10.ゲオルク
「なぜ……」
忘我の態で呟くが、そうしながらもアールは回答に行き当たっていた。マリーカが言っていたではないか、ゲオルク本人がやってくるかも知れない……と。
「ミュリエルはどうした?」
緊張に口が渇く。いや、喉が渇いていたことを無理矢理自覚させられただけか。続きを聞くのが怖かった。だが、問い質さぬ訳にはいかなかった。
「ミュリエルは一年前に死んだ」
有無を言わせぬゲオルクの言葉に、アールの舌が凍り付く。それ以上の追求は不可能。
「そんな事よりも本題だ。貴様の任務はここまでだ、アール」
突然の終了宣告に、アールは今度こそ本当に頭が真っ白になった。まだ、シャルロットを殺していない。それでは、彼女の望みが叶わない。
「シャルロット・ベランジュール・ソルレアンは女王となり、その直後に死ぬ。だが、レティシア・ル・フォールは生存を許された」
アールの瞳に理解の色が宿りつつあった。
王女としてのシャルロットは死ぬが、〝紅玉の薔薇〟としての彼女は生き残る。つまり、社会的には抹殺されるが、肉体は無事だと。生きながら、シャルロットの望みが叶うのだと。
「――いや、そんな上手い話があるはずがない」
雷鳴草の副作用が、アールを冷静にしてくれた。
「そんなことが起こるのならば、俺もシャルロットもこんな苦労はしていない」
そう考えると、目の前のこの男が本当のゲオルクなのか。それすら、疑わしくなってくる。
「相変わらず、卒のないことだ」
闇の中のゲオルクが、感心の言葉を口にした。
「だが、デウス・エクス・マキナは最後になって突然降ってくるものだ」
淡々と、ゲオルクが説明を続ける。そこには何ら感情の働きは認められず、慎重な部下に対する賞賛も、無駄な解説をさせられる労苦を厭う気配もない。
「リゼット王女が、シャルロット王女が暗殺された場合の即位を拒否した。これにより、宰相とフェリックス将軍の間に〝妥協〟が成立した」
つまり……。本当に、シャルロットが死なずに、彼女が描いたシナリオ通りの展開になるというのか?
「だが、死体はどうする? 仮にも女王の死だ。偽物でごまかせるとは思えん」
「リゼット王女に、シャルロット王女の命が狙われていると注進した侍女がいた。万一の場合は、自分が身代わりになると申し出るほどの忠臣だ」
テレーズか。
シャルロットはよもや自らの意図が知られているとは想像もしていなかったため、テレーズに女王となって生きろと言われたと解釈したようだが、この事実を前にすると意味合いが変わってくる。
テレーズは、幾ばくもないがたったひとつの命をシャルロットに捧げたのだ。
それなのに――ゲオルクはなんの躊躇いもなく矛盾した言葉を紡いでいく。
「それとは別に、シャルロット王女。いや、シャルロット女王となったとしても殺せという依頼が来ている。依頼の重複は珍しくはないが、こうも幾つも重なっては他人に任せられん」
「なぜこの期に及んでシャルロットを殺す?」
「人を殺すのに理由が必要か?」
アールは押し黙る。
シャルロットが死ぬ必要がなくなったという、その真偽に思いを巡らせていたわけではない。ミュリエルの無事に思いを馳せているわけでもない。
黙ってさえいれば、アールはシャルロットを殺していただろう。それなのに、わざわざ裏事情を語ったその理由を考えていたのだ。
「シャルロットを生かしたければ、止めてみせろということか」
この仕事の報酬。いや、ご褒美のつもりか。機会を与えてやるから、抗ってみろとそう言っているのだ。
「見極めのために来た。無論、初志貫徹しても構わん」
このままシャルロットを殺すか。ゲオルクに立ち向かって、彼女を守るか。
後者を選ぶとしよう。どう考えても、ゲオルクにアールもシャルロットも殺されて終わりだ。
愉快な未来予想図を想像してアールが笑うのと、周囲に鐘の音が鳴り響くのは同時だった。
耳を塞ぎたくなるような大音声。
鮫のように凶悪な笑みを浮かべて、アールは動き出していた。
ほとんど倒れ込むような格好なのは、これが一番早い移動方法だから。徒手空拳で、ゲオルクへと肉薄――したつもりだった。
見えないなにかで強かに打ち付けられ、階段に俯伏せになるつもりなど欠片もなかった。
「ぐっっ……」
蹴り落とされたのか、拳で打ち抜かれたのか。それすら分からない。ナイフが生えたままの脇腹をかばって、片膝を付けたのは奇跡だ。
ゲオルクが偽物かも知れないなどと、なにを馬鹿なことを考えていたのだろう。痛みと自嘲で頬がひきつった。
だが、なにを為すべきか見失ってはない。
そのまま片手で上半身を持ち上げると、足に力を込めてとにかく前へ。目指すはゲオルクの足。食い千切ってやる。
のろのろとした動きだが、殺意は充分。
ゲオルクでなければ、意図は完遂されたかも知れない。
しかし、足に噛みつくどころかその足で顎を蹴り上げられ、棒のようにその場で直立させられた。しかも髪を掴まれ、倒れることすら出来ない。
「なぜ、勝てない勝負を挑む?」
なぜ? なぜだろう?
もう、シャルロットのために、アールが傷つく理由はない。生きようが死のうが関係ない。今まで数多の命を奪ってきたのに、シャルロットだけ特別扱いする道理はない。
それでも。それでも、だ。
「知るか」
「…………」
「知ったことか」
理由も理屈も原因も道理も知ったことではない。
気づけば体が動いていたのだから、どうしようもないではないか。
「アール!」
そこに、鐘を鳴らして最後の儀式を終えたシャルロットが戻ってきた。
「もう良いわよ。あとは、私を殺せば、それで終わりでしょう」
息も絶え絶えのシャルロットが、哀願するかのように絶叫する。
「アールに、もう酷いことをしないで」
「引っ込んでいろ」
事情をすべて語る暇はない。アールは簡潔に要求だけを伝えた――が、それを聞いて引き下がるシャルロットではない。
むしろ、それを聞いて憤るかのように階段を勢いよく下ってきた。下ったと言うよりは、転ばなかったと言うだけだが。
「どうするつもりだ?」
そんなシャルロットを、ゲオルクの冷たい言葉が出迎える。
「この男の身代わりになるというのか?」
「それがそちらの要求なら」
「王都では、リゼット王女がシャルロット王女が死亡した場合の即位を拒否した。これにより、宰相とフェリックス将軍の間に〝妥協〟が成立した」
アールにしたのと同じ説明をシャルロットにも繰り返す。
「私、死ぬ必要がな……でも……。そう、テレーズ。テレーズね」
アールよりも遥かに素早く、アールと同じ結論にたどり着く。
「それでも、この男の身代わりになるというのか?」
シャルロットはゲオルクには答えない。代わりに、アールに慈母のように語りかけた。
「私、あなたに言われたとおり自分らしく生きたわ。まだ私が生きられるというのなら、これからもそうしていきたい」
そうだ。結果が同じだろうと、少なくとも、俺をかばって死ぬ必要はない。どこにもない。意図が通じたと、アールが薄く微笑んだ。
「だけど私は、ここであなたを犠牲に生きることは出来ない。目の前でアールを見殺しにして得た生は、私のものではないもの」
シャルロットは王女。いや、女王の威厳で場を睥睨する。
アールはおろか、ゲオルクまでがシャルロットの発言に聞き入っていた。
「それから、あなた。悪いけど、私を殺すのはアールと決まっているの。順番は守ってもらわないと困るわ」
「この状況で、こいつが私を倒すと。そう考えているのか?」
「分からないわよ、そんなこと」
ゲオルクの問いを、言下に否定した。とてつもなく傲慢なのに、いっそ小気味良い。
「でもね、アールが。男の子がそうすると決めたのに、私が止めては女が廃るというものよ」
ゲオルクがアールの髪から手を離す。
自由落下する彼を、シャルロットは懸命に走って走ってなんとか階段に落ちる前に体を差し入れることが出来た。
「シャル……ロッ……ト」
「アール……」
まだだ。
まだ終われない。
ふらふらと脇腹に刺さったままだったナイフを左手で抜き、それで斬りかかる――ような事はせずに口で柄をくわえた。
現状、これが一番威力が高い。
「アール、最後まで諦めちゃ駄目よ」
勝てとも、自分を大事にしろとも言わず、最後まで自分らしくしろとシャルロットは言った。
その言葉だからこそ、アールは動くことが出来た。
ゲオルクの首元へ、倒れ込むように飛び込んでいく。
これで――
「大人しくしていろ」
そんなアールに、ゲオルクは容赦なく鳩尾へ爪先を突き入れて悶絶させた。もう、苦鳴を上げることはおろか、呼吸をすることすら困難だった。
「依頼が幾つも重なったと言ったはずだ」
確かに言っていた。それは、シャルロットの殺害依頼の取り消しと、シャルロットの殺害で――重なっていなかった。
「矛盾した依頼は選別せねばならん」
「矛盾した……依頼……?」
「レティシア・ル・フォールとして生き残った、シャルロット・ベランジュール・ソルレアンの護衛」
確かに、シャルロットが生きているとなれば国内外でその身柄を利用しようとする陰謀はいくらでも発生しうる。
「そして、いざとなれば殺害」
その時、大過がないように速やかに始末できる人材が誰にとっても必要だ。これが、両者の妥協のひとつなのか。
「覚悟の程は、今見させてもらった。貴様以外に適任はいないだろう」
ゲオルクの言葉はいつだって正しく、反論の余地がない。
「ただ殺すよりも、こちらの依頼の方が実入りが大きい。その腕を直すのもただではないのだからな」
余人が発したのならば冗談と受けとられかねないが、発言者がゲオルクである場合、それは額面通り解釈すべきだ。
つまり、シャルロット殺害と、今後シャルロットを監視するという矛盾した新たな依頼のどちらを受けるべきか。
それを確かめるために、自ら足を運び後者を選ぶことにしたようだ。
「それ……なら、なぜシャルロットを、試すような真似、を……」
「息子を預ける相手だ。見極めが必要だろう」
冗談だとしたら、天地がひっくり返る。
本気だとしたら、この世は闇に閉ざされる。
この世の終わりだ。絶望的な表情で闇の中に目をこらすアールの耳に、シャルロットの呟き声が届いた。
「合格した……のかしら?」
返事はない。
だが、それこそがなによりも雄弁な答えだった。




