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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第五章 太陽の婚姻
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9.死の影

 決着はついた。

 だが、終わりではない。


 アールは、うずくまるミュリエルから、苦労してポーチを引き抜いた。片腕では困難な仕事だったが、なんとかその中から夢境草のエキスを取り出してミュリエルにかがせる事に成功する。


 これで、しばらく目覚めることはないだろう。


「起きたら、これからの話をしよう」


 共に逃げることは出来ないが、手助けぐらいは出来るはずだ。 


 続けてポーチを左腕にぶら下げたアールは、シャルロットの元へと急ぐ。とはいえ、まっすぐ歩けているのが奇跡のようなもので、遅々として進みはしなかったが。


 ようやく彼女の側までたどり着き、どさりと腰を下ろした。それから床に置いたポーチを片手で窮屈そうに目当ての薬を探り当てた。


 白の霊液。


 ただのお守りだと思っていたこれを本当に使うことになるとは想像もしていなかったが、伝家の宝刀は抜くために存在しているのだ。


 アールはシャルロットの細い顎を持って口を開かせ、瓶から白の霊液を垂らそうとするが……片手では上手くいかない。

 何度か試みるものの、持ち替えている間に口が閉じてしまう。時間をかければ上手くいくだろうが、強烈に主張する脇腹を始めとした全身の痛みがそれを許してくれそうになかった。


 やむを得ない。


「黙っていればいいことだしな」


 誰にともなく言い訳しつつ、アールは瓶の中身を口に含んだ。

 そして、苦労して彼女の顔を左手で押さえつつ、横からシャルロットと唇を重ねた。


 柔らかな唇。

 甘い吐息。


 ミュリエルに続いての口づけだが、雷鳴草の副作用が続いているせいか、酒に酔っているかのように頭がくらくらする。しかし、目的を忘れてはいない。


 一時の衝撃から立ち直ったアールは、シャルロットの口内に含んでいた白の霊液を流し込んでいく。


「――っっ」


 その時、ぱちりとシャルロットの瞼が開いた。


 夏の空のように鮮やかな青い瞳が、アールの姿を映している。恐らく、シャルロットもアールの黒い瞳に写った自らの相貌を見ていることだろう。


 ごくりとシャルロットの喉が鳴って、アールが送り込んだ白の霊液と唾液の混合物が嚥下されていく。


 目的は果たした。

 それなのに、二人とも動けずにいた。


 闇夜で悪霊に出会ってしまったかのように硬直している。そのまま、どれくらい唇を重ねていたのか。

 さすがに息苦しさに耐えかねて、どちらからともなく唇を離した。


 二人の間を銀色の糸が繋ぎ、今まで両者がなにをしていたのかを雄弁に物語る。 


「あー、え、えーと?」

「げ、解毒剤のようなものを飲ませただけだ。この状態では、他に方法がなくてな」


 なぜか心臓が高鳴っていたが、どうにか平静を保ってシャルロットに告げる。


「あ、ああ、うん。そ、そうなのね」


 いつものシャルロットであればアールの様子に気付いたかも知れないが、今は彼女も平静ではなかった。それに、ミュリエルにずたずたにされたアールの右手を見てそれどころではなくなったという事情もある。


「ア、アール。その手はどうしたの!」

「ミュリエルにやられた」

「それはそうだろうけど……って、その妹さんはどうなったの」

「向こうで寝ている。殺してはいない」


 矢継ぎ早の質問に、ひとつずつ簡潔に答えていった。状況の変化についていけないシャルロットを見ていると、逆に冷静になっていく。


「お腹。お腹になにか刺さってるわよ!?」

「コルセットのお陰で致命傷は免れた。もうしばらくは問題ない」


 アールのあまりの惨状に、自分が怪我人であることも忘れているのかシャルロットがわたわたと座ったまま両手を動かす。


 思ったよりも毒や怪我の影響が薄いようだなと、アールは訝しげにその奇妙な踊りを眺めていた。もしかしたら、訃音天使とセントール毒がお互いを打ち消しあったのかも知れない。


「問題あるわよ、手当、手当をしないと」

「いや、それよりも儀式を優先すべきだ」


 怪我人とは思えないきっぱりとした口調で、アールがシャルロットを制した。ミュリエルは排除したが、この先も安泰かどうかは分からない。


「……分かったわ。でも、辛くなったらちゃんと言うのよ。絶対、絶対によ?」

「まあ、死にはしない。それよりも先を急ぐべきだ」


 それ以上の抗弁をシャルロットはしなかった。「仕方がないわね」と弟の我が儘にあきれる姉のような口調でアールの言を受け入れる。


 そういえば、シャルロットは〝姉〟なのだったなと今更ながら思い出す。

 それも、もう、終わりだが。


「立てる?」


 そう言うシャルロットこそ、立ち上がるのも一苦労。両足で地面を踏みしめてもなお、まるで強風に煽られているかのように安定しなかった。


 それは、アールも大して変わらない。


 太陽の婚姻のクライマックスである鐘を鳴らすため、二人は支え合いながら、鐘楼を目指すこととなった。

 朝の出発時に比べたら目を覆いたくなるほど見窄らしく、動けるのが不思議といっても過言ではない二人。しかし、その格好を除けば見るものに微笑を浮かばせる初々しい光景だった。


「一人はみんなのために。みんなは一人のために、ね」

「二人しかいないがな」


 正直すぎるアールの直言に苦笑しつつも、シャルロットの足取りは自然と軽くなる……が、現実を目にして、深く深くため息をついてしまった。


「……メインイベントにしては芸がないわ」


 ミュリエルの糸を排除し、聖堂の奥に隠されていた扉を開くと、そこは階段になっていた。急勾配で、先が見えないほど長い。


「行くしかないだろう」


 顔色ひとつ変えず、アールは一歩踏み出した。お互い体重を預け合っている状態のため、シャルロットも進まざるを得ない。


「うちのご先祖様のせいで迷惑をかけるわね」

「低い場所にある鐘楼など聞いたことがない」

「なんだか、アールに正論ばかり吐かれているような気がするわ」


 気のせいではないのだが、アールは賢明にも沈黙を守った。


「リゼットと私って、あんまり接点がなかったのよね」


 唐突に妹について語り出すシャルロットを、アールは体重を受け止めながら聞いていた。


「年はあんまり離れていないけど、乳母が違ったからずっと一緒というわけではないし、どうしても取り巻きが出来てしまうから。それが気にくわなくて無理矢理巻き込んで演劇をやったらお母様に酷く怒られたわ」


 それでもリゼットは愉しそうだったのよと、自己弁護しつつシャルロットは微笑んだ。余程愉しい記憶だったのだろう。


「内気なあの子とは、その後もあまり交流はなかったのだけどね。ある日そんなリゼットが、恋をしたのよ。しかも、一目惚れ。相手は、戦勝報告にやってきた新進気鋭のフェリックス将軍」


 妹であるリゼット王女の話を始めたのは、死後に思いを馳せたからか。あるいは、ミュリエルと死闘を演じたばかりのアールを気遣ってのことかも知れない。


「それで私が姉として気を回してあげたところ、どうなったと思う?」

「まあ、結果は分かっているが……」

「だけど、フェリックスまでリゼットに一目惚れしていて、二人を初めて会わせたら一時間以上も横に座ったまま黙っていたなんて事までは分からないでしょう?」


 初心と呆れるか、微笑ましいと受け流すか。判断に迷ったアールは黄金と共に沈黙を選んだ。


「そんな二人を私は全身全霊を賭けて応援したのよ」

「それは……テレーズが随分と苦労したのだろうな」


 付き合いはほんの僅かだったが、立ち位置を完璧に把握していた。


「でも、その甲斐あって思いを遂げられたのだけど……まさか、こんな事になるなんてね」


 階段につんのめって倒れそうになったシャルロットを支えながら、アールが言う。


「リゼット王女にとっては、お節介だが良い姉だったのだろうな」

「そうだと良いわね」


 人となりがどうあろうが、どんな感情を抱いていようが、それをすべて押し流してしまうのが政争の常。アールもミュリエルを家族として愛していたが、それでも容赦なく打ち倒した。それと同じなのだろう。


「なんだか不思議な気分だわ」


 暗闇の中、時折点灯する明かりはほとんど当てにしていない。シャルロットは、アールに完全に委ねて階段を一段一段確実に踏みしめていく。


「この階段を登る度、私は死に近づいているというのにまったく怖くないのよ」

「たまに、そういう人間もいた」


 共に薄衣で、体温も吐息もお互い嫌というほど感じられてしまう。いや、もしかしたらすでに共有してしまっているかも知れなかった。


「だが、お前はそんな連中とは似ていないな」

「そうなの?」

「ああ。生に未練のない人間などいない。現世ではやり尽くしたと口にはしても、本心では死にたくなどない。考えてみればいい、大金を手に入れた、出世を果たした、仇敵を倒した、それで喜び勇んで死ぬ輩がいるか?」


 結局、望んで死を受け入れようとする人間は、この世界と自分に絶望した人間だけ。そのはずだった。


「アールの言う通りね。テレーズには生きてって言われたのに、それすら気が咎めないわ」


 シャルロットの体力では喋りながら歩き続けるのは辛いだろうに、それでも彼女は口を閉じることはなかった。


「当然、やりたい事がないわけではないのよ。まだもう少しこの学院で勉強してみたかったし、自分がどの程度この国の政治を動かせるのか挑戦してみたかった。ティアナに壁画のことを解説してあげたかったし、もっと物語を紡いでいきたかったし、一度は結婚もしてみたかったわ。それから、アールをもっと淑女として育て上げたかった」

「最後は忘れろ」

「でも、全部余録ね。自分でこうと決めたこと以外は、どうでも良いみたい。まったく、私がこんなに王族だなんて思わなかったわ」


 それが、彼女の定めた信念か。


 アールにも――命を捨てるという意味ではないが――任務のためなら命を賭ける覚悟はある。それが、アールの生き様(スタイル)だ。


 結局、大事な物を踏み越えてこの暗い階段を共に登る羽目になったのは、この二人がよく似た価値観を共有していたからなのかも知れない。


「ありがとうね、アール。私を最後まで私でいさせてくれて。お母様の後継者で、子供でいさせてくれて」

「自分のためにやったことだ」

「分かってるわ。それでも、私の野望のためにあなたを利用したのは間違いないもの」

「王侯貴族というのは、そういうものだろう。それに、俺たちは共犯者なのだろう?」

「そう。そうね」


 その肯定には万感の想いがこもっていた。

 終わりが近い。

 薄ぼんやりとだが、行く手に扉が見えていた。


「最後だから言うけれど、私――」


 不意に、アールが立ち止まった。そのせいでシャルロットが階段を踏み外しかけるが、アールはそちらを見てない。

 後方。階段の下に意識を集中していた。


「アール……?」


 異常を感じて、シャルロットが控えめに呼びかけるもののアールからの返事はない。

 彼が感じたのは、微かな雑音。普通なら空耳と聞き流してしまう程度の違和感。だが、アールは胸に黒雲が立ちこめるのを自覚していた。


「シャルロット」


 ほとんど耳にキスをするかのような格好で、シャルロットの耳元でささやく。こうしていないと、倒れてしまいそうだ。


「先に行って鐘を鳴らせ」

「アール……」


 それで事情を悟ったのか、シャルロットはしっかりと頷いた。


「私、自殺なんかしないわよ。ちゃんと私を殺しにいらっしゃい」


 客観的に見れば奇妙な、しかし、二人の間ではしっかり通じる激励の言葉を背に、アールは慎重に階段を下っていった。

 それから少しして、シャルロットは体を引きずるようにして黄金の鐘へ目指して登り始める。


 もう、心配はない。


 なにがあっても、俺がここで食い止める。

 体力を少しでも温存するため、十段ほど下ったところでアールは侵入者を待ち受けた。ミュリエルが目覚めたのか、あるいは他の何者かが新たに侵入してきたのか。


 正解は、後者だった。


「ご苦労、だったな」


 しかも、闇の中響く声に聞き覚えのあるもの。


 ――ゲオルク。


 アールの育ての親が、闇の中で徐々に浮かび上がってきた。

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