エピローグ
本日は20時に前話を投稿しています。
ご注意下さい。
遠くから荘厳な鐘の音が聞こえてくる。
やはり鐘はすぐ近くで聞くものではないなと、ベッドの中のアールは当たり前の感想を抱いていた。
「終わったわね」
アマーリア女学院、ウルスラ寮。セーラ・ヴィレールの居室で、ベッドの脇に佇むシャルロットが、噛みしめるように呟いた。
「そうだな」
終わりは次の始まりに過ぎない。
そう理解はしていても感慨深いものがあるのだろう。
シャルロットが女王として即位したあの日から、すでに一ヶ月が過ぎようとしていた。
その後すぐにシャルロット女王の〝事故死〟が発表され、国法に基づき妹のリゼット王女が次代の女王として太陽の婚姻を行うことが決定した。
喪主として母のマリアンヌと姉のシャルロットの葬儀を大過なく終えた彼女が、悲しみを乗り越えてこの日即位と相成った――というのが世間の認識。
ソルレアン王国を動かす実力者の間では腹のさぐり合いという名の協議や恫喝も混じった会合があったのだろうが、アールが詳細を知るはずもない。
「本当に不思議な気分だわ。なんだか浮ついて、所在なげな感じがするわね」
「俺がまだ、こんな状態で動くに動けないからだろう」
確かに、リゼットの即位により一応の決着は見た。しかし、アールの体は未だ本調子とは言えない。なにしろ、片腕が欠けたままなのだから。
「なるほど。それは大いにあるわね。それで、最後に残った宿題は、いつ頃終わりそうなの?」
とはいえ、ミュリエルとの戦いで負った傷は、完治とまではいかないものの、概ね良くはなっていた。本来ならベッドで寝たきりになっている必要もないのだが、無理をするからと練金肢が直るまで外出禁止を申し渡されている。
他ならぬ、ゲオルクから。
ゲオルクなら、アールをベッドに縛り付けるため足を折るぐらいは平気でやるだろう。
「腕はもうそろそろ届くそうだが……」
本来ならここまでかかることはなかったのだが、どういう訳か、ティアナの練金肢までゲオルクが請け負うということになっていた。まあ、余人に事情を語れぬ以上妥当なところだろうが、そのせいでアールの練金肢は後回しにされていたのだった。
すでにティアナには新たな練金肢が届けられ、彼女は密かに歩行訓練に励んでいる。それが実を結ぶ日も、そう遠くはないだろう。
「そうね。アールが治ったら、なにか新しい事を始めましょうか」
「まずは、ここから出てどこにいくかだな」
アマーリア女学院の学費という名の寄進は、結構な額だと聞いている。王女でなくなった彼女が在籍できるとは思えない。アールの分も同様だ。
「なによ。私を見捨てるつもりなの?」
「は?」
「え?」
会話がかみ合わない。いや、かみ合っていないのは認識か。
アールが口を開こうとしたその時、シャルロットが手を叩いてベッドに横たわるアールへ顔を近づけた。
「あー。そう。そうだわ。まだ話していなかったわね」
あの日から今日までのシャルロットで、一番快活で最も彼女らしい反応。それに押されて、アールはなにも言えなくなる。
「私、シェフェールなのよ」
「結論だけ口にするな」
気安く迫るシャルロットから目を反らし、必死に頭を働かせる。シェフェール……聞き覚えがある。確か、ゲオルクのデスクに……そう、『薔薇園の秘密』の作者か。それが、シャルロット? そう言えば、ティアナと初めて会ったときに言っていた秘密……『薔薇園の秘密』を読まれて恥ずかしい……。
「だから、お金ならあるのよ。アールの学費ぐらい、私が出してあげるわ」
「それは……」
アールが頷いて良い問題なのか分からない。というよりもむしろ、ここで頷いたらミュリエルの糸よりも厄介なモノに絡め取られそうで、アールは答えを濁した。
「まあ、その辺は後で決着をつけるとして、実は、アールと初めて会った日に起きていた理由って、原稿を書いていたからなのよね」
そのために、夜明葉を噛んでいたと。
死ぬ前にもう一作書きたかった……という事なのだろうか。もしかしたら、護衛者もおらず死を目の前にした重圧から逃れるためということもあったかも知れない。
「しかし、そのために俺は……」
「なによ、私の妹になったのがそんなに不満?」
両手に腰を当て、シャルロットが憤慨する……振りをする。その仕草は、ほんの一時にせよ女王という立場にいた人間にはとても見えなかった。
「どれだけ余計な苦労を背負い込んだと思っているんだ」
「そう言わないのよ。そのお陰で、私の人生は大きく変わったのだから」
アールは静かに首を振る。
それは、自分の功績ではないと。
アールがこの場にやってこなかったとしても、代わりに誰かがその役割を担ったかも知れない。だいたい、この結果はテレーズが勝ち取ったものだ。
「それなら、こうしましょう。今度は、私がアールを変えてあげるわ」
「…………」
変わる? 自分が?
「この学院に来た時点で、俺はかなり変わり果ててしまったが」
「そういうことなら、ねぇ。アールは女学院に女装して潜入した殺し屋が標的の王女様と惹かれあって苦悩するラブロマンスと、美少女暗殺者が王女様を守る倒錯した悲劇なら、どちらのモデルになりたい?」
「なんて俺に利益の無い二者択一だ」
「究極の選択というものね」
「というか、酷い捏造だな」
「そのまま書けるはずがないでしょう」
それはそうだ。
「それにね、こうやって私が物語を紡ぐことで、リゼットやあなたの妹へのメッセージにもなるのよ?」
「そんなものか」
「そんなものよ」
二人の間に沈黙の帳が降りる。しかし、それは不快でも重苦しいものでもない、ごく自然な沈黙だった。
だが、それも長くは続かない。いつもの明るい声でシャルロットが沈黙を破る。
「まあ、焦ることはないわ。この世界は丸いのだから、急いでもゆっくりでも歩き続けていれば同じ場所に戻るのですからね」
そう笑うシャルロットに、アールはベッドの中から胡乱な視線を向けた。
「なにを言っているんだ?」
「大丈夫よ。締め切りなんかないのだから」
「違う。世界が丸いわけがないだろう」
「あー。ええっと……?」
「それくらい俺でも知っている。世界は四角くて、その果ては滝になっているということはな」
「本気……よね……?」
困ったとばかりに、シャルロットが苦笑いを浮かべる。どう説明したものかとベッドの側を三往復し、唐突に立ち止まったかと思うと勢い込んでアールに告げた。
「地平線とか水平線を見たことがあるでしょう? 丸くなってたわよね?」
「そうだな」
「なら……」
「それがどうしたんだ?」
「そ、そうだわ。港から出て行く船は、みんな見えなくなるでしょう?」
「当然だろう」
「そう。そう……よね……。当たり前よね……」
シャルロットも、即座にそれ以上の説明が思い浮かばないのか、口ごもってしまう。次に発したのは、それとは関係のない言葉。
「そうね。まずは、あなたに翼をあげるわ」
「人に翼を取り付けるという練金肢の発展形の話か? それなら、失敗――」
「馬鹿ね」
ベッドから動けないアールの額を人差し指でつつく。
「あなたが、別の何かになりたいと思ったときに、それを諦めずに済むよう。私がアールに選択肢をあげるわ」
「別の何か? ありえないな」
アールの否定を、シャルロットは柔らかく、優しく微笑んで受け止めた。
「今は、それで良いのよ」
シャルロットが、そっと布団をかけ直す。一瞬、ベッドに横たわりこちらを見ているアールに目を留めた彼女は、踵を返して部屋から出ていこうとした。
その去り際。
「なんであの時、私の命を救うために戦ってくれたの?」
アールは答えない。答えられない。
理由付けはいくらでも出来る。だが、言葉にした瞬間すべて絵空事に成り果ててしまい、陳腐化する。なにを言っても、正確に表せはしない。
「…………」
だから、アールは言葉にするのを止めた。曖昧な笑みを浮かべて、小首を傾げる。
シャルロットから教えられた、あらゆる問いに対する淑女の切り札。
「ふふふ。これはしてやられたわね」
これが、アールの確かな成長の証と言えるかも知れなかった。
これにて完結となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




