さまも、いらっしゃることがあるとか」
内容を吟味し、問題ないと判断してから舌に言葉を乗せた。
「こちらは、暁光の聖堂を模して作られたのだとか。わたくしは帝国人ですからよく存じていませんが、セーラさまはなにかご存じ?」
「いえ」
これだけでは余りに不愛想過ぎるか?
「貴族といっても末席ですから」
これも、良い返答だった。我ながら感心するが、逆に言うと貴族の娘が知っていそうなことは答えられなければならないわけだ。それに気付くと、また肩に重荷を乗せているような気分になる。コルセットのせいで、背を曲げるのも困難なのに。
「あちらの森の中にあるそうなのですが、王族の方以外は本当に誰もご存じないのですね」
アマーリア女学院。いや、修道院の裏手にはディアマンド山から続く森が広がっている。そこは国ではなく王家の個人的な所有地であり、立ち入りは禁じられていた。
むしろ、修道院も女学院も、その敷地の隅に間借りしていると言った方が正解に近い。
とはいえ森のすべてが立ち入り禁止というわけではなく、アマーリア女学院の敷地内の森には立ち入りも許されており、生徒たちは裏庭と呼んでいた。
「暁光の聖堂が、気に、なるのですか?」
好奇心というよりは、職業上の使命感でアールは疑問を口にしていた。近々、暁光の聖堂で〝太陽の婚姻〟が執り行われるのは、まだ極一部しか知らない事実。それなのに、暁光の聖堂に妙に拘るのは怪しいとは気になるところだ。
「いやだわ。そんなにしつこかったかしら、わたくし」
そんな疑いをかけられているとも知らず、イノセントな微笑みを浮かべたティアナが恥ずかしそうに口にした。
「暁光の聖堂には、画聖ニコラの大壁画があると言われてますでしょう? それを一度、見てみたいと考えておりますの」
上手い言い訳とも解釈できるが、さすがにそれは疑いすぎだろう。矛先が戻らぬ内に、質問を重ねた。
「絵がお好きなので……すか?」
「ええ。お父様がよく画家を屋敷に招いていたのですけど、そのときに――」
「お嬢様、そろそろ」
侍女が主人の言葉を遮って、移動を促した。絵画に関しては興味も知識もないので、アールにも異論はない。
「そうね。聖堂はミサの時にしか入れませんの。裏庭を通って、寮へ戻りましょうか」
「……逆では?」
「あらいやだ、わたくしったら」
口元を手で隠して笑う姿も、実に様になっていた。
彼女が動く度に豊かな胸も一緒に揺れるが、アールはそれで変な気を起こすこともない。逆に、ミュリエルやマリーカのことを思い出していた。逆である理由は言えないが。
「先ほど通過したのは、アガフィア寮とディオニュシウス寮。セーラさまが入寮されるのは、これから向かうウルスラ寮でございます」
正門から入ってきたときの位置関係を思い浮かべる。本館を中心に、南側に正門。北に、この聖堂としよう。すると、東西に寮がいくつか。東側から回ってきたため、アールたちの寮は西側にあるということか。そして、裏庭と呼ばれる森は北西。
「一度に案内しすぎたかしら?」
「その方が助かる……ります」
言ってからしまったと思うが、これ以上のリアクションは逆に怪しまれる。困ったときは微笑を浮かべてやり過ごせとセドリックにも言われていた。
「それでは参りましょう」
深く追求されことはなく、再び車椅子と徒歩での移動が始まる。そろそろコツを掴んできたのか、ローブの裾がはためくようなことはなくなってきた。身体能力は大したものだ。
それで多少余裕を持ったのか、クレアに悟られぬようにしながら、再びアールは周囲の様子を窺う。
裏庭というのは通称に過ぎないが、確かに整った前庭を目にした後だと裏と呼ばれる理由がよく分かった。
講義で使われるらしい馬を飼う馬場があるかと思えば、これまた実習用の小さな菜園があった。必要な物資はアマーリア修道院を通して運ばれるのだから、本当に講義で使うためだけのものなのだろう。
他にアマーリア女学院らしい場所といえば、薔薇園の秘密にも出てきた温室ぐらいのものだ。
「わたくしはこんなですから参加したことはありませんが、森の奥には薬草酒を保管するための施設もあるのだとか。それから、養蜂場も」
薬草酒や蜜蝋の生産は、修道院から切っても切り離せない存在だ。感心するように、セーラが頷く。
ここで働く使用人も何人かいたが、こちらを遠巻きに眺めることもせず自らの仕事に没頭していた。ティアナもそれを当然と受け取っているようで、なにも言わない。
どうせなら、あの辺に紛れたかった。
アールの気持ちを置き去りにしてそのまま森の中へ入っていくが、車椅子での移動は早晩難しくなると思われた。しかし、アールが気にすべき事は他にある。
再び周囲に意識を飛ばし、一帯に探りを入れる。
彼が見込んだとおり、アマーリア女学院に侵入するとしたらこちらからだった。ディアマンド山は脅威種がうろつく文字通りの危険地帯ではあるが、それはつまり人間に見咎められる可能性も低いということだ。
そこさえ抜ければあとは簡単。この森で、乾燥食料をかじりながら好機を待てばいい。
そして、それはさして独創的なアイディアというわけではない。その考えを実証するかのように、近くから何かの気配を感じていた。
あぶりだすか。
不意に、セーラが木の根に足を取られてバランスを崩した。それを立て直す振りをして、アールが錬金肢のスリーヴシースからナイフを抜き出し樹上へと投擲する。
当てるつもりはない。それは、ここに身を隠しているかも知れない誰かへのメッセージ。しかし、それが届いたのかどうか。
驚いた鳥が飛び立つと同時に、気配は消え失せてしまった。
まあ、良い。仕掛けは済んだ。
「大丈夫ですか?」
「はい」
最小限の回答でやり過ごし、森の奥に入ったところで、車椅子が止まる。
「あの……」
「少し、お待ちくださいね。クレア、お願い」
「お任せください」
クレアがティアナの正面に回りひざまずいた。その侍女に主は両手を伸ばして首にしがみつく。そしてクレアは立ち上がると同時に、まるで宝物を扱うような手つきでティアナの足を持って抱き上げた。
「ついていらして」
アールの返事を待たず、主従は森の奥へと進んでいった。ここから先は道が無く、確かに車椅子では進めない。では、そんなところにどんな用があるのか。
その疑問は、陽光できらめく水面を目にしたことですぐに氷解した。北のディアマンド山からの地下水が湧き出る泉。澄みきった水面。豊かな緑。ここを水場にしているらしい小動物。
英雄王に聖剣を渡した妖精が棲むような。おとぎ話の光景だ。
そして、これに似た場所を過去に目にしたことがあった。
ミュリエルと初めて会ったあの遠い日に。
「気に入っていただけて?」
そちらに気を取られているうちに、ティアナは敷物の上に座っていた。セーラを迎えに行く前から準備していたのだろう。クレアはと見れば、泉の中からワインの瓶を引き出しているところだった。
「さあ、こちらへいらして」
「綺麗な場所ですね」
思わず、率直な感想を漏らしていた。
「気に入って頂けて嬉しいわ。わたくしの秘密の場所なの。一人では来られないけれどね」
「お嬢様、セーラ様も」
音もなく近づいてきたクレアが、グラスを恭しく差し出した。
「先生方には秘密よ」
「……はい」
ゲオルクの杯はにべもなく断ったアールだったが、これを拒絶するほど野暮ではない。ティアナの傍らに腰を下ろし、ローブの裾がめくれないように気を付けつつグラスを受け取った。
「わたくしたちの素晴らしい学院生活に」
軽く杯を合わせてから、アールは中身を呷った。白ワインのフルーティな香りが喉を通り抜けていく。
そのセーラの飲みっぷりを見て安心したのか、ティアナがほっと息をついた。しばし、無言でこの美しい光景を共にする。
どれほどこうしていたのか、傍らから緊張の気配を感じてそちらを見ると、思い詰めたような顔をしたティアナがいた。
「セーラさん、お気を悪くされたらごめんなさいね」
まさか男だとばれていたのか?
先を促すためにゆっくりと頷く。
そうしながらも緊張で右手を堅く握るが、しかし、ティアナの言葉はアールの予想とは全く異なるものだった。
「ありがとうございます。その、セーラさんの右手は生まれついての物ではないのでしょう?」
「え、ええ……」
絶対にばれないと思っていたわけではないが、たったあれだけの触れ合いで感づかれるとは予想外だった。
なぜ、男だと見抜かれないのに練金肢はばれるのか。それに、彼女がどこまで気づいているのだろうか。最悪の場合、早速毒刃をこの二人に向けなくてはならない。
この泉を血で汚すのはアールでももったいないと感じていたが、それでも、誰にも見られず二人を始末できるのであれば悪い取引ではない。不在証明はどうするべきか。気取られぬように計画を練っていくが、すべて取り越し苦労に終わった。
「実はわたくしもそうなのです」
そう言って、崩していた足を覆うローブを少し捲り上げる。見て良いものなのかどうなのか。ちらりとティアナの顔を覗くと、なぜか羞恥に頬を染めていた。
自分で見せているのに?
大いに迷いながらも、女なら大丈夫だろうとそちらに視線をやる。
「信じられない……」
一目見て、今までの迷いは吹き飛んだ。アールの素直な気持ちが言葉になる。
錬金術とは、この世界の法則を研究し、神の創造の御技を解き明かすことを究極の目的としている。大なる神を知るため、小なる人の構造を確かめ、その照応から神を理解するための学問でもある。
故に、時を越えた天才と称されたディドロの発明である練金肢はその本分であるとも言えるが、それにしてもこれは破格だ。
「片足だけ……?」
錬金肢を与えられたゲオルクの子供だから分かる、僅かな違い。両足ともに揃って美しい脚線美を見せていたが、右足だけが僅かに硬さがあった。
しかし、通常なら絶対に気付かない仕事だ。これを作成したのは、かなりの名工だろう。十回は人生をやり直せる程の報酬が支払われたに違いない。
「凄いですね、セーラさん」
「そちらこそ」
暗殺者が目立つのは論外。アールの錬金肢もかなり精巧に作り上げられていたが、やはり、ティアナのそれとは段違いだ。
しかし、それは職人の優劣を意味しない。
「事故で片足を失ったわたくしに、お父様が最高の錬金肢を用意してくれましたの」
それだけなら美談ですませることも出来よう。
「でも、これでは……」
「ええ、歩けません。三歩もたたず倒れてしまいます」
それ以上負荷をかければ砕けかねない。それだけ繊細で美しく精巧で、役立たずだった。
「見た目は違っても良いから、もう一度歩けるようになりたかった。これはわがままだと思われますか?」
似たような境遇だからこそ紡がれる言葉。しかし、アールの答えはにべもない。
「人間欲張れば切りが……ありません」
「そう。そう、ですよね……」
ティアナは、セーラから現状で満足しろと言われたと思ったのだろう。しかし、アールが言いたかったのはまた別だった。
「その足に負荷をかけないように杖で歩く練習はされました? 配られたカードに文句を言うより、その範囲内で努力した方が建設的……です」
仮に男のままであっても、こんなに長く喋ることは極めて稀だ。思わず言いたいことを言ってしまったが、さすがにこれはまずいかも知れない。
「セーラさん……」
ティアナも瞳を潤ませている。
言葉遣いは丁寧だから毒が抜けているが、アールの言ったのはつまり、『錬金肢を与えられるだけで恵まれているのに、努力もせずに文句を言うな。自分の境遇に酔ってる暇があるなら動け』ということだった。
どう考えても言い過ぎなのだが、アールに。そして、セーラの立場でもフォローの言葉など思い浮かばない。
しかし、事態はアールの予想もしない方向に転がっていく。
「わたくし、そんなことを言われたのは初めてです」
感極まったティアナが、セーラに身を投げ出すように抱きついてきたのだ。
かすかな香水の芳香。伝わる体温。女性特有の軟らかい肉の感触。だが、アールはたまったものではない。
足を見せるのすら恥ずかしがる慎み深さは、一体どこへ行ってしまったというのか。
「エルラッハの主張する、ひとつの物事には複数の側面があり、それぞれを究めることで真理に近づくという複性論と同じことですわね。セーラさまがエルラッハまでご存じだとは」
そんな説は初耳だ。というか、誰だそれは。
「う、うわ……」
やめろとも言えず、クレアへと探るような視線を投げかけるが、忠実な侍女は見て見ぬ振りをしてやり過ごしていた。
こうなると自力でなんとかするしかない。男だとばれる前に。
それ以前に、この状況でなぜばれない。
急に世界への理不尽にかられたアールは、ぐっと実力でティアナは引きはがしにかかった。
「凄い力ですのね……」
「農作業を手伝ったりしていましたから」
自分でも驚くほど、すらすらと言い訳が出ていた。
「まあ……」
「落ち着きましたか?」
「やだ。わたくしったら」
その恥じらう姿すら絵になっていた。アールが女性だったなら、嫉妬に駆られていたかも知れない。それとも、かなわないと溜め息をついていただろうか。
「お嬢様、そろそろお戻りになられては」
「そう。そうね」
絶妙なタイミングでかけられた侍女の言葉に、ティアナは一も二もなく頷いた。アールも積極的に賛成だ。
片づけは後でするつもりなのだろう。クレアはティアナを車椅子まで運び、そのまま寮へと向かっていった。その隣を、アールもゆっくりと歩いていく。ティアナのお陰で、淑女らしい歩幅というものが分かってきた気がしていた。それに、言葉遣いも上達した……と思う。
自慢にもならないが。
実に複雑な気持ちを抱えたまま、アールたちは終着地である寮の前にたどり着いていた。
気付けば、もう日が落ち掛けている。
「ありがとうございました、ティアナさん」
「ふふ。まだ本館も寮もご案内していないけれど、それは今度にしましょう。セーラさんも荷解きがおありでしょうからね」
このまま寮の入り口で分かれることになるかと思われたがしかし、突然、車椅子から飛び出しそうな勢いでティアナが向こうから来る女生徒に手を振りだす。
「レティシア様」
クレアも慣れたもので、動きに合わせて車椅子を操作し、主人の意向と安全を両立させていた。
「ティアナ、ティアナ。私は逃げたりしないわよ。それより、車椅子から落ちたらどうするつもりなの?」
レティシアと呼ばれた女生徒が、速度を上げて。しかし、優雅な身のこなしはそのままにティアナへと近づいていく。
「そのときは、自力で立ち上がりますわ。この手を杖の変わりにしても」
「あら、あなたがそんなことを言うだなんて。なにがあったの?」
美少女二人が微笑み合う。実に絵になる光景だったが、アールはそれを見てはいなかった。いや、見えてはいるが、認識していないというのが正しいか。
「レティシア……」
レティシア・ル・フォール。
似顔絵の作者は芸術的な素養が欠片もないか、あったとしたらあれを残したあと筆を折ったに違いない。あの絵では、彼女の魅力をなにも伝えていない。
本物には、それだけの存在感があった。
長く繊細な金髪と美しく大きな蒼い瞳、東方の磁器のように白く肌理細かい肌。芸術の神に愛された職人が丹精込めて作り上げたかのような美貌は、目映く輝く太陽のよう。
王女を一目見たその時から――なぜ、どこに反応したのか分からなかったが――アールは呆然と動けずにいた。暗殺者としては致命的な油断。ゲオルクならずとも、五回は殺されていたに違いない。
七回ほど殺される隙を見せてからようやく、アールは自分を取り戻した。そのときには既に、標的はセーラの目の前にやってきている。
「あなたが、ティアナ待望のお隣さんね。私は、レティシア・ル・フォール。今は監督生も不在だし、なにか困ったことがあったらいつでもいらっしゃい」
「……セーラ」
ようやく絞り出した声は妙に甲高いものだった。セーラは恥ずかしそうにうつむき、慌てて言い直す。
「セーラ・ヴィレール……です」
「そんなに緊張されると困ってしまうわ」
レティシアが笑うと、胸に飾られた薔薇を象ったブローチが揺れて光を反射する。主席生徒の証である、紅玉の薔薇だ。
間違いない。
彼女がシャルロット王女。
アールがセーラ・ヴィレールとして一ヶ月の間守り、最後には殺す。一方的で血に塗れた、運命の相方だった。