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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第一章 偽りの乙女たち
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1.アマーリア女学院

 なぜこんなことに……。


 そんな後悔の言葉など無数に乗り越えてきたアールだったが、今回は過去最大だった。未来においてもそうであることを、かつては信じていた〝主〟に祈ってしまうほどに。


 しかも、今度は乗り越えられるか分からない。


 あの日から数日。


 貴族としての最低限の教養。淑女としての立ち居振る舞い。化粧の仕方。服の着こなし。女性らしい喋り方。学習すべきことはいくらでもあったが、アールは実に真面目な生徒だった。


 結局の所、彼にとって任務が最優先であり、恥や外聞は二の次。教師役であるセドリックたちを驚かせるほどの集中力で課題に取り組んでいった。


 ――のだが、そのすべてを一朝一夕で身につけられるはずもない。最終的には出たとこ勝負。賽は投げられたが、出目はまだ確認できない。


 そして、現在。アールの目の前には、威容を誇るアマーリア女学院の正門があった。


 やや苔むした重厚な石造りの大門には――アールの目には何かの彫刻としか見えないが――威圧感を減ずるかのように細かな装飾が施されている。それに連なる壁も同様だが、外部からこの楽園への侵入を拒むと同時に、内部の女生徒たちを現世から隔離する鳥かごであることには変わりなかった。


 その印象は多分に主観が含まれていたが、批判的な視線のアールにも、この門が数百年に及ぶ伝統にふさわしい外観であることに異論の余地はない。

 それに圧倒されているとでも思ってか、アマーリア修道院からここまで付き添ってやってきた修道女(スール)のアンヌが気遣わしげに声をかけた。


「立派な門でしょう? セーラさん、ここがこれからあなたの家となるのですよ。そしてきっと、とても有意義な体験をするに違いありませんわ」

「え、ええ」


 すべてが善意で固められた見当違いの言葉に、アールはまともな答えを返せない。『薔薇園の秘密』でもそうだったが、悲劇は善意と誤解の混合物なのだ。


「案内の方がいらっしゃるまで、少しお待ちくださいね」

「はい……」


 消え入りそうな声でセーラとして返事をしながらも、アールの胸中には「なぜだ……」という疑問が渦巻いていた。


 アマーリア女学院は同名の修道院の敷地内にありながら、半ば独立した存在だ。ここまで先導してきたアマーリア修道院の修道女すら迎えを待たねばならないほど、警備も厳重。暗殺者の視点で見ても、森側からなら不可能とは言わないが、準備なしでは忍び込みたくはない。


 そんなの所に、新たな人間を招き入れるというのにだ。


 なぜ誰も自分を男だと疑わない?


 修道院内で行われた簡単な面接の後、型どおりの持ち物検査をしただけで、この状況。荷物は先に寮の部屋へ運ばれていったが、その間に調べられる……ということも、この状態では考えにくい。


 確かに。ゲオルクが手配した書類は本物以上に本物で疑う余地はなく、推薦人となった貴族も身分がしっかりした人物のようだった。疑いの芽すら出させない手腕はさすがと言える。

 特訓の賜物か、こちらの態度も不信感を抱かせずに済んだのだろうが、いや、しかし。


 だからといって、身体検査もせずに無条件で自分が女だと信じ込むのは間違っている。そう、立場も忘れて叫び出したいアールだった。

 とはいえ、修道院や女学院側からすると、アールの主張など言いがかり以外のなにものでもない。セーラ・ヴィレールという生徒の身元も容姿も、まったく疑う余地がなかったのだから。


「緊張なさって?」

「あの、ありがとうございます……」


 自分のものとは思えない、思いたくない声だった。変声期はとうに迎えているはずだが、おとなし目の少女ということにすれば問題ない高さだと思ってしまうのがまず自己嫌悪。

 そもそも、なにがありがとうだ。訳が分からない。


「安心して良いわよ。こんなに可愛らしいのだもの。きっとすぐにお友達も出来て馴染むことが出来ますよ」


 訓練はしたが、あまり喋ってはぼろが出る。そう考えたアールは曖昧な笑みを浮かべて、困ったように小首を傾げた。


 それを誉められて照れているとでも思ったのか、さらに修道女の慈愛に満ちた笑みがセーラに降り注ぐ。

 少しだけいたたまれなくなってアールが空を仰ぎ見た。〝主〟そのものたる太陽が中天に輝き、雲ひとつ無いきれいな青空。春のうららな陽気。余りにも長閑で平和で、アールは不意に人を殺したくなった。


 それを実行しなかったのは、彼が職業暗殺者であっても殺人鬼ではない証左だろう。それ以上に、通用門が開き、そこから一組の人影が出て来たのも理由かも知れないが。


「マドモアゼル・リーフェンシュタールに、マドモアゼル・クレア。わざわざご足労頂、ありがとうございます」


 ご足労というのは微妙な表現だった。修道女の言葉を受けた少女は、一目見て錬金術師の手による物と分かる、しっかりとした造りの車椅子に乗っていたのだから。


 栗色の巻き毛と緑碧の瞳が印象的で、それ以上に、汚れを知らぬ天使のように無垢な笑顔が目を引く少女だった。


 年齢は恐らくアールよりも上。十代後半といったところか。車椅子での生活を余儀なくされているのも関わらず手足は長くスマートな体つきだったが、同時に出るべき所はでている女性的なシルエットをしていた。


 特にすらりと伸びた足は、制服のローブの裾から僅かに垣間見えるだけにもかかわらず思わず目を引かれてしまう。まるで名工が心血を注いで磨き上げた芸術品のようだった。


「いいえ、スール・アンヌ。わたくしにやっと隣室の学友が出来るのですもの。グレースさまがご不在なのも、主のご配剤ですわ」


 グレース・デシャンという名前はアールも聞いていた。セーラが入る寮の監督生であり、現在は家の事情で女学園を離れているとも。


「…………」


 車椅子を押す侍女が黙ってこちらを見ていた。アールと同じ黒髪黒瞳で、彼や車椅子の少女よりもいくつか年嵩だろう彼女からは、物静かというよりは静かな威圧感が発せられているようにすら思える。


 しかし、その値踏みするような視線よりも、アールは学友という言葉の方が気になっていた。

 意味が分からないわけではない。ただ、本当にそんな言葉を使う異空間を垣間見て頭がくらくらしただけだ。


 ここで生活するのか? 本当に?


「きっと良いお友達になれますわ、マドモアゼル・リーフェンシュタール。こちらがあなたの待ち望んでいたセーラ・ヴィレールよ」

「せ、セーラ・ヴィレールです……。田舎者ですが、これからよ、よろしくお願いします」


 自己紹介は何度も練習させられたにもかかわらず、しっかり噛んでしまった。これで良かったのだろうかと自問自答しながら小さく一礼。彼が冷静だったなら、この女装自体が良くないと思い至っただろう。


 知らない方が幸せという事態は、確かに存在する。


「わたくしは、ティアナ・フォン・リーフェンシュタール。ヴァルダー帝国の出身です。ティアナとお呼び下さいね、セーラさま。それから、こちらはクレア。こんなだから、特別に介助者を認めてもらっているのよ」

「よろしくお願い、します……」


 よく分からないがその場の勢いでクレアというメイドにも頭を下げる。これが、失敗だった。


「貴族の方にそのようなことをされても困ります」


 そうか。貴族という設定だったのだ。女装ばかり気になって、それをすっかり忘れていた。

 表面上は平静を取り繕いながらも、内心は焦燥の極みだった。そんなアールの胸中に、特訓中のセドリックの言葉が響く。


『その困った笑みが良いよ。アール、いや、セーラ。帰ってきたら結婚しよう』


 よし。帰ったら、死ぬか死んだ方が良い目に遭うかどちらかを選ばせてやろう。ゲオルクの分まで。

 アールは素早く心の平静を取り戻し、精一杯余裕の笑みを浮かべて言った。


「不調法で申し訳ないです。その、田舎では、その辺りがどうも……」


 自分で口にしたとは思えない言い訳だった。まさかアドリブでこんな台詞が出てくるとは、無意識という奴はたいしたものだ。


「クレア、わたくしのお友達をあまりいじめないで」


 ころころと太陽の様に笑う彼女の言葉を受けて、侍女が一歩下がって頭を垂れる。この話は、これで落着した。


「さあ、いつまでもここで立ち話をしていたら、スール・アンヌもお困りだわ。早く、わたくしたちの学院を案内させてください」


 皆はセーラ(断じてアールではない)のことを、地方貴族の娘としてなら通用すると無責任に騒ぎ立てていたが、彼女を見ればその意見は撤回せざるを得ないだろう。


 それほどにティアナは、優雅で気品に溢れ。生まれながらにして人の上に立ち、人にかしずかれる存在――貴族としてのオーラを自然と身に纏っていた。


 これが本物のお嬢様なのだ。


 嫉妬でも揶揄でもなく、素直な感心を抱きながら、アールは彼女に導かれるままアマーリア女学院の門をくぐっていった。

 乙女の園へと、最初の歩みを刻む。その小さな一歩に、どれだけ大きな意味があるか知る由もなく。

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